シャローム!
モーセという人物は神様から使命を与えられても、何度も何度も言い訳をしてその使命を受けようとはしません。しかし、そのたびに主は励ましてくださり、ひとりの人物を通して主の御旨をなされていくことを読まれたと思います。
これはモーセだけに限った話ではありません。私たち一人ひとりにも神様から使命があり、それをなしえていくことで御国がこの地に広がっていきます。
今日から十の災いが始まっていきます。その中から学べることは何でしょうか?知恵と啓示の御霊を歓迎し、みことばを開いていただきましょう。
今日の通読箇所:出エジプト記7章~9章
■アウトライン
エジプトへの災い
●主のなさる不思議:7章
・命令への応答:1-7節
・蛇に代わる杖:8-13節
・(1)血の災い:14-25節
●苦しむパロとかたくなさ:8章
・(2)かえるの災い:1-15節
・(3)ぶよの災い:16-19節
・(4)あぶの災い2:20-32節
●主の御力:9章
・(5)家畜の疫病の災い:1-7節
・(6)腫物の災い:8-12節
・(7)雹の災い:13-35節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【7章】主のなさる不思議
モーセは自分の口べたを理由に神様からの使命を断り続けますが、優しい神様は様々な励ましと具体的な助けをしてくださいます。
1節には口が達者なモーセの兄、アロンを立ててくださいました。
兄弟の協力によって、神様の御心がこの地になされ、神様の方法によって、この後、歴史的な出エジプトが達成されていきます。
この後、神様がパロの心をかたくなにされるゆえに、エジプトに十の災いが下ります。その準備段階のようなことが8節から行われていきます。
ヨセフの夢の解き明かしのとキモそうでしたが、神様はこのように小さな事から始めて、やがて大きな事を達成させてくださるお方です。
小さな事に忠実な物は大きな物にも忠実です。
神様がモーセに対して、最初にパロの前で行ったことは何でしょうか?それは神様がホレブの山でモーセに対して一度練習してくださったことでした。
人は初めて行うことはドキドキしますが、モーセはこのことを一度神様の御前で経験しているので、自信満々で行えたでしょう。この最初の成功体験はとても重要です。
子どもや部下がいるときには、自分の前で練習させて、それを人前で行わせることで成功体験をし、自信を持ってチャレンジしていけると思います。
しかし、それを自分のオリジナルの方法で行ってはいけません。10節にモーセとアロンはどのように行ったと書かれていますか?
11節でパロはどのように反応しましたか?12節ではその後どうなりましたか?その結果、パロの心はどうなりましたか?
これから十の災いがはじまっていきますが、この災いはパロの心を柔らかにするためでなく、どんどんと強情にしていくためです。「強情と」は「鉛のように重く、テコでも動くことがない」という意味があります。この目的は、パロの心がかたくなになることで神の御手が働き、出エジプトすることでイスラエルの人々が主を信じるようになるためでした。
さて、14節からは第一の災い、水が血に変わる奇跡です。
パロは朝、水の所に出てきていました。ここでの水はナイル川の事です。ナイル川は植物を豊かに育てる肥沃な土と水を運んでいました。つまり、エジプトでは命の源と考えられていました。パロはそれを偶像とし、毎朝礼拝しに出てきていました。
その水が血に変わり、魚は死に、水を飲むこともできなくなります。19-20節で、誰がどのようにして水を血に変えましたか?それは難しい行動でしたか?
これは神様のなされたことでした。ところが22節を見てください。エジプトの呪法師も同じ事を行ったとあります。どうして自分で自分の首を絞めるようなことをするのか不思議です。この奇跡を行ったら自分の飲む水がなくなってしまうと思いませんか?
それでもやはり、パロの心はかたくなになりました。
【8章】苦しむパロとかたくなさ
再び主はパロの元にアロンとモーセを遣わします。そして、今度は生かせないとどうすると言われていますか?2-4節を見てみましょう。
5-6節では、どのようにこの奇跡が実行されていきますか?それは難しい行動ですか?
7節では、エジプトの呪法師もこの奇跡を行うことができたと書いています。やはり、自分で自分の首を絞めているようにしか思えないのですが、そう思うのは私だけでしょうか?
みなさん想像してみてください。みなさんの寝室がかえるだらけになったらどうですか?生臭いですよ。ケロケロうるさいですよ。耐えがたい光景ですね。
パロもそれに耐えかねて、今度はモーセに祈ってくれと言ってきます。モーセは祈りが神様によって聞かれたということを強調するために、パロに対して「いつ祈ったらいいか」と問うと「明日」と答えます。ということは、一晩かえると共に過ごしたんですね。私なら「今すぐ」と答えると思うのですが…。
12節で、モーセはどのように祈ったと書かれていますか?このような祈りが大切です。つたなくてもいいです。たましいの叫びを祈りとして主の御前に捧げてみましょう。その祈りに主は答えてくださいます。16節からは第三の災い、ぶよが出てきます。ぶよは体長4mmくらいの小さな虫です。ハエよりも小さく、噛みつかれると皮膚を破るので出血してしまいます。そして、痛みとかゆみが残ります。
主は16節でアロンにどのようにしろと命じていますか?それは難しい行動ですか?主は何を打てと命じられていますか?
