聖書通読クラブ Day 270

聖書通読クラブ Day 269【アモス書 4章-6章】

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シャローム!

主は虐げられている者の味方です。お金や権力のある者は、力で弱い人々を虐げます。しかし、それは本当のリーダーの姿ではありません。どうして彼らは人々を虐げるのでしょうか。そこには孤児の霊が働いています。自分は持っているはずなのに、いつまでも「無い、無い」と思って、もっとお金を、もっと権力をといって、人々を虐げてまで得ようとします。
しかし、主はいのちを得たい者はそれを失いなさいと言われます。主のために失うなら、主が与えてくださいます。この当時の権力者は自分の事しか考えていませんでした。その結果、どのような刈り取りがあるでしょうか。今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:アモス書 4章-6章

■アウトライン

●悔い改める事ができない民:4章
  ・釣り針にかけ引いていく:1-3節
  ・ますますそむけ:4-5節
  ・わたしのもとに帰って来なかった:6-11節
  ・神に会う備えをせよ:12-13節

●公儀を捨てる:5章
  ・哀歌:1-5節
  ・主を求めて生きよ:6-7節
  ・時代が悪いから:8-13節
  ・善を求め悪を求めるな:14-15節
  ・嘆きが起こる:16-17節
  ・主の日はやみであって光でない:18-20節
  ・祭りを憎み退ける:21-24節
  ・キウンの像をかついでいた:25-27節

●宮殿での贅沢な暮らし:6章
  ・暴虐の時代を近づけている:1-7節
  ・ヤコブの宮殿を憎む:8節
  ・だれもいない:9-10節
  ・一つの民が攻める:11-14節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】悔い改める事ができない民

・釣り針にかけ引いていく:1-3節
サマリヤの宮殿に住む裕福な人、酔いしれる婦人たちを「バシャンの雌牛」と読んでいます。
2節で主はご自分の聖にかけて誓われています。それはその日がやってくるということです。弱い者が虐げられているの見るのが耐えられないのです。それで、主は彼らを釣り針にかけて引いていくと言われていますが、文字通り、北イスラエルがアッシリヤによって捕囚された時、彼らはまるで家畜のように花や口にかぎ輪を付けられて引いて行かれました。

・ますますそむけ:4-5節
主はベテル、ギルガルに言って「そむけ」と言われています。どうしてそのような突き放すような事を言われるのでしょうか。それは「あなたがたはそうするのを好んでいるからだ」とあるように、彼らは主の語りかけを聞かず、好き勝手していたからです。主を持ってしても、強引に人の心を変えることはできません。ですから、彼らをなすがままにするしかありません。

・わたしのもとに帰って来なかった:6-11節
しかし、主は本当に良いお方です。彼らに気づきを与え、自分たちから主のところに帰ってくることができるよう、様々なしるしを与えられます。
この箇所は申命記の28章と29章に書かれている事柄です。モーセはヨルダン川までイスラエルの民を導きました。そしてもう一度、念を押すように律法を教えます。そして、主の命令に従うなら祝福を、従わないなら呪いを置くと言います。この事をアモスは人々に思い起こさせています。
この箇所を読むとき、主の愛を感じます。徐々に語り、それでもあなた方はわたしのもとに帰って来なかったと言われています。彼らの心に寄り添いながら、徐々に確信に迫り、それを気づくことができるように語っています。神の慈愛が人々を悔い改めに導きます。

・神に会う備えをせよ:12-13節
主は5章で具体的な事をされます。そのために民がしなければならないことがあります。それが神に会う備えです。悔い改め、自分の身をきよめる事です。

【5章】公儀を捨てる

・哀歌:1-5節
ここで、アモス書で何度も語られている「聞け」と言うことばが書かれています。イスラエルに対して哀歌が語られます。哀歌は人が召された時に唱えられるものですが、イスラエルが倒れるのでこの歌を歌います。
4章の最後で神に会う備えとありましたが、それは具体的にはアッシリヤ捕囚の事でした。二度と起き上がれないほど根こそぎに捕らえ移されます。そのことを通して、主に対する飢え乾きが起こります。
それで「わたしを求めて生きよ」「主を求めて生きよ」と言われています。アモスが最も伝えたかったことでしょう。私たちにも必要なことばです。

・主を求めて生きよ:6-7節
もし主を求めないなら、消すものがいないほどの火が下ります。主以外に助けを求める者の結果です。
彼らは公儀を苦よもぎに、正義を地に投げ捨てます。裁判の席では正しいさばきがなされなければなりませんが、彼らはそれを曲げていました。そのことを苦よもぎと言っています。本来、人のために設けられたこれらのルールが人を虐げる手段として用いられています。正義を守るための制度が不義へと変わっていきます。どうしてそうなるのでしょうか。彼らの矢印がいつも自分に向いているからです。自己中心です。

