聖書通読クラブ Day 351

聖書通読クラブ Day 351【ヘブル人への手紙 10章-13章】

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シャローム!

今日でヘブル人への手紙を読み終えます。今まで旧約聖書に書かれていることとイエス様とを比較し、旧約聖書に書かれていることの預言の成就を見てきました。今日のとこでは、その視点が天に向けられます。私たちのアイデンティティにも関わる事です。また、信仰とは何かを学ぶことができる箇所でもあります。賛美に関しても書かれていす。私たちがキリスト者として歩む霊的、また品性の大切さを学ぶことができます。今日も聖霊様に導かれて、通読していきましょう。

今日の通読箇所:ヘブル人への手紙 10章-13章

■アウトライン

●血の力:10章
  ・神の右の座に着く:1-18節
  ・まことの聖所:19-25節
  ・生ける神の手の中に陥ることは恐ろしい:26-31節
  ・必要なのは忍耐:32-39節

●信仰:11章
  ・父祖たちの信仰:1-12節
  ・天の故郷にあこがれる:13-16節
  ・旧約聖書の人たちの信仰:17-31節
  ・信仰によってあかしされた:32-40節

●天の故郷:12章
  ・血を流すまで罪と戦う:1-13節
  ・聖くなければ主を見れない:14-17節
  ・揺り動かされない御国:18-29節

●キリスト者の品性:13節
  ・勧め:1-6節
  ・キリストはきのうもきょうもいつまでも同じ:7-17節
  ・祈ってください:18-19節
  ・永遠の契約の血による羊の大牧者:20-21節
  ・結びの挨拶:22-25節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【10章】血の力

・神の右の座に着く:1-18節
律法は大切なものであり、霊的なものです。しかし、神に近づく人を完全にすることはできません。かえって罪の下に閉じ込めてしまいます。その証拠に、もし律法が人を完全にできるのであれば、一度清められると、もうささげ物はしなくても良くなります。
ところが、ささげものをするごとに罪が思い起こされます。ここから何がいえるのでしょうか?4節を見ましょう。
律法は影であり、後に来られる実態を指し示すものです。9節にあるとおり、後者が立てられるために前者が廃止されます。
この御心に従ってどうなったでしょうか?10節を見ましょう。また、11節と12節で前章と同じように比較がなされています。地上の祭司はどうでしょうか?立って礼拝の務めをなしています。聖所にはパンの机はありますが、椅子はありません。そして、地上の祭司は繰り返しいけにえをささげます。
一方、イエス様は罪のためにご自身を一度だけささげられ、罪の贖いを完了されました。それで、天のまことの聖所で座られたのです。祭司の務めが完了したという意味です。それからイエス様はどうされているでしょうか?13-14節を見ましょう。聖霊様も証されています。

・まことの聖所:19-25節
こういうわけなので、私たちは何によって大胆に何をすることができますか?イエス様はご自身の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために新しい行ける道を設けてくださいました。
私たちはイエス様を信じることでどうされたでしょうか?22節を見ましょう。心に血の注ぎかけを受けてどうなりましたか?からだを何で現れましたか?イエス様の血潮とみことばを宣言することで、私たちは日々血と水で洗われます。それで、私たちは救いの確信を持って真心から神に近づくことができます。この特権を用いましょう!
その信仰から来る人への愛が24節に書かれています。そして、25節は今の時代の私たちにとって大きな励ましとなります。集まることが難しい時代だからこそ、ルールを守りながらも集まることをやめては行けません!かえってどうしなさいと25節にありますか?

・生ける神の手の中に陥ることは恐ろしい:26-31節
このようなイエス様の愛と恵みを知りながら、なお罪を意図的に犯し続けるならどうなるでしょうか?27節を見ましょう。かつて、モーセの律法を無視する者は2,3の証人のことばに基づいて、憐れみを受けることもなく即刻死刑に定められます。その上で29節を読んでみましょう。イエス様を悲しませるとはこのような事なのです。生ける神の手の中に陥ることほど、恐いことはありません。

・必要なのは忍耐:32-39節
ヘブル人への手紙の著者は、苦難に会いながらも激しい戦いに絶えた事を思い起こさせています。彼らは迫害にあいながら、どうしてそれに耐えることができたのでしょうか。そのヒントが34節後半に書かれています。そうです。私たちは朽ちることのない宝をいただいています。それに比べれば、地上のものは取るに足らないものです。
ですから、確信を投げ捨ててはならないと語られています。それは何をもたらしますか?35節を見ましょう。神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは何ですか?36節を見ましょう。
私たちは恐れて退くものではありません。どのような者ですか?39節を見ましょう。

【11章】信仰

・父祖たちの信仰:1-12節
この章は信仰の章とも言われます。まず冒頭に信仰の定義があります。信仰とは何でしょうか?また、3節には世界が何でできたと書かれていますか?その結果、何を悟りますか?
そして、続いて旧約聖書の人々の信仰が出てきます。神はそれぞれの人物のこの箇所に信仰を見いだされていたのです。
4節のアベルの信仰はどこにありましたか?
5節、信仰によってエノクはどうなりましたか?移される前、彼は何があかしされていますか?また、6節を見ましょう。どのようにしたら神をお喜ばせすることができますか?私たち被造物は神をお喜ばせすることができるのです。また、神に近づく者は二つのことを信じなければなりません。6節後半を見ましょう。
7節、信仰によってノアはどうしましたか?
8節、信仰によってアブラハムはどうしましたか?また、妻のサラはどうでしょうか?

