聖書通読クラブ Day 166

聖書通読クラブ Day 166【詩篇45篇〜50篇】

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シャローム!

感謝の心を持つことはとても大切です。感謝をされていやな人はいないと思います。感謝とはなにでしょうか。心の中であの人に何度「ありがとう、ありがとう。」と言っても、相手には全く伝わりません。感謝はことばや形に表してはじめて伝わるものです。
神様に対しても同じです。もちろん、主は私たちの心の内までご存じですが、それでもあえて口に出し「主よ、ありがとうございます」と言ったり、祈ったりみことばを読んだり、賛美したりすることで、主の心は喜びに満たされると信じます。
感謝の生活を続けていきましょう。そのためのヒントを、今日のみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:詩篇45篇〜50篇

■アウトライン

●主の御業:46篇
  ・われらは恐れない:1-3節
  ・川がある:4-7節
  ・主は地に荒廃をもたらされた:8-11節

●喜びの声:47篇
  ・手をたたけ:1-4節
  ・ほめ歌を歌え:5-9節
  ・大いにあがめられる方:10節

●この方こそ神:48篇
  ・北の端なるシオンの山は大王の都:1ー8節
  ・主の恵みを思い巡らす:9-11節
  ・宮殿を巡り歩け:12-14節

●よみからの買い戻し:49篇
  ・耳を傾けよ:1-4節
  ・たましいの購いしろは高価:5-9節
  ・人は滅び失せる獣に等しい:10-13節
  ・よみの手から買い戻される:14-15節
  ・死ぬとき何も持って行けない:16-20節

●全焼のいけにえ:50篇
  ・神は光を放たれた:1-6節
  ・感謝のいけにえ:7-15節
  ・神を忘れる者よ:16-22節
  ・神の救いを見る:23節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【46篇】主の御業

・われらは恐れない:1-3節
コラの子たちの力強い賛美です。苦しむときに助けてくださる主が私たちの神です。その確信があるからこそ、恐れないと宣言しています。1ヨハネ4:18にはこのように書かれています。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」
その確信は地が変わり、山々が海のまなかに移ろうとも揺るがないと宣言されています。
これは実際の天変地異と、アッシリヤ軍からの攻撃を現していることになります。

・川がある:4-7節
ここは非常に印象的な部分です。「川がある」と書かれています。この川は神の都を喜ばせるとあります。この川はギホンの泉からシロアムの池に流れる川と考えられています。
アッシリヤ軍は大洪水のように押し寄せてきます。しかしこの小さな小川のような水がイスラエルの人々のいのちを救います。

・主は地に荒廃をもたらされた:8-11節
主は戦いをやめさせることができるお方です。兄弟げんかをしているときに止めに入ってくる親のようです。
主は戦いをやめさせ、さばきをなさります。黙示録に書かれているメギドの戦いのようです。
人々は終わりの時代、めいめいが自分勝手なことをします。自分の義をそれぞれが掲げる時代です。言い換えれば、多くの人が自分が神のようになる時代です。このように神を求めようとしない人に主は「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」と言われます。
そして国々が主をあがめると書かれています。来たるべき全世界の大収穫のような光景です。主が再び来られるとき、このような光景が実際に目の前に広がることを信じ、期待します。

【47篇】喜びの声

・手をたたけ:1-4節
国々の民に手をたたく事をすすめています。たとえば、スポーツでみなさんが応援しているチームが負けていて、最後の最後に逆転勝利をしたときに無言で立ち尽くすでしょうか。手をたたき大声を上げて喜ぶと思います。私たちは笑ったり、喜んだりするときに自然に手をたたきます。主をそのようにしてほめたたえることも賛美のひとつです。つづいて主は国民を足もとに従わせると書かれています。主が再び戻ってこられるとき、天から立方体がシオンの山に降りてきます。新しいエルサレムです。その時、この地は完全に回復し、神に召された者がその地で王なるイエス様に仕えます。

・ほめ歌を歌え:5-9節
主は喜びの叫びと角笛の音の中を上って行かれたと書かれています。エリコの城壁が崩れたときはどうだったでしょうか。まさにこのような状況でした。主が上って行かれたのです。
私たちが喜びの賛美をささげるとき、その中を主が上っていかれ、王座に着かれます。
また、9節には「国々の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた」とあります。これをさらっと読み飛ばしてしまいそうですが、不思議なことが書かれています。アブラハムの神の民はイスラエルの民だけです。しかし、ここにははっきりと「国々の尊き者たち」と書かれています。
ガラテヤ3:7-8にはこのように書かれています。「ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前もって知っていたので、アブラハムに対し『あなたによってすべての国民が祝福される』と前もって福音を告げたのです。」
イエス・キリストによって贖われた者たちは尊い者です。私たちもアブラハムの神の民として集められることを感謝します。

