聖書通読クラブ Day 278

聖書通読クラブ Day 278【ゼカリヤ書 1章-3章】

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シャローム!

ハガイ書に続き、ゼカリヤ書も回復の書簡です。ゼカリヤという名前は「ヤハウェは覚えられる」と言う意味でした。主はイスラエルの民を、そしてエルサレムを決して忘れませんでした。
また、ゼカリヤ書はイエス様の初臨と再臨の約束がたくさんあります。後半は黙示的な預言が続きますが、どれも主がエルサレムのために戻ってきてくださることが約束されているものになります。
今日もみことばに教えられてい行きましょう。

今日の通読箇所:ゼカリヤ書 1章-3章

■アウトライン

●悔い改めの呼び掛け:1章
  ・わたしに帰れ:1-6節
  ・再び良いものが散り乱れる:7-17節
  ・四つの角:18-21節

●主が火の城壁:2章
  ・火の城壁:1-5節
  ・わたしのひとみに触れる者:6-13節

●衣替え:3章
  ・彼の汚れた服を脱がせよ:1-5節
  ・一つの若枝を来させる:6-10節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】悔い改めの呼び掛け

・わたしに帰れ:1-6節
ゼカリヤの預言は、ちょうどハガイが第二回目に行った預言と第三回目に行った預言の間に与えられたものです。神殿の工事を再開させるとき、ハガイの預言がおおきな励ましとなったでしょう。
また、ゼカリヤはイドの子と書かれています。これは祭司の家系です。祭司であり預言者というのがゼカリヤの立ち位置です。年齢はまだ若かったことが伺い知れます。
2節には主の怒りが書かれています。不従順のゆえにエルサレムが破壊された事を言っています。それゆえに、彼らに言えと仰せられています。そんれは「わたしに帰れ」と言うことです。これは悔い改めを意味します。主が赦してくださるから、恐れないで主の所に行くことができます。しかし、私たちが主を捨ててしまうのであれば、主は私たちを無理に引き寄せたりはなさいません。
ですから、私たちは自分勝手な方向から神へと方向転換をして、その後に正しい道に歩き始める事が大切です。ヤコブ4:8には「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」とあります。
4節からを見ると、預言者がかつて悔い改めを語ったと書かれています。私たちもこのような考えをもっていないでしょうか。「悔い改めは必要ない。過去のもので、イエス様の贖いで悔い改めは終わった」と。それは間違った考えです。あなたは一度念入りにメンテナンスをしたので、一生歯を磨かないでしょうか?ゆっくりお風呂に入ったので、今後一生お風呂に入らないでしょうか?それらは毎日行う者です。悔い改めも同じです。毎日主の所に行き、悔い改めをしなければ、私たちのたましいからは肉の香りが放たれます。

・再び良いものが散り乱れる:7-17節
ここから、八つの幻を見せられることになります。初めの幻は最初の預言を受けて三ヶ月後になっています。その夜、幻を見ました。
ダニエルが見たように、御使いがいます。その中心は赤い馬に乗った者、その回りに赤、栗毛、白い馬に乗っている御使いがいます。
赤い馬に乗っている人は山と山の間の谷底のミルトスの木の間に立っています。山は権力を意味します。権力と権力の間にいます。これは諸国の民を表しています。ユダとエルサレムを荒らした国々です。
そのような山々に抑圧され、死んだようになっているイスラエルの民が谷底にいます。まるでエゼキエル38章の乾いた骨のようです。
また、ミルトスは謙虚さや慎ましさの象徴です。
この幻を見た時、ゼカリヤには彼と話す御使いが別にいたようです。ゼカリヤが「これら馬は何ですか」と質問すると、「見せてあげよう」と答え、赤い馬に乗った方が答えられます。他の三つの馬は地上を行き巡るために主に使わされた者です。軍馬とも言うことができるでしょうか。これからの戦いに備え、地を偵察しに遣わされたのでしょう。その報告では「全地は安らかで、穏やかでした」とあります。「平和だ。安全だ。」と人々が言うとき、主は突如として来られます。その報告を聞き、「いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。」と叫んでいます。これは、おそらく受肉前のイエス様の姿だと思われます。なぜなら、その平和と安全は見せかけだからです。
13節からを見ると、主はゼカリヤと話していた御使いに良いことば、なぐさめのことばで話されています。主は良いお方なので、このお方からでることばも良いものです。
その内容は、主が妬むほどにエルサレムを愛されたと言うことです。しかし、安逸をむさぼる諸国に民には大いに怒るとあります。
主はアッシリヤやバビロンを用いられ、北イスラエル、南ユダを破壊されました。しかし、それは彼らの軍事力が優れていたという理由だけではありません。主がねたむほど愛しているイスラエルの民には、主の赦しがなければ指一本触れることができません。ですから、この破壊も主の許しがあってなされたことですが、諸国の民はそれを自分たちの成果だと高ぶります。
16節にはおおきな励ましがあります。主があわれみをもってエルサレムに帰って来て下さいます。そこに主の宮が建て直されます。エゼキエル11章には主の栄光が徐々に去って行く様子がありました。その時主はオリーブ山に留まり、それから去って行かれました。それを贖うように、イエス様はオリーブ山からエルサレムに入場されました。しかし、十字架の死と葬りと復活を経て、また天に帰られます。そして、また来られるときにはオリーブ山に降り立たれます。
主は神殿を建て直させて下さり、ユダの町々に再び良いものが散り乱れます。

