聖書通読クラブ Day 352

聖書通読クラブ Day 352【ヤコブの手紙 1章-3章】

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シャローム!

今日からヤコブの手紙の通読です。ここには、非常に実際的な事が書かれています。そのテーマは信仰から来る行動です。ヤコブは繰り返してこの行動、すなわち信仰の実を語ります。私たちもただみことばを聞くだけでは不十分です。どのようにすれば主に喜ばれるか、義の実を結ぶことができるのか、今日も聖霊様にみことばを通して教えていただきましょう。

今日の通読箇所:ヤコブの手紙 1章-3章

■アウトライン

●忍耐の報い:1章
  ・冒頭の挨拶:1節
  ・忍耐を完全に働かせる2-4節
  ・知恵の欠けた人:5-8節
  ・貧しい人、富んでいる人:9-11節
  ・誘惑:12-18節
  ・みことばはたましいを救う:19-27節

●信仰から来る行い:2章
  ・えこひいき:1-13節
  ・行いのない信仰は死んだもの:14-26節

●人生を方向付ける器官:3章
  ・舌を制御する:1-13節
  ・上からの知恵:14-18節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】忍耐の報い

・冒頭の挨拶:1節
聖書には何人かのヤコブが出てきます。新約聖書で見ると、イエス様の十二弟子にもヤコブがいます。彼はゼベタイの子、またヨハネの兄弟です。使徒12:2を見ると、彼はヘロデによって殺されているので、この手紙の著者ではありません。
この手紙を書いたのはイエス様の弟のヤコブです。使徒の働き15章でのエルサレム会議で、最後のコメントをした人物です。彼はエルサレム教会の柱として知られていましたが、かつては自分の兄であるイエス様を信じていませんでした。(ヨハネ7:5)しかし、復活のイエス様は彼にも現れて下さいました。(1コリ15:7)ヤコブはこの時からイエス様を信じたのではないかと思われます。
このヤコブが国外に散っている12部族にこの手紙を送っています。渡したちの認識では、12部族のうちの10部族は北イスラエルにおり、混血とアッシリヤ捕囚で彼らは失われてしまったと思っているかも知れません。しかし、その実、熱心に主を求めるものは捕囚前に南ユダに逃げ込み、南ユダの二部族と共にバビロンに捕囚され、戻ってきました。ですから、初代教会の時代は、12部族は失われていなかったと言うことがわかります。

・忍耐を完全に働かせる2-4節
ヤコブは試練からこの手紙を語りはじめます。試練に会うときには、どのように思いなさいと書かれていますか?これは普通の人では考えられないことです。どうしてそう思えるかというと、3節を見てみましょう。試練の時に、私たちの信仰が試されるからです。それで、私たちは二つの道を選ぶことができます。神様に拠り頼むか、頼まないかです。しかし、神様に拠り頼んでも状況が変わらないように思えるときがあります。その時に働かせるのが忍耐です。この忍耐を完全に働かせるとどうなりますか?4節を見ましょう。
子どもでも、幼いときはおなかが減ったり、おむつを交換したいときには場所をわきまえずに泣き叫びます。しかし、大人になると少々の我慢をすることができます。信仰の成長もそれと同じです。小さな試練に会う度に「私はなんてかわいそうな人なの!みんな、私を見て!」と騒ぎ立てるのは、まだ信仰の成長が見られない証拠です。

・知恵の欠けた人:5-8節
また、ヤコブは知恵の欠けた人がいるならと言っています。私もそのひとりです。その人はどうすれば良いと書かれていますか?5節後半を見ましょう。
しかし、それには条件があります。それが6節に書かれています。ここでも信じるか、信じないかの選択です。疑う人はどのようだと言っていますか?自分の考えや信仰がぐらつくことがあるなら、これが原因かも知れません。疑う人は二心だと言っています。神様を信じながら、自分に死にきれていないじょうたいです。そのような人はすべてに 安定を欠きます。自分に死ぬなら、一時の苦しみはあるかも知れませんが、その後は主が責任を取って下さいます。主の恵みによって自分に死に、主にあって生かされていきましょう。

・貧しい人、富んでいる人:9-11節
ここからは、貧しい境遇、富んでいる境遇の人に書かれています。それぞれ、何に誇りを持ちなさいと書かれていますか?よく、「お金には羽が生えている」と言われたりもします。富を築き上げるのにはものすごく時間と努力がかかるのですが、出て行くのは一瞬です。ヤコブも富は草の花のように去って行くと言っています。朽ちていくものに望みを置くのか、永遠に朽ちることないお方に望みを置くのか、どちらを選びますか?

