聖書通読クラブ Day 166

聖書通読クラブ Day 166【詩篇41篇〜45篇】

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シャローム!

今日から詩篇の第二巻に入ります。今まではダビデの書いた詩篇ですが、ここからはコラの子たちの詩篇が入ってきます。コラの子たちについてはコラムに書いていますので、そこをご覧ください。
コラの子たちは王ではありませんでした。それ故かわかりませんが、私はより親近感を覚えました。同じような葛藤をしています。同じような苦しみを担っています。このコラムを書きながらも、祈りがあふれ出る体験をしました。
神はおられ、必ず報いてくださるお方です。どんなことがあっても、この方に信頼し続けましょう。

今日の通読箇所:詩篇41篇〜45篇

■アウトライン

●いやしてくださる主:41篇
  ・弱っている者に心を配る人:1-3節
  ・私を憎む者:4-9節
  ・とこしえまでほめたたえられる主:10-13節

●鹿が谷川の流れを慕いあえぐように:42篇
  ・渇いています:1-4節
  ・うなだれるたましい:5-10節
  ・わがたましいよ:11節

●私のためにさばいてください:43篇
  ・主の光とまこと:1ー5節

●苦悩の中からの訴え:44篇
  ・御顔の光:1-3節
  ・立ち向かう者をふみつける:4-8節
  ・はずかしめ:9-16節
  ・契約を無にしない:17-19節
  ・起きてください:20ー26節

●王の結婚を祝福する:45篇
  ・すばらしいことば:1節
  ・優しさがくちびるから流れ出る:2-5節
  ・代々限りない王座:6-9節
  ・あなたの夫にひれ伏せ:10-11節
  ・王女の着物:13-15節
  ・代々に渡って名を覚えさせる:16-17節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【41篇】いやしてくださる主

・弱っている者に心を配る人:1-3節
ダビデは王でありながら、いつも弱いも者の心を理解して寄り添うことができる人物でした。アドラムの洞穴でも受け入れた多くの人はごろつきや貧しい人たちでした。
ダビデは彼らと一緒にいて共に悩み、共に苦しみ、痛みを分かち合っていました。どうしてそういうことができるかというと、ダビデが少年の頃、虐げられていたからでしょう。
ダビデはそこから主によって引き上げられました。ですから彼らを励ますことができます。
ダビデはいままでそのようなことをしてきたので、今の病の状態でも主が支えてくださりいやしてくださると信じて祈っています。

・私を憎む者:4-9節
ダビデは多くの人と会ってきましたので、人を見抜く力が与えられていました。そこでお見舞いに来る人の本音と建て前を感じ取っていました。ダビデを見舞いに来た人はおそらくダビデと関係があったので、いままで自分に良くしてくれた人たちでしょう。
それなのに、ダビデが床の上にいるのを見て「いつ死ぬのか」とか「悪霊がだびでについている」と好き勝手なことを言っています。恩を仇で返すようなことばです。
9節はイエス様がイスカリオテのユダに裏切られた時に引用されたみことばです。ヨハネ13:18を見てみましょう。

・とこしえまでほめたたえられる主:10-13節
ここでは敵への仕返しが書かれています。ドラマで「倍返し」と言うことばが流行った時代もあります。人々は復讐をすると相手が低くされるので自分が高められ気持ちよくなります。
しかし、ダビデの仕返しは何だったでしょうか。自分がいやしを受け取り、立ち上がることです。敵には一切、手を出していません。自分が主によって好意が受けることが敵への仕返しです。
私たちもこれを目指そうではありませんか。敵を攻撃して打ちのめすのではなく、それは主にお任せして、自分は主から圧倒的な好意を受け取ることです。そうするなら、そのようにしてくださった主を多くの人は恐れるようになるでしょう。
病床のダビデのこの宣言によって、人々はこれに同意して「アーメン。アーメン。」といってイスラエルの神をほめたたえています。
第一巻はここで終わります。続けて第二巻のスタートです。

【42篇】鹿が谷川の流れを慕いあえぐように

・渇いています:1-4節
この詩篇はダビデではなく、同じ時代のコラの子たちの詩篇です。コラはケハテ族、祭司の家系でしたが、荒野でアロンとモーセに逆らい、生きたまま地に飲み込まれてしまいました。しかし、一部の息子は恵みによって生き残りました。一方的な恵みによってイエス様に贖われた私たちのひな形です。
このコラの子たちは後にダビデによってダビデの幕屋の礼拝者として任命されます。おそらく、彼らが詠っている詩篇はバビロン捕囚の民の心をうたっていると思われます。その背景を持って詩篇を朗読してみましょう。
1節からを見ると、なぜこれほど絶望を言っているかが理解できると思います。捕囚の地において、「お前の神はどこにいるのか」と行ってくる人が大勢います。このような迫害の中で、益々主への飢え乾きが増し加わります。そのことを谷川の流れを慕いあえぐ鹿に例えています。じつに美しく的を得たたとえです。
4節の「あの事」はエルサレムに住んでいた時のことです。「あの群れ」とは、ダビデが息子のアブシャロムのクーデターによって国を追われた時のことです。そして神の箱を携えて、オベデ・エドムの家から6歩進んでいけにえをささげる、ゆっくりした、しかし喜びに溢れたあの歩みです。
その喜びも、神の臨在も今ではまったくありません。