・大いにあがめられる方:10節
そうです。ただ一人、ヤハウェなる主だけがあがめられるべきお方です。

【48篇】この方こそ神

・北の端なるシオンの山は大王の都:1ー8節
この箇所を読むときに一つの疑問が浮かびます。なぜシオンが北の端なのかと言うことです。これはイザヤ書がヒントになります。「あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう』」(イザヤ14:13)
これはサタンがまだ天で御使いとして仕えていたときに高ぶり、世界を治めたいと思ったときの事です。天から見たとき、シオンは北に位置するというのです。私たちの視点と神の視点とは異なります。
この北の端なるシオンには、今は主が王として治めておられます。それで、王たちがこの偉大な王の王を見ておじ惑って急いで逃げています。恐怖で産婦のような苦痛が襲ったと書いています。
ものすごく程度の低いたとえですが、何かやましいことをしているときに、警察官とすれ違うような心境でしょうか。人々はまことの神に触れるとき、自分の罪を認めざるを得なくなります。そして、救い主を知らないなら、そこから逃げたいと願いますが逃げることができず、ただ苦しみます。
神を知らない者は自分に頼ります。経済に頼ります。しかし、そこには救いはありません。救いはただ、イエス・キリストの死と葬りと復活を信じる信仰によってのみ与えられます。

・主の恵みを思い巡らす:9-11節
上の事柄とは対照的に、宮の中にいる者は主の恵みを思い巡らします。さばきとは、普通は恐ろしい印象がありますが、11節ではさばきが喜び、楽しみになっています。なぜなら、主の正しさがはっきりをあらわされ、それによって私たちの神に属さないものが切り離されるからです。
まるで、ノアの箱舟のようです。主の宮に住むとはこのような恵みがあります。今の時代、神の宮はどこにあるでしょうか。私たちが神の宮です。ここに主を歓迎するとき、喜び楽しみが満ちあふれます。

・宮殿を巡り歩け:12-14節
このところでは、宮から外に出て、待ちを巡り、宮殿を眺めています。その目的は後の時代に語り継ぐためです。エデンから祭壇、幕屋、ダビデの幕屋、神殿、イエス様から私たちへと、主の宮は移り変わっています。これらを見、主ご自身を知った者が信仰を語り継いでいます。

【49篇】よみからの買い戻し

・耳を傾けよ:1-4節
48篇では神の宮、神の都について書かれていました。その喜びが今度は全世界へと及んでいます。神を知らない国々がどれほどむなしいか。そのことを注目して見ていきましょう。
コラの子たちは全世界の人々、地位も貧富の差も関係なく、すべてのひとに呼びかけています。
それは知恵とたとえです。イエス様は知恵なるお方です。このお方は群衆に向けて、すべてをたとえで話されました。この事を聞く耳のある者は幸いです。

・たましいの購いしろは高価:5-9節
どうして、わざわいの日に恐れなければならないのかと言っています。恐れるのが当然ですが、主を知る者は恐れません。一方富を持つ者はそれを失うことに恐れます。地位を得た者はそれを失うことに恐れます。人は持っていると守りに入ります。ですから、自分の持っている者を取られないように人々を攻撃したりします。
7節に書かれています。「人は自分の兄弟を買い戻すことができない」と。確かに医療が発達し、経済によってある程度延命もできます。しかし、永遠のいのちまでは得ることができません。人のいのちは主の御手の中にあります。
ルカの福音書に出てくる金持ちのラザロは地の深みからアブラハムのふところを見上げ、後悔しましたがもうどうにもできませんでした。

・人は滅び失せる獣に等しい:10-13節
すべての人のいのちには終わりがあります。生きている間は、自分は永久に覚えられているだろうと考えますがそんなことはありません。彼らは自分の名を残すでしょうが、それは単なる名前になってしまいます。その名前を見て毎日感謝する人がどれほどいるでしょうか。
人は栄華の内に留まることはできません。人は滅びる獣に等しいものです。獣とは何でしょうか。本能のままに生きる生き物です。神の戒めに従わない者の生き方です。

