聖書通読クラブ Day 106

聖書通読クラブ Day 106【列王記 第二 7章~9章】

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シャローム!

エリシャの働きも終盤に向かいます。そして、今日の箇所はついにイゼベルが終わりを迎えます。
あのコントロールスピリットに満ちた悪の化身とも言えるイゼベルは誰によってどのように殺されるのでしょうか。

それでは、今日もみことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:列王記 第二 7章~9章

■アウトライン

エリシャの預言の成就

●弱い者のもたらす情報による勝利:7章
  ・経済の転換:1-2節
  ・四人のツァラアトの人の略奪:3-8節
  ・私たちのしていることは正しくない:9-13節
  ・アラムの落とし物:14-15節
  ・そのとおりの事が彼に実現する:16-20節

●神の裁きの足音:8章
  ・女への土地の返還:1-6節
  ・ハザエルによる王の暗殺:7-15節
  ・ヨラムの業績:16-19節
  ・夜襲:20-24節
  ・病気のヨラム:25-29節

●エフーの戦法:9章
  ・油注がれるエフー:1-10節
  ・エフーは王である:11-13節
  ・エフーの謀反:14-16節
  ・気が狂ったように御す:17-20節
  ・心臓を射貫く矢:21-26節
  ・逃げるアハズヤ:27-28節
  ・ユダの王アハズヤ:29節
  ・元気かね。主君殺しのジムリ:30-37節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】弱い者のもたらす情報による勝利

・経済の転換:1-2節
エリシャに神のことばがあり、飢饉の状態に変化が訪れるこをを告げられます。物価は需要と供給で成り立っています。沢山の人が「欲しい」と思っても、その商品が少ないと価値が出て、「お金を出してでも欲しい」と言う人が出てきます。そうすると価格は上昇します。
一方、メーカーが頑張ってその商品を沢山生産し、市場に商品が沢山出回ると沢山の人の手に届きますので、「いつでも手に入る」ものとなり、価格は下がってきます。
実際はもっと複雑に様々なものが絡み合っているのですが、これが簡単な経済の仕組みです。
ここでは、上等の小麦1セア(7.5リットルほど)が1シェケル(数十円)で、大麦二セア(15リットルほど)が同じく1シェケル(数十円)で売られるというのです。
一体この状況でどのようにしてその事が起こるのでしょうか。王を支える者がその様に言うと、エリシャは更に神のことばを告げます。
この王を支える侍従の者を反面教師としましょう。この者は何と発言しているでしょうか。「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」と言っています。これは不信仰の告白です。
私たちも口にしていませんか?「それはそうだけど、神様でもこれは無理でしょう」と。それは本当ですか?なぜそのように思うのですか?多くの場合は、頭で理解できないからです。当然です。神のなさることは私たちのちっぽけな頭では到底理解できません。
この王の侍従の告白は自分の考えられる領域までしか神を認めていませんでした。つまり、自分の方が上に立っているのです。「自分が理解できないから神を信じない」という事になります。
エリサベツの信仰を持ちましょう。「主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)

・四人のツァラアトの人の略奪:3-8節
ここから話題が少し変わりますが、これが後に大きく影響することになります。
四人のツァラアトの人が出てきます。当時はこの病気は不治の病とされていました。律法の書にこの事が沢山出てきたと思います。
彼らは人々から嫌がられ、城壁の外で貧しい暮らしをしていました。その時、彼らに重いが与えられます。「どうせ人々から嫌われ、汚れてると言われ、このまま人生が終わるのなら、行動を起こしてみようじゃ無いか」ということです。
今の安定した人生でそのまま終わっていくか、主の使命を受けてもうひと仕事するために立ち上がるかという選択です。
彼らは自分たちのいのちをかけて行動します。どうせこのまま朽ちていくいのちなら主のために用いたいと考えたのです。生きた殉教者の信仰です。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)
意を決してアラムの陣営に突入した彼らはあっけにとられます。そこには誰もいなかったのです。
これは主が成されたことです。6節を見てみましょう。
たった四人で歩いて行きました。しかも彼らは全員ツァラアトです。それなのに、その信仰に主が応えてくださり、その足音、息づかいがまるでスピーカーで拡張されたように戦車の響き、馬のいななき、第軍勢が襲ってきているように聞かせました。
それでアラムの陣営は勘違いして荷物をそのままにして逃げていきます。貧しい生活をしていたツァラアトの4人はおなかいっぱい食べたことでしょう。まるで天国のように感じたかもしれません。
彼らがしたことは何でしょうか。いのちを献げる覚悟で一歩を踏み出しました。あとは主が責任を取ってくださいます。これが信仰の歩みです。
今までも主は数々の同士討ちや王や将軍の勘違いを通して勝利をもたらしてくださいました。強い軍隊を持っていても、王の指令一つで国が滅びることもあるのです。
私たちの王は誰でしょうか?いつも間違い、心が変わってしまう自分でしょうか?違います。決して変わることの無いまことの救い主、イエス・キリストが私たちの王です。

