聖書通読クラブ Day 25

聖書通読クラブ Day 25【出エジプト記22章~24章】

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シャローム!

私は細かい規定の書かれた書類を読むのがとても苦手です。虫眼鏡でしか見えないほど小さな文字でびっしり書かれてある紙を見るだけで嫌になります。

どうしてそうなるのかと考えてみたら、おそらく、自分とは無関係だと思っているからではないかと思いました。

しかし、ここに書かれていることは私たちの永遠のいのちに関わることです。大切なことを見落とさないよう、聖霊様に導いていただきましょう。

それでは、今日もみことばに教えていただきましょう。

今日の通読箇所:出エジプト記22章~24章

■アウトライン

律法の適用

●律法の適用:22章
  ・家畜の盗みと賠償:1節
  ・盗人を殺したときの規定:2-4節
  ・不注意による損害の規定:5-6節
  ・隣人のものをなくした時の規定:7-9節
  ・世話を引き受けた家畜の規定:10-15節
  ・処女を誘惑したときの規定:16-17節
  ・死刑に当たる罪:18-20節
  ・人道的法:21-27節
  ・のろってはならない:28節
  ・主への捧げ物:29-30節
  ・野で獣に裂かれた肉の規定:31節

●律法の適用:23章
  ・訴訟と証言:1-3節
  ・家畜に関する規定:4-5節
  ・裁判に関する規定:6-8節
  ・在留異国人:9節
  ・七年目に関する規定:10-12節
  ・心にとめる:13節
  ・三大祭り:14-17節
  ・四つの戒め:18-19節
  ・契約の結び:20-33節

●契約の締結:24章
  ・契約の血:1-8節
  ・和解の食事:9-11節
  ・契約の板:12-18節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【22章】律法の適用

神様が語られた十の戒めをかみ砕き、実行レベルにして書かれている箇所が続きます。
まずは盗みに関してが書かれています。十戒のどの部分にあたりますか?(そのままですが…)
出来心で盗んでしまったら、それは償わなければなりません。いつまでも神様の前に隠し通せることはないのですから、素直に罪を認め、償うことで私たちはとらわれから解放されます。

5-6節は不注意による損害です。相手に迷惑をかけたらその分を償うことは私たちも子どもの頃から教えられていると思いますが、聖書にもちゃんとその事が書かれています。

7-8節は大切なものを預けた場合のことが書かれています。大切なものを預けたときの償いは他のものの償いと何か差はあるでしょうか?

9節、これは現代でもよく見られることです。人は欲深いものですから、不利な状況になるとあらゆるいいわけをします。また、自分の利益のために平気で嘘をついたりします。
人の力ではそれを解決することができません。しかし、神様の御前に差し出すなら神が裁いてくださいます。このお方だけが唯一の裁き主です。

10-11節、家畜の世話を引き受けた時に問題が起こった場合、どうすべきでしょうか?鍵は主への誓いです。お互いが主を恐れ、主を信頼しています。それぞれがこの方との誓いを守るのであれば、人通しの誓いも自然と守られます。

12-15は家畜が確かに盗まれたり傷つけられた場合が書かれています。正直に申告し、償う者は主に祝福されます。

16-20節はバラバラのように見えますが、つながっています。婚約前のおとめを誘う事は、悪いとわかっていても行うことです。これは神に従う行動でしょうか?それとも、自分の欲に従う行動でしょうか?
人がエデンで誘惑されたとき、どの声に聞き従いましたか?思い出してください。
また、性的な事と呪術、また偶像礼拝はセットで行われることが多いです。私たちの身の回りでもこういう罠が潜んでいるかもしれませんので、聖霊様の声に敏感になって聖さを保っていきましょう。そして、自分の欲に従うのではなく、忍耐を学び、自制の実を結んでいきましょう。

21-27節では、弱いものに対する接し方が書かれています。私たちは何も考えないと、弱いものを虐げる性質があるのではないと思います。現代の言葉ではその事を「マウントを取る」などと言うそうです。
例えば、相手の身につけている時計を褒めますが、実は自分の時計の方が価値があると言って相手を恥ずかしい思いにさせたりする事です。一言で言えば自慢ですね。これは相手をおとしめて、自分が高くなろうとする性質です。
在留異国人は、生活するときに肩身が狭い思いをしているでしょう。ただでさえ大変なのに、彼らにマウントを取って不当に苦しませるなら、今度は主が虐げた者に対して復讐されます。神様のさばきは恐ろしいです。
また、貧しい人にお金を貸すときの規定も書かれています。それはどのようにすべきと書かれていますか?
また、マタイの福音書18章23-35節を読んで、ここと比較してみましょう。

28節は神とリーダーが書かれています。ローマ13:1を見てみましょう。どう思いますか?みなさんはこのことを実践できていますか?

29-30節は主への捧げ物です。これらは遅らせてはならないと書いています。第一の者を最優先にする事が大切です。
そもそも、私たちの持っている物はすべて自分の者ではなく、主のものです。それを自分のもののように勘違いしていることはないでしょうか?主に捧げるのではなく、お返しするという心が大切です。

31節、野で裂き殺されたものの肉は犬に投げ与えると書かれています。正しい方法でほふられたなかったものを自分のものとすることがないようにしましょう。

【23章】律法の適用

続いては訴訟と証言に関してです。公正さが求められています。
また、うわさは本当にやっかいなものです。勝手にあふれ出てきてしまうものですので、口の言葉に気をつけましょう。

4-5節は家畜に関してです。ここでも公平さというか、心の豊かさを見ることができます。ルカの福音書10:30-37を読んでみましょう。

6-8節は裁判に関することです。ここも公平さが求められます。公平さは自分の基準ではなく、神の基準が必要です。だから私たちは毎日みことばを読み神の公平さを学びます。

9節の在留異国人に関することも同じ考えです。

さて、10節からは少し様子が変わります。安息に関してです。土地は年ごと、人は週ごとに安息が求められます。それは何のためであると書かれていますか?