・天の故郷にあこがれる:13-16節
これらの人々はみな、何として死にましたか?彼らは約束のもの、つまりイエス様が完了された贖いの救いを得ることはありませんでした。しかし、彼らはなにを見て喜び迎えていますか?私たちは約二千年前のイエス様の十字架を信じていますが、彼らはやがて来られるイエス様を信じていました。それをこのように表現しています。彼らはこのように言うことで、自分の故郷を求めています。故郷は自分が出てきた出身地です。その故郷はこの地上の故郷ではありません。さらにすぐれた故郷、天の故郷に憧れていました。私たちは神によって創造されました。私たちの国籍は天にあります。私たちの故郷は天にあるのです。事実、神は父祖たちのために都を用意してくださっていました。

・旧約聖書の人たちの信仰:17-31節
ここから再び旧約聖書の人々の信仰が書かれています。
17-19節、信仰によってアブラハムはなにをしましたか?
20節、イサクはどうでしょうか?
21節、ヤコブはどうでしょうか?
22-29節、モーセは信仰によって何をしましたか?非常に多くの事柄が書かれています。モーセは三ヶ月の間隠されていると書かれています。そして、モーセは美しい赤ちゃんでした。モーセの両親の信仰も書かれています。王を恐れませんでした。
モーセははかない罪の楽しみを受けるより、何を選び取りましたか?26節を見ましょう。モーセもイエス様を見ていたのです。彼は何から目を離さなかったのですか?6節のみことばの通りです。また、王を恐れずエジプトを出ました。何を見るようにして忍び通しましたか?さらに信仰によって過越の祭りの起源であることを実行しました。また、紅海を渡りました。信仰のないエジプト人が同じ事をするとどうなりましたか?
30節、ヨシュアは信仰によって何をしましたか?31節、ラハブはどうでしょうか?

・信仰によってあかしされた:32-40節
32節にある人々、預言者たちはみな信仰によって行動しました。彼らは信仰によってどういうことを下でしょうか?33-35節を見ましょう。私たちの信仰が引き上げられないでしょうか?これらのことをさせてくださった同じ神が私たちの神です。
また、他の人たちはどうでしょうか?36-38節を見ましょう。これほどの事に会いながらも、彼らは信仰によってあかしされました。ところが彼らも約束されたものは得られませんでした。神はさらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられました。その方の現れまで、彼らが全うされることはありませんでした。

【12章】天の故郷

・血を流すまで罪と戦う:1-13節
沢山の信仰の人を見てきました。このように、多くの証人が雲のように私たちを取り巻いています。ですから、私たちはどうする必要がありますか?1節後半を見ましょう。
また、誰から目を離さないように言われていますか?イエス様はどうして十字架の苦しみに耐えることができたのでしょうか?2節後半を見ましょう。
私たちは罪人たちの犯行を忍ばれた方のことをどうしなさいと言っていますか?その理由はなにでしょうか?
ヘブル人の手紙の著者は、4節でどのように言っていますか?イエス様はこれをされました。イエス様に従う私たちもこの道を歩むことがあるでしょう。その時は逃げ出すことなく、主と共に戦いたいと願います。5-6節のみことばを見てみましょう。
7節からは懲らしめから神の子のことが語られています。私たちはあらゆる苦難を訓練と思って耐え忍ぶ必要があります。どうして私たちは苦しみにあうのでしょうか?7節の後半を見ましょう。もし私たちが苦しみを受けていないなら何だと書かれていますか?信仰を持っていながら、何の苦しみにも会っていない人は、これにあたるかもしれません。
9節以降は肉の父と天の父が比較されます。それぞれどのようなものか、みことばを確認してみましょう。
私たちはできたら懲らしめを受けたくないと思います。しかし、後にどうなるでしょうか?11節後半を見ましょう。
ですから私たちは必要以上に恐れる必要はありません。弱った手と膝をまっすぐにする必要があります。手は人に施し、足は福音の道を歩むためにあります。まっすぐな道は神の道です。その道を作るなら、足はいやされます。

