聖書通読クラブ Day 180

聖書通読クラブ Day 180【詩篇111篇〜118篇】

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シャローム!

今日の詩篇は前半が「ハレルヤ」、後半が「ハレルの詩篇」となっています。特に後半のハレルの詩篇は、主の例祭の時に歌われる者です。すなわち、過越、七週の祭り、仮庵の祭りです。
この事からわかるのは、イエス様もこの詩篇を詠われたと言うことです。どうしてそのことが言えるのかと言えば、イエス様が十字架にかかられるときはちょうど過越の祭の時でした。イエス様がまことの小羊としてほふられました。その前に、過越の食事をした後、オリーブ山に出かけるときに弟子たちと賛美の歌を歌っていました。その時に歌われたのがこのハレルの詩篇です。
祭りの時、私たちも心を合わせてこの詩篇を朗読してみましょう。

今日の通読箇所:詩篇111篇〜118篇

■アウトライン

●主を恐れることは知恵のはじめ:111篇
  ・主を恐れることは知恵の初め:1-10節

●しあわせ:112篇
  ・決して揺るがない生き方:1-10節

●主のへりくだり:113篇
  ・日の上るところから沈むところまで:1ー4節
  ・身を低くされる主:5-9節

●岩から水:114篇
  ・出てきたとき:1-2節
  ・さかさに流れる:3-6節
  ・地よおののけ:7-8節

●天と地が一つとされる:115篇
  ・私たちにではなく:1節
  ・偶像と同じ:2-8節
  ・主に信頼せよ:9-15節
  ・天と地:16-18節

●主を愛する:116篇
  ・私は主を愛する:1-4節
  ・全きいこい:5-7節
  ・救い出された:8節
  ・救いの杯:9-15節
  ・あなたのしもべ:16-17節
  ・主の家の大庭:18-19節

●大きな恵み:117篇
  ・主をほめたたえよ:1-2節

●118篇:完成の時
  ・主に感謝せよ:1-4節
  ・主に身を避けることは:5-9節
  ・断ち切ろう:10-14節
  ・死ぬことなく、かえって生きる:15-18節
  ・義の門:19-20節
  ・感謝します:21節
  ・家を建てる者たちの捨てた石:22-24節
  ・主の御名によって来る人:25-27節
  ・私の神:28節
  ・主に感謝せよ:29節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【111篇】主を恐れることは知恵のはじめ

・主を恐れることは知恵の初め:1-10節
ここから113篇まではハレルヤの詩篇です。ハレルヤは神様を誉め称える最上級のことばです。「私の神を自慢する」と言う意味もあります。そしてこの著者は心を尽くして感謝しています。なんとなくの感謝ではなく、最上級の感謝です。
それは直ぐな人のつどいと集会でと書かれています。二心ではない人たちの集まりです。教会が、家庭がそのような者の集まりとなりますように。
そして、主の御業は、それを喜ぶすべての人に尋ね求められるとあります。事を隠すのは神の誉れであり、事を探るのは王の誉れです。飢え乾いて主を求める者とされていきましょう。
その御業とは具体的に何でしょうか。3節を見てみましょう。
4節以降は、主のご性質、してくださったことが書かれています。その中で一つだけ取り上げたいと思います。10節です。「主を恐れることは、知恵のはじめ」とあります。これは、伝道者の書で見ていきますが、英知を極めたソロモン王の結論です。私たちはみことばを通してこの事を学んでいます。主を恐れることを知るなら、私たちはみkとばに従うことができます。主を恐れることが知恵のはじめです。

【112篇】しあわせ

・決して揺るがない生き方:1-10節
前の詩篇では最後に主を恐れることが書かれています。ここではそこから始まっています。主を恐れることが幸いであると書かれています。その子孫はどのようになると2-3節に書かれているでしょうか。これを目的としてはいけません。これは付属物です。神の国とその義とをまず第一に求める者に与えられる約束です。
主のご性質を前半で見ましたが、5節からは神に従う者の性質が書かれています。「情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う」人はしあわせだと書かれています。
驚くことに、大資産家にインタビューした記事で、お金を持っているから幸せでしょうと聞いていました。すると彼は逆にむなしくなると言っていました。彼は有り余る財産をシングルマザーや貧困層に配っていました。そこに幸せを見いだしているそうです。たとえ私たちに資産があまりなかったとしても、しあわせになれます。その方法を祈って主に求めてみましょう。
そのような人はどうなると6節に書かれていますか。決して揺るがされないとあります。それ以降にしあわせな人の報いが書かれています。悪者はそれを見ていらだつとあります。「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(1ペテロ3:9)

