シャローム!
今日は一日でヨエル書を読み切ります。この書簡は悔い改めの書簡です。ヨエルは主の日、災いの日が来ることを告げます。そこで、自分のやり方を捨ててただ主に拠り頼む事を教えます。そして、主の御名を呼び求める者には救いがあり、回復があることが語られています。
今の時代、非常に重要な主からのことばです。今日もみことばから教えられていきましょう。
今日の通読箇所:ヨエル書 1章-3章
■アウトライン
●断食ときよめの集会:1章
・荒れ果てる畑:1-14節
・主の日の前触れ:15-20節
●恐るべき日からの救い:2章
・非常に多い軍隊:1-11節
・断食の悔い改め:12-17節
・穀物と新しいぶどう酒:18-27節
・霊をすべての人に注ぐ:28-32節
●諸国へのさばき:3章
・ヨシャパテの谷:1-8節
・諸国の民:9-17節
・シオンの回復:18-21節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】断食ときよめの集会
・荒れ果てる畑:1-14節
ヨエルという名前は「ヤハウェは神」「主は神」と言う意味です。彼の活躍した年代ははっきりとはわからないとのことです。しかし、エルサレムに対しての預言であると言うことははっきりとわかります。まず最初にヨエルは大災害から話を始めます。イナゴによる災害です。この事をで穀物がなくなります。人々は悲しみます。それはまるで世の終わりのようです。そのことをとって、ヨエルは「主の日」にこのような事が起こることを語ります。それでは、具体的に見ていきましょう。
2節、これから起こることが前代未聞の事であると告げています。この事を三、四代下の代まで語ることを言っています。
いなごの災害が起こっています。ここをよく見ると、いなごによって四回、徹底的な食い荒らしがあったことがわかります。一回目はかみつくいなご(ガザム)、いなご(アベル)、ばった(イェルク)、食い荒らすいなご(ハシーム)と、全て違う種類のいなごです。それぞれが少しずつ食べるものが違いますが、徹底的な、何も残らないほどの食い尽くしであったことがわかります。
5節を見ると、いなごの災いによってまず被害を受けるのは酔っ払いです。(ヨエル(酔える)とは関係ないです)なぜなら、ぶどう園が被害を受け、お酒が造れなくなるからです。「目を覚まして泣け」とありますが、良いから目覚めることと霊的な覚醒、両方の意味で語られています。
ヨエルの預言の特長として、この事に三つの事柄が含まれています。ひとつはここにあるいなごの食い尽くしです。それはイスラエルに襲いかかるアッシリヤ、もしくはバビロンを意味しています。それと、終末、終わりの日に起こる出来事も含まれています。それに加えて、霊的な攻撃も含まれています。
いなごによる災害はあらゆる所に影響します。もちろん、主の宮にも大きな影響を与えます。穀物のささげものもできませんし、ぶどう酒の注ぎのささげ物もできません。そのことで祭司たちは嘆き悲しみます。その悲しみはこれから結婚しようと言うときに相手を失った乙女にたとえられています。
10節では、一気になくなった作物を見て人々から喜びが消え失せています。彼らが苦労して育て、楽しみにしていた収穫の機会を一瞬で失いました。
そこで13節からを見ると、断食が布告されています。悔い改めの呼びかけです。自分たちの事を中心とするのではなく、神を中心とした祈りの集会を持ちなさいと呼び掛けています。彼らは災害があるとき、それは自分たちに悔い改めるべき事があるのではないかと考えていたそうです。私たちも自分にとって良くないことが起こったとき、それを人のせいや環境のせいにするのではなく、悔い改めるのは自分だという思いをいつももっておきたいものです。
・主の日の前触れ:15-20節
これらの出来事を見ながら、主の日と重ね合わせて語っています。災害が突然やってくるように、主の日も突然やってきます。イエス様もパウロも、多くの人が終わりの時をそのように預言しています。
ヨエルは災害を見て、主の日を思いました。最近、日本でも世界中で大きな災害が増えています。その度に私たちは終わりの日を思い出し、悔い改めの祈りができたらと願います。