・よみの手から買い戻される:14-15節
ここには大きなコントラストがあります。獣のような生き方の羊飼いは死であると書かれています。最悪の羊飼いです。彼らはなくなり、よみが住まいとなっています。
一方、神に従う者のたましいは、よみから買い戻されます。死んでも行きます。永遠のいのちが与えられます。イエス様がご自身のいのちの代価を支払って、私たち信じる者を買い取ってくださいました。

・死ぬとき何も持って行けない:16-20節
人は死んだことがありません。ですから死後の世界はわかりません。しかし、聖書には死後の事がいくつか書かれています。ここでは、人は死ぬときに何一つ持っていくことができないと書かれてます。確かに亡くなった人はその体すらも地上に置いていきます。ただ、たましいが主のもとに行くか、地の深みに行くかです。
それであれば、私たちは地上で何にフォーカスしなければならないのでしょうか。このたましいを訓練することです。たましいをみことばによって教えることです。主への従順です。
そして最後には、「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅び失せる獣に等しい」と書かれています。悟りはみことばの啓示です。これがなければ人は自分勝手に生きる獣のような生き方をします。みことばをたくわえ、その通りに生きることができない自分に絶望し、神を求めて祈り、聖霊様の導きを求めて御霊の実を実らせて行きましょう。

【50篇】全焼のいけにえ

・神は光を放たれた:1-6節
神の神、主は語られ、地を呼び寄せられています。日の昇るところから沈むところまでとは全世界と言う意味です。
神様は麗しさの極みといわれるシオンから光を放たれました。声と光で民を呼び集めています。何のためでしょうか。さばくためです。しかも誰を裁くのでしょうか。「ご自分の民を」と書かれています。1ペテロ4:17にはこう書かれています。「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。」主はまず、ご自分のたみからさばかれます。すなわち、私たちです。
イエス様を信じて終わりではありません。一度悔い改めて終わりではありません。それは一生続いていくものです。

・感謝のいけにえ:7-15節
神様はご自分の民を集め、「聞け、わが民よ」と語れます。その内容は戒めです。その内容はどのようなものでしょうか。人々がいけにえをささげていたから自分は大丈夫だろうと思っていたことです。いけにえは手段であり、目的ではありません。
いけにえは感謝のいけにえです。いけにえによって神様に貸しを作ることではありません。神様がしてくださった良いことに対する具体的な応答が感謝のいけにえです。
ミニストリーの中でこのような間違いが起こってしまいます。熱心に奉仕し、主に仕えていることで満足することです。しかし、厳しいことばかもしれませんが、みなさんがいなくてもそのミニストリーは成立します。主が責任者であり、主が必要な人を起こしてくださるからです。ミニストリーが偶像化しないように気をつけましょう。ミニストリーを自分のものとすることがないようにしましょう。あくまでも、主への感謝からあふれ出るミニストリーが大切です。

・神を忘れる者よ:16-22節
神様は形だけの信仰を戒めておられます。教会に行っているから必ず救われるわけではありません。主との毎日の生きた関係が大切です。ですから、この通読を勧めています。日々の祈りとみことばの生活によって、私たちのたましいは主に似たものとされていきます。
主はそのような形だけの信仰者を戒めておられます。神様のことばをうしろに投げ捨てる者だと言っています。神のことばよりも、世の中の成功哲学やメソッドを優先する者です。
そのような者は盗人と仲良くなったり、姦通する者と親しくなります。類は友を呼びます。そして兄弟の悪口、陰口を言うようになります。そのような罪を犯しても心が痛まなくなってしまうのです。みなさんがイエス様の血潮によって洗われて、罪を犯したらすぐに痛むような繊細な心となることができますように。
そのような事をしても主は黙って見守られます。私たちが気づくまで黙っておられます。しかし、目の前でこれらを並べ立て、責めると言われています。ローマ14:12にはこう書かれています。「こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。」

・神の救いを見る:23節
しかし、感謝のいけにえをささげる人は、主をあがめます。感謝の心が大切です。その道を正しくする者、すなわち、みことばを知り、自分の間違いを知り、神の道に軌道修正し続ける者です。
イエス様を一度信じて終わりではありません。救いはまだ完成していません。達成するものです。「こういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12)

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 神はわれらの避けどころ、また力。苦しむとき、そこにある助けであることを感謝します。
    主に似たものへと変えられるように祈ります。

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