聖書通読クラブ Day 179【詩篇106篇〜110篇】

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シャローム!

主は本当に良いお方です。私たちを一方的な恵みで救ってくださいます。それなのに、何度も何度も私たちは主を悲しませてしまいます。わかっていても主に従うことができないときがあります。
ですから私たちは祈ります。苦しみの中から主に叫びます。すると主は救ってくださいます。
今日のみことばの中から、私たちが繰り返す罪の原因を教えていただきましょう。そして、それを知ったなら、祈り、それらが取りのけられていくように主に大胆に求めていきましょう。

今日の通読箇所:詩篇106篇〜110篇

■アウトライン

●度重なる民の裏切り:106篇
  ・幸いなこと:1-3節
  ・主が御民を愛されるとき:4-5節
  ・先祖と同じ罪:6-12節
  ・激しい欲望:13-15節
  ・彼らを滅ぼす:16-23節
  ・天幕でつぶやく:24-31節
  ・メリバの泉:32-33節
  ・偶像に仕えた:34-39節
  ・憎む者が支配する:40-43節
  ・それでも彼らの叫びを聞く:44-48節

●逆境の中での叫び:107篇
  ・主に贖われた者はこのように言え:1-3節
  ・まっすぐな道:4-9節
  ・苦悩から救われる:10-16節
  ・みことばを送って彼らをいやす:17-22節
  ・望む港に導かれた:23-32節
  ・砂漠を水のわきあがる所に:33-38節
  ・うなだれる時:39-43節

●あなたの愛する者:108篇
  ・暁を呼び覚ましたい:1ー9節
  ・人の救いはむなしい:10-13節

●呪いの詩篇:109篇
  ・私の愛への報い:1-5節
  ・祈りが罪となるように:6-10節
  ・彼らの記憶をが地から消される:11-16節
  ・のろうことを愛した:17-20節
  ・私に優しくしてください:21-25節
  ・これがあなたの手:26-31節

●とこしえの祭司:110篇
  ・あなたの敵の真ん中で治めよ:1-3節
  ・メルキゼデク:4-7節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【106篇】度重なる民の裏切り

・幸いなこと:1-3節
詩篇は多くが感謝から始まります。主の素晴らしさをことばにして言い表すことは良いことです。私たちの状況や環境に関わらず、主に感謝することを選択していきましょう。

・主が御民を愛されるとき:4-5節
この詩篇の著者は、いままでのイスラエルの民の不従順を悔い改めています。そのゆえに主を賛美しています。アブラハムに与えられた契約が自分に与えられるように願っています。

・先祖と同じ罪:6-12節
信じられないほどの偉大な奇跡を目の当たりにした出エジプトの奇跡を体験しても、民はすぐに神に従おうとしなくなります。エジプトを出て行くときにあれほど喜び、主を誉め称えていたのに、紅海を目の前に、後ろにエジプト軍が来たとき、民はモーセを責めました。民は主に信頼しませんでした。それでも主は民を助けてくださいました。主の愛と我実はどれほどでしょうか。
私たちも不平を口から出してしまうことがあります。主はそれでも私たちを愛し、救ってくださいます。
その主の愛を知ったとき、彼らはみことばを信じ、主への賛美を歌いました。私たちも主を体験したとき、このようになるでしょう。しかし、イエス様がトマスに言ったように、見ないで信じる者は幸いです。まだ主の奇跡を見る前から、主を信頼してあらかじめ主に感謝する信仰を持ちたい者です。

・激しい欲望:13-15節
これが人の弱さです。すぐに神様の御業を忘れてしまいます。その上、さとしを待ち望みませんでした。そのような人は、荒野で激しい欲望にかられます。その結果病が送られます。

・彼らを滅ぼす:16-23節
それでもなお、宿営でリーダーを妬んだとき、地が開き生きたままその人々を飲み込みます。
この恐ろしい事は、主の御業を忘れることから始まっています。
その上、彼らは子牛の象を造り、救い主を忘れます。これだけの事をしたら、滅ぼされるのは当然です。しかし、モーセは彼らのためにいのちをかけて、とりなし祈りました。
私たちもこの夜中を見て、どうしようもないと言ったり、文句を言うのではなく、モーセのようにひざまずいて祈る選択をしましょう

・天幕でつぶやく:24-31節
カデシュ・バルネアでの出来事を振り返っています。彼らは不信の罪を犯したので、主は彼らを40年という期間、荒野に彼らを置きました。続いて、バラクとバラムのことを思い起こしています。バラムが呪おうとしても、主はそれを祝福に変えられました。
ところがバラムの助言によって、イスラエルの宿営にモアブ人の女性が送り込まれます。それで民と女は戯れ、彼女たちの神を拝み始めました。そのゆえに彼らは滅ぼされかけましたが、ピネハスの仲裁でまぬかれました。これは永遠に彼の義と認められました。

