聖書通読クラブ Day 176

聖書通読クラブ Day 176【詩篇91篇〜95篇】

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シャローム!

今日の通読では、詩篇91が出てきます。この詩篇ほど、今に必要なものはないのではないかと思わされます。疫病に対する詩篇です。
目に見えないウイルスとの戦いに全世界が置かれています。医療関係者、ソーシャルワーカー、様々な分野でこの戦いに参加されている方に守りと主の知恵があるように心から祈ります。
そして、私たちは実際に生きていく中で、この疫病に対して恐れを持つかもしれません。それはある意味正しいことです。しかし恐れすぎてはいけません。マスク、手洗い、三密を避けるなどの基本的な感染症の対策を守りながらも、その上におられる主を信頼して行きましょう。この時代、私たちがどのように生きていけばいいかを具体的にみことばが教えてくれます。ぜひ、毎日でもこの詩篇91を朗読し、自分のたましいに教えてあげましょう。

今日も主のみことばを朗読していきましょう。

今日の通読箇所:詩篇91篇〜95篇

■アウトライン

●疫病のための祈り:91篇
 ・全能者の陰:1-3節
 ・疫病も恐れない:4-6節
 ・主を住まいとする:7-9節
 ・御使いに命じて守らせる:10-13節
 ・助け出す理由:14-16節

●感謝の心:92篇
  ・主に感謝するのは良いこと:1-3節
  ・主のなさることで喜ぶ:4-6節
  ・あなたの敵が滅びます:7-9節
  ・角を高く上げる:10-12節
  ・主の家に植えられる:13-15節

●力ある主:93篇
  ・みいつをまとう主:1ー5節

●主のさばきに委ねる:94篇
  ・復讐の神:1-7節
  ・人の思いはかることはむなしい:8-15節
  ・もしも主がわたしの助けでなかったら:16-19節
  ・破滅の法廷:20-23節

●安息:95篇
  ・さあ主に向かって喜び歌おう:1-3節
  ・わたしの安息に入れない:4-11節
  ・だれがあなたのように力がありましょう:5-10節
  ・天も地もあなたのもの:11-18節
  ・彼をわたしの長子とする:19-37節
  ・恥で彼を覆う:38-45節
  ・生きていて死を見ない者は誰か:46-48節
  ・さきの恵み:49-52節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【91篇】疫病のための祈り:91篇

・全能者の陰:1-3節
この詩篇ほど、今の時代に必要な詩篇はないでしょう。3節を見てみましょう。主は恐ろしい疫病から救い出してくださると書かれています。
出エジプトのときにも疫病が襲いました。ダビデの時代にもありました。それらは私たちにとって、なにか遠い出来事のように感じていましたが、今、その恐ろしさを誰もが知っているでしょう。
詩篇の作者はそのような恐れの中で主に信頼しています。

・疫病も恐れない:4-6節
主ご自身が私たちを覆ってくださいます。しかも、羽と書かれています。ここから主の優しさを受け取ることができます。この方のの真実は、大盾であり、とりでです。
暗闇に歩き回る疫病も恐れないと書かれています。正に、疫病は目に見えず、感染症対策を十分していたとしてもひっそりとやって来ることがあります。

・主を住まいとする:7-9節
たとえ何人が倒れたとしても、えやみは私たちに近づくことすらできません。かつて、荒野で民に疫病が広がって行ったとき、アロンは走って主の祭壇から火を取って、疫病の中に走っていきました。生と死の間に立ったとき、そこで主の神罰は止みました。
主を住まいとするものは、たとえ毒を飲んでも害を受けないという奇跡が起こると信じます。

・御使いに命じて守らせる:10-13節
何度も繰り返していますが、わざわいも、えやみも、天幕に近づかないと書かれています。近づけないのです。テレビのコマーシャルで、油を浮かべた水に一滴の洗剤を垂らすと、一瞬で油がなくなって行く様子がありました。それ以上に主の民の周りえやみは近づきません。
主ご自身が御使いたちに命じて、すべての道で私たちを守るようにしてくれます。
以前、私の自宅の斜め前に当時の首相が住んでいました。首相の家の前には簡易の交番ができて、そこで24時間警察が警備をしていました。私たちの家もその恩恵にあずかっていました。「目の前にいつも警察がいてくれる」という安心感がありました。それ以上に鉄壁の守りをしてくれる御使いたちが私たちのまわりに配備されていることを感謝します。

