シャローム!
今日で詩篇は100篇に突入します。三分の二が終わります。私も毎日詩篇に触れ、起きた瞬間に詩篇のみことばが頭に浮かんできたりします。みなさんはどうでしょうか?詩篇を楽しんでいるでしょうか。
今日の詩篇は「王の詩篇」と言われる箇所です。私たちは王である祭司として召されています。一人ひとりがやがて来る御国においては王として治めます。
たとえ、そのことが信じることができなくても、最低でも私たちは自分自身を治めなければなりません。自分にとって自分は良い王様でしょうか。悪い王様でしょうか。今日の詩篇からそのことを教えられていきましょう。
今日の通読箇所:詩篇96篇〜100篇
■アウトライン
●主は来られる:96篇
・日から日へと:1-6節
・確かに主は来られる:7-13節
●さばき主:97篇
・主は王:1-7節
・すぐれて高い方:8-9節
・悪を憎め:10-12節
●すべてのものが主を賛美する:98篇
・新しい歌を主に歌え:1ー3節
・主に喜び叫べ:4-9節
●主は王、主は聖:99篇
・主は聖:1-5節
・報いる方:6-9節
●感謝の賛歌:100篇
・私たちは主のもの:1-5節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【96篇】主は来られる
・日から日へと:1-6節
詩篇にはいくつか、この詩篇の冒頭のように「新しい歌を主に歌え」と言われています。新しい歌とは即興の賛美です。そのときに語られる神様からのメッセージをメロディーに乗せて歌われるものです。
このような賛美は、みことばの土台が絶対に必要です。適当に自分の思いを語るのではなく、みことばからの即興的賛美をするようにしましょう。
また、人はなれてしまう生き物です。礼拝で歌われている賛美に飽きてしまうこともあるでしょう。しかし、もう一度その歌詞に思いを向け、新しい心で賛美することも新しい歌を主に献げることでもあります。
黙示録の中にも、新しい歌が出てきます。神様の素晴らしさ、麗しさ、ご性質は永遠という時間を使っても語りきれないほどのものです。ですから、私たちはいつも主に新しい歌を歌うことができます。
これは、人だけではなく、全地に向かって語られています。すべての被造物は主を誉め称えています。野に咲く花を見て感動するのは、主の戒め通りに成長しています。ですからそれを見て感動します。
私たちも同様に神様の戒め通りに生き、日から日へと、全世界に福音を伝えていく必要があります。その内容は「教会に来ると良いことがあるよ」と言うのでは不十分です。主がどういうお方か、主が何をしてくださるか、イエス様の死と葬りと復活とは何かを伝えていくのです。このお方だけが賛美を受けるにふさわしいお方であることを伝える必要があります。この方だけが恐れられるお方です。創造主を知ることは大いなる恵みです。
・確かに主は来られる:7-13節
この詩篇はまるで黙示録の最後を見ているかのようです。国々の民が津に栄光と力をささげよと命じられています。主の大庭、神殿に来て主をあがめます。
そして、聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せと書かれています。キリストの花嫁が着る正しい行いの衣装をまとい、主の御前でひれ伏します。これが祝福です。
人が主に向き、ひれ伏すなら、天は喜び、地はこおどりします。
そして、この希望をいつも覚えておく必要があります。主は確かに来られると言うことです。この詩篇が書かれたときは、まだイエス様は救い主としてこの地に来られていませんので、イエス様の事を言っているのですが、それと同時に、その先にある再臨されるイエス様も同時に見て語られています。みなさんも再び主が来られることを信じていますか?期待していますか?