・うなだれるたましい:5-10節
ここから大切なことを学ぶことができます。人間は霊、たましい、肉の三つから構成されています。霊(心)に対しては見張る必要があります。そしてたましいには宣言します。肉体はその宣言に従わせるものです。
コラの子もダビデも、自分のたましいに命じています。考えたらすこしおかしな光景ですが、たましいは教えてあげなければいけません。何を教えてあげるのでしょうか。神のみことばです。たましいは見た者、聞いたもので成長します。
自分のたましいに話しかけてみましょう。まずはこのみことばを声に出して、そのまま自分のたましいに向けて語ってみてはどうでしょうか。
6節は山が出てきます。ヘルモン山はイスラエルで最高峰の山です。が、エルサレムから遠く離れています。また、ミツァルはどこかわかりませんが、ことばの意味は「小さい者」です。ヨルダンは渓谷なので谷です。
ここでコラの子たちが言いたいのは、神様から離れていたらどのような場所にいても絶望しか無いと言うことです。
その苦しみは次々に押し寄せる大波のように感じています。
しかし、8節ではコラの子たちはこのような中でも主を賛美しています。
ところが次の瞬間にやってくるのが9節からの絶望です。自分たちが神様に忘れられているのではないかとの思いから、苦しみが骨を打ち砕くほどと表現しています。

・わがたましいよ:11節
この絶望のなかだからこそ、もう一度この宣言をしています。自分のたましいに何度も何度も言い聞かせています。
私たちも試練の中、主が見えないとき、この宣言を自分自身にしてみましょう。

【43篇】私のためにさばいてください

・主の光とまこと:1-5節
これは42篇の続きと考えられています。ここでコラの子たちは、主のさばきを求めています。今までは捕囚先の人々にののられっぱなしでした。ところが、自分のたましいに命じ続けた結果、敵に対する憤りの気持ちが出てきました。主をののしり、主を恐れない事に対してです。
イエス様を信じた後、しばらくは喜びの中に入れられますが、その後、、今まで感じたことないほどの怒りなどの感情が出てくることがあるでしょう。それは回復の道のりであることを覚えます。
3節では、光とまことで導かれるように願っています。そしてそれらは聖なる山、つまりシオンへと至ります。
もう一度主の住まわれる場所で、主の御側で主を力の限り礼拝したいという飢え乾きです。
そして最後にもう一度自分のたましいに宣言します。この宣言も自分のたましいに繰り返し、繰り返し宣言してみましょう。そして、何か問題がある度に、このみことばを自分のたましいに言い聞かせていきましょう。

【44篇】苦悩の中からの訴え

・御顔の光:1-3節
この詩篇もコラの子たちの詩篇です。バビロンの捕囚の地で、残された民が主に立ち返ろうとしているのになかなか状況が改善しない葛藤を主に訴えています。
1節で昔のことを思い起こしています。ヨシュアの時代です。ヨシュアの勝利は人の手ではなく、主の御手による勝利だと言うことを知っていました。そのことを思い起こしています。
それを踏まえた上で、3節のみことばを味わってみましょう。

・立ち向かう者をふみつける:4-8節
4節は力強い宣言です。バビロンの王もいます。王には絶対服従が求められます。反逆すると死刑です。しかし、すべての王の王は主であるヤハウェなる神だけです。
コラの子たちの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨシュアなどの事柄を知れば知るほど、神様ご自身が敵に対して戦ってくださるという確信を持つことができます。ですから、この今の苦しみの中でも同様のことを自分たちにしてくださると信じています。
「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」(2コリント1:10)
この信仰を共に持とうではありませんか。

・はずかしめ:9-16節
先祖たちのことを聞いているのに、その神が自分にそのようにしてくださらないことに焦りと葛藤を覚えています。
逆に自分たちが後退しているように感じます。ヨブもそうでしたが、主は愛する者をあえてこのような所を通されます。さらに主への飢え乾きを増し加え、親密な交わりをするためです。