・誘惑:12-18節
再び、ここでは試練が語られます。先ほどは忍耐を完全に(十分に)働かせることが書かれていましたが、その忍耐が主に良しと認められたら、何が与えられますか?私はこれが欲しいです。
また、神は誘惑されないお方だと言うことが書かれています。では、誘惑とはどのようなメカニズムで起こるのでしょうか?14節を見ましょう。原因は自分の中にある欲です。これにおびき寄せられ、誘惑されます。さらに、欲がはらむと何を生むでしょうか?15節を見ましょう。それが熟すると何を生みますか?つまり、自分の欲から始まり、行き着くところは死となります。恐ろしいことです。私たちはだまされないようにしなければなりません。エバはどうしてヘビにだまされたのでしょうか?みことばをしっかりと刻んでいなかった事が原因です。イエス様も悪魔に荒野で誘惑されました。しかし、そこでは完全な勝利をされました。その時も、イエス様はみことばによって勝利されました。私たちが日々通読しているのは、このためでもあります。

・みことばはたましいを救う:19-27節
19節には聞くこと、語ること、怒ることが書かれています。それぞれどうしなさいと書かれていますか?シンプルな事ですが、これを実践できる人は多くはないでしょう。口がひとつ、耳がふたつあるのは、それだけ沢山聞かなければならないという神様のデザインなのでしょう。また、怒りに関しても、怒ってはならないとは書かれていません。詩編の作者も相当な勢いで怒っています。しかし、それをすぐに主の御前に持っていきました。日が暮れるまで憤ったままでいてはならないのです。それでも、怒らないに越したことはないでしょう。人の怒りは何を実現しないと20節にありますか?
ですから、何を捨て、何を受け入れなさいと21節に書かれていますか?みことばは私たちのたましいを救うことができるのです。通読を続ける理由です。
しかし、それだけでは片手落ちになります。もっと大切なのは22節です。聞いたら実行する必要があります。実行して、はじめて「聞いた」となります。たとえば、家族に「洗濯物を取り入れておいて」とお願いして「わかった」と返事を聞いたとします。しかし、家に帰ってみると洗濯物は干されたままだったら、それは聞いていないと言うことになるでしょう。信仰でも同じです。神様が語られたら、「わかりました」と言うだけではなく、それを実際に行うことが大切です。聞いてもすぐに実行しないなら、聞いたことを忘れてしまいます。すぐに行動できる人が主に従順な器です。25節を見ましょう。何によって祝福されると書かれていますか?ヤコブはエルサレム教会でひたすら信仰から来る行動をし続けました。「いつも祈りなさい」と書かれているみことばを実行し、伝説では彼の膝は「らくだの膝」と言われていたそうです。それほど毎日ひざまずいて祈っていたからです。そのようなヤコブが言うのですから、非常に説得力があります。
また、自分は信仰に熱いと思っていても、むなしいと言われる人がいます。それはどのような人でしょうか?26-27節を見ましょう。父なる神の御前できよく、汚れのない宗教はどのようなものでしょうか?これを行いましょう。

【2章】信仰から来る行い

・えこひいき:1-13節
ここからはえこひいきについて語られています。2-3節を読んでみましょう。私たちはこのように、見た目で判断してしまっていることはないでしょうか?イエス様はどうされましたか?ツァラアトに犯された人、足なえや目の見えない人たちに自ら近づかれ、時には抱きしめられました。この視点が必要です。
私たちがどうしてえこひいきしてしまうか、その理由は4節にあります。その考えの中心は誰でしょうか?人を中心としたときに間違いが起こります。間違いの無いのは神を中心とした考え方です。
主はこの世の貧しい人をどうされると書かれていますか?5節を見ましょう。実際に貧しい者、また、イエス様にいつも飢え乾く心の貧しい者はこのようにされます。
富んだ人たちは何をするでしょうか?6-7節を見ましょう。これは、経済の量ではありません。神様を求めようとしない者が富んでいる者です。なぜなら、自分の経済である程度のことができるから、神を求めなくても良いからです。たとえ沢山の経済を持っていても、主の前には貧しくありたいと願います。
8節を見ましょう。これが最高の律法だと書かれています。すべてがここに集約されています。しかし、それにもかかわらず人をえこひいきするなら、どうなると9節にありますか?たとえ全ての律法を守ったといても、たった一つ違犯をしたなら、律法全体を守れていないことになります。13節を見ましょう。あわれみを示した事の無い者に対するさばきは何ですか?あわれみは何に向かって勝ち誇りますか?ということは、あわれみとさばき、どちらが強いですか?私たち人間の感覚とは逆のように思えます。その強い方を求めましょう。