・私たちのしていることは正しくない:9-13節
主は山上の垂訓で「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらの物はすべて与えられます」と言われています。まさに、4人のツァラアトの人はそれを体験しました。
ところが、彼らの良心に主が語りかけられます。「私たちのしていることは正しくない」と言っています。これが非常に重要です。気づきです。
神様は私たち人間を創造されたとき、良心というものを造られました。私はこれは神様の領域だと思っています。悪い人にも自分の子どもには良くしてやるというたとえがあります。(マタイ7:11、ルカ11:13)
子どもの頃、悪いことをして心がチクチクしたあの領域です。これは大人になると、なぜかうまく隠せるようになってしまいます。
しかし、この世の中に二人だけそれを知っている者がいます。神様と自分です。
時には自分が気づかないことがありますが、それを教え、認めさせてくださるのが聖霊様の働きです。そうして、自分勝手な道から神様の願われる道へと方向転換できるのです。
いのちをかけた4人のツァラアトの者は心にとがめを感じ、それを門衛に伝えます。門番はそれを王に伝えます。
王は夜中にもかかわらず鋭い考察をしています。しかし、それは人の考えたことです。神様のなさることは人の創造、想定を遙かに超えます。
13節をみると、ツァラアトの4人と同じ考えで偵察に行っています。「どうせ滅ぼされるなら、試しに行ってみるか」という程度だったかもしれませんが、何もしないよりはましだという同じ考えが見られます。

・アラムの落とし物:14-15節
実際に偵察に行くとどうでしょうか。はたしてツァラアトの4人が行ったとおりです。道々にはアラムが慌てて逃げていった衣服や武具がいっぱいありました。

・そのとおりの事が彼に実現する:16-20節
ここで冒頭のエリシャの預言の成就を見ます。言ったとおり、その日のうちにでした。
どうしてインフレ気味だった所に突然価格が暴落したのでしょうか。アラムが自分たちの軍のために沢山の食料を蓄えていましたが、それが一気に町に流れ込んだからです。
この時の様子を読んでみると、非常に密な状態であったことがわかります。今ではすっかりそのような様子を観なくなりましたが、昔のアニメなどに出てくるバーゲンセールのワゴンに殺到する人たちのようです。なんとその人に踏みつけられて、王の侍従は死んでしまい、これも預言の通りになります。不信仰の告白の結果がここにあります。
私たちは口のことばに気をつけましょう。多くは無意識で言っていることが多いのですが、客観的に自分を見ると、ひどいことを言っていたりするものです。
その時は感情的になっていたり、気持ちが高ぶり気づかないことが多いのですが、自分の会話を録音して再生してみると客観的に自分を見ることができます。改めるべき所は素直に認め、改善していきましょう。そして、口の告白を信仰の告白二変えていきましょう。「聖書には○○と書いてある!」と。

【8章】神の裁きの足音

・女への土地の返還:1-6節
ここからは、エリシャの人生の後半に移っていきます。エリヤから託されたこと「アハブの家の滅び」に取りかかります。
まずその前に神の恵みを見ることができます。シュネムの女が再び登場します。神の人に良くしたことがここまで報いとして続いています。飢饉のために一時的にペリシテ人のチに7年間留まります。そして帰ってきますが、その時に住むところと畑がなくなっていました。
するとちょうどその時、王が死人を生き返らせたことを聞きたいとゲハジに伝え、エリシャを呼び出していました。ちょうどどのタイミングにシュネムの女が来たのです。
こんなことあるでしょうか!あれからかなり時間が経過していますが、どうして王はこのタイミングであの出来事を聞きたいと思ったのでしょうか。それが主の成されることです。
主にとって偶然はありません。すべて主の統治の下にあります。
ここでひとつの疑問がわいてきます。ゲハジはツァラアトになったのではないでしょうか?なのにどうしてここで王に仕えているのでしょうか。
一つはゲハジが癒やされたという説があります。もうひとつはこの出来事はナアマン将軍の前の出来事であるとの説がありますが、私もどちらが正しいかはわかりません。