19節、ヨエルは主に祈ります。火が荒野の牧草地を焼き尽くし、炎が野の全ての木をなめ尽くしています。野の獣もあえぎ、水もかれています。生きていくことが困難になっています。このようなとき、頼るべきお方は主以外ありません。
【2章】恐るべき日からの救い
・非常に多い軍隊:1-11節
ヨエルは前の預言から、更に確信に迫ります。シオンで角笛が吹かれています。目覚め、警告を意味します。どうしてでしょうか。主の日が近いからです。それは具体的にはどのようなものなのでしょうか。2節からを見てみましょう。
一言で言うなら闇です。主の日が来る前には闇があります。イエス様が来られる前の時代は主立った預言者の出ない暗黒の400年がありました。また、一日で最も暗いのは日の出の直前です。もし、今が闇の時代だと感じるなら、主の日は近いのです。
先ほどはいなごが作物を食い尽くしましたが、終わりの時代にはおびただしい軍隊が襲ってくることが書かれています。その軍隊は一糸乱れず、どのような妨害もものともせずに前進し続けます。まるで、イエス様がレギオンを豚の群れに移し、それが一気に崖を駆け下りてきるようです。これは世界中で起こります。そして、その根源は悪霊の力です。黙示録9章に、まさにこのヨエルが見た幻をヨハネも見て預言していますので、ぜひ読んで見ましょう。ここの軍隊はアバドン(アポリュオン)です。
・断食の悔い改め:12-17節
このまま世界は悪霊に押されて終わってしまうのでしょうか。12節には「しかし」とあります。主は逆転の主です。絶体絶命のピンチを全く逆転してくださるお方です。このような事が起こったときに、私たちがするべき事が具体的に書かれています。それが「心を尽くし、断食と涙と嘆きを持って主に立ち返ること」です。心からの悔い改めです。そして、引き裂くものは着物ではなく心です。当時、怒りや憤りなど、内面の葛藤を表す行動として着物を引き裂くと言うことがありましたが、そうではなく、引き裂くのは心です。主との壁となっている自分の罪、咎をイエス様の血潮によって打ち破っていただくことが必要です。
主は私たちを受け入れてくださいます。ここに約束されています。「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる」お方です。安心してこの方に飛び込みましょう。すべてを受け止めてくださいます。
そのような私たちの祈りを主は受け入れ、思い直してくださいます。そして、そのあとには祝福を残してくださいます。
15節では再び角笛が鳴らされています。断食の布告、きよめの集会が呼び掛けられています。これには全員が参加する必要がありました。全国民が一丸となって悔い改めるのです。そして、祭司が主に求めるいのりは「あわれんでください」です。私たちもこの祈りが必要です。「主よ、あわれんでください」。イエス様は福音書の中で多くのいやしを行われますが、その動機は「その者を見て深く憐れみ」とあるように、あわれみによるものです。私たちが本来造られた形ではない形でいることに主は耐えられません。ですから、大胆に求めましょう。「主よ、わたしをあわれんでください」と。
・穀物と新しいぶどう酒:18-27節
主はご自分の地をねたむほど愛されています。私たちは神の愛を受ける存在として創造されました。しかし、私たちが主以外のものを求めるなら、主はねたまれます。それほど私たちの事を愛してくださっているのです。
悔い改めの結果、主は穀物と新しいぶどう酒を与えてくださっています。いなごが食い尽くした地を再び豊かにして下さっています。そして、来たから来る軍隊を主のご介入によって四方に追いやって下さいます。
その後、自然は神の願う姿に回復しています。アダムによって呪われた地が元にもどります。エデンの回復です。シオンに喜びが戻ってきます。霊的な回復があります。主はそのようにはじめの雨と後の雨を降らせて下さいます。この雨があるゆえに、イスラエルの穀物は生長し、豊かな実をつけます。
そして、主はいなごによって失った年々を償って下さいます。一時的な不足を経験しますが、悔い改めるなら飽きるほど食べて満足する日々がやってきます。そのことを通して、不思議なことをして下さった主の御名がたたえられます。
・霊をすべての人に注ぐ:28-32節
