シャローム!
イエス様のたとえはとても不思議なものです。イエス様はたとえ以外では群衆に語られませんでした。しかし、弟子たちが質問するとその答えを教えてくださいます。
普通、たとえというと具体的な事であり、よくわかるようになるのですが、なぜかイエス様のたとえは逆に私たちを混乱させることがあります。それは神の国の奥義だからです。人の知恵ではなく、知恵と啓示の御霊によってしか解き明かされないものなのです。しかし、イエス様のたとえは難しいですが、親切です。必ず、わかりやすい所に答えを置いてくださっています。しかし、それを熱心に求める者にしか見いだされない場所です。今日も聖霊様に導かれて、みことばを朗読していきましょう。
今日の通読箇所:マタイの福音書 19章-21章
■アウトライン
●天の御国に入る者:19章
・妻との離別:1-12節
・子どもへの祈り:13-15節
・永遠のいのち:16-22節
・金持ち:22-30節
●天の御国の常識:20章
・先の者、後の者:1-16節
・十字架の予告:17-19節
・主の左右に座る者:20-28節
・二人の盲人のいやし:29-34節
●エルサレムでの働き:21章
・エルサレム入城:1-11節
・祈りの家:12-17節
・のろわれたいちじく:18-22節
・権威:23-46節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【19章】天の御国に入る者
・妻との離別:1-12節
3節で、誰が何の目的でイエス様に近づいていますか?その内容は何でしょうか?
イエス様の答えはなにでしょうか?そのことに対して、モーセの律法を持ち出してきます。イエス様はそれにどのように答えられましたか?
ここの箇所は、どういう意味かわかるでしょうか?当時、彼らはモーセの律法から、離婚を禁じていました。それは、女性が不当な理由でたらい回しのようにならないための措置でした。ある男が妻に対して離婚状を出し、その女性をめとった次の男性もつまらなくなって女性を捨てた所、気が変わってまた妻をめとりたくなったということ、つまり、自己中心や欲望が動機となって離婚することがないようにという意味でした。ですから、離婚しても良いとか悪いとか、そのような文脈ではありません。しかし、彼らはそれを離婚状さえ出せば離婚できるという身勝手な解釈に変えてしまいました。イエス様はそのことを指摘されているのです。そのことをはっきりと指摘しているのが9節です。
弟子たちはこの事を聞いてどのような答えをしていますか?それはなぜだかわかりますか?今でも、イスラエルでは本人同士の結婚よりも、親同士が結婚を決める風習があります。ですから、相手を好きかどうかは関係なく、一緒に暮らし始めますが、弟子たちは、あまりにも高い基準に無理だと思ったのでしょう。それで、弟子たちは、そんなんなら、結婚しない方がましだと言います。それに対するイエス様の答えはどのようなものですか?結婚することと、独身でいること、どちらが難しいと言われていますか?ここで論じられているのはどちらが良いか悪いかではありません。それぞれの神様の定められた道があるので、どのような道を歩んでも、それが主の御心ならばそれで良いのです。
・子どもへの祈り:13-15節
イエス様の前に連れてこられたのは誰ですか?その目的は何ですか?それに対して、弟子たちはどのような行動を取りましたか?それにたいして、イエス様は何と言われましたか?また、天の御国は誰のような者たちの国だと言われていますか?その子どもとはどのような者だったでしょうか?思い出してみましょう。
・永遠のいのち:16-22節
その光景を見ていたのでしょうか。一人の人が来て、核心的な質問をイエス様にします。その内容はどのようなものですか?その質問の内容をよく読んでみましょう。イエス様はどのように答えられましたか?彼が求めていたものは何で、イエス様はどう答えたかをよく見てみましょう。違いに気づきますか?
彼は永遠のいのちを得るために「良いこと」と求めました。しかし、イエス様は「良い方」とお答えになります。人の努力では永遠のいのちは与えられません。それで、17節の最後で、永遠のいのちに入るために、イエス様はどうしなさいと言われていますか?それは具体的に何の律法を言っていますか?