18節では、エジプトの呪法師も同じ事をしようとしますができません。先の奇跡とこの奇跡の違いはなんでしょうか?どうしてエジプトの呪法師はこの奇跡を行うことができず、「これは神の指(神の御業)だ」と言ったのでしょうか。
答えは、主でなければどんなに小さな生き物でもいのちを与えることができないからです。
20節からは第四の災い、あぶの災いです。あぶは体長2cmほどの虫です。刺されると腫れ上がり、とても痛いです。
ところが今までと違うことが起こります。22節を見てください。それはどういうことですか?これを私たちに当てはめることはできますか?
ここでは、いままでと違った形で実行されていきます。杖を用いることなく、「言う」ことで実行されていきます。神がすべてを創造された時のようです。宣言には力があります。
23節に救いが書かれています。それはどういうことでしょうか?
この奇跡にはパロの心も動きます。礼拝の許可が出ましたが、限定的なものでした。それはどういうことでしょうか?
しかし、イスラエルの人々のいけにえはエジプト人にとっては忌み嫌うものでしたので、エジプト内では礼拝はできないと答えます。
それでパロは28節で出て行く許可を与えますが、その交換条件として祈りを求めます。
30節で祈った祈りは聞かれますか?パロはこの約束を果たしましたか?悪魔ははじめからうそつきです。
【9章】主の御力
第五の災いは疫病です。私たちにとって非常によくわかる状態ではないかと思います。もっとも、ここでは家畜の疫病です。
4節、主はこの災いでどうされましたか?
私たちは主の故に家畜、持ち物、家、交通手段も守られることと感謝します。
続いては第六の災い、腫物です。
モーセは神様の戒めに従ってかまどのすすを天に向けてまき散らします。するとそれはうみの出る腫物となりました。
11節には、そのために呪法師はパロの前に出ることができないと書かれています。なぜかというとエジプトの呪法師は潔癖なまでに清潔にしていました。一日に何度も沐浴し、体中の体毛をそり落としていたほです。その彼らに腫物ができたのですから大変です。
第七の災いは雹です。ここで興味深いことがあります。20節には興味深いことが書かれています。この一節を読んで何を感じますか?
また、21節を見てどう思いますか?
27節に、パロは「私は罪を犯した」とありますが、これは悔い改めという意味ではなく、間違った、ミスったという意味です。
どこまでも高ぶり、強情な姿を見ることができます。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
主イエスの十字架の血潮の故に、罪赦され、贖われていることを感謝したします。主の民となり区別され、特別に扱われていることを感謝いたします。
前もお伝えしたのですが、
毎年春になると入院手術をしています。
もしかして、と思っていることがありました。
過去に妊娠していた時、病気になり、
医師や周りの人から今回はあきらめた方がいいと忠告され
堕胎した経験があります。それが春でした。
なので、祈っていても、私は癒されてはいけないのでは
と考えてしまうところがあったような気がします。
「これは私の罪なので私が引き受けます」
と癒しの祈りをしていただく前にお伝えしたところ
癒しの祈りは癒されると信じて祈ればいいのです
主イエスの贖いの御業は、そんなもんじゃないです
完璧なのです。あなたの罪はすでに赦されています
サタンに誘導されないように気を付けなければなりません。
と言ってくださり、心の傷も癒されるようにと祈ってくださいました。
そして、
イザヤ書43章のみ言葉の預言を受け取りました。
イザヤ書43章全体をいつも反芻しています
絶対に忘れたくないので
神の御子にます の聖歌618番でみ言葉そのままを替え歌にして
暗記しようとチャレンジしています。
わたしの民は特別に扱い、贖うという
今日の個所でも、ここを深く思い起こしました。
私を創造した方、私をかたちづくった方が
恐れるな、わたしがあなたを贖ったからだ
と言われることを感謝したします
主は私の名を個人的に呼んでくださり
あなたは私のものと言ってくださること感謝いたします。
私はあなたの神、主
イスラエルの聖なる者
あなたの救い主であるからだ
わたしの目にはあなたは効果で尊い
わたしはあなたを愛している
恐れるな、私はあなたとともにいるからだ
わたしの名で呼ばれるすべての者は
わたしの栄光の為に
わたしがこれを創造した。
これを形造り、またこれを造った
・・・
あなた方は私の証人、
主のことば
わたしが選んだわたしのしもべである
・・・・
(主のしもべとして遣わしてくださること感謝したします。)
わたし、このわたしが主であり、
ほかに救い主はいない
(主よ、この大切なことを私が忘れることがありませんように)
海の中に道を
激しく流れる水の中に道を設けられる方
戦車と馬、強力な軍勢を引き出した主はこう言われる
彼らはみな倒れて起き上がれず、
燈心のように消え失せる
先のことを心にとめるな
昔のことに目を留めるな
見よ、私は新しいことを行う
今、それが芽生えている。
あなた方は知らないのか
必ず、私は荒野に道を、荒れ地に川を設ける
・・・わたしのためにわたしが造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝える
・・・
感謝いたします。
み言葉の洗いをもって聖められ
主イエスの十字架の血潮で衣を洗い、
主の民となり、贖いの中に入れられ、
主に守られている神の子であることを
忘れることがありませんように
主の栄誉が現れる者となりますように
アーメン