これはヨエル書でもっとも有名な箇所になると思います。このような回復があって後、主は「すべての人」に霊を注がれます。例外はありません。覚えているでしょうか。先ほど断食のお触れが出たとき、すべての人々が呼び出されました。それに答えた者にこの霊が注がれます。年齢や聖別、身分などは関係ありません。すべての人に主の霊が注がれます。
この箇所を引用したのはペテロでした。彼らがイエス様の昇天の後、一所に集まって祈っていると聖霊様が舌のような形でくだされ、弟子たちは聖霊様に満たされて他国のことばで話し出しました。時はちょうど祭りの最中でしたので、全国から人々が集まってきていました。他国のことばを話す弟子たちを見た人は驚きと同時に、「彼らは酒に酔っている」といいました。それに対するペテロの弁明です。
「今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。これは預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。』」(使徒2:15-18)
ヨエルの預言が成就した瞬間です。ヨエルはこの前に初めの雨と後の雨を語りました。この時は初めの雨です。今は後の雨が降る時代だと信じます。後の雨は先の雨よりも激しく降ります。
そして、続けてヨエルは終わりの時代のことを語ります。30節からを見てみましょう。
太陽がやみとなります。月が血に変わります。そのような恐ろしいことが起こるとき、同時に何が起こるでしょうか。主の名を呼ぶ者は救われるのです。これに例外があるでしょうか。「みな」救われるとあります。主の名を呼ぶ者はだれでも救いを受け取ることができます。
ローマ10:12-14にもこのように書かれています。「ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。」
【3章】諸国へのさばき
・ヨシャパテの谷:1-8節
ここからは、異邦の諸国に対する主のさばきがかかれています。
主が戻ってこられて行われるのは、諸国へのさばきです。ヨシャパテの谷が出てきますが、ここに諸国の民を集められます。そして、彼らがイスラエルとその地に対して行ったことに対してさばきを行われます。
イエス様も二度目はさばき主として来られます。そして、羊飼いが山羊と羊を分けるように、また、漁師が地引き網から魚と汚れた水に生息するものとを分けられるように、人々を分けられます。
続いて、4節からはツロとシドンが出てきます。また、ペリシテもあります。今のレバノン、そしてガザ地区の辺りです。この時に言われたことが、何千年も経った今もなお行われていることは驚きです。ここにもイエス様の救いが必要です。
・諸国の民:9-17節
ここには「聖戦をふれよ」とあります。これを聞くと、私は「王!主が召されるのであれば戦いに行こう!」という気持ちになりますが、よく読むとこれは何のための戦いでしょうか。それは主にさばきを受けるための戦いです。ここでの文脈は、主がご自分の主権の中で、ご自分に反抗する諸国の民に対して、「出てこい!」と言われているのです。さばかれるための戦いの挑発のようなものです。
そのように集められたものに、かまが入れられます。イエス様は毒麦のたとえで、それが成長するまでそのままにしておきなさいと言われいます。そして、時が来たら、毒麦は集められ、刈り取られ火の中に入れられます。
しかし、16節からを見ると、悔い改めたイスラエルに救いが与えられていることを見ます。主は再臨されたとき、オリーブ山に立たれます。そして、主と共に住むことができます。敵はもはや、私たちを打つことができません。主が共におられるからです。これが救いです。
・シオンの回復:18-21節
回復したシオンの姿があります。イエス様が戻ってこられ、この地を完全に治めておられる様子です。主の神殿から流れた水が隅々まで潤します。このようにして、主はシオンに住まわれます。私たちの内にも主をお迎えしましょう。この方が私たちの最も大切な所に住んで下さる事が私たちの内なる人のエデンの回復です。そのためには何をしなければならないでしょうか。悔い改めです。神の慈愛を求め、そこから来る悔い改めが天の御国への入り口となります。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
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