・助け出す理由:14-16節
なぜ主は私たちを助け出してくださるのでしょうか。その理由は、私たちが主を愛するからです。そして、主の名を知っているからです。つまり、神様との親密な関係を求めるからこそ、主は守ってくださるのです。
そのような間柄であれば、呼び求めたら答えてくださいます。苦しみの時にも共にいてくださいます。長いいのちで満ちたらせ、救いを見せてくださいます。

【92篇】感謝の心

・主に感謝するのは良いこと:1-3節
この詩篇は安息日に歌われるものです。安息日は第七日目、主が天地創造の御業を終えられ、安息された日です。
現代のカレンダーに当てはめると、金曜日の日の入り後から、土曜日の日の入り前までが安息日にあたります。ここでは、どのような詩篇が書かれているのでしょうか。
冒頭では、「主に感謝するのは良いことです」と書かれています。その通りです。1テサロニケ5:16-18にはこのように書かれています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すbての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」イエス様が私たちに望んでおら得ることの三つのうちの一つが感謝です。
感謝の心は形にしてあらわす必要があります。主への感謝、それが賛美です。その通りに、この詩篇の作者は朝に主の恵みを、夜ごとに真実を言い表しています。

・主のなさることで喜ぶ:4-6節
主がどれほど良いお方であるかを知るとき、主を賛美せざるを得なくなります。息ができるのも当たり前ではありません。心臓が鼓動を打ち続けているのも当然のことではありません。奇跡です。主が私たちの心臓をつかみ、私たちが起きているときも眠っているときも鼓動を続けさせてくださっていると信じます。それだけでも主への感謝が溢れます。しかし、まぬけ者はこの事を知らず、愚か者にはわからないと書かれています。感謝の心がない者はこのような者です。

・あなたの敵が滅びます:7-9節
私たちが感謝をするとき、敵が滅びます。以前、妻が新宿の町を取りなして祈っていました。すると遊技場の入り口に醜い顔をした大きなネズミがいたそうです。病気か何かで顔がわからないほど腫れ、醜かったそうです。妻はそこで賛美を始めたそうです。主への感謝をささげました。するとネズミはいなくなり、その場所の空気が一変したそうです。
敵は私たちから喜びを奪い取ります。感謝の心を見えなくさせます。しかし、私たちが主への感謝を見いだし、それを言い表すなら、敵は滅びます。不法をなす者が散らされます。

・角を高く上げる:10-12節
主は感謝をする者の角を高く上げてくださいます。角は力を象徴します。そして、新しい油を注いでくださいます。
正しい者はなつめやしの木のように栄えます。レバノン杉のように育ちます。なつめやしはこの地域では貴重な植物です。デーツという実を結びます。その数、なんと15,000個もの実が結ばれます。しかし、おいしい実が実るまでには実に60年ちかくかかるそうです。桃栗三年、柿八年ということばもありますが、桁違いの年数です。良い実が実るまで沢山の年月がかかりますが、ひとたび実を結ぶと多くの実を結びます。私たちはそのように栄えます。

・主の家に植えられる:13-15節
しかもそれらは主の家に植えられます。そして大庭で栄えます。私たちも感謝の心を持って生活するなら、年老いてもなお、みずみずしい実を実らせる事ができます。それが主との安息です。

【93篇】力ある主

・みいつをまとう主:1ー5節
この詩篇は主が王であることを宣言しています。聖書の中で、特に詩篇においては、神様に対しての呼び名には意味があります。「救い主」という時には霊に対しての救い主であるとの呼びかけです。「主」と言うときには、たましいの主人であると言う呼びかけです。そして、「王」と言うときは、肉に対して神様が王なるお方であるという呼びかけになります。
主は王であられ、みいつをまとっています。みいつとは力です。威光です。私たちの救い主であり、主であり、王であるお方に私たちは絶対服従しかありません。しかし、その服従は窮屈な者ではなく、むしろ私たちを自由にします。真理は私たちを自由にします。
3節と4節では川が出てきます。あの紅海をわけ、雨期の大水がながれるヨルダン川をせき止められるお方は力ある方です。
そして最後に「聖なることがあなたの家にふさわしい」とあります。主は聖なる聖なる聖なるお方です。この神の聖さに私たちも近づいていきましょう。

【94篇】主のさばきに委ねる

・復讐の神:1-7節
この詩篇も特徴的なことばで始まります。「復讐の神」と書かれています。イスラエルを虐げる者がいるというのがこの詩篇の背景です。そしてその虐げる者は他国の者ではなく、身内でした。
熱心が行き過ぎて、霊的なリーダーが神の家族を逆に苦しめているという事実があります。イエス様の時代、律法学者、パリサイ人がそうでした。リーダーは力が与えられています。その力の使い方を学ぶ必要があります。最も力のあるお方は主ですから、主から学ぶのが一番です。