・行いのない信仰は死んだもの:14-26節
自分の信仰をどのようにすれば証明できるでしょうか?信仰は目に見えません。信仰が目に見える形が行いです。私たちはまず、信仰によって何かを考え、それから行動します。たとえ、それが無意識であっても、必ず思考のプロセスを経ているはずです。たとえば、喉が渇いたとして、気がつくと口に飲み物が入っていたと言うことがあるでしょうか?普通は「喉が渇いたのでキッチンの冷蔵庫に行こう。その中にある麦茶をコップに移し、それを飲もう」と考え、それを行動します。どうしてキッチンに冷蔵庫があり、その中に麦茶があるとしているのでしょうか?どうしてコップにお茶を入れてもこぼれないと知っているのでしょうか?それもある意味信仰です。私たちは信仰から来る行動をしているのです。ですから、聞くことと信仰、そして行動はすべてがセットになっています。
15-16節のたとえを見てみましょう。良きサマリヤ人のたとえを思い出します。信仰も、もし、行いがなかったなら、それだけでは死んだものだと17節にあります。行いのない信仰はむなしいものです。アブラハムも神を信じ、その信仰が彼の義とみなされました。そして、彼は神の共と呼ばれたのです。アブラハムは信じただけでなく、行動ししました。主に「出て行きなさい」と言われて「いつですか?どこにですか?誰とですか?何を持っていけば良いのですか?」と言いませんでした。ただ、主を信頼して「はい」と言って本当に出て行ったのです。遊女ラハブも、ヘブル11章に出てきた信仰の器もすべて、信仰と共に行動があります。行いのない信仰は死んだ者です。信じるから行えます。そして、その行いは豊かな実を結びます。

【3章】人生を方向付ける器官

・舌を制御する:1-13節
ヤコブは教師に関して言っています。教師はどのようなさばきを受けると書かれていますか?教師は人々にみことばを正しく教えなければなりません。たとえば、修学旅行のバスガイドが間違った道を案内したら、生徒はどうなるでしょうか?迷ってしまいます。同じように、まちがった教えをするなら、聖徒は迷ってしまいます。その罪は小さなものではありません。
では、教師をはじめ、多くの人が失敗するのは何によってでしょうか?2節を見ましょう。からだの中でも小さな器官である舌です。
3-4節のたとえを見てみましょう。5節では、舌が火と例えられています。確かに、ペンテコステの火、御霊が下られたのは燃える炎のような舌の形で現れました。そして、弟子たちの口をとらえ、他国のことばを話させました。6節を見ましょう。この小さな舌は、私たちの人生を方向付けるハンドルのようなものです。この舌で永遠のいのちか、永遠の滅びかを選ぶのです。人はあらゆる被造物を制御できますが、舌は制御できないと書かれています。8節を見ましょう。何に満ちていると書かれていますか?私たちはこの舌を持って何をするでしょうか?9節を見ましょう。
賛美と呪いが同じ口から出ます。それはあってはならないことだと書かれています。11-12節のたとえを見てみましょう。
私たちは自分でこの小さな舌を制御できません。すぐに陰口や、行ってはならないことをこの口が言ってしまいます。神はことばで全世界を創造されました。私たちも神の子ですから、同じ性質があります。ですから、私たちの口から出ることばは本当にその通りになるのです。私たちの告白を変えましょう。そのために、ことばが上ってくる源泉である心を主に変えていただきましょう。力の限り見張ってこの心を、舌を見守る必要があります。いのちの泉はここから湧きます。

・上からの知恵:14-18節
14節にも、心を変えていただくことが書かれています。ここに書かれているような知恵はどこから来たと言っていますか?
しかし、上からの知恵はどのような者でしょうか?17-18節を見ましょう。私たちはこの義の実を結ばせなければなりません。その種はどのようなひとによって、どのようなうちに蒔かれますか?上からの知恵を求めましょう。求め続けるなら、主は与えてくださいます。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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