・聖くなければ主を見れない:14-17節
ここでは、二つのことが勧められています。それは何と何ですか?その理由はどうしてですか?そのためには、良く監督して誰も神の恵みから落ちないようにしなければなりません。もう一つは苦いねがメソ出して悩ませたり、人を汚さないためです。これはまるで、雑草だらけの庭に土を被せたようなものです。根がそのままだと、いくら見た目をきれいにしてもまた芽を出してきてしまいます。苦い根はイエス様が十字架で取り除いてくださったのです。
16節では、エサウが出てきますが、彼を俗悪な者と言っています。どうしてそのように呼ばれるのでしょうか?彼が売ったものは何で、何と交換しましたか?彼は肉の欲に負けて、神から与えられた長子の権利を失いました。あとでそれを得たいと願いましたがかないませんでした。これを教訓としなければなりません。

・揺り動かされない御国:18-29節
18節に書かれていることは、モーセが山で律法を受け取ったときの様子です。私たちはそれに近づいているのではないと書かれています。モーセはそれを見て恐ろしくて震えましたが、私たちは別のものに近づいています。それは何でしょうか?22節を見ましょう。更に23-24節を見ましょう。これを読むだけで、たましいが喜びで震えます。モーセの律法の時は神の声が地を揺り動かしました。しかし、主は今度はもう一度、地だけではなく、天をも揺り動かすと言われています。この「もう一度」とは何でしょうか?27節を見ましょう。まるで土をふるいにかけるようなものです。ざるに土を入れ、そのままにしていると土はそのままですが、揺り動かすとそれでふるい分けられます。私たちはどのような揺るがしの中にあっても、決して揺り動くことのない御国を受けています。この事のゆえに、私たちは主に感謝を献げます。慎みと恐れをもって、神に喜ばれるように奉仕をします。私たちの主はさばき主、焼き尽くす火であるお方です。

【13章】キリスト者の品性

・勧め:1-6節
ここからは、キリスト者としての品性が書かれています。
兄弟愛を持つためには、自分を聖書の見る目線で正しく愛さなければなりません。そのためには、まず、主を熱烈に愛する必要があります。その現れの一つとして、旅人をもてなすことが勧められています。これはイスラエルの人の文化にもありました。その起源は2節にあるように、アブラハムが御使いをもてなしたことによります。
3節では牢につながれている人を思いやりなさいと書かれています。出エジプトの時、律法が授けられた時も同じような事が語られていました。
4節では結婚の聖さが書かれています。神はどのような者をさばかれますか?
5節、何を愛する生活をしてはいけないと書かれていますか?私たちは何かを手に入れれば、より良い物を求める性質があります。主は5節の後半のような約束をして下さっています。主はすべてのものを持っておられるお方です。その方が共にいて下さるのであれば、すべてを持っているのです。私たちは満ち足りることを学びたいと願います。

・キリストはきのうもきょうもいつまでも同じ:7-17節
それぞれの信仰の器の終わりはどうなっていったのでしょうか。しかし、イエス様はどのようなお方でしょうか?8節を見ましょう。
また、異なった教えに迷わされてはいけません。食べ物ではなく、恵みによって強められる必要があります。食物に気を取られたものはどうなりましたか?
ここで再び幕屋の事が出てきます。一番入り口に近いところにある器具は祭壇です。幕屋で仕える者はこの際壇から食べる権利がありません。11節を見てみましょう。からだは外で焼かれますが、血は聖所の中まで持っていかれます。イエス様はどうでしょうか?12節を見てみましょう。ですから私たちはキリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、そこから主のみもとに行くことができます。
私たちが求めているのは天にある都です。ですから、そのために私たちはキリストを通して何を絶えずささげる必要がありますか?かつての幕屋では動物がいけにえでした。しかし、今は賛美がいけにえなのです。それは具体的には主の御名をたたえるくちびるの果実です。これを神に絶えず、絶えずです。ささげる必要があります。
また、16節も見ましょう。神はこのようないけにえを喜ばれると書かれています。
また、17節には何と書かれていますか?上に立てられた人に従う従順さは、神への従順へとつながります。指導者は私たちのために何をしてくれていますか?17節後半を見ましょう。

・祈ってください:18-19節
ヘブル人への手紙の著者は祈りを求めています。全ての人は祈りが必要です。聖霊様に導かれて、お互いのために祈ることを怠ってはいけません。さらに祈って欲しいと願っていますが、それは早く帰れるようにとのことです。

・永遠の契約の血による羊の大牧者:20-21節
今までのまとめのようなみことばです。イエス様はご自身をただ一度ささげることで、人々の罪の贖いを完了されました。このお方こそ、永遠の契約の血による羊の大牧者なるお方です。その御子を死者の中から導き出された平和の神が、みこころをおこなうことができるため、すべての良いことについて完全なものとして下さるように祈っています。この祈りが私たちに有効であることを信じます。

・結びの挨拶:22-25節
結びの挨拶では、テモテを兄弟と呼んでいます。ですから、この手紙を書いたのはパウロかも知れません。また、今までの手紙と同様に、指導者、イタリヤから来た聖徒たちによろしくと挨拶を送っています。恵みがみなさんすべてと共にありますように。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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