14節からは私の大好きな箇所です。祭りの年間スケジュールです。この三つの祭りはぜひ覚えておいてください。必ずテストに出ます!(笑)祭りは以下の通りです。
・春の過越の祭り(過越、種なしパン、復活)
・初夏の七週の祭り
・秋の仮庵の祭り(ラッパの祭り、大贖罪日、仮庵)

20節からは契約のまとめが書かれています。
ここでは沢山の事を学べますので、じっくり読んでみてください。
一つだけお伝えするなら、28節の「くまばち」に関してです。これは「疫病」また、「失望・落胆」と言う意味です。

【24章】契約の締結

十戒とそれに基づく具体的な事が主から語られました。それに対して民の応答が必要です。
子どもに物事をお願いするときもそうですが、子どもが「わかった」と言っても行動しなければそれはお願いを聞いてくれていないと言うことです。

民は神が語られたことにどのように反応したでしょうか?7節を見てみましょう。

契約の血は祭壇と民にそそがれました。血はいのちです。
このいのちが主の契約を通して神と人とに注がれ、契約が成立します。
12節からは、有名な十戒の刻まれた石の板が出てきます。神様は大切な教えを石に刻まれました。
私たちは記憶に頼ろうとしますが、記憶は案外あてにならないものです。しかし、記録しておくと、あとで助かることが多々あります。今日の恵みも忘れてしまう前に書き記しておきましょう。

14節では、モーセが山に登ります。そして、16節では主の栄光がシナイ山にとどまります。山の上で天と地がひとつになる光景を見ることができます。
その光景は、16節を見ると、イスラエルの人の目には燃え上がる火のように見えたとあります。
私たちが主を礼拝するのを人々が見るなら、そのような光景に見えるでしょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。

 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。

 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。

 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?

 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?

 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?

 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 契約の血は祭壇と民にそそがれました。血はいのちです。
    このいのちが主の契約を通して神と人とに注がれ、契約が成立します。
    感謝します。
    どうしても気になって私なりに調べてみました。

    シナイの光景は神殿の予表している
    燔祭の祭壇が群衆のいるふもとは外庭とありました。
    モーセの幕屋ではなく、神殿?
    ソロモン神殿図を見てもどこが外庭なのか内庭なのか?
    ネットで神殿の外庭内庭と探しているうちに 
    ここで閲覧先を貼り付けられないと思われるので、
    文字で表現します。
    エゼキエルにある千年王国時代の新しい神殿に行きつきました。
    山のふもとは、神の臨在の象徴、主の犠牲の象徴である祭壇でそこに血を注ぐ
    そして、半分を民に注ぐ、ここは神殿で言うと外庭
    ここで、主イエスが犠牲になられて十字架で血を流され命をもって人々の罪を贖われた。
    サタンの支配から、すべての呪いから、贖ってくださったところ
    感謝いたします。
    そして
    70人の長老たちが登って行き、神を見た場所が神殿の内庭
    不思議なのですが、神ご自身を見て食べたり飲んだりしたとは?
    神を見て食事をしたとは、交わりを意味するから、神に礼拝したということでしょうか?
    そして、モーセはさらに神のおられるさらに山の上に登って行った、そこが至聖所
    この時代にも血をもってなされていたのですね。
    恐れ多いですが、主イエスが命をかけて開いてくださった道なので、
    私たちはこの至聖所まで登って行く者でありたいと願います。
    一つでも守れないものがあればアウトである律法を人は守ることは不可能、
    でも新約の時代は完全な主イエスの血潮によって、聖められ贖われていることに感謝しかありません。

    すみません・・・ここまで・・・
    ただネットで調べて・・・
    知ったかぶりのような気がします
    幕屋や神殿に詳しい方にお願いします
    まちがっていたら本当にすみません。
    ここは間違っていると正してください。
    先生に教えていただきたいのですが
    モーセの幕屋と、ソロモン神殿の違いは?
    その霊的意味は? 新約に生きる私たちへの適用は?
    神とお会いする場所の形がどうして二つあるのか?
    ダビデの幕屋は、預言的天の礼拝の場所と学びました。
    第三神殿はまだ建てられていなくて、
    将来には建てられ反キリストが座すと言われているところですね?
    エゼキエル40:1-49にあるのが第四神殿で、新しいエルサレムの神殿なのですね?
    ということは新しいエルサレムにも祭壇があり、
    主イエスの血潮は今も将来も永遠に生きているということですね?
    黙示録4章5章の天の礼拝にも、血潮と、み言葉、そして祈りの
    キーワードがありましたね
    永遠に主イエスの血潮が私たちには必要なのですね。
    モーセの幕屋 ソロモン神殿 
    きっと意味があって二つあったのだろうと思われます。
    なぜか、こういうことにこだわってしまって、
    私って、変わっていますよね
    でも憧れの思いがあるのです。
    父なる神様、イエス様に関することは何でも知りたいです。
    第三神殿 第四神殿の
    つくりのちがい、意味の違い
    そして・・・
    いつか、もっとゆっくり調べたいなと思います。

    日々自分自身の中に、愛がないことを痛感し
    また主の戒めの一つでも忠実に守れていないものだと思わされ、
    小さく消えていくような存在であることを思います。
    本当に消えていくように願います。
    我が強くて、なかなか自分が消えない者ですけれど・・・ (*_*;
    でも こうして、聖書を朗読し学び、祈りを続けることで
    イエス様の存在が私の中で、
    日々大きくなっていくことを感謝します。

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