聖書通読クラブ Day 69

聖書通読クラブ Day 69【ヨシュア記19章~21章】

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シャローム!

私たちの心ほど、移ろいやすいものはありません。さっきまでウキウキしていたと思ったら、ちょっとしたことで心が沈み込んでしまうことがあります。
昔のデボーションジャーナルや日記を読んで、今とは全く違うことを見て感じていた自分に驚くことがあります。
そのような中でも、決して変わることがないのが神様のみことばです。この方が私たちにしてくださった良い約束は、何一つたがわず、みな実現します。私たちがどんな状況、環境に置かれようとも、決して変わらないのは主は良いお方だということです。
この御方に私たちの全信頼を置きます。きょうもみことばにほまれを置き、いのちの糧を頂いていきましょう。

今日の通読箇所:ヨシュア記19章~21章

■アウトライン

主の良い約束はみな実現する

●残りの部族への割り当て:19章
  ・シメオン部族:1-9節
  ・ゼブルン部族:10ー16節
  ・イッサカル部族:17-23節
  ・アシェル部族:24-31節
  ・ナフタリ部族:32-39節
  ・ダン部族:40-48節
  ・ヨシュア:49-51節

●逃れの町:20章
  ・血の復讐からの救い:1-6節
  ・割り当て地にちらばる町:7-9節

●レビ人の町:21章
  ・ケハテ族:1-26節
  ・ゲルション族とメラリ族:27-42節
  ・果たされた神の約束:43-45節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【19章】残りの部族への割り当て

引き続き土地の相続が割り当てられていきます。まずはベニヤミン族です。彼らの土地は面積でいえばそれほど広くないですが、エリコ、ベテル、ギブオン、ミツパなど、聖書の中で良く出てくる町も彼らの相続の中にありました。

10節からはゼブルンです。
続く17節はイッサカルです。ここにはイズレエル平原があります。聖書の中で多くの戦いがなされる戦場です。

24節からはアシェルです。彼らの相続地は海岸に接していることがわかるでしょうか?彼らは海路から入ってくる敵からイスラエルを守っていました。

32節はナフタリです。
40節からはダンです。47節を見ると、彼らは北上して更に領土を拡大したことがわかります。聖書で繰り返し出てくる「ダンからベエル・シェバまで」と言う表現があります。これは日本に例えると「北海道から沖縄まで」というのと同じです。その北端を担っているのがダンです。敵は北から入ってくることが多いので、彼らはそこで北からの敵を防いでいました。

49節から、最後にリーダーのヨシュアの相続です。私の考えではまず、リーダーが最も良い場所、最も広い場所を相続として得るのが正しいと思いますが、そうではありません。
ヨシュアは最後に、しかもたった一つの町でした。なんという謙遜でしょうか。部下にまずいいところを相続させ、自分は残った小さなところで満足する。リーダーの鏡です。

【20章】逃れの町

ここでは逃れの町が再び取り上げられます。故意では無い、過失の事故で人を殺してしまった者が一時的に住む町です。
逃れの町に逃げて来た人は裁判の判決が出るか、もしくは大祭司の死を持ってのがれの町から出てくることができます。
私たちにとって逃れの町はイエス様です。まだこの世界の最後の審判はなされていません。確かに一度まことの大祭司なるイエス様は死なれましたが、三日目に死から復活され、今も生きておられます。
ですから、私たちは判決、つまり最後の審判がなされるとき、この町から出てイエス様と永遠に暮らすことができます。

7節からは逃れの町の場所が定められます。川の東西に三つずつです。今まで見てきた地図に逃れの町の場所を加筆しました。見てみてどうでしょうか?非常にバランスのとれた、どこからも等しく行けそうな距離に配置されていませんか?
私立ちもいつでも助けを求めれば、イエス様という最高の逃れの場に直ぐに行くことができることを感謝します。

【21章】レビ人の町

ここではレビ人の住むところが記されています。律法の規定によるとレビ人だけには相続地がありません。主ご自信が彼らの相続でした。そうは言っても、実際に彼らも地上に生きていましたから住む場所が必要でした。そこで、主は民数記35章でレビ人の町々と放牧地のサイズを指定されました。1,000キュビトのまわりにさらに2,000キュビトずつの放牧地がありました。
レビには三人の子がいました。ケハテ族、メラリ族、ゲルション族です。その中でもケハテ族は特別で、幕屋の聖なる器具を運ぶ役目がありました。また、ケハテ族の中にアロンの家系があります。
これまでは幕屋は移動式でしたので、彼らは幕屋の運搬という仕事がありました。しかし、これからは神の箱は一所にとどまります。彼らの仕事内容も少しずつ変わっていったのでしょう。