・四つの角:18-21節
ここからは二つ目の幻です。四つの角の幻です。御使いにその意味を聞くと「ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角だ」と答えます。ダニエル書にかかれていたように、これらの角はバビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマです。
これに引き続いて四人の職人が出てきています。この職人が角を削り落としていきますが、21節を見ると、この職人もまた角なのです。バビロンという角を削り落とした職人はペルシャです。同様に他の国にも次に続く国が職人となっています。しかし、それらの角は救いの角であるイエス様が来られることにより、それらを終わらせられます。

【2章】主が火の城壁

・火の城壁:1-5節
三つ目の幻は測り縄です。この測り綱で境界線がはっきりとします。エデンの園は囲われていました。「園」はヘブライ語では「かこい」と言う意味です。また、幕屋も荒野で幕に囲まれたところです。そのように、主は守りの垣を巡らして下さいます。ヨブ1:10にも「あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっています。」とあります。
御使いが測りに行こうとすると、なんとそこには城壁がありませんでした。ですので、あの若いゼカリヤにそれを伝えろと言っています。
彼らは神殿を建築していましたが、城壁がないためにいつも敵からの攻撃に備えておかなければなりませんでした。
そこに主が約束して下さいます。「しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。」これほどに力強い城壁は他にありません。主ご自身が敵から守って下さいます。私たちのまわりにもこの火の城壁が張り巡らされていることを感謝します。そして、主ご自身がその中の栄光となられます。
しかし、なぜ城壁がなかったのでしょうか。それは「その中の多くの人と家畜のため」とあります。つまり、人や家畜が多すぎて中に入りきれないため、城壁が建てられていませんでした。

・わたしのひとみに触れる者:6-13節
主ご自身が火の城壁となり、その中に栄光を示して下さるエルサレムに対して、安逸の都のバビロンを比較されます。エルサレムは再建中で危険で困難があります。一方バビロンは大国で安全で安定しています。しかし、この後破壊されるのはバビロンであり、建てあげられるのはエルサレムです。
「北の国から逃げと」とありますが、バビロンはエルサレムから見て東の方角にあります。なぜバビロンを北の国と呼ぶのでしょうか。
それは、エルサレムとバビロンの間にはアラビア半島があります。ですから、バビロンやアッシリヤなど、メソポタミヤから来る人々は迂回してイスラエルの北にあるシリヤから南下してきます。ですから、イスラエルの人々にとってバビロンは北から来る人々なので、北の国と呼ばれています。
そして、人々をエルサレムから散らされたのは主です。主がそのようにされたのであれば、そこに人が及ばぬご計画があります。主が散らされたのであれば、主が集めて下さいます。
9節では、「エルサレムに触れる者は神のひとみに触れる者」と言われています。それほどエルサレムを大切にされています。この関係を祈って深く求めてみましょう。イエス・キリストを通して、私たちもイスラエルの祝福に預かる者ですから、もう一つのひとみが私たち異邦時であることを願います。
10節には、主の再臨の時の様子を見ることができます。喜びが満ちあふれています。イスラエルの民だけでなく、異邦人も共に集っています。主がエルサレムに戻ってこられ、そのただ中に住まわれます。そして、そこは「聖なる地」と呼ばれます。その時に叫ばれるのが「すべての肉なる者よ。主の前で静まれ」と言われます。私たちの肉の異性質がしずまるとき、主が語って下さいます。