【113篇】主のへりくだり

・日の上るところから沈むところまで:1ー4節
ここから118篇までは「ハレルの詩篇」と呼ばれます。この詩篇は主の例祭(過越、七週の祭り、仮庵の)で歌われます。
この詩篇では、主の素晴らしさ、主がいかに偉大なお方かが歌われています。
日の上るところから沈むところ、つまり全世界で主の御名が誉め称えられるように願っています。主はすべての国々の上に高くおられる方です。主の栄光は天にあります。

・身を低くされる主:5-9節
このような神が他にありましょうか。ところが、このような偉大なお方が身を低くして天地をご覧になられています。
主の住まいは天です。そこから地をご覧になり、何度か地上に降りてきてくださいました。それが極まったのがイエス様です。神であられるお方が人の姿をとって、この地に来てくださいました。主のへりくだりはどれだけでしょうか。
私の好きなことばの一つに「The Poorest King」というものがあります。「最も貧しい王」ということばです。これはイエス様を指したことばです。神であられるイエス様は自ら貧しくなられました。2コリント8:9にはこのように書かれています。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
次いで、最後に女性の事に言及されています。「子を産まない女を子を持って喜ぶ母として家に住まわせる」とあります。新約聖書で、女は教会に例えられています。福音化され、人々に救いが起こる教会の姿があります。みなさんの所属する教会が益々このようになっていきますように。

【114篇】岩から水 

・出てきたとき:1-2節
この詩篇は出エジプトの時、主の力強いご介入があったことを書いています。イスラエルの民がパロになぜエジプトを出て行くのかという理由は、「荒野で礼拝がしたい」というものでした。
確かに主はエジプトから連れ出してくださり、荒野で、そしてユダで礼拝をさせてくださり、相続地を与えてくださいました。

・さかさに流れる:3-6節
主の威光を見て、紅海は逃げ去り、ヨルダン川はさかさに流れました。山々は動き、丘は跳ねました。

・地よおののけ:7-8節
どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。ヤコブの神の前で、地がおののいているからです。主の民のために、主がこのようにしてくださいます。
主は岩を水のある沢へと変えてくださいます。堅い石を水の出る泉にしてくださいます。これは一体どういうことなのでしょうか。
仮庵野祭りの時、ミスフ・ハ・マイームと言うことが行われていました。それは、仮庵の7日間の間、毎朝シロアムの池から水を汲んで神殿の岩に注ぎます。水を持つ者の周りには楽器、たいまつ、踊り、賛美する者がいました。
そして、イエス様が来てくださった時の仮庵の祭りの時、イエス様は次のように言われました。「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」(ヨハネ7:37-39)
この詩編が成就しました。

【115篇】天と地が一つとされる

・私たちにではなく:1節
私たちにではなく、あなたの恵みのためにと書かれています。そうです。ただ、栄光は主の御名にのみ帰されます。
この詩編は出エジプトをし、カナンの地に入った時のことを歌っているのでしょう。周りには様々な神々がいます。富の神、肉欲の神、農耕の神、山の神など、わかりやすい神々です。一言でいるなら、そのような神々は私たちの欲望を刺激します。
そのような神々に囲まれてイスラエルの民は定住しています。

・偶像と同じ:2-8節
しかし、覚えておきましょう。それらの神々はむなしいのです。もしかしたら選民をも惑わすような偉大な事をするかもしれませんが、そこに救いはありません。永遠のいのちを与えることはできません。
これに信頼する者も偶像と同じであると言っています。

・主に信頼せよ:9-15節
そこで詩編の作者は言います。「主に信頼せよ」と。この方こそ助けであり、盾です。イスラエル、アロンの家、主を恐れる者の三者に向けて語られています。イスラエルとは、イスラエルの民です。アロンの家とは祭司の家系です。主を恐れる者はすべての者が含まれます。主を恐れることは大切です。教会で仕えていても、主を恐れる心がなければ、一体どうなるのでしょうか。

