シャローム!
今日からアモス書に入ります。アモスとは、「重荷」という意味です。彼はイスラエルの国が犯してきたあらゆる不正、神へのそむきに対して重荷を負っている預言者です。
彼の語ることは一貫しています。この通読の中で、何が一貫しているかを受け取っていきましょう。
今日の通読箇所:アモス書 1章-3章
■アウトライン
●刑罰の警告−1:1章
・ダマスコのそむきの罪:1-5節
・ガザのそむきの罪:6-8節
・ツロのそむきの罪:9-10節
・エドムのそむきの罪:11-12節
・アモン人のそむきの罪:13-15節
●刑罰の警告−2:2章
・モアブのそむきの罪:1-3節
・ユダのそむきの罪:4-5節
・イスラエルのそむきの罪:6-8節
・預言者をおこしたのに:9-16節
●召命:3章
・あなただけを選び出した:1-8節
・宮殿に告げて言え:9-15節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】刑罰の警告−1
・ダマスコのそむきの罪:1-5節
ヨエルに関しては、とても詳しく背景が書かれています。テコアとは、エルサレムから南に下ったところにある町です。そこには目立った特産品もない小さな町です。そして、アモスは牧者でした。エゼキエルは教育を受けた祭司です。ダニエルは王族と共にいました。しかし、アモスは平凡な一般の目線から神の預言を語りました。
彼が預言をしていた時代は、ユダもイスラエルも非常に栄えた時代でした。そして、この時は「地震の二年前」と書かれています。アモスが預言し、その後彼の語った主の刑罰を予兆させるような大地震が起こりました。人々の恐れはどれ程だったでしょうか。
ヨエル書でもシオンから声があると書かれていましたが、アモスもそれを記しています。彼はそのことで「牧場はかわき」と書いています。実に彼の生活に即した表現です。それだけではなく、「カルメルの頂」もかれます。カルメルはエリヤとバアルの預言者が対決した山です。その地域は地中海から吹き上げる湿った風でいつも緑が豊かです。しかし、主の声が発せられることで、そこすら枯らせてしまうのです。そして、ここからアモスはイスラエルの周辺諸国に神の刑罰を宣言していきます。最初はダマスコです。3節からを見てみましょう。
ダマスコは今のシリヤ、かつてはアラムの首都です。これから繰り返される表現ですが「三つのそむきの罪、四つのそむきの罪」ということばがあります。一つではなく、重ねてそむきの罪があるというg表現です。
では、ダマスコの罪は何でしょうか。それは「鉄の打穀機でギルアデを踏みにじった」ということです。シリヤの王ハザエルが攻め込みました。彼がまだベン・ハダデのしもべであった時代、エリシャが彼を見つめて次のように預言しています。「私は、あなたがイスラエルの人々に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたは、彼らの要害に火を放ち、その若い男たちを剣で斬り殺し、幼子たちを八裂きにし、妊婦たちを切り裂くだろう。」(2列王記8:12)
ハザエルは気弱な男でしたが、この預言を聞き王ベン・ハダデが寝ているときにぬれた毛布を彼の顔の上に置き、殺してしまいます。そして、エリシャが預言したとりにギルアデを攻めました。
その結果、彼らはさばかれ、ダマスコがアッシリヤによって捕らえ移されます。
・ガザのそむきの罪:6-8節
続けてはガザです。ペリシテ人の町です。「すべての者を捕囚の民として捕らえ移し、エドムに引き渡した」と書かれている出来事はユダの王がヨラム、アハズの時代に起こったことだと思います。
ペリシテ人が捕らえたユダヤ人をエドムに売り渡しました。エドムはヤコブの時代からの確執があり、ユダヤ人をひどく憎む民です。このことのゆえにさばかれます。先もそうでしたが、ここでも宮殿を焼き尽くします。アッシリヤがペリシテを攻めます。続けてギリシヤのアレクサンダー大王もガザを攻めます。そして最後にはハスモン朝のアレクサンドロス・ヤンナイオスがガザを攻め、ペリシテ人は殺されてしまいます。
・ツロのそむきの罪:9-10節
三つ目はツロです。イスラエルの北にある町です。ツロのそむきは上のペリシテと同じです。捕囚の民を売りました。しかし、ペリシテとの違いがあるのに気がつくでしょうか。それは「兄弟の契りを覚えていなかった」ということです。