【3章】衣替え

・彼の汚れた服を脱がせよ:1-5節
ここからは第四番目の幻です。大祭司ヨシュアが出てきます。彼が天の法廷に立たされています。告発者はサタンです。そして主の使いがおられます。大祭司はイスラエルの霊的な代表ですから、イスラエル全体が告発されているようなものです。ヨブ記1章にも書かれていますが、サタンはこのように信じる者を告発するために毎日忠実に地をパトロールしています。黙示録12:10にはサタンの性質が書かれています。「私たちの兄弟の告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」
サタンの餌は罪です。ですから、たとえば子どものサッカーの試合で、ボールを持っている人の回りに子どもたちが集まってくるように、罪がある所にサタンが集まってきます。
しかし、ここで考えてください。信じる者にこの罪はあるのでしょうか。否。それはイエス様が十字架ですべて買い取ってくださいました。私たちの中にあるのはその罪の性質です。これは時間をかけて取り去られていくものです。それを餌としてサタンが集まってきます。
また、隠れている罪の性質もあります。自分が気づいておらず、また、気づいても認めたくないと思っている罪の性質です。サタンはそれを利用して私たちに罪責感を負わせます。ではどうすれば良いのでしょうか?聖霊様は罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせてくださいますから、みことばを読み、聖霊様の働きで自分の中の罪の性質を認めさせていただくのです。それは主の深い憐れみによります。サタンの目的は私たちの目を十字架から引き離そうとすることです。信仰の創始者であり、完成者であるお方から目を離してはいけません。罪の性質をこのお方の前に持っていきましょう。2節からを見てみましょう。主の使いはここで「主」と呼ばれています。ですから、受肉前のイエス様なのではないでしょうか。主はヨシュアを訴えるサタンを責められます。
3節から、ヨシュアの服が出てきます。「よごれた服」とありますが、これは「肥溜めにまみれた服」と言う意味です。もし、私たちの霊の目が開かれたら、多くの人はこのような服を着ているのではないでしょうか。いくらおしゃれなファッションに身を包んでいたとしても、霊的な服が肥溜めにまみれた服であるのであれば、永遠のいのちには到達できません。もしかしたら、イエス様を信じていたとしても、みことばと共に歩まない生活をすることで、相変わらず肥溜めに浸された服を着続けている人も居るかも知れません。
そこで、4節で御使いは言います。「彼の汚れた服を脱がせよ。」と。これが主の恵みです。罪を根から、全てを取り除き、洗い聖めることです。主は恵みによって肥溜めの服から礼服に着替えさせてくださいます。身分の変化です。信じる者に与えられる約束です。
イエス様が天の御国のたとえを話される中で、招かれた者の中に礼服を着ていない人が居ました。それはこの事を指しています。
また、このヨシュアが着せられた服は祭司の装束でもありますし、エペソ6章の神の武具でもありますし、黙示録にある聖徒たちがまとった服でもあります。そして、それはすべてイエス様ご自身を指します。「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」(ローマ13:14)

・一つの若枝を来させる:6-10節
ヨシュアが主の道に歩み、戒めを守るなら宮を治め、庭を守るようになると言われています。小さなものに忠実な者は、大きなものにも忠実です。神の戒めを守る者には、主が大きな事を任せてくださいます。そして、ヨシュアは「これらの立っている者たちの間で、宮に出入りする」とあります。おそらく、御使いたちが見守る中、宮の出入りをするということでしょう。
主は恵みによってヨシュアをたち直された後、「わたしのしもべ、一つの若枝を来させる」とあります。若枝は以前もお伝えしましたが、イエス様のことです。若枝はヘブライ語で「ナッツァール」です。イエス様はナザレのイエスと言われています。同じ語源になります。
また、9節ではイエス様の別の呼び名が出てきます。石です。また、七つの目も黙示録5:6にあるように、イエス様の姿です。
そして、10節ではシャローム、完全なる平和の姿があります。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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