聖書通読クラブ Day 275

聖書通読クラブ Day 275【ハバクク書 1章-3章】

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シャローム!

今日は一日でハバククを読み切ります。小預言書は時代が前後しますが、ハバククはバビロンがユダに攻めてくる直前の出来事です。そこで主からリアルな幻を受けます。
私たちもある意味、主からリアルな預言を受けています。ダニエル書後半であり、マタイ24章であり、黙示録、またあらゆる聖書の箇所にあります。それは終わりの時に必ず起こります。
では、そのような啓示を受け取った時、私たちはどのように反応するのが良いのでしょうか。今日のハバククから学びましょう。みことばは今日も私たちを教え、真理へと導いてくださいます。知恵と啓示の御霊を歓迎し、みことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:ハバクク書 1章-3章

■アウトライン

●沈黙される主:1章
  ・助けを求めて叫ぶのに:1-4節
  ・カルデヤ人を起こす:5-11節
  ・私の聖なる方:12-14節
  ・網:15-17節

●幻:2章
  ・幻を板の上に書いて確認せよ:1-3節
  ・正しい人は信仰によって生きる:4節
  ・高ぶる者には定まりがない:5-8節
  ・あなたのたましいは罪を犯した:9-11節
  ・水が海をおおうように:12-14節
  ・暴力をふるったため:15-17節
  ・それは像だ:18-20節

●ハバククの祈り:3章
  ・この年のうちに:1-2節
  ・尊厳は天をおおい賛美が地に満ちる:3-7節
  ・救うために出てこられる:8-13節
  ・追い散らそうと荒れ狂う:13-15節
  ・腐れは私の骨の内に入る:16節
  ・神は私の力:17-19節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】沈黙される主

・助けを求めて叫ぶのに:1-4節
ハバククはいつ活躍したかが明確に書かれていませんが、内容から見ておそらくユダがバビロンによって滅ぼされる直前では無いかと思われます。
また、ハバククという名前ですが、「喜び迎える」「抱擁する」という意味です。
ハバククは主に訴えます。これは正しい祈りです。彼は自分の願いを祈っているのではありません。自分の民を抱いて祈っています。その内容は、エルサレムに満ちる暴虐です。覚えているでしょうか。ヨシヤ王が若くして死んでしまった後、出てきた王は「主の目の前に悪を行った」と書かれています。
この時代はアッシリヤがバビロンによって滅ぼされ、ユダがバビロンの支配に置かれていました。南には大国エジプトがありました。そこで王はどちらの国につくかを天秤にかけ、不誠実な政策を行っていました。これは神を気にするのではなく、人を気にした政策です。力がある者にはへつらい、弱い立場の者に対しては横柄にふるまいます。ハバククはそのことを憤っています。祈っても聞かれないので、まるで主が沈黙しておられるように感じます。それを「律法が眠っている」と表現しています。

・カルデヤ人を起こす:5-11節
しかし、ここで主がハバククの祈りに答えられます。そのさばきはハバククの想像をはるかに超えていました。
主はなんと異邦の民を用いてさばかれると言われます。ハバククは最初、この意味が理解できなかったかもしれません。言い換えれば、私たち信じる者が裁かれるために未信者が用いられるようなものです。
しかも、異邦の民の中でも強暴で激しい国民であるカルデヤ人が用いられます。彼らの悪に比べたら、イスラエルでの悪がかわいく見えるほどです。主は彼らが言うことを聞かないので、もっと悪い悪を用いて悪をさばかれます。まるで、学校の不良グループが偉そうにしている所に、県で一番悪いグループがやってくるようなものです。
7節からカルデヤ人の強暴さが書かれています。彼らにはルールや常識は通用しません。彼ら自身が彼らのルールです。まるでドラえもんのジャイアンが「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」と言うようです。
ダニエル書のネブカデネザルは、呪法師たちが自分の夢を解き明かせなかったら、すぐさま皆殺しにしろと言いました。そのような国民性です。その軍隊は力とスピードを兼ね備えていました。それは東風のようです。この地方の東には荒野が広がっています。そこからの渇いた熱風は植物を枯らしてしまいます。イスラエルの小さな防衛はカルデヤ人の前では無いにも等しいようなものです。
ところが11節には「風のように移ってきて、過ぎて行く」とあります。この時代に世界を席巻したバビロンは、実は86年しか続きませんでした。そのことをこのように表現しています。
そして、自分の力を自分の神とする者は罰せられると語っています。それは歴史が証明しています。自分に頼るのか、神に頼るのか。聖書はどのどちらが良いかを教えてくれます。

