聖書通読クラブ Day 354

聖書通読クラブ Day 354【ペテロの手紙 第一 1章-3章】

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シャローム!

今日からペテロの手紙を通読します。このペテロはあの、イエス様の弟子のペテロです。福音書の中では誰よりも積極的ですが、あまりにも向こう見ずの正確の故、イエス様から何度も戒められていました。最後にはイエス様を裏切ってしまいます。ところが、復活の主に赦しを宣言していただき、その後、イエス様の言いつけを守ってエルサレムに留まり、祈っていました。
そこに聖霊様が注がれ、ペテロは一瞬で変わってしまいました。あのペテロが、力強く説教をし、多くの人を救いへと導きました。その後、彼は教会の柱として生涯をささげます。多くの人々を救いに導き、また建てあげました。御霊によってペテロは帰られ、この手紙を記しました。今日も聖霊様に導いていただき、通読をしていきましょう。

今日の通読箇所:ペテロの手紙 第一 1章-3章

■アウトライン

●人はみな草:1章
  ・冒頭の挨拶:1-2節
  ・信仰の結果の救い:3-12節
  ・従順な子どもとなる:13-21節
  ・人はみな草:22-25節

●私たちのアイデンティティー:2章
  ・王である祭司:1-10節
  ・寄留者:11-12節
  ・全ての人を敬う:13-17節
  ・キリストの打ち傷のゆえ:18-25節

●私たちが受け継ぐもの:3章
  ・妻たちよ:1-6節
  ・夫たちよ:7節
  ・悪を持って悪に報いず:8-12節
  ・水を通ってすくわれた:13-22節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】人はみな草

・冒頭の挨拶:1-2節
ペテロが書いた手紙の内、二つが聖書に選ばれています。この第一の手紙は紀元65年頃に書かれたのではないかと言われています。ローマの皇帝ネロがクリスチャンを大白害しました。その迫害に対してペテロは小アジヤにいる信者に励ましのことばを送ります。そのことが背景にあるので、この手紙の中では多くの「苦しみ」ということばが出てきます。苦しみの中から何を学ぶことができるのでしょうか。
この著者のペテロはあの十二弟子のペテロです。イエス様から御国の鍵をいただき、教会が誕生した後も教会に仕え、パウロはペテロを教会の柱と呼んでいるほどです。
そのペテロが小アジヤにいる選ばれた聖徒に手紙を書いています。では、選ばれたとはどのような選びでしょうか?2節を見ましょう。選ばれた二つの理由があります。それが何かわかりますか?ひとつはキリストに従うように、もう一つは血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々です。私たちもこのひとりであることを信じます。

・信仰の結果の救い:3-12節
神は私たちをどのようにして下さったと3節にあるでしょうか?神の大きなあわれみのゆえに、キリストを死の中からよみがえらせてくださいました。その結果、私たちに二つの事が怒りました。新しく生まれることと生ける望みを持つようにして下さることです。苦しみの中にあっても、これらのことを知るなら、それだけでも苦しみを耐え抜く力が与えられるのではないでしょうか?
それだけではなく、4節に報いとして受け継ぐ資産を与えてくださっています。それはどのような資産で、どこに蓄えられていますか?それはもっとも安全な場所です。
5節には、信じる者はどのように守られていると書かれていますか?そして、終わりの時にいただけるよう、用意されているものは何でしょうか?
神はまず、このような愛と恵みを一方的に与えてくださっています。それだから喜びが与えられ、試練に耐えることもできます。信仰の試練はどのようなものでしょうか?7節を見てみましょう。
また、私たちはイエス様の実態を見ていません。しかし、信じています。そして愛しています。それは9節によると、信仰の結果だとあります。それはたましいの救いです。
イエス・キリストによる永遠の救いという恵みは、旧約聖書の預言者たちも啓示を受けてそのことを記していました。しかし、彼らはその本当の意味を理解していなかったかも知れません。まだ、イエス様の時が来ていなかったからです。
しかし、私たちはすでに二千年前に十字架にかかったイエス様を信じています。神の贖いは完了しました。そのことを旧約聖書の預言者たちも、御使いたちもはっきりとみたいと願っていることでした。