・時代が悪いから:8-13節
主はご自身の偉大さを具体的な被造物を持って示されます。不義や不正で苦しめられている者のために主が立ち上がって下さいます。
門は当時の行政や裁判所のような役目を果たしていました。そこでさばく者は賄賂を受け取り、貧しい者たちを虐げていました。
このような中で声を荒げても、逆に自分が不利になるだけです。本当に知恵のある、賢い者は沈黙します。それは忍耐のいることですが、自分を守る手段でもあります。

・善を求め悪を求めるな:14-15節
ここでは悔い改めが呼び掛けられています。6節では主を求めることが言われていましたが、ここでは善を求めよと言われています。主を求めることと善を求めることは同じです。なぜなら主は良いお方だからです。「そうすれば生きる」と書かれています。そして、主が共にいてくださいます。

・嘆きが起こる:16-17節
すべての広場に嘆きが起こります。敵がやってきて畑が荒らされます。そのことで農夫が嘆きます。その時、主がかれらの中を通り過ぎると書かれています。まるで過越の十番目の災い、初子の死のとき、死の霊が通り過ぎた時のようです。

・主の日はやみであって光でない:18-20節
アモスで続く「ああ」という感嘆は、「災いだ」という意味です。彼らは主が共に立って戦って下さると思っていました。しかし、彼らは主の願い通りを行っていません。そこで、主は敵ではなく彼らに対して戦われます。光が来ると思っていたら闇が来ました。それはヘビに噛みつかれるように、突然やってきます。

・祭りを憎み退ける:21-24節
主は彼らが祝う祭りを憎み、退けられます。イザヤ書の1章でも主は礼拝を嫌われています。いけにえのにおいを嗅ぎたくないと言われます。ここでも主はいけにえを喜ばれず、琴の音も聞きたくないと言われます。祭りの光が闇となります。イエス様の十字架の時は過越の祭でしたが、その時、昼に闇がもたらされたことを預言しているようです。
24節では水の流れと義が書かれています。これは悔い改めです。自分の中から公儀と正義を流し出すことはできません。私たちが主のところに立ち返るとき、主は私たちを御霊で満たされ、私たちの内から公儀と正義の水が溢れ流れ出します。

・キウンの像をかついでいた:25-27節
キウンとは天体を拝む神の名称です。イスラエルの家に対して、かつて彼らの先祖が荒野で金の子牛を造って礼拝していた、そのことと同じ事を行っていると言われています。

【6章】宮殿での贅沢な暮らし

・暴虐の時代を近づけている:1-7節
サマリヤの山と書かれている北イスラエル、そしてシオンと書かれているユダも向けて語られています。彼らは自分たちのことをどのように思っていたでしょうか。「行って仕える国々の最高の首長たち」と自負しています。彼らは周辺諸国より優れていると思っていましたが、北イスラエルはアッシリヤが、南ユダはバビロンが来て滅ぼされます。彼らの思い込みがそうさせました。私たちも注意する必要があります。キリスト者が未信者に勝っていると言うことは必ずしもないからです。いつもへりくだる心が大切です。
彼らは自分たちの富や力をもって、わざわいの日を押しのけていると思っていましたが、実際は暴虐の時代を近づけているだけでした。
4節からは彼らの生活ぶりが書かれています。象牙の寝台に横たわっています。おいしい肉を食べています。楽器を奏でています。ダビデは主を礼拝するために楽器を作りましたが、彼らは単なる余興のために楽器を用いています。

・ヤコブの宮殿を憎む:8節
主がついにここで「その宮殿を憎む」とまで言われました。主は高ぶる者にこのように報いられます。全ての最高権威者はヤハウェなる神です。このお方を差し置いて高い地位に立とうとする者を主は罰せられます。主が嫌われるのは高ぶりです。

・だれもいない:9-10節
ここの最後には「主の名を口にするな」と言われています。どうしてでしょうか。もし、彼らがこのような状況で主の御名を口にするなら、主からの罰がさらに与えられ、自分自身が苦しんでしまうからです。

・一つの民が攻める:11-14節
主はそのように悠々と暮らしていた者の家を打ち砕かれます。そのようにして、彼らの贅沢を取り上げられます。彼らが主を主を退けたので、主も彼らを遠ざけられます。
そして、13節には「ロ・ダバルを喜び」とあります。これは「つまらないもの」という意味です。また、カルナイムとありますが、これは「力(ちから)」という意味です。つまり、彼らの力はつまらないもの、むなしいものと言うことになります。
このような事を通して、主が主であることを示されます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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