・ハザエルによる王の暗殺:7-15節
エリシャの力強い働きは諸国にまで知れ渡っています。
アラムの王は自分たちが被害を受けているにもかかわらず、エリシャに病気のいやしを求めています。
そこでナアマンがしたように沢山の贈り物を持って来ています。
エリシャは癒やされるが死んでしまうという主のことばを伝えます。
エリシャはそこで不思議な行動をとります。ハザエルが恥じ入るほどじっと彼を見つめ、泣き出します。そういうことをされたら動揺しますね。
ハザエルは「なぜ泣くのか」と聞くと、ハザエルがこれから使用としていることを告げます。神様からの知識のことばです。
ハザエルは「しもべは犬にすぎないのに、そんなだいそれたことをできよう。」と応えています。
これは、どういうことなのでしょうか。エリシャはハザエルの心の奥にある、自分でも気づいていなかった深い罪を見てしまいました。それでじっと彼を見つめて泣いているのです。彼の目の奥に残忍に殺害する姿を見ました。
王はハザエルから報告を聞きますが、翌日、ハザエルは冷酷なことを行います。毛布を水で濡らし、寝ている王に被せて窒息死させます。
これは私の姿であります。本当に悔い改めます。このような働きをしていながら、いまだに多くの罪の性質、主に喜ばれない口のことばが出てきます。毎日自分に失望しています。イエス様の血潮により頼まなければ今この瞬間も生きていくことができません。

・ヨラムの業績:16-19節
この箇所は調べ、よく読むと非常にややこしい箇所になっています。なぜなら、ヨラムという人が北と南に同じ時期に登場するからです。
まず一人目。アハブ王がラモテ・ギルアデをアラムから奪還しようと呼びかけた相手はアサの子ヨシャパテです。その子がヨラムです。
もう一人はアハブの子アハズヤがいましたが彼は欄干から落ちて病気になり死んでしまいます。ところがそのアハズヤには子どもがいなかったのでアハブの別の子ヨラムが統治していました。これを前提にこの後読み進めます。
ここはユダの王ヨラムです。彼はアハブの家の者がしたように、北イスラエルの王たちの道を歩みました。その原因はアハブの娘が彼の妻だったからです。
残念ながらこれがヨシャパテへの対価でした。ヨシャパテは霊的な人であり、イスラエルとユダの統一を願っていました。その結果どうしてもアハブの悪い影響を受けてしまったのです。彼の代はかろうじて守られましたが、子の世代に堕落をしていってしまいます。
私たちはこの世の悪から影響を受けるのでは無く、逆に世に光として、地の塩として出て行き、祝福を運んでいきたいものです。

・夜襲:20-24節
主の裁きの足跡が聞こえています。エドムがそむいてユダの支配から脱しています。エドムもそむいています。リブナもそむこうとしています。

・病気のヨラム:25-29節
ヨラムの子アハズヤの時にはバアル信仰がユダに入ってきました。そして、ヨラムとアハズヤが戦います。
霊的堕落の進む中、主の御手が動かされ、次の章に続いていきます。

【9章】エフーの戦法

・油注がれるエフー:1-10節
エリシャは重要な役割を預言者のともがらに託しました。エフーの油注ぎです。そして、終わったら直ぐに変えるように言付けています。それほど危険で緊急性がありました。
そうしてエフーは油注ぎを受けます。おそらく、北イスラエルに於いて油注がれた王はエフーだけでしょう。
この時、エフーはどこで油注がれたでしょうか。公の前ではありません。これは神の御前の油注ぎです。

・エフーは王である:11-13節
家来は預言者のともがらを「気違い」と言っています。それに対してエフーが応えますが、家来たちはいつもとちがうエフーの様子に気づきます。

・エフーの謀反:14-16節
これからかなり大きなクーデターが起こっていきます。彼らはばれないように注意深く動いています。家来たちに知らせに行くなといっています。

・気が狂ったように御す:17-20節
エフーは狂ったように車を御し、イズレエルに向かいます。挨拶もそこそこに王に会いに行く気迫が満ちています。

・心臓を射貫く矢:21-26節
それを見たヨラムは車を出し出て行きます。ヨラムとエフーは出会い、挨拶をかわします。
そして、エフーは力一杯弓を引き、ヨラムの両肩の間を射ました。そうして、エリシャの預言が成就します。

・逃げるアハズヤ:27-28節
ユダの王アハズヤは逃げ、自国ではなく、イスラエルのメギドで死んでしまいました。アハブの家と関係を持っていたからでした。

・ユダの王アハズヤ:29節
アハズヤはユダの王となります。

・元気かね。主君殺しのジムリ:30-37節
イゼベルは異様な恰好でエフーを迎えます。目の縁を塗り、髪を結い直していました。そして「元気かね、主君殺しのジムリ」と挨拶します。
このときイゼベルは窓から見下ろしていました。そこで、エフーが「その女を突き落とせ」というと、三人の宦官が突き落としました。あの恐ろしいイゼベルのあっけない死です。
そして、そのなきがらはエリシャの預言の通り、残酷な事になっています。
私たちの内のイゼベルを成すがままにさせないようにしましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 不信仰な言葉をつい言ってしまいます。信仰の告白に変えられるように祈ります。

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