シャローム!
ついに、ヨセフの人生での最大の感動の場面を迎えます。神様も私たちが心から自分の罪を認めて、それを神に告白するなら、それを天から親しくご覧になって、耐えられなくなって救いの御手を差し伸ばしてくださることでしょう。
そして、新しい地に引っ越して住むということはドキドキと不安が入り混じったような特別な感覚がありますね。この春、そのような経験をされた方もおられると思います。
今日はヤコブとその家族が民族大移動をする場面です。兄弟たちの悔い改めの実を見る場面です。一体、エジプトで彼らはどのような待遇を受けたのでしょうか?
今日もみことばから教えられ、神の道に立ち返りましょう。
今日の通読箇所:創世記45章~47章
■アウトライン
いざエジプトへ
●兄弟への告白:45章
・ヨセフが身元を明かす:1-15節
・イスラエルへの報告:16-28節
●エジプトへの旅路:46章
・ベエルシェバ:1-7節
・エジプト移住の家族:8-27節
・ゴシェンの地:28-34節
●エジプトへの移住:47章
・パロへの家族紹介:1-12節
・民の飢饉の訴え:13-19節
・ヨセフの采配:20-26節
・イスラエルの遺言:27-31節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【45章】兄弟への告白
ダムは水を蓄えておく場所ですが、その壁に小さな穴が開くなら、水はそこから流れ出し、ダムは崩壊してしまいます。
まるでダムが決壊したように、今までためにためたヨセフの気持ちがユダの叫びによってあふれ出します。
もし私たちも自分の立場を正直に認め、それを神に訴えるなら神の心は動かされるときがあることを覚えましょう。
1節ではヨセフのそばに立っているものは何人いましたか?ここからイエス様の十字架の姿を想像できますか?
いい大人が声を上げてなく場面が書かれています。しかも、一国の大臣です。これを聞いた側近の人たちはどう思ったでしょうか?
ここからイエス様が十字架の上で叫ばれた場面を想像できますか?
3節、兄弟たちの反応からその驚きが見て取れます。それはそうですよね?今までの自分たちへの仕打ちからして、まさか目の前にいるエジプトの大臣が弟とは、想像だにしないでしょう。
しかし、私たちの目は簡単に曇ってしまいます。いつもそばにいてくださるイエス様を忘れてしまうことがあります。イエス様はいつも「わたしはそれです(わたしはあるというものである)」と、私たちのそばで語ってくださっています。この恵みに気づいているでしょうか?
4節からは、大臣と奴隷という立場から兄弟としての親しい会話に移っていくように感じます。おそらく今まではわざとエジプト語で話していたヨセフはここでヘブライ語に切り替えて話したのではないかと思います。
6-15節の間で、ヨセフは兄弟に対してどのように接していますか?そこに恨みはありますか?兄弟への復讐の念はありますか?
また「神」という言葉は何度出てきますか?
誰がヨセフをここまで導いたのでしょうか?
16節からはパロにヨセフの家族が来たことが紹介されています。その時、パロと家臣たちはどのような反応をしましたか?どうしてそのような反応をしたのだと思いますか?
一国の王が一家族のためにこれほどの事をするでしょうか?それほどヨセフはエジプトに貢献していたのでしょう。パロとエジプトの人たちは実際の飢饉を体験し、ますますヨセフとヨセフの信じている神を恐れたはずです。
21節からはヤコブにこれら一連の事が伝えられます。その時、お土産を持たせますが、ベニヤミンだけ特別多いものをもらっています。
おそらく、ヨセフはベニヤミンに自分の姿を重ねたのでしょう。これまで苦労してきたことの報いを自分とベニヤミンに送っているのかもしれません。
24節、ヨセフの賢さと愛を見ることができますか?彼らは道中、何を言い争うと思いますか?「自分がこの兄弟のひとりならどうか」という立場に立って考えてみてください。
25節でヨセフの生存がヤコブに伝えられます。その時の父ヤコブの反応はどうでしたか?
あまりにも驚いたとき、このように反応してしまうことがあります。
死んでいたはずの息子が生きている。復活のよろこびがここにあります。
あまりにも突然の展開で、ヤコブは混乱してしまったかもしれませんが、当時、最高級、最新鋭の車(車と言っても馬やロバの引く馬車のようなものですが)を見て、ようやく現実を受け入れ始めたのでしょう。
28節とそれ以前で、父の名はどうなっていますか?
息子の死を悲しんでいる期間は肉の名前でしたが、復活の信仰を得た父は新しい名前に戻されました。ルカの10:20にはどのように書かれていますか?開いて確認してみてください。
【46章】エジプトへの旅路
いよいよ家族の大移動が始まります。現代でも引っ越しは大変ですが、大人数での長距離移動です。このときの引っ越しはどれほど大変だったでしょうか。
しかし、パロは「家財に未練を持ってはいけない」と言ってくれていました。そう考えれば、少し楽だったかもしれませんね。
バタバタの移住計画の中で、もしかしたらヤコブは神の存在を忘れかけていたのかもしれません。
しかし、ベエル・シェバに来たとき、アブラハム、イサクの事を思い出し、急激な神への飢え乾きを覚えました。
エジプトに下ることは当時、カナンに住む人々にとってタブー視されていました。アブラハムがエジプトで失敗したことによります。
だから、イスラエルと家族は本当にエジプトに下ってもいいのか、神の御声を求めたのではないかと思います。
いけにえをささげたヤコブに神様は答えてくださいます。
2節で神様はヤコブの名を何度呼んでいますか?