・従順な子どもとなる:13-21節
約四千年もの時を経て、人々が待望していた救い主がこの地に来られ、神の御心を成し遂げられました。そのような恵みをいただいているのですから、私たちも応答する必要があります。どうすれば良いのでしょうか?13節以降を見ましょう。一つは、キリストの再臨までひたすら待ち望むと言うことです。もう一つは神、すなわちみことばに従順な者となるということです。
神は聖なるお方です。ですから、神の子、またキリストの花嫁である私たちも聖とされなければなりません。16節を見ましょう。また、私たちが地上で歩む間は、どのように過ごす必要があると17節後半に書かれているでしょうか?
私たちが贖い出されたのはこの地上の朽ちるものによって支払われたのではありません。いのちにはいのちの代価が必要なのです。しかも、まったく傷のない代価が必要です。それをなしてくださったのがイエス様です。このお方の血によって、私たちは買い取られました。血はいのちです。イエス様のいのちをかけた贖いは完了しました。
さらに、私たちはこの贖いと同時に、復活をも信じています。21節を見ましょう。みなさんはこの復活の信仰を持っているでしょうか?私たちの信仰や希望はこの世のものではなく、神にかかっています。

・人はみな草:22-25節
もし信じる者が真理に従うとどうなるのでしょうか?ふたつのことがります。ひとつはたましいが清められること、もうひとつは互いに心から熱く愛し合えることです。第一の戒めと第二の戒めです。
私たちはイエス様を信じることで、新しく生まれ変わりました。それはどのような種でしょうか?私たちも、もともとは種から生まれました。しかし、それは朽ちる種です。イエス様を信じる者は朽ちない種によって生まれ変わることができます。
ここで、ペテロはイザヤ40章のみことばを引用します。このみことばは福音です。どうしてでしょうか?人は何と例えられていますか?草や花です。草はしおれ、花は散ります。しかし、何はとこしえに変わらないと書かれていますか?私たちの肉の性質が死に、神のみことばが生きます。25節最後に、これが福音だとペテロが言っています。この意味をよく考え、祈ってみましょう。

【2章】私たちのアイデンティティー

・王である祭司:1-10節
人は草であり、それはしおれます。ですから、肉に属する性質を捨て去らなければなりません。1節を見ましょう。
そして、その上で何を求めなさいと言っていますか?私たちの霊的成長に欠かせないものです。その結果、救いを得ることができます。
また、主は人に捨てられました。裏切られ、ののしられました。しかし、神の目には何だと4節後半に書かれていますか?
5節では、どのような勧めがなされているでしょうか?私たちは霊的な目で見るなら、神の家を築き上げる一端を担っています。その上で祭司として、イエス・キリストを通して霊のいけにえをささげます。
イエス様は6節のように預言されていました。イエス様は信じる者にとっては尊い者ですが、信じない人にとっては8節のようなものです。しかし、つまずくのはどうしてだと8節後半にありますか?
ところが、信じる私たちのアイデンティティーが9節にあります。何と書かれていますか?信じられないような事が書かれています。王である祭司とは、王家の血を引く祭司ということです。イエス様を信じるとき、イエス様とひとつとされますので、私たちもこのように呼ばれます。なぜ私たちはこのように呼ばれるのでしょうか?9節後半を見てみましょう。

・寄留者:11-12節
ペテロは何をお勧めしていますか?私たちは寄留者であり旅人と言っています。確かに、私たちの国籍は天にありますから、この地では私たちはこのような呼び方の方が正しいのかも知れません。
また、ペテロは信じたユダヤ人に対して、どうしなさいと言っていますか?これは異邦人である私たちも守りたいことでもあります。

・全ての人を敬う:13-17節
私たちはこの地上で、あらゆる制約の中で生きています。日本には憲法があり、学校には校則があり、会社には社規があります。それらは無駄に思えるかも知れませんが、13節を見ましょう。これがみことばの方針です。その理由が15節にあります。それと同時に、すべての人を敬うことが勧められています。特に兄弟を愛し、神を恐れ、王を尊ぶことが薦められています。自分の意見、感情を超えて、みことばに従いましょう。