・人の思いはかることはむなしい:8-15節
8節では、辛辣なことばで叱責しています。リーダーが自分の欲で行動するとき、愚か者、まぬけ者と呼ばれます。主は人の思い計ることがいかにむなしいかをご存じです。
ですから、主に戒めを受ける者は幸いです。人は年を重ねると、なかなか戒めを受けることがなくなります。ですから、主から戒めを受けるのは幸いです。戒めを受けるのはその時は好ましくありませんが、後にそのことに感謝します。
主にさばきをお任せします。すると、さばきは再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従います。これが十字架の道です。

・もしも主がわたしの助けでなかったら:16-19節
この詩篇の著者の主への信頼を知ることができます。自分の弱さを告白しますが、主はことごとく支えてくださっています。これが神の恵みです。ですから、思い煩いが増すときに、主の慰めがたましいを喜ばせてくださるように祈っています。

・破滅の法廷:20-23節
法廷での場面が出てきます。正しい者の血が流されると書かれています。悪者がさばかれるのではなく、正しい者がさばかれるという理不尽さが書かれています。そのような不当な事を受けることがあったとしても、主を拠り所としています。
どのような状況であっても、主がとりでです。主がただしくさばかれ、正しく報いてくださいます。私たちに必要なのは、敵を憎むことではなく、敵の為に祈り、祝福することです。自分の手で復讐をしないことです。正しいさばきと主の報いを祈るのみです。主は正しく良いお方です。

【95篇】安息

・さあ主に向かって喜び歌おう:1-3節
この詩篇は、私たちを礼拝へと導いてくれるような詩篇です。まず最初にすることは何でしょうか。「さあ、主に向かって、喜び歌おう」とあります。救われている喜びを歌います。これが礼拝の入り口です。主の御前にはいつも喜びがあります。
続いては感謝があります。主に感謝の心をあらわします。これが賛美です。コロサイ3:16にはこのように書かれています。「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」これは命令です。喜びの命令です。
主は大いなる神です。賛美を受けるにふさわしい、唯一のお方です。
私は賛美で、いつもひとつの懸念があります。よく、「今日の賛美は恵まれました」と言われる方がおられます。もちろん、賛美の場にいるときに力を受け、啓示を受けることがあります。しかし、賛美は人を恵ませることが第一の目的ではありません。賛美は主にささげる感謝のいけにえです。いけにえは犠牲が伴います。礼拝賛美を受けに来るという姿勢は正しいでしょうか。考えてみましょう。もし、人が賛美を受けるのであれば、それは神であると言えないでしょうか。
むしろ、賛美をささげることができないような状況であっても、私たちの持てる中から主を賛美するなら、主ご自身が私たちを喜びで満たしてくださいます。もう一度言います。賛美を受けるにふさわしいお方は主だけです。

・わたしの安息に入れない:4-11節
主はすべての創造主なるお方です。私たち自身も自分の者ではなく、主の所有物です。それゆえ、私たちは創造主に向かってひれ伏します。自分は造られた者であり、創造者がおられると言うことを知っていることは素晴らしいことです。
7節からは、主の御声を聞くことが書かれています。荒野でのマサの出来事です。「きょう、もし御声を聞くなら」とあります。私たちは主の御声を聞いているでしょうか?毎日はっきりと聞いています。聖書が主の御声そのものです。それであれば、心をかたくなにしては生けません。みことばが「こうだ」と言っているのに「いや、ちがう。これはこういう事だ」と私的解釈をすることです。また、みことばを聞きながらそれに従おうとしないことです。
荒野での人々は主の声を聞きましたが従いませんでした。彼らはどうなったでしょうか。出エジプトしましたが、約束の地に入れなかったのです。
ヘブル3:18ー19にはこのように書かれています。「また、わたしの安息に入らせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。」
彼らが安息に入れない理由、それは不信仰です。これは注意して受け取って欲しいことですが、イエス様を信じれば罪の赦しを受け、天の御国に入れられます。これは真実です。しかし、その先にある報いは違います。ヘブル4:11には「ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」とあります。安息は自動的に入れられる者ではないことがわかります。努力が必要です。救いは恵みによって値なしに信じる者に与えられます。しかし、主の安息に入るためには力を尽くして努めなければなりません。何を努めるのでしょうか。みことばを聞くことです。そして行うことです。これを愚直に行う者が主の安息に入れられます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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