・メリバの泉:32-33節
今度はメリバの泉の出来事です。水がなくなったことに対して、民が不平をこぼします。この時だけは、モーセが怒ってしまい、岩を二度打ってしまいました。彼がわざわいを被ったと書かれています。
ここまで見てわかるように、民は神様を体験していながらも、繰り返して神様に逆らいました。そのたびに神の器が現れてとりなしをしました。私たちもそのとりなしの器の一人となりたいものです。

・偶像に仕えた:34-39節
続いては約束の地、カナンに入ってからのことです。そこでもなお、主が命じられたことを行いませんでした。国々の民をほろぼさず、かえって異邦の民と交わりました。ついには自分のこどもたちをいけにえにするほどです。

・憎む者が支配する:40-43節
43節に注目してください。主は幾度となく彼らを救い出されましたが、彼らは相計らって神に逆らい、自分たちの不義の中におぼれました。どれだけ自己中心なのでしょうか。

・それでも彼らの叫びを聞く:44-48節
ここまで神様を裏切ったのにも関わらず、彼らの叫びを主は聞いてくださいます。なんというお方なのでしょうか。
何度もご自分の民に裏切られても、ご自分のお立てになった契約を思い起こされました。そして、豊かな恵みで彼らをあわれんでくださいました。また、捕囚先の人々にもあわれむ心を与えられました。
このような憐れみ深いお方に祈ります。「私たちの神、主よ。私たちをお救いください。」
それゆえ、主はほめたたえられるにふさわしいお方です。

【107篇】逆境の中での叫び

・主に贖われた者はこのように言え:1-3節
ここから詩篇の最後の巻き物、第五巻です。
ここもまた、主のまことといつくしみを歌っています。主に贖われた者はともに宣言しましょう。「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
主は終わりの時、すべての国民を東西南北から集められます。

・まっすぐな道:4-9節
私たちの人生のようです。荒野をさまよい、住むべき所もみつからずふらふらしています。飢えと渇きで衰え果てます。しかし、その中からも主に叫ぶなら、主は救い出してくださいます。そして、まっすぐな道に導いて、住むべき町へ行かせてくださいます。シオンへの大路です。高い山は削られ、低い谷は埋め立てられ、曲がりくねった道はまっすぐにされ、主の来られる道を整えます。
主はいつでも祈る者に答えてくださり、渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たしてくださいます。

・苦悩から救われる:10-16節
10節に書かれているような者は、どうしてそうなるのでしょうか。主のことばに逆らい、さとしを侮ったからです。その様な者に主は苦役を送られ、だれも彼らを助けません。
ところが、主に叫ぶと主は助けてくださるのです。なんというお方でしょうか。彼らは闇と死の陰から連れだし、かせを打ち砕いてくださいます。これほどのことをしてくださる主に感謝しない理由はありません。

・みことばを送って彼らをいやす:17-22節
愚か者は悩みます。そむきの道のため、咎のためにです。その中から主に叫ぶなら、なんと主は苦悩から救ってくださいます。
そして、主は癒やされるのですが、どのように癒やされるのでしょうか。20節を見てみましょう。みことばを送って彼らを癒やされます。主のいやしの方法はこれです。みことばを送っていやしてくださいます。私も何度かこの経験があります。ひどい倦怠感の中、「わたしは主、あなたを癒やすものである」というみことばが飛び込んできて、その瞬間熱がひき、倦怠感が一瞬でなくなりました。その後も一日いつも以上に元気でした。いやしは特別な神の器に祈ってもらって与えられるものではありません。自分で信仰を持ってみことばを自分に言い聞かせるなら、主はみことばを送ってあなたをいやしてくださいます。
主に感謝しましょう。主はいやし主です。

・望む港に導かれた:23-32節
海に出て遭難している者が出てきます。海のまっただ中の嵐を創造すると、恐ろしくて足がすくみます。逃げ場がありません。この苦しみの中で叫ぶとどうなるでしょうか。主は救ってくださいます。主が嵐を静めてくださいます。その上、主は望む港にまで導いてくださいます。私たちの人生もそのようなものかも知れませんが、最後は必ず主が私たちを望む港にまで導いてくださいます。

・砂漠を水のわきあがる所に:33-38節
主は逆転の主です。33-34節と35-36節を比較してみましょう。主が祝福されると彼らは大いに増えます。

・うなだれる時:39-43節
最後は政治的な環境の変化が書かれています。自分の事しか考えない暴君はさげすまれ、貧しく悩む者が高く上げられます。
ここまでをもう一度見返してみましょう。知恵のある者はどのようにすればいいかを悟るでしょう。
私たちが今までのようにうまくいかなくなったときは、何か原因があります。その時にどうしたら良いのでしょうか。この詩篇から知恵をいただきましょう。