ツロの王ヒラムはダビデの時代から続いていた友情のゆえに、ソロモンと契約を結びました。それにも関わらず彼らを売ります。わかりやすく言うと契約違反、裏切ったのです。ここでも宮殿が焼き尽くされると書かれています。
実際、ツロに対してはバビロンのネブカデネザル、そしてギリシヤのアレクサンダー大王が攻めました。
・エドムのそむきの罪:11-12節
四つ目はエドムです。ヤコブの兄、エサウの末裔です。先にも書きましたが、ツロやガザがユダヤ人を売りましたが、それを買ったのがエドムです。なぜ彼らはイスラエルの民を買い取ったのでしょうか。それはこの一点、彼らを虐待するためです。エサウの恨みを晴らすために代価を支払って彼らを買ったのです。
その結果、ここでも宮殿が焼き払われます。エドムの中心的な年、テマンとボツラが滅びます。
・アモン人のそむきの罪:13-15節
五つ目はアモンです。アモンは元をたどるとロトにまで至ります。この場所はヨルダン北部です。今のヨルダンの首都、アンマンのあたりだと言われています。
彼らはアラムと同じようにギルアデの町を攻め入り、そこの妊婦たちを切り裂いたとあります。その目的は何でしょうか。「自分たちの領土を広げるため」でした。実に自己中心的です。
その結果、首都ラバが攻められます。その後、バビロンが攻め込み、捕囚されます。ここでも同様に宮殿と城壁が攻め込まれます。そのひどさを「戦いの日のときの声と、つむじ風の日の暴風」と表現しています。
【2章】刑罰の警告−2
・モアブのそむきの罪:1-3節
六つ目はモアブです。死海の東側にあった国です。彼らのそむきの罪は何でしょうか。「エドムの王の骨を焼いて灰にした」というものです。これは列王記第二3章にある、エドムがモアブを攻めた時の出来事と思われます。その中でエドムの王を殺し、骨を焼いたのではないかと思われます。主はそのことについて、激しく怒られています。人はどんな罪人であっても主の創造された作品です。いのちが果てた後でも肉体を不遜に扱うことは主の願いではありませんでした。つまり、この行為は主への冒涜と見なされました。
以上が異邦人、周辺諸国に対する預言です。彼らは異邦人にも関わらず、主の基準でさばかれています。彼らはイスラエルの神について知っていました。それであえてその民に手を出したのです。そのことのゆえにさばかれます。人は自分の蒔いた種の刈り取りをしなければならないのです。
・ユダのそむきの罪:4-5節
七つ目のさばきはユダです。彼らは何にそむいたのでしょうか。「主のおしえ」です。神の民には神の契約、律法が与えられています。この時の異邦人には神の律法は与えられていませんでした。ですから、何が正しく、間違っているかはわからないのです。ところが、ユダとイスラエルは違います。彼らに律法は託されていたのです。彼らが、守らなければ、誰が守るのでしょうか。
ですから、彼らは主の律法に従ってさばかれます。ここに書かれている「まやかしもの」とは偶像礼拝です。律法が与えられている者には神に対する不誠実さのゆえにさばかれます。
・イスラエルのそむきの罪:6-8節
続けては北イスラエルに対するさばきです。ここにははっきりと四つの罪があります。一つは人身売買です。「金のために正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売った」とあります。彼らは貧しくてこのようにするのではなく、富んでいるのにも関わらずにこの事をします。
二つ目は不利な裁判をしています。弱い者、貧しい者、立場の弱い者を踏みにじるような判決をしています。どうしてその様な事が起こるのでしょうか。それは裁判官が賄賂を受け取っているからです。彼らは正しい判断をしなければならないのにもかかわらず、お金に目がくらみこのような不正な裁判がされています。
三つ目は不道徳です。同じ女性のところになんと父と子が通っています。人の道を超えた不道徳です。
そして四つ目は虐げと不敬虔です。宗教行事の中で、主のために生別されたものではなく、質で取った着物や罰金で取り立てたぶどう酒が用いられています。そして、神の宮で酔いしれています。
考えてみましょう。これは神の律法を知っている者が行っているのです。あきらかな律法違反です。
・預言者をおこしたのに:9-16節