・キリストの打ち傷のゆえ:18-25節
再度、主人に従うことが勧められていますが、ここでは尊敬の心を込めてと書かれています。また、横暴な主人にも従いなさいと書かれています。これは大変な事です。何度も悔しい思いをするかもしれませんが、その度に祈り心が出てくるでしょう。そこで19-20節を見てみましょう。実は、私たちが召されたのはそのためだと書かれています。そして、イエス様は私たちの先にその道を歩んでくださり、道を示してくださいました。
22節からは、イエス様の歩みが書かれています。イエス様と共に過ごしたペテロだから欠けたことかも知れません。22-23節にどのように書かれていますか?そして、24節を見ると、イエス様は十字架にかけられたのではなく、自ら十字架に進まれた事がわかります。その目的は何でしょうか?そして、イエス様の十字架の打ち傷によって、私たちはいやされたとあります。過去形です。これを信仰を持って受け取りましょう。そして、何度も告白してみましょう。このお方の十字架によって、私たちはさまよっていましたが、正しいところに変えることができました。

【3章】私たちが受け継ぐもの

・妻たちよ:1-6節
ここでは、妻に対する勧めがなされています。特に、ご主人が未信者の方の場合、これを実践してみましょう。私も相談される中で、多くの妻が夫に対していやみを言ったり、いらだったり、バカにしていることが多いのです。そうするなら、夫はイエス様を余計に知りたくなくなります。むしろ、自分に死んで、無言のふるまいを持って夫にしたがってみましょう。これはみことばがすすめている事です。2節がその理由です。
また、外見ではなく、中身の飾りに注力することが神の御前に価値があることだと書かれています。サラもこの従順によって約束のものを得ました。

・夫たちよ:7節
夫たちには1節だけの勧めです。女性のように賢くないので、シンプルに書いたのかも知れませんが、非常に重要なことです。それは、妻を思いやることです。そして尊敬することです。女性は受け入れられていることを知ると、安心感を覚えるようです。このようなふるまいをするなら、小言を言われて祈りが妨げられることはありません。

・悪を持って悪に報いず:8-12節
最後にといってますが、このあとまだまだ続きますが、大切な事を伝えたかったのでしょう。どうありなさいと書かれていますか?
また、9節を見ましょう。悪、また侮辱に対して、どのようにしなさいと書かれていますか?私たちは何を受け継ぐために召されたと書かれていますか?簡単なことでは無いと思いますが、祈ってチャレンジしましょう。

・水を通ってすくわれた:13-22節
善に対して熱心であることは素晴らしい事です。そのために苦しむことがあるかも知れません。しかし、それは幸いなことだと書かれています。人の脅かしに恐れたり、動揺したりしないようにしましょう。15節にあるようにキリストを主としてあがめることが大切です。そして、私たちのうちにある希望、すなわち主の再臨に関して誰にでもいつでも弁明できる用意が必要です。その際、論破してはいけません。16節のようにしましょう。
17節にはふたつの事が書かれています。どちらの方が良いと言っていますか?そして、18節には、イエス様が一度、罪のために死なれた事が書かれています。何のためでしょうか?その霊において、イエス様は葬られた期間、何をされていたのでしょうか?19節を見ましょう。イエス様が来られる前に、やがて来られるイエス様を信じながら、この世での生涯を終えた者はパラダイスという一時的な場所に導かれていました。そして、イエス様が十字架で神の御心を成し遂げられた後にイエス様を信じ、この世での生涯が終わった者は天の御国に直接導かれます。ですから、イエス様は十字架の葬りの期間、地の下にあるパラダイスに行き、そこで旧約聖書の時代に救い主を待ち望んでいた人たちに福音を伝えたのです。また、もうひとつの考え方として、キリストの御霊がノアを通してその時代の人々に神のことばを述べられたと言うことです。20節を見ると、後者の方が正しいのではないかと思いますが、本当のところはわかりません。
しかし、このノアの箱船はバプテスマの型だと言うことはわかります。バプテスマを受けるなら、肉体のきよめを得ると考える人もいるかもしれませんが、そうではありません。21節後半には何と書かれていますか?バプテスマは正しい良心への神の誓いであり、信仰を公にあらわすことです。そして、キリストの復活によるものです。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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