この青年はその律法を守っていましたか?それに対して、イエス様は何を加えられましたか?すると青年はどうなりましたか?その理由は何だと22節に書かれていますか?
結局、この青年は形だけは一生懸命に律法を守っていましたが、その本質を守っていないのです。律法を全うするのは「隣人を愛する」です。この青年はここが欠けていました。
・金持ち:22-30節
イエス様は青年が去った後、金持ちの事について語り始めます。金持ちが神の国に入るより簡単な事として例に挙げられているのはなにですか?これは可能だと思いますか?
この箇所は、よく誤解される箇所です。小さな針の穴をらくだが通る図を想像してみてください。多くの説教者は「それほど、金持ちが天の御国に入るのは難しいのです」と教えますが、それは少し不十分です。なぜなら、私たちの文化の中でこのたとえを理解しているからです。針の穴とは何でしょうか。これはイスラエルの城壁にあった門のことです。針の門です。そこは、商人が出入りする門です。そして、本当に小さい門なのです。そこを荷物を運ぶためのらくだを通さなければなりません。そのためには、小さな頃からこの門を通れるように訓練されたらくだが必要です。すべての荷物を一旦降ろして、小さく特殊な形にならなければ通れない門の形をしています。イエス様はそのことを指して言われています。つまり、「自分を捨て、自分の十字架を負って神に従う」と言うことと同じ意味合いの事を言われているのです。
弟子たちはこれを聞いて、どのように反応していますか?それに対して、イエス様はどのように答えられますか?つまり、救いは私たちの努力ではなく、神の恵みであることがわかります。
そこで、またペテロが質問をします。その内容は何ですか?イエス様はどのように答えられますか?弟子たちの生き方は永遠のいのちを受け継ぎますか?受け継ぎませんか?
【20章】天の御国の常識
・先の者、後の者:1-16節
ここでもたとえが話されていますが、何についてのたとえでしょうか?それを何に例えていますか?
2節に労務者と雇い人の間で契約が結ばれています。その内容はどのようなものでしょうか。また、五つの時間が出てきています。それぞれ見つけることはできるでしょうか?8節で一日の仕事の精算がはじまります。何時から働いた人からいくら支払われていますか?その人は何時間くらい働いたでしょうか?私たちの感覚で言えば、時給換算をしてしまいますので、その人より長く働いた人は期待するでしょう。他の人にはいくら支払われていますか?
11節で、賃金を受け取った人はどう言っていますか?しかし、主人は13節でどのように答えていますか?これは嘘ですか?事実ですか?ここの結論は16節です。私たちの常識では考えられないことですが、これが神の国の常識です。
・十字架の予告:17-19節
イエス様はこれから怒ることを話されます。誰にどこで話されましたか?その内容はどのようなものでしたか?これが福音です。
・主の左右に座る者:20-28節
ここでは、弟子の母が来てあるお願いをします。それはどのような内容でしょうか?22節で、イエス様はそれに対してどのように答えられましたか?この杯とは何でしょうか?彼らは何と答えましたか?この杯は死の杯です。人々の罪を一斉に背負ったイエス様に下される父の怒りの杯です。これを飲める人など存在しませんが、彼らはそれを知らないので「飲めます」と答えました。
イエス様の左右に座る人はどのような人でしょうか?それを聞いた弟子たちはどのような気持ちになりましたか?私たちもこういう気持ちになることはありませんか?
そこでイエス様はどうされたでしょうか。25節を見てみましょう。偉くなりたいときはどうしたら良いと書かれていますか?
私たちが最も尊敬するイエス様が示してくださったこの事はどのような者でしょうか?28節を見てみましょう。世の中の権力者との違いを考えてみましょう。
・二人の盲人のいやし:29-34節
二人の盲人がイエス様のところに来ます。彼らは何と言って叫んでいましたか?群衆は彼らをどうしようとしましたか?すると盲人たちはどうしましたか?