かつて、イスラエルの民が荒野でカデシュ・バルネアまで来ました。そこに12人を斥候として約束の地に遣わしました。そこにはカナン人が住んでいましたが、その中でも最も強い者はエモリ人です。彼らは背が高く、非常に恐れられていました。斥候の10人はそのことをさも恐ろしいこととして報告しました。しかし、ヨシュアとカレブは信仰を持って彼らを見て報告しました。結局、彼ら二人と新しい世代が約束の地に入りました。
このアモスの中で、彼らは自分たちでこの富を築き上げたのだと高ぶり、エモリ人と同じような生活をしていました。私たちも気をつけなければなりません。キリスト者と言いながらみことばも読まず、祈りもしない生き方なら、塩が塩気を失ったようなものです。
そこで主はナジル人を起こされました。神のことばを伝える預言者です。彼らはぶどうに関するものを一切食べず、髪も切りません。主に献げられた者として生きます。ところがイスラエルは彼らを拒みました。ナジル人に対しては誓約を破らせ、わざと罪を犯させるために躓きの石を置きました。
それゆえに、「束を満載した車が押さえつける」とあります。イスラエルがどんなに逃げようともアッシリヤの手から逃れられない様子です。富は神を見えなくします。金銭を愛することがあらゆる悪の根です。
【3章】召命
・あなただけを選び出した:1-8節
主はイスラエルの民を特別に選ばれました。その特別な選びを当たり前と思い、感謝をすることを忘れてしまったら、そこに残るのは高ぶりです。それは神を知らない人よりも悲惨な生き方になります。2ペテロ2:21には「義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそくむよりは、それを知らなかった法が、彼らにとって良かったのです。」とあります。私たちも主によって選ばれた者です。そのことを忘れることなく、感謝の心をいつも持っていたいです。
また、3節からを見ると、とてもわかりやすいたとえがあります。仲が悪ければ一緒に歩きません。獅子は獲物があるから吠えます。鳥は罠がかけられているからアミにかかります。町で角笛が鳴ったら民は驚きます。そのように、町に災いが起こるなら、それは主が下されるのです。
しかし、主は突然災いを下されるお方ではありません。預言者を立て、彼に相談します。預言者に秘められた事を分かち合って下さいます。わかりやすいたとえはアブラハムです。主がソドムとゴモラを滅ぼそうと考えられたとき、次のように語られました。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」(創世記18:17)
主は前もって預言者を通して、災いを警告されています。そして、私たちもやがて来る大患難を聖書を通して知ることができます。
・宮殿に告げて言え:9-15節
ここではアシュドテとエジプトの宮殿に告げています。それはサマリヤの山に集まり、その大恐慌としいたげを見よという内容です。どうしてそのようになったかと言えば、彼らが自分たちの宮殿で暴虐と暴行を重ねているからです。その暴虐っぷりは、エジプトも驚くほどのものでした。
11節はアッシリヤがサマリヤを滅ぼした時の預言です。ここでも周辺の諸国にしたように、宮殿が滅ぼされています。
しかし、羊飼いが雄獅子から取り返しています。それは日本の足と耳たぶです。羊は獅子に食べられましたが、そこからはみ出している足やみみたぶだけでも取り返そうとする羊飼いの情熱です。主はそのようにサマリヤをご覧になっています。滅ぼされましたが、わずかに残されます。
それゆえに、サマリヤに住む者は「寝台の隅」や「ダマスコの長椅子」から救い出されるとあります。
13節からはベテルに対するさばきです。この時、上に立つ者はその身分に安住して暮らしていました。彼らは夏の家と冬の家という別々の家を持つほど贅沢な暮らしをしていました。それは象牙の家々です。彼らは貧しい者、弱い者を踏みにじるような事もしていましたが、そのことについて警告しています。
せっかくそのような力が与えられているのに、それを主のために遣わないなら、それはむなしい生き方です。
主のさばきは神の家から始まります。私たちはそのことに備え、日々みことばを蓄え、祈りを捧げていきたいものです。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。