聖書通読クラブ Day 355

聖書通読クラブ Day 355【ペテロの手紙 第一 4章-5章】

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シャローム!

今日でペテロの手紙第一を読み終えます。ペテロは十二弟子のあのペテロです。福音書の中で何度も失敗し、イエス様に叱責されていた、あのペテロです。しかし、同時にイエス様に愛され、多くの赦しを受けた者でもありました。ペテロを通して語られる神のみことばを今日も受け取っていきましょう。

今日の通読箇所:ペテロの手紙 第一 4章-5章

■アウトライン

●終わりの時代の生き方:4章
  ・さばき主への申し開き:1-6節
  ・万物の終わりが近づいた:7-11節
  ・さばきはどこから始まるか:12-19節

●思い煩いを主に委ねる:5章
  ・群れの模範となる:1-5節
  ・不動の者としてくださる:6-11節
  ・恵みの中にしっかり立つ:12-14節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】終わりの時代の生き方

・さばき主への申し開き:1-6節
イエス様は人の形を取られこの地に来て下さいました。そこで肉体において苦しみを受けられました。肉体において苦しみを受けた人はどうなりますか?1節後半を見ましょう。
その結果、この地上でどのような生き方ができるでしょうか?2節を見ましょう。3節に書かれているようなことは、もう十分だと言っています。どうしてかというと、神様を知らなかった時には、それらのことが私たちの心を楽しませる者でしたが、神様を知った者はそれ以上の楽しみを知るので、それらのことが色あせていくからです。
ですからイエス様を信じて、今までのような生活をしなくなったら、友だちが不思議がるでしょう。4節にあるとおりです。しかし、そのような刹那的な生き方をしている者は、どうしなければならないと5節にあるでしょうか?これは私たちも同様です。主の御前に立つとき、全てのことを申し開きしなければなりません。そこで一つでも罪を犯しているなら、天国に入ることはできません。それでは、私たちはどうして天の御国に入れられるのでしょうか?そのさばきの時、弁護者なるイエス様が来て下さり、私たちの債務証書をご自身の地で塗り、それを父に渡されます。父はその債務証書をご覧になり、血しか見えないので、私たちには罪がないと宣告され、天の御国に入れられます。しかし、申し開きの項目は少ないにこしたことはないですね。
そのように、すべての人は肉体は人間としてさばきを受けますが、霊においては神によって生きるためでした。

・万物の終わりが近づいた:7-11節
ペテロは万物の終わりが近づいたと言います。そのために何をしなさいと言っていますか?一番は、祈りのために心を整え、身を慎むことです。その上で、愛し合うことです。ただの愛ではありません。互いに熱心に愛し合うことです。なぜなら、マタイの24章であるように、終わりの時代には多くの人の愛は冷たくなるからです。さらに、愛は何を覆うと書かれていますか?8節後半を見ましょう。それなら、益々互いに愛することをチャレンジしたくなります。
9節では、つぶやきをやめることが書かれています。「あの人はこうだから」と決めつけてはいけません。公平な目で相手を見る訓練を聖霊様に導いていただきましょう。その一つのヒントは、相手の良いわけを考えてあげると言うことです。何かをされて「あの人は」という思いが出てきた瞬間、「こういう理由でこのことをしたのかもしれない、ならしょうがないな」と考えるのです。相手を決めつけることは、自分がさばき主になっている証拠です。そして、互いを親切にもてなしあうことが勧められています。
10節では、賜物の管理がすすめられており、賜物を用いて互いに仕え合うことが書かれています。私たちは神のからだの各機関ですから、自分に与えられている賜物を十分に用いるとき、神のからだが健全に活動します。自分の賜物を土に埋めてはいけません。自分に与えられている賜物を知り、それを十分に用いることを通して、神があがめられます。

・さばきはどこから始まるか:12-19節
さあ、ここからは私たちが心して聞かなければならないところです。まず、私たちに降りかかる試練に対して、どうしなさいと書かれていますか?聖書は将来起こることまで示してくれています。キリストのゆえに非難を受けるとき、どうなると14節にありますか?
しかし、地上の事柄で苦しみを受けてはならないと書かれています。私たちはこの世の基準以上、天の御国の基準で生きているからです。
私たちが苦しみを受けるのは、キリスト者として受けるのです。この名のゆえに神をあがめましょう。
そして、注目すべきは17節です。さばきはどこから始まるのでしょうか?ソドムやゴモラのような場所ではありません。わたしからです。みなさんからです。私たちでさえ、かろうじて救われるのであれば、福音に従わない者、神を敬わない者、罪人などはどうなってしまうのでしょうか?そのような人がひとりでも少なくなるよう、祈り、福音を伝え、教えていく必要があります。
大切なのは、聖書を毎日読み、祈り、神のみこころを知って、それに従い続けることです。それでもなお苦しみにあうなら、それはキリストの名のゆえです。私たちは真実なる創造者、私たちのたましいを作られた方に自分のたましいをお任せしましょう。