【97篇】さばき主
・主は王:1-7節
主は再び来られます。最初の時は救い主として来られました。次に来られるときにはさばき主として来られます。
そして、ここでも冒頭で宣言されています。「主は、王だ。」本当にシンプルで力強い宣言です。自分のたましいにいつも言い聞かせてあげましょう。
2節からは、主が来られるときの様子です。主は光のお方ですが、なんとその方を取り囲んでいるのが雲と暗やみであると書かれています。出エジプトの時、主が律法を授けるために山に降りてこられたときも、同じような事が起こりました。
そして、主の御座の基は義とさばきです。主の正しさを持ってすべてがさばかれます。山はろうのように溶け、偶像に仕える者は恥を見ます。
・すぐれて高い方:8-9節
主がさばかれるとき、主に従う者には喜びが満ちます。今まで詩篇の作者が「主よ、いつまでですか」と祈ってきた結論がここにあるからです。すべての解決がここにあります。
・悪を憎め:10-12節
主を愛する者は聖さを愛します。それ故、悪を憎めと書かれています。汚れを忌み嫌うと言った方が良いでしょうか。たとえば、一張羅の真っ白のスーツを着ていたとします。その衣装で食事をするときは最新の注意を払うでしょう。道を歩いていても塀にもたれたり、必要以上に人に触られたりすることに気をつけるでしょう。そして、少しでも汚れるならどうにかして汚れを取ろうとするでしょう。聖さに対する汚れを憎むとはその様なことです。
光は正しい者のために、種のように蒔かれているとあります。闇は光に打ち勝つことができません。種ということは、これから成長し実を結ぶと言うことです。主はみことばの種を私たちに与えてくださっていることを感謝します。
正しい者、主の戒めに従って歩む者は主にあって喜びましょう。聖なる御名に感謝しましょう。
【98篇】すべてのものが主を賛美する
・新しい歌を主に歌え:1ー3節
ここでも新しい歌を主に歌えと書かれています。主が勝利をもたらしてくださいました。まだ主の完全な勝利は成されていません。しかし、主が再び来られるとき、すべてに決着がつき、完全な勝利が与えられます。
そしてイスラエルの救いと異邦人の完成がなされ、新しい一人の人として主の御前に進みゆきます。
・主に喜び叫べ:4-9節
全地に対して知らしめられた主の救いを全世界が喜びます。創造してみてください。世界中の聖徒が一つ心となって、一斉に主に賛美を献げる姿を。なんと盛大な姿でしょうか。
それだけではありません。すべての被造物も共に主を賛美します。主が地をさばくために来られるからです。すべての終わりであり、永遠の始まりでもあります。
いつ主が私たちをお迎えに来られても良いように、私たちは備えをしていきましょう。
【99篇】主は王、主は聖
・主は聖:1-5節
ここでは主が二つのことが宣言されています。主は王、主は聖ということです。日本人にとって王制はピンとこないかも知れません。王には絶対服従が要求されます。この時代であれば、王に従わないことは死を意味します。主が王としてすべての上に立たれるのを見るなら、恐れが生じるでしょう。
そしてもう一つの性質、聖なるお方です。聖とは、他と違うこと、特別に取り分けられていることを意味します。主こそ聖なる、聖なる、聖なるお方です。このお方が私たちの前に来てくださるなら、あまりの聖さに私たちは自分がいかに汚れたものであるかを痛感するでしょう。イエス様に出会った弟子たちも、自分から離れてくださいと願いました。主の聖さは私たちの想像をはるかに超えます。
主が聖さの基準です。王の力はさばきを愛すると書かれています。公正にさばかれることを意味します。人の基準ではなく、創造主の基準で公正なさばきが行われることを、王は愛しています。
・報いる方:6-9節
旧約聖書の時代には、神様は限定的にしか語られませんでした。聖所の中で、そこで仕えている者に語られました。
モーセもアロンも、聖所で主と語りました。サムエルも祭司エリによって育てられ、主と語りました。
主は彼らにさとしとおきてを与えられ、彼らはそれを守りました。すると主は彼らに応えてくださいます。その内容は赦しというものでした。また、行いに対して報いられました。
今では、イエス様が十字架にかかってくださったことにより、聖所にあった隔ての幕は上から下まで真っ二つに裂けて、主と直接の交わりが可能になりました。
私たちは王である祭司です。イエス様の血潮を通してそのような身分とされていることを感謝します。そして、この方から与えられたさとしを、私たちは喜びをもって守っていきましょう。
【100篇】感謝の賛歌
・私たちは主のもの:1-5節
この詩篇は個人的に大好きな詩編です。短い詩篇なので丸覚えしています。いつでもこの詩篇が口を突いて出てきます。みなさんもこの詩篇を覚えてみましょう。そして、いつでも口ずさんで見ましょう。
この詩篇は感謝の賛歌です。主との交わりは喜びです。主の御前には喜びがあります。主に仕えることは苦痛ではなく、喜びです。
そして、3節は、私たちのアイデンティティーを知る上で非常に重要なみことばです。「知れ、主こそ神。主が私たちを造られた」そうです。主が私たちの神です。私たちを創造された創造主です。私たちは偶然生まれたのではありません。主がご計画をもって、この時代、この場所に送ってくださいました。一人として不必要な人などいません。そのために必要な事が主を知ると言うことです。知識においても知ることが必要ですし、体験的に共に歩むことによって主を知ることも大切です。私たちは生き方を通して主が神であることを知る必要があります。そして、自分が高ぶりそうになったとき、落ち込みそうに名尊き、いつも自分のたましいに言います。「知れ、主こそ神。主が私たちを造られた」と。これが礼拝の根源です。福音のはじめです。
私たちは親のものでもありません。自分自身は自分のものではありません。私たちは主のものです。
それゆえ、感謝しつつ主の門に、大庭に入ってくことができます。主の幕屋に入る鍵は感謝と賛美であることがわかります。私たち感情に関わらず、状況に関わらず、感謝をこの口から、半強制的にも告白していくなら、私たちは主の宮に入れられることになります。主はいつでも私たちを御側に呼んでおられます。そこに近づく鍵は感謝と賛美です。
私たちを救い、永遠のいのちを与えてくださる主はいつくしみ深いお方です。その恵みはとこしえまで、真実は代々に至ります。このお方に瞬間瞬間、感謝と賛美をささげていきましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。