聖書通読クラブ Day 344

聖書通読クラブ Day 344【テモテへの手紙 第一 1章-3章】

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シャローム!

今日からテモテへの手紙です。今までは教会に宛てられた手紙でしたが、ここからは個人に宛てられた手紙です。パウロは特にテモテをかわいがっていました。この若い青年にパウロは様々な知恵を持って教えます。その目的は、教会をキリストの願い通りに治めるためです。ですから、これらの個人に宛てられた手紙を「牧会書簡」と呼んだりします。私たちも教会の運営に関わっていたり、リーダーとして召されているのであれば、ここから学ぶことが多くあるはずです。今日も非常に具体的で、私たちを永遠のいのちにみちびくみことばを、聖霊様の助けによって通読していきましょう。

今日の通読箇所:テモテへの手紙 第一 1章-3章

■アウトライン

●律法の役割:1章
  ・冒頭の挨拶:1-2節
  ・律法は良いもの:3-11節
  ・罪人のかしら:12-17節
  ・信仰の破船:18-20節

●祈り:2章
  ・高い地位の人のために祈る:1-7節
  ・男は、女は:8-15節

●真理の柱:3章
  ・監督の職:1-13節
  ・敬虔の奥義:14-16節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】律法の役割

・冒頭の挨拶:1-2節
このテモテの手紙の二通とテトスの手紙を牧会書簡と呼んだりします。その他の手紙は教会に向けて書かれていましたが、これらは牧者であるテモテとテトスに個人的に書いた手紙です。
パウロは冒頭で、天の父なる神を「救い主」と呼んでいます。もちろん、神は三位一体なる方なのでこの通りなのですが、普段はイエス様を救い主と呼ぶことが多いと思います。なぜパウロは父なる神を救い主と呼んでいるのでしょうか?それは、パウロが福音を伝えることができているのは、ただ神様のあわれみと恵みであると考えているからです。これはこの後見ていくことにします。
また、イエス様をどのように言ってるでしょうか?「我らの望み」と表現しています。これは、昨日まで見ていたテサロニケにもある信仰であり、初代教会の信徒たちが持っていた、イエス様の再臨の信仰です。彼らは迫害にも遭いましたが、その中でイエス様だけが彼らの望みでした。

・律法は良いもの:3-11節
パウロはテモテにあることを命じていますが、3-4節を見ると、それは何でしょうか?このような事は現代でも起こります。なぜ、ここで系図ということばが入っているのでしょうか?それは、当時、聖書の系図を用いて、全く見当違いの教えをしている人たちがいたからでした。このようなものは何を引き起こすと書かれていますか?その結果、何をもたらすものではないと書かれていますか?ここから何が学べますか?無駄な議論は避けるべきだと言うことです。その様な事に巻き込まれそうになったら、人から何を言われようと、どう思われようとそこから静かに去ることが賢明でしょう。何も言わなければ、その後「言った、言わない」という事にもならないからです。
また、この命令は何を目標としていると5節に書かれていますか?しかし、この目標を見失った者がいるようです。6-7節を見ましょう。私たちは目標を見誤らないようにしたいものです。熱心であっても、目標からずれていては全く意味がありません。
ここで、パウロはテモテに律法に関して語り始めます。私たちのイメージで、律法は悪いものという印象があるかも知れませんが、次の事を知っていて、正しく用いるのであれば良いものだと言っています。
9-10節には、律法は誰のためのものだとありますか?世の中の全てのルールは、何が間違っているのかを明確にする働きがあります。そのルールの中にいるときにはさほど気になりませんが、違犯をするときにルールが必要になります。まるで、道路脇のガードレールのようなものです。私たちが神の御心から落ちてしまわないよう、正しいところに到達できるよう、私たちを守ってくれるのが律法です。

・罪人のかしら:12-17節
パウロはイエス様に感謝をささげています。その理由はなにでしょうか?12節後半を見ましょう。パウロは以前はどのような者だったでしょうか?13節を見てみましょう。ここでのポイントは、これらのことを、パウロが信じていないときに行ったと言うことです。それで、彼はあわれみを受けました。しかし、この恵みはパウロの中で益々満ちあふれるものになっていきました。
この事をもって、パウロは15節のことばを語ります。以前、パウロは自分を大きく見せようとしていましたが、時と共にへりくだらされ、ここでは自分のことを「罪人のかしら」とまで言っています。
しかし、パウロがあわれみを受けた理由が16節にあります。パウロは選ばれた者でした。そして、ここから学ぶことができるのは、私たちは自分の中にある罪の性質を知れば知るほど、また、イエス様を信じていなかった時の自分を振り返るとき、神様の驚くほどの恵みを知ることができると言うことです。「どうしてこんな私が救いにあずかることができたのだろうか」という思いに導かれ、口から主への感謝が溢れます。みことばを通して、自分の中の罪の性質が明らかにされるのであれば、それを十字架の御前に持っていき、主への感謝へと変えていただきましょう。