・契約を無にしない:17-19節
著者はこのような中でも主に対する信仰を捨てなかったことを主張しています。義に対する飢え乾きです。

・起きてください:20ー26節
著者はもうこれ以上耐えられませんという気持ちを、このように表現しています。あまりにも主が応えてくださらないように感じるので、他の神に手を伸ばしてしまいそうになります。しかし、主は心の秘密を知っておられます。
そして22節です。パウロが引用した箇所です。「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちはほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:35-37)
聖書は様々な人の救済の歴史でもあります。その同じ神が私たちの主です。このお方は必ず私たちを助けてくださるお方です。たとえ現状が変わらないように見えても、後退しているように感じても、このお方を信じ続けましょう。聖書がその結果を証明してくれています。
しかし、23節からを見ると、コラの子たちは本当に切実な思いで訴えています。私たちもこの祈りをしても良いのです。時には我慢することも必要でしょう。しかし、我慢と忍耐は違います。我慢しすぎると心は壊れてしまいます。しかし、忍耐は「必ず主は私を助けてくださる」という希望に基づいた、約束を受け取るまでの期間です。
私たちは苦しいときに主に「苦しいです!」と叫ぶことができます。心の直ぐな人の叫びと祈りを主は聞いてくださいます。

【45篇】王の結婚を祝福する

・すばらしいことば:1節
ここでは、主が王として治めておられる場面になっています。44篇で「主よ、あなたこそ私の王です」と宣言した事が聞かれ、現実の物となっています。そしてこれは、愛の歌と書かれています。王がたたえられている詩篇です。第一義的にここの王はソロモンですが、ソロモンという名前はシェロモーです。それはシャロームからできています。つまり、ここに同時に平和の君であるイエス様の姿も見ることができます。
著者は心がすばらしいことばでわき立っていると言っています。みことばが心から溢れ流れ出ています。そのあふれ出るみことばと、主への感謝がことばとなって、主への麗しい賛美になります。主の素晴らしさを表現しています。それが「私の舌は巧みな書記の筆」ということです。

・優しさがくちびるから流れ出る:2-5節
ここに王の姿があります。詳しくは雅歌の所で見ることになると思いますが、王であり、花婿の姿です。それは「強いけど麗しい」という相反するものを持っていることです。権力があり、権威を持ち、その発することばには力がありますが、くちびるからは優しさが流れ出ています。若い人たちはこのような事を「ギャップ萌え」などど言ったりするのかも知れませんが、そのことばで表現できないほど、強さと愛を兼ね備えています。

・代々限りない王座:6-9節
ここでは「神よ」とありますが、王を神と呼んでいます。そうするなら、疑問が浮かんでくると思います。「あなたは、他の神々があってはならい」という十戒に違反します。これは一体どういう琴乃なのでしょうか。この事に関して、ヘブル人の手紙の記者が説明しています。「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は代々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。』」(ヘブル1:8-9)
ここでは父なる神が御子キリストを神と呼んでいます。このことから、ここでは詩篇の著者が神からの霊感を受けて、主ご自身が語られたみことばを記した箇所になります。
この神である王は、8節以降のような姿です。まるで雅歌を呼んでいるようです。また、王妃の姿が出てきます。キリストの御前に立つ教会の姿でもあります。

・あなたの夫にひれ伏せ:10-11節
娘に語られることばは一見冷たく見えます。「自分の民と父の家を忘れよ。」とあります。これは絶縁しろと言っているのではありません。アダムとエバも「父母を離れ、二人は一体になる」と言われました。アブラハムも故郷から離れなければなりませんでした。ルツも自分の民と父の家を忘れ、ナオミに従った結果、救い主の家系図に入れられました。
イエス様も次のように語られています。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」(ルカ14:26)
主は分裂の神ではありません。一致の神です。その完全な一致は神によってのみ可能です。その証拠に、家族間でも確執があったり、争いがあるでしょう。それぞれが家族、民族から一度離れ、主と一つとなるときに、主は本当の一致を与えてくださると信じます。

・王女の着物:13-15節
ここでは王女が出てきます。キリストの花嫁である教会の姿、私たちの姿です。衣には黄金が折り合わされています。黄金は神様を象徴する色です。そして、綾織物を来ているとあります。この着物は何でしょうか。黙示録19:8にはこのようにあります。「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、生徒たちの正しい行いである。」この衣をまとって、私たちは主の御前に出ます。

・代々に渡って名を覚えさせる:16-17節
そのようにして、信仰継承が成されていく事が書かれています。主が完全に治めておられる所に、私たちは妻として迎え入れられ、共に相続の恵みにあずかります。
しかし、それまでにはもう少しこの地上で成すべき事があります。今日もみことばによって変えられることを選択することができますように。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 神を待ち望み、神をほめたたえます。
    私の顔の救い、私の神に感謝します。

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