【108篇】あなたの愛する者

・暁を呼び覚ましたい:1ー9節
ダビデの賛歌です。力強いですね。「主よ、私の心は揺るぎません」と宣言しています。そしてダビデは歌います。その主への情熱は暁を呼び覚ましたいと願うほどです。
この主の素晴らしさを自分だけにとどめておくことはできず、神様をまだ知らない人にまで届けたいと願っています。そのようにして主の栄光が全世界であがめられます。
そして、ダビデは自分を「あなたの愛する者」と言っています。これは高ぶりではなく聖書から見た正しいアイデンティティです。使徒ヨハネも主に愛される者と自分を呼んでいます。私たちも自分をそのように呼んでみましょう。これは真実です。
ダビデは主にあって自分を「あなたの愛する者」と呼びました。すると主も喜んでくださり、ここに書かれている国々を与えると行ってくださっています。

・人の救いはむなしい:10-13節
ダビデは強く主に信頼しています。主が共に戦ってくださらないなら、それは意味のない戦いです。人の欲望の戦いに成り下がってきます。ダビデはいつも主の戦いを戦いました。
私たちの敵は誰でしょうか?違った敵に肉の戦いを仕掛けていないでしょうか?今一度、祈り、戦い方を主から押していただきましょう。

【109篇】呪いの詩篇

・私の愛への報い:1-5節
ダビデの賛歌です。いままでと打って変わって呪いの詩篇です。
ダビデは愛を示したのに、それに対してひどい仕打ちをしています。
まるで、イエス様に対する、律法学者、パリサイ人のようです。
ダビデはそのような人にどうしたでしょうか。「私はいのるばかりです」素晴らしい選択です。祈りが勝利の秘訣です。

・祈りが罪となるように:6-10節
ダビデは驚くことを言います。祈りが罪となるようにと祈っています。主をなじる者の右に置いてくださいと祈っています。
はたして、祈りが罪となるのでしょうか。みなさんはどう思いますか。私はこう考えます。祈りの矢印が自分にだけ向かった祈りは呪われます。ただ自分が高められるためだけに、満足するためだけに、「あれしてください、これしてくだい」と祈るなら、その祈りは呪いの祈りとなってしまうでしょう。祈りは主に献げるものです。祈りの内容に気をつけて祈りましょう。

・彼らの記憶をが地から消される:11-16節
具体的な仕打ちが書かれています。ついには彼らの記憶が地から消されるようにと祈っています。これらの理由は16節に書かれています。

・のろうことを愛した:17-20節
のろう事を愛した者はどうなるでしょうか。それが自分に返ってきます。祝福することを愛さない者はどうなるでしょうか。彼から遠く離れてしまいます。そしてついに呪いをまとい、それは内臓に、骨骨にまでしみこみます。呪いを的確に表現しています。それらが彼らの着物となります。キリストの花嫁は何でしょうか。聖徒たちの正しい行いです。この事を比較してみましょう。私たちはどちらの衣を着ていますか。

・私に優しくしてください:21-25節
だびでは傷ついています。ですから、主に助けを求めています。神を知らない者はこれを見て、一国の王が情けないと思うかも知れません。しかし、主に拠り頼む事ほど強いことはありません。
ダビデは主を野の知る者、神の民をなじるものに対して聖なる怒りをもって祈ります。彼らが主によって討ち滅ぼされるなら、ダビデはさらに盛大に主をほめたたえると言っています。

・これがあなたの手:26-31節
ダビデはいつも主の恵みに拠り頼みました。私たちは恵みによってのみ救われます。ダビデが救われることを敵が知るなら、それはダビデの勝利です。
敵は呪います。しかし、主は祝福してくださいます。私たちの口にも祝福と呪いを置くことができます。どちらを選びたいでしょうか。

【110篇】とこしえの祭司

・あなたの敵の真ん中で治めよ:1-3節
この詩篇はイエス様を啓示している詩篇です。
主は私の主に仰せられると不思議な事が書かれています。主がふたり出てきています。父なる神が子なるキリストに仰せられた事です。その内容は「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、私の右の座に着いていよ」と言うことです。
イエス様は十字架の死と葬りと復活で死に勝利されました。しかし、その後天に昇って行かれました。そして今、まだ敵は完全に主の足台とされていません。イエス様は天で御父の右の座に着き、四六時中私たちの為にとりなし祈ってくださっています。
2節は正に今の状況です。キリストの王国はまだ完全にはこの地上で打ち立てられてはいません。しかし「敵の中で治めよ」と言われています。私たちはこの地上においても、主にあって圧倒的な勝利者となることができます。

・メルキゼデク:4-7節
メルキゼデクとは義の王、平和の王です。イエス様がこの祭司であり、私たち神の子とされた者もこのようになることができます。一時的な王ではなく、とこしえの祭司です。
来たるべき日、主は立ち上がられ、王たちを打ち砕かれます。そして、永遠の安息に入られます。
これは主が再び来られるときに成就します。その時まで、私たちは日々成すべき事をなしていきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 苦しみの時に助けてくださる主に感謝します。私たちの神、主よ。私たちをお救いください。

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