・信仰の破船:18-20節
ここでは、テモテについての預言について触れられています。何のためでしょうか?18節後半を見ましょう。というのも、悲しいことですが、信じた者の中には、正しい良心を捨ててしまった者がいるからです。パウロはそれを信仰の破船と呼んでいます。破船とはとても惨めなものです。進むこともできないし、完全に破壊されていない、とても中途半端な状態です。正しい良心を捨てるとは、そのように中途半端な者となることです。黙示録では、生ぬるい者は主の口から吐き出されるとかかれています。
ここではヒメナオとアレキサンデルという人たちがそのようになってしまったようです。パウロは彼らにアプローチしたのでしょうか、結局は彼らをサタンに引き渡したと書いています。それは彼らを滅ぼすためではありませんでした。何のためでしょうか?20節の最後を見てみましょう。

【2章】祈り

・高い地位の人のために祈る:1-7節
パウロは若いテモテにあることを勧めます。それは何でしょうか?すべてのひとのため、特に王とすべての高い地位にある人たちのためにする4つのことがありますが、それは何でしょうか?私たちもこのことをしましょう。二本の総理大臣や自分の上司、また学校の先生などを批判する人は多いでしょう。しかし、一体どれ程の人が彼らのためにこの四つのことを実践しているでしょうか。テモテに勧めたように、パウロは私たちにもこの事を勧めています。
また、そのことには目的がありますが、何のためですか?2節を見ましょう。それは良いことですか?悪いことですか?神の願いは何でしょうか?3-4節を見ましょう。
イエス様こそ全ての和解をもたらす仲介者です。パウロはこのイエス様を神であるイエス様とは言わず、人としてのキリスト・イエスと言っています。なぜなら、6節にあるように、人としてのイエス様がその贖いの代価としてご自分のいのちをささげてくださったからです。
このあかしのために、パウロはその働きを全うしています。

・男は、女は:8-15節
パウロは、ここから男性、女性に対しての願いを書きます。最近はこのようなジェンダーに関しては非常に繊細な問題になってきています。もちろん、それをすべて否定するわけではありませんが、私たちは聖書が何を言っているかに立たなければなりません。男性、女性、どちらが上回っているかという議論は無益な議論です。どちらも神様の目に大切な器であり、それぞれに与えられた役割があります。
それでは、男性に関して見ていきましょう。8節にはどうすべきだと言っていますか?このようにできる男性を、私は個人的にとてもかっこいいと思います。また、女性はどうでしょうか?9節からを見てみましょう。よく、ブランド品で身を固めているのですが、それがとても安物に見えてしまう人がいます。一方、ファストファッションで身を包んでいても、とても高級そうに見える人もいます。おそらく、その違いは内側から発しているその人の人格なのでは無いかと思います。女性の究極の美は内側を美しくすると言うことではないでしょうか。そうするなら、必ず外側も美しくなるはずです。特に、男性の私から女性のみなさまにお願いがありますが、教会に来るときには、なるべく刺激的な服を着てこないよう、お願いします。男性を守るために、ぜひご協力いただけたらと思います。内側の美しさで勝負してください。
また、パウロは女性が教会で教えたりすることをあまり願っていません。これは、女性が支配的なりすぎた事があったからでしょう。しかし、神が立てられた秩序があります。パウロはそれを13節で説明しています。これはそれぞれが生まれる前から持っている性質でしょう。自分の意見よりも、神のみことばに従う方が正しいのです。
また、15節を読み、つまずいてしまう女性も折られるかも知れません。これは文字通りの意味もあると思いますが、だからといって未婚の方、お子さんが与えられなかった方が救われないという意味ではありません。エデンの園で、かつてエバは「女(イシャー)」と呼ばれていました。これは女が男(イシュー)から取られたからです。しかし、人と女は罪を犯し、神から罪の宣告を受けます。その時から、彼らの名前が変わりました。この創世記3章以降、人(男)はアダムとなり、女はエバと呼ばれます。エバとは、「すべて生きている者の母」と言う意味です。彼女を通していのちが産み出されていくのです。これをエペソ5章に書かれていることにあてはめるなら、女は教会です。つまり、教会が新しいいのちを産み出すことで救われると取ることもできます。みなさんの所属している教会を通して、たくさんの信じる者が興されていきますように。

【3章】真理の柱

・監督の職:1-13節
パウロは監督の職につきたいと思う人に、どのように言っていますか?また、監督の条件があります。2-5節を見てみましょう。これは私の個人的な目標でもあります。5節にあるとおり、自分の家庭を治めることを知らない人は、教会の世話もできないでしょう。家族を見るとその人がある程度はわかるものです。小さなものに忠実な者は、大きな事にも忠実です。
加えて、6-9節の条件があります。とても大切です。そして、監督の職は非常に重要で、影響力もあります。ですから、審査を受けさせ、非難されるところが無いものがその職に就くことができます。
婦人執事に関しては11-12節を見ましょう。その理由は13節です。

・敬虔の奥義:14-16節
パウロは近いうちにテモテに会いたいと願っています。その目的は15節です。ここでは、神の家とは何かが書かれています。何ですか?そして、パウロは偉大なのはこの敬虔の奥義だと言っています。これはキリストの栄光に関してのことです。イエス様の受肉、また、イエス様が復活を通して、父に義と宣言されたことです。また、御使いたちに見られるとは、荒野での40日40夜の際、ゲツセマネで祈る際、様々な場面で御使いが現れました。そして、この使徒の時代にイエス様は諸国に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられました。これが真理の柱であり、土台です。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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