・天と地:16-18節
主は天地を創造された方です。天では主の栄光が満ちています。しかし、主は直接この地上にご介入することはあまりなさいません。どうしてでしょうか。私たち、神の子を通して事をなさりたいからです。地は人の子らに与えられました。私たちがみことばと祈りを通して、神さまとひとつとされるとき、天と地がひとつになります。天の圧倒的な祝福が私たちを通して、この地上に解き放たれます。
私たちのするべき事は何でしょうか。主をほめたたえることです。死人は主をほめたたえる事はありません。主を知ろうとしない者、信仰を失った物の姿です。
そうではなく、私たちは主をいつでも、どこででも見上げてほめたたえていきましょう。それが天と地をつなぐ鍵です。

【116篇】主を愛する

・私は主を愛する:1-4節
素晴らしい告白から始まります。「私は主を愛する」。これがいつも口から出てくるようになりたいですね。結婚の誓約の時にも「健やかなるときも病めるときも、貧しいときも富めるときも、この人を愛しますか」と質問されます。イエス様との婚姻関係の告白です。私はイエス様を愛しています。
愛する方は私の声を聞いてくださいます。電車の中の人は私の声を聞かないかも知れません。しかし、妻は私の声を「何?」と言って聞いてくれます。主はそれ以上に私たちの声に耳を傾けてくださいます。ですから、生きる限り主を呼び求めます。どんなに苦しくても、悲しくても、愛する方がおられるなら耐えることができます。この方に叫ぶなら、必ず助けてくださいます。

・全きいこい:5-7節
この詩編の著者は、自分のたましいに向かって、全きいこいにもどれと言っています。主はいつでも良いお方です。
5-6節に、主がどのように素晴らしいお方かが書かれていますので、確認してみましょう。

・救い出された:8節
まことにとあります。この著者は本当に苦しみの中を通されて、その中で主の真実さを身にしみるほど知ったのだと思います。
たましいを死から、目を涙から、足をつまづきから救ってくださったと告白しています。

・救いの杯:9-15節
恵みによって救われた私たちはある意味、もう一度チャンスを与えられた者です。本来であれば、永遠の死に定められていましたが、イエス様を信じることで永遠の命に入れられました。
この詩編が書かれたときには、まだイエス様の十字架は完了していませんでしたが、この著者はやがて来られる救い主を信じていました。本当は死んで当然だった自分のいのちが生かされていることを痛感しています。だから、与えられたいのちを主のために用いたいと願っています。「私は悩んだ」と言ったときに信じています。そしてあわてて「すべての人は偽りを言う者だ」と言っています。信じると告白しても、思いが乱れ、悩み、人間不信に陥ったり、自己憐憫に陥ったりします。しかし、主はいつでも良いお方です。主が良くしてくださったことに対して、何をお返ししようかと言っています。

・あなたのしもべ:16-17節
著者は何度も「私はあなたのしもべです」と告白しています。しもべと言うとネガティブなイメージがあるかも知れません。それは主人が悪い主人だからです。もし、主人が最高の主人で、その主人に仕えるしもべが自分だったらどうでしょうか。私たちの信じている主は最高の主人です。
この著者はしもべとして、主の御前を歩むこと、救いの杯を掲げて御名を呼び求めること、そして感謝をささげることを約束しています。その上で主を呼び求めること、すなわち祈り続ける生活を送ることを誓っています。

・主の家の大庭:18-19節
この詩篇の著者は自分の誓いを主に果たすと言っています。しかも、御民すべての前での表明をしています。しかも主の家の大庭、主の真ん中でです。
これは証でもあります。私たちも人の証を聞くと、信仰が引き上げられます。私たちも主の証し人として主との関係を皆の前で告げましょう。

【117篇】大きな恵み

・主をほめたたえよ:1-2節
この箇所は、聖書で最も短い1篇(1章)となります。たった2節です。しかし、その中に喜びが詰まっています。イスラエルの民だけではなく、すべての国に呼び掛けています。
どのようにしたら国々にこのように呼び掛けられるのでしょうか。まず自分が主の喜びに満たされることです。