アロンの子孫が住むところとなったのはベニヤミンの領内です。申命記33:12で語られていることは何だったでしょうか?ベニヤミンについて言われており、「…彼らは安らかに、主のそばに住まい…」とあります。
この時、主の箱はエフライムの領内、シロに置かれていましたが、ダビデの時代、ダビデの町、すなわちこの場所に神の箱が運ばれて来たのです。
総じて言えば、ケハテ族は中心付近に住まいをもうけていました。

一方、メラリ族とゲルション族はどうでしょうか。27節からを見てみましょう。地図と照らし合わせてみながら彼らの住まいを見ると、周りを守っているようにも見えます。といっても彼らは戦士ではありません。何から守っているのでしょうか?おそらく、異教の神々、偶像礼拝からイスラエルを守っているのかもしれません。

教会でも同じような構造を見ることができるのでは無いでしょうか?教会でフルタイムで仕える者がいます。外で働く者もいます。
これはダビデの幕屋でも見られた構図です。
どちらが偉くてどちらが劣っていると言うことではありません。それぞれ神様が委ねてくださった役割があります。私たちはそれをただ全うするだけです。

43節から45節はまとめです。神様が仰せられたことをことごとく行いました。そして、主は彼らの先祖に誓ったように周囲の者からイスラエルを守ってくださいました。そして、イスラエルに安住を許されました。無敵状態です。
そして45節、本当に素晴らしいことです。この一節は「神の約束(ことば)は決して地に落ちなかった、全てがもたらされた」と言う意味です。
私たちの人生に於いても、主が私たちに約束されたすべての良いことは、何一つたがわず、みな実現すると信じます。

十二部族に割り当てられたカナンの地と逃れの町

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. 聖書は紙の方で読むので、聴くドラマ聖書はまだ慣れない方や目が疲れている方に譲ります。
    勝手な想像かもしれないのですが、
    他のサイトは鈍くないのに、聴くドラマ聖書の反応が鈍いのです。
    おそらく大勢の方のアクセスがあるからなのでは?とうれしく思っています。
    静かにですが、今日本にリバイバルが、それもあちらこちらで来ていると信仰をもって受け取ります。
    聖徒たちの祈りが、そして日本では多くの殉教者の血が主の前に訴えていると思います。
    私も祈る聖徒の一人に加わる者でありたいと思います。

    先生がアウトラインをたどってくださるので、それでも私はまだまだ理解が乏しいかもしれませんが、今まで分からなくても読んでいただけの個所もある程度、全体像が見えてきます。感謝します。

    神様が逃れの町を置いてくださったこと、そしてキリストは私たちの逃れの町であることを感謝します。

    ヘブル
    6:18 それは、前に置かれている希望を捕らえようとして逃れて来た私たちが、約束と誓いという変わらない二つのものによって、力強い励ましを受けるためです。その二つについて、神が偽ることはあり得ません。

    ローマ人への手紙
    8:1 こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

    恵まれたので、他の方へも何かの助けになればと思ったので分かち合います
    この地名の意味が救い主の充分さを表し、その順序が神の順序を表すそうです。

    ①カデシ(聖潔) ②シェケム(力) ③ヘブロン(交通) ④ベゼル(安全)
    ⑤ラモテ(高挙) ⑥ゴラン(幸福)
    ↑これは
    原語の意味だと思うのでどうにかして調べたくて、ヘブライ語辞典で調べたのですが地名は出ても意味まで出てきませんでした。

    ネットではカデシ=ケデシュが聖所とありました。聖潔と通じるような気がします
    ケデシュはヘブル語で「聖所」を意味する。聖書にはケデシュという名の三つの町が登場する。
    1. ケデシュ (ユダ)
    2. ケデシュ (のがれの町)–ナフタリのケデシュ、ガリラヤのケデシュとも呼ばれる
    3. ケデシュ (イッサカル)

    順序ですが、
    神は聖潔をはじめに置き、幸福を終わりに置かれるけれど、
    人はこれを反対に置くと本に書いてありました。

    確かに、この順序は大切だと思いました。
    汚れた関係があれば嫉妬が入り、信頼関係は崩れ
    夫婦や家族の関係は土台から崩れ去ります。
    汚れた関係と言えば心に偶像をつくることで
    正しいイメージが崩れてしまい、自尊心が壊れて鬱的に苦しむことになるのではないかと思います。
    聖く守られ、神の力によって祈りとみ言葉をとおして神との交通があるところに
    安全があり平安に過ごせ、外見の美しさだけでは得られない本物の気高さを持ち、結果幸福になるのだと思います。
    キリストの中にこれらすべてがあることを感謝します。
    もっと深い解釈がありそうな気はするのですが、人それぞれに思うところがありそうです。

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