・私の聖なる方:12-14節
ハバククは主の答えに戸惑います。主は聖なるお方であるはずなのに、なぜあの凶悪なバビロンをもちいられるのかと言うことです。この同じ時代に預言をしていたエレミヤはネブカデネザルのことを「わたしのしもべ」とまで読んでいます。
このように、神様のなさることは私たちの理解を超えています。しかし、モーセが紅海の前で主から「杖を上げなさい」と言われたとき、あれこれ考えて、「杖を上げてなにになるのか」と考えたら、イスラエルの民は救われたでしょうか。アブラハムが主に「出て行きなさい」と言われて「そんなこと言われても、いつ、どこに向かって出て行くのか理解できないと何を準備して良いかわからないし、出発できない」と言うと、イスラエルに祝福は与えられたでしょうか。
私たちは理解できるから主に従うのではありません。理解できなくても、主が仰せられるのであればそれに従う必要があります。

・網:15-17節
バビロンによって、ユダは魚のような扱いを受けます。それも神様がされていることなのですよね?とハバククは問うています。
また、「引き網に香をたく」と書かれています。自分の力を神としてあがめているということです。

【2章】幻

・幻を板の上に書いて確認せよ:1-3節
ハバククは主に訴え、その上で見張り所に立っています。そこでは敵がやってくるのを見張ります。そのように、主を見張り、どんな小さなメッセージも聞き逃さないという姿勢です。
主のことばはか細いものです。また、シンプルです。そして、求め続ける者にしか語られません。主のことばを受け取るのに必要なのは信仰と忍耐です。
2節からを見ると、主が答えられ、幻を見せてくださっています。それを板の上に書いて確認せよと言われています。この幻は定めの時についての証言です。ハバククは1:2で「いつまで」と祈りました。それに対する答えです。ですから、曖昧な記憶で混ぜ物をしてはいけません。語られるときに、それを正確に書き取る必要があります。
私たちはこれを生活に適用できます。人から言われたことをなんとなく聞くのではなく、メモを取りながら聞くなら、相手にとても良い印象を与えます。自分も聞いたことを忘れにくくなります。特に仕事の中では重要でしょう。普段から工夫して、自分なりのメモ術を身につけてみましょう。

・正しい人は信仰によって生きる:4節
ユダの人々はバビロンに連れて行かれました。その中で信仰を守り抜く必要があります。外国の地で信仰を持つことは大変です。人々から馬鹿にされるでしょう。迫害されるでしょう。
かつては、ノアも山で箱船を造るときに、人々から馬鹿にされながらも主の約束を信じて作り続けました。どのような状況であったとしても、主を信頼し続け、誠実さを守り抜くことが大切です。そのような生き方は「正直者が馬鹿を見る」という状況かも知れませんが、イエス様のためならそれでいいのではないでしょうか?信仰の先輩から学びましょう。主が見えないとき、わからないときも約束を強く握り、ただひとつ、主への望みを持ち続けましょう。
正しい人は信仰によって生きるのです。

・高ぶる者には定まりがない:5-8節
カルデヤ人は暴虐な民俗です。そして、酒が好きでした。バビロンの最後の王、ベルシャツァルも、自分の国が滅びかけている中で毎日のように宴会を開き、神の宮の器で酒を飲んでいました。
彼らは酒に酔い、暴虐の限りを尽くして人の物を略奪していきます。その報いを受け取り、バビロンが滅びるときに、彼らは奪い取られてしまいます。

・あなたのたましいは罪を犯した:9-11節
ここでばバビロンが一つの家にたとえられています。自分の町を建てるのに国々を滅ぼし、略奪した物によって建てています。そして、自分たちは害を受けないように高い所に巣を作っています。
これは権力をも表しています。ある人はあまりにも権力をふるい、人々をねじ伏せようとするので誰も何も言えなくなってしまいます。しかし、主は聞かれています。その家の石垣から声がして、梁が答えています。人に知られなくても、主とまわりのものは知っています。

・水が海をおおうように:12-14節
ここで災いがあります。バビロンは国々を征服し、奴隷として人を連れてきて、彼らを働かせて作らせた国です。しかし、それは火で焼かれてしまいます。
そして、バビロンが倒れることで主の栄光が表されます。世界中が震え上がるようなバビロンが滅ぼされるのを見た国々は、主の栄光を見るのです。

・暴力をふるったため:15-17節
主の栄光が満ちる一方、バビロンの栄光は恥で覆われます。彼らは周辺諸国をとりこにするときに、人々に恥をかかせました。しかし、いざ自分たちが滅ぼされるときにそれ以上の恥をかかせられています。彼らは陽の皮を見せられます。つまり、割礼を受けていない男性器を見せられるというとてつもない屈辱を受けます。自分の蒔いた種は良いことであっても悪いことであっても、必ず刈り取りをしなければなりません。