【118篇】完成の時

・主に感謝せよ:1-4節
この詩篇はハレルの詩篇の最後です。仮庵の祭りと関係があります。仮庵は祭りの完成です。約束の御国でイエス様とキリストの花嫁の婚姻の時です。
115篇と同じように、イスラエル、アロンの家、主を恐れる者に呼び掛けています。それは「主の恵みはとこしえまで」というものです。永遠の御国においても、主の恵みはとこしえまで続きます。

・主に身を避けることは:5-9節
苦しみの中からの叫びを主は聞いてくださいました。主が助けてくださった喜びを表現しています。主が味方をしてくださるので、何も恐れないと言っています。本当にその通りです。
主はいつでも私たちの味方であります。主に信頼することは何よりも確かなことです。

・断ち切ろう:10-14節
すべての国々が取り囲んだとしても、主の御名によって断ち切ることができます。これは私たちにまつわりつく罪の性質、先祖からの咎、呪いなどに対しても有効です。このお方に勝る名前はありません。
イエス様は終わりの時、すべての悪を断ち切ってくださいます。

・死ぬことなく、かえって生きる:15-18節
喜びと救いはどこにあるのでしょうか。幕屋の内にあります。幕屋は外はジュゴンの皮で覆われていました。外から見たらみすぼらしい姿でしたが、中に入って見上げると、ケルビムの刺繍が一面に施されている幕を見ることができます。何より、主のご臨在そのものがあります。これ以上の喜びはありません。世からは隠されていますが、赦された者だけが体験できる喜びです。
17節では復活の信仰を見ることができます。イエス様にあって、私たちは自分に死にますが、キリストと共に復活にあずかることができることを感謝します。

・義の門:19-20節
義の門に対して開くことを宣言しています。新しいエルサレムは真珠の門があります。私たちが地上で苦しみ、涙したその結晶が門となっています。その門に対して開くことを宣言しています。そこに入り、永遠の時間をつかって主を賛美します。正しい者がここから入ることができます。

・感謝します:21節
主が救いとなってくださいます。このお方以外に救いはありません。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒4:12)

・家を建てる者たちの捨てた石:22-24節
この箇所はイエス様も引用されています。家を建てる者たちが捨てた石が礎の石となります。イエス様の時代、律法学者、パリサイ人は熱心に神の家を建てていました。しかし、まことの救い主であるイエス様が来られたとき、「この人は自分を神をしている。私たちの思っている神とちがう」と言って、本物の神さまを十字架につけてしまいました。
イエス様は救いの岩です。人々から捨てられたように見えるイエス様ですが、その実、このお方は死からよみがえり、イエス様の十字架意向、世界はイエス様を土台として建てあげられていきました。この預言は真実です。私たちの目には不思議な事ですが、これは主が設けられた日であり、この日を楽しみ喜ぼうと書かれています。もし、イエス様の事を知らなければ、この詩篇の箇所の意味がわからないかも知れません。しかし、私たちはわかります。このお方が捨てられたように見える十字架によって、私たちに永遠のいのちが与えられました。

・主の御名によって来る人:25-27節
この25節は、イエス様がエルサレム入場の時に人々が叫んだことばです。「ホサナ」です。救ってください。栄えさせてくださいです。そして、イエス様も引用されたみことばが出てきます。マタイ23:37-39にはこのように書かれています。「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
続く27節では枝を持って祭りの行列を組めとあります。イエス様がエルサレムに入場されたとき、人々はしゅろの枝を手に持っていました。正にこの光景です。ところがふしぎなことがあります。イエス様のエルサレム入場は過越の祭の前です。それなのに、人々は仮庵の祭りの行為をしています。これは預言的な行動です。イエス様の地上での働きの成就と天での成就を同時に祝っています。すべてのものの完成です。

・私の神:28節
二回繰り返して、あなたは、私の神と言っています。天での婚姻にあずかるとき、神さまと最も親密な関係になります。しかし、今、地上にいるときもこの方と親密な交わりをすることができます。このお方は私の神です。

・主に感謝せよ:29節
最後は感謝で終わります。旧約聖書で主を誉め称えさせるときに、必ず出てくることばです。「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主こそ私の助け、盾です。
    主に感謝します。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

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