3-4節の神様の約束はどういうものですか?神様が「しなさい」と言われたなら、それに自分の感情が伴わなくとも従うことが大切です。特に4節の神からの言葉は、実際にこの後実現していきます。
8節からは家族名があげられていきます。
11節のレビの子たちは、この次の出エジプト記で活躍する人たちです。
使徒の働き7:14で、ステパノが証をしている中で、「ヨセフは人をやって、父ヤコブと75人の全親族を呼び寄せた」とあります。
エジプトに上ったのは70人のはずなのに、どうして数がずれてしまっているのでしょうか?
それはマナセとエフライムの息子と孫の数が足されているからです。
28節、ユダが家族のリーダーとして家族を導いている姿を見ることができます。しかし、思い出してみてください。ヨセフを売ろうと言ったのもユダです。ユダは本当に悔い改めて、変えられたという姿を見ることができます。この子孫から救い主が出てきます。
29節では、感動の父との再会です。続く30節に父の喜びが表現されていますが、それはどれほどの喜びだったでしょうか?
不思議なことですが、エジプトでは羊は嫌われた動物でした。おそらく、高い文明を持ったエジプトの人は羊や羊飼いをさげすんでいたのかもしれません。
しかし、それが幸いして彼らはゴシェンという地に彼らだけのコミュニティーを形成することができました。その結果、彼らはエジプト人から隔離され、たくさんの子孫をもうけることができました。
ヨセフはエジプトの地形を知り尽くしていたので、彼らがここに住むのが一番良いと考えていたのでしょう。パロの前に出たときにどう言うかを家族にあらかじめ教え、便宜をはかります。
【47章】エジプトへの移住
イスラエルとその家族はいよいよエジプトに定住します。ヨセフは兄弟の中でも5人を選びます。そして彼らをパロの前に連れて行きます。4節で、彼らは「エジプトの地に寄留する」と言っています。「永遠にここに住むわけではない」という意思を感じます。
パロは彼らの申し出以上の返事をして、「最も良い地に彼らを住まわせなさい」と言います。そして、優秀なものにはパロの家畜を飼うという仕事まで与えます。
続いてはヨセフの父ヤコブがパロと対面します。その時、7節と10節で「あいさつした」とありますが、原語の意味では「祝福した」とあります。
ひとりの人がエジプトという大国の王を祝福したのです。一般的に祝福というのは上位の者が下位の者を祝福します。
この場面では、地上の目で見るなら、パロがヤコブを祝福すべきです。ところが実際はその逆でした。神の民はイエス・キリスト故に、あらゆる人を祝福できる特権を与えられていることを感謝します。
だからといって、私たち信じる者が偉いと言うことではありません。へりくだりと愛が必要です。その事は注意しておきましょう。
ヨセフの策略はうまくいき、こうしてヤコブの70人の家族はゴシェンの地に住み着きます。
13節からは、ヨセフのビジネスセンスを見ることができます。14節で、まずはじめにどのような方法をとりましたか?
それも尽きた時、16節でどのような次の手を打ちましたか?最後は民からの申し出でしたが、どうしましたか?
21節ではさらにヨセフの采配の腕が光ります。飢饉で苦しむ人々を一カ所に集めます。そこで何をするのでしょうか?23節を見てみましょう。
ここで「人を集めた」とありますが、原語では「奴隷とした」と言う意味もあります。しかし、奴隷と言っても私たちの想像する奴隷ではなかったようです。
ヨセフはその後、税金制度を制定します。五分の一はパロのものとするということは、税率20%です。しかし、福利厚生はしっかりしていたようです。悪くない税率ですね。
数字だけ見たら結構な税率ですが、民は文句を言っていたでしょうか?25節を見てみましょう。ヨセフの行政は大成功であり、人々からも慕われていた指導者でした。それは誰のおかげでしょうか?考えてみましょう。
27節からは、ヤコブの最期の時期が書かれています。28節を見ると、ヤコブはなおもゴシェンの地で17年も生きていたそうです。最期を息子たちと共に、楽しく暮らしたことでしょう。
しかし、彼はそれでもエジプトの地に葬られることを拒否しました。ヘブロンの私有地に葬られることを望みます。この約束は厳粛なものでした。手をももの下に入れる約束は厳粛な儀式でしたね。
ヨセフはこの約束を守ると伝えます。31節でヨセフはどのように反応したでしょうか?
ヘブル11:21では、「信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。」とあります。
つまり、イスラエルは単に床から起き上がれなかったのではなく、神を恐れ、自分の信仰を振り絞り礼拝したのです。
私たちにもこれほどの信仰があるでしょうか?
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。