・それは像だ:18-20節
ここでの災いは像に関してです。つまり、偶像礼拝です。偶像は自分たちの願望が形になった物です。私たちはまず思いの中で偶像を作り、それに知らず知らずのうちに従います。お金、権力、成功、占い、ミニストリーなど、あらゆるものが偶像となります。その様な者に限って、困ったときに神に頼もうとします。主はそのような関係は望まれていません。日々の親密な交わりを求めておられます。しっかりと自分のたましいに教えてあげましょう。主以外に頼ることは意味の無いことだと。
主は「聖なる宮におられ」ます。このお方の前に進み行き「全地よ、主の御前に静まれ」とあるように、日々の忙しさを捨てて、主の前に静まる時が必要です。
普段の生活の必要をストップし、主を見上げるのが安息日です。主のために自分の時間をささげてみましょう。

【3章】ハバククの祈り

・この年のうちに:1-2節
時に、主に祈ったこと以上を主がかなえてくださり、祈った自分が驚くと言うことがあります。ハバククもそれを体験した人でしょう。バビロンを用いてユダの家を悔い改めへと導き、その後そのバビロンが滅ぼされると言うことです。主の心を知ったハバククは祈ります。その祈りは弦楽器と共に捧げられています。まるでハバククの詩篇のようです。シグヨノテとは詩篇にある調べです。
ハバククは主がバビロンに対してどのようにされるかを聞きました。「この年の内に」とありますが、近い将来、これが起こります。その幻があまりにも鮮明なので、「それを繰り返してください」と願っています。余りにも鮮明な幻は、バビロンの破滅を疑似体験したような感覚かも知れません。
その中で、ハバククは「激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」と願っています。ユダがバビロンによって裁かれることを受け入れ、認めています。神の怒りが下ることを覚悟しています。しかし、その怒りは永遠に続く者ではありません。主は彼らを滅ぼし尽くすのが目的ではなく、倒して再び立ち上がらせられます。主はいつでも憐れみ深いお方です。

・尊厳は天をおおい賛美が地に満ちる:3-7節
ハバククはかつて主がして下さった良いことを思いながら、終わりの日を見ます。
主はかつて、荒野の山で現れて下さいました。そして、律法を与えてくださいました。また、火の柱、雲の柱として彼らを導いてくださいました。
5節には疫病が出てきます。現代の私たちにとっては切実な問題です。主の御前を疫病が息、熱病は後ろに従っています。主がおられる所には疫病もえやみも無いことを感謝します。
6節は「とこしえの山は打ち砕かれ、永遠の丘は低くされる」とあります。これは実際のことと言うよりも、霊的な事でしょう。変わらないと思えるほどの権力は打ち砕かれ、主の主権が立ちます。また、イエス様が再臨されたときのオリーブ山を啓示しているのかも知れません。しかし「その軌道は昔のまま」とあります。主は昔も今も、とこしえまで変わらないお方です。

・救うために出てこられる:8-13節
この箇所では、主が天から下られて、地上にいる主に敵対する勢力に対して戦ってくださる主の偉大さがたたえられています。
ここで出てくる川はヨルダン川でしょう。ヨシュアたちがヨルダン川を渡るとき、そこは乾いた地となりました。
9節からは、弓の覆いが取りのけられています。そしてことばの杖の近いが果たされます。主がみことばによって治める様子です。
11節の出来事はヨシュアが祈って太陽と月が丸一日止まった事です。

・追い散らそうと荒れ狂う:13-15節
主はご自分の民を救うため、油注がれた者を救うために出てこられます。これは主が再臨されたときの事を啓示しています。世界中に散らされたイスラエルの民を主が集められます。それを見た反キリストが一所に集められたユダヤ人を殺そうとしますが、主が急いで戻ってこられて、御口からでるみことばでそれを阻止されます。
ハバククは過去の主のなされたことを思い起こし、主は真実なお方なので必ずそれをバビロンにして下さると信じています。また、終わりの日にもそのようになります。「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出して下さいます。なおも救い出して下さるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」(2コリント1:10)

・腐れは私の骨の内に入る:16節
主は確かにハバククの祈りに答えてくださいました。幻によって余りにもリアルに語られたので、くちびるが震えています。腐れが骨の内に入ります。足もとがぐらついています。そのような時にどうすれば良いのでしょうか。ハバククは「静かに待とう」と言っています。今まで主に願い、訴えていたことをストップしています。主に申し上げるだけ申し上げて、あとは黙って待っています。これが信仰です。

・神は私の力:17-19節
ハバククの名前の意味は「喜び迎える」でした。ミカも自分の名前の意味を「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか」と最後に語りました。ハバククも同様に自分の名前をここで語っています。
これから実際にユダに飢饉がやってきます。その後、バビロンが攻めてきます。ハバククはそこから逃げようとしません。それらを認め、受け入れます。どうしてでしょうか。その先にある喜びを知っているからこそ、喜び迎えることができるのです。
イエス様もあの苦しい十字架を忍ばれました。どうしてでしょうか。その先にある栄光をご覧になっていたからです。私たちはどうでしょうか。主にきぼうを置いているでしょうか。このきぼうは失望に終わることはありません。
私たちもハバククのように宣言しましょう。「私の主、神は、私の力。」と。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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