【5章】思い煩いを主に委ねる

・群れの模範となる:1-5節
ペテロはこの手紙の最後に、長老たちに神の羊の群れを牧しなさいと勧めています。ペテロが復活のイエス様に言われた事です。羊を牧するとき、どのような心持ちで牧すことが2節に書かれていますか?牧する事と、支配することは違います。イエス様自身、仕えられるためではなく、仕えるために来たと言われています。しもべの心を持ったリーダーです。ですから、教会を自分の理想の組織としようとするのではなく、まず、自分が群れの模範となることが大切です。そうすれば、どのような報いがあるでしょうか?4節を見ましょう。
また、若い人にはどのように勧めていますか?大切なのは従順です。そして、互いに謙遜を身につけることです。その理由は5節後半にあります。子どもに品性教育をすることは非常に大切です。たとえば、親戚が集まったとき、自分の小さな子どもがもじもじしてなかなか挨拶ができなかったとします。その時、親はどのように言うでしょうか?「この子、人見知りで…。すみませんね。」と言うでしょう。これは本当でしょうか?多くは間違いだと思います。単に、親が教えていないだけです。子どもはこのような状況で、どうしたら良いか迷っているだけなのです。しかし、それを「うちの子は人見知りだから」と言い続けるなら、子どもは「私は人見知りなんだ」と思い込んで大人になってしまいます。親は、自分の面目を保ちたいからこのような言い方をしてしまいます。正しいのは、親戚の集まりの前に、子どもに何度も何度も挨拶の仕方を繰り返して練習させることです。そうするなら、子どもは迷わず挨拶を堂々とでき、親の面目も保たれ、子どもは親の間違った願いではなく、神様の願い通りに成長します。
今からでも遅くありません。子どもに聖書にある品性教育を行いましょう。日本文化の中には異教の神にささげるような習慣もあるかも知れませんが、多くの良い事柄もあります。それをそれぞれの親が聖書と照らし合わせて、良い文化は積極的に取り入れて継承していかなければなりません。私たちがそのような事をしなければ、聖書的な日本の文化は継承されません。聖書が教える品性教育を子どもになしましょう。

・不動の者としてくださる:6-11節
すべての人に言えることは、神の前にいつもへりくだることです。そうするなら、どうなると6節後半にありますか?
そして、今の時代に必要なみことば、7節を何度も音読してみましょう。人の心配の9割近くは思い過ごしです。もちろん、将来に備えてリスクマネジメントは必要ですが、それが過ぎてはいけません。思い煩いをすべて、祈りの中で主に告白しましょう。これは子どものサッカーの試合のようなものです。ボールを持っている人に一斉に子どもたちが集まります。同じように、私たちが重い煩いを持ち続けているなら、それを狙ってサタンが集まってきます。ですから、心に重い煩いが出てきたなら、そのボールをすぐにイエス様にパスするのです。そうするなら、主がすべて引き受けてくださいます。
8節にもそのような事が書かれています。敵である悪魔は、どのようにしていますか?思い煩いを持っていると、悪魔のえじきになります。身を慎み、目を覚ましていましょう。
そして、堅く信仰に立ちましょう。そうしてはじめて悪魔に立ち向かうことができます。苦しんでいるのは自分だけではなく、信仰の先輩方も苦しみを通され、その中で忍耐が生じ、きぼうが生まれます。そして、神の恵みに拠り頼むとき、神ご自身が10節の後半にあるようにして下さいます。

・恵みの中にしっかり立つ:12-14節
ペテロはシルワノに挨拶を送っています。これはおそらくシラスではないかと言われています。おそらく、シラスに手紙を託して小アジアを巡らせたのでしょう。ペテロはシラスを「忠実な兄弟」と評価しています。
また、バビロンの婦人にも書き送っています。この婦人は教会とも取ることができます。バビロンは今のイラク辺りですが、もう一つの意味ではローマを指します。と言いますのも、この時代は皇帝ネロの大迫害があったので、直接的にローマの教会と書かず、黙示的にバビロンの婦人と書いたのかも知れないからです。
また、マルコの名前もありますが、私の子と言っています。マルコの福音書は、ペテロが語った事をマルコが記したとも言われています。それほどの信頼関係がありました。
最後にペテロは、愛の口づけをもって互いにあいさつを交わすことを勧めています。ペテロほど、赦しを体験した人はいないのでは無いかと思います。イエス様に直接語られた情熱を持って、今もペテロのことばは私たちに語りかけます。互いに熱心に愛し合うことをしていきましょう。
キリストにあるみなさんすべての者に、平安がありますように。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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