32節でイエス様はどのように言われ、盲人たちは何と答えましたか?34節でイエス様がされたことの動機は何でしょうか?
【21章】エルサレムでの働き
・エルサレム入城:1-11節
イエス様と一行はどこに着きましたか?そこでイエス様は二人の弟子を使わしてどうするように言われましたか?イエス様の言われたとおりの事が起こりましたか?起こりませんでしたか?
この動物は謙遜の象徴です。しかも、この動物を上から背中を見ると、十字架の模様があります。イエス様をお乗せする事がはじめから決められていたようです。
この季節は過越の直前でした。つまり、春先です。しかし、8節からの人々の行動を見ると、これは仮庵の祭りの様子のように見えます。群衆は何と言って叫んでいますか?この「ホサナ」と言うことばは、賛美のことばとしてよく遣われるので、神様を誉め称えることばだと思われています。それは間違っていないのですが、本来の意味は「助けてください。救ってください」という意味のことばです。主に憐れみを乞い、助けを求めることばです。主はその願いに応えてくださいます。
・祈りの家:12-17節
イエス様はまことの王としてエルサレムに入られました。そこで最初にされたことは何でしょうか?どうしてこのようなことをされたのでしょうか?そして、イエス様が宣言されたことは何でしょうか。主の家は何と言われていますか?それなのに彼らは何にしていましたか?
これは、神殿の「異邦人の庭」と呼ばれる区域で商売が行われていたと言われています。遠くから来た人のために両替をしたり、ささげ物用の鳩を売ったりしていました。それで商売をして自分たちの儲けにしていました。この事自体は完全に悪いことでは無いと思うのですが、場所が生けませんでした。この異邦人の庭は、イスラエルの民以外の人が来て祈ることができる場所です。そこをイスラエルの人々が占拠して、そこで自分たちのために商売をしていました。それで、イエス様はこれほど激しく憤慨されているのです。祈りは私たち、異邦人に託されています。主の家は祈りの家です。
また、その一連を見た祭司長、律法学者はどのように反応していますか?イエス様は何と答えられ、どうされましたか?
・のろわれたいちじく:18-22節
イエス様が空腹を覚えられています。荒野での誘惑の時以来です。イエス様が完全な神であられると同時に、完全な人であったことがわかります。それで、道ばたの何を見てどうされましたか?
いちじくはイスラエルでも普通に見られるものです。実りの時期は6-7月です。ですから、当然この季節に実は実っていません。イエス様は実る季節ではないのに、なぜこのような事を言われたのでしょうか?実は、いちじくは実りの前に小さなこぶのような実を実らせます。ちょうどこの時期は過越の時期なので春です。この最初の実がなる季節ですが、それが実っていなかったというのです。
そしてイエス様は「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」と言われると枯れてしまいました。いちじくはイスラエルを象徴する果物の一つです。つまり、これは「あなた方は見ているが見ず、聞いて入るが聞かず、悟ることがない」と同じ事を言われています。
・権威:23-46節
エルサレムでイエス様は宮に入って教えられます。誰が来てどのように言いましたか?それに対してイエス様はどのように答えられましたか?見事な答えです。27節で、彼らはどう答え、イエス様は何を言われましたか。
そしてイエス様は唐突にぶどう園のたとえ話をされます。どちらが祭司、律法学者たちで、どちらが取税人や遊女でしょうか。どちらが先に神の国に入りますか?その理由はどうしてですか?鍵は「悔い改め」です。
33節からは別のたとえがされています。このひどい話は何を言い表していますか?43節では、神の国は誰に与えられると書かれていますか?この実は、何の実かわかりますか?それで、祭司長、律法学者たちは何に気づき、どうしようとしますか?それは実行に移されましたか?彼らは何を恐れていましたか?本来なら、誰を恐れるべきですか?
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
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