聖書通読クラブ Day 274

聖書通読クラブ Day 274【ミカ書 4章-7章】

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シャローム!

今日でミカ書が終わります。後半では、イエス様を色濃く預言した箇所が出てきます。
人の信仰が試される場面もあります。ここでは、困難の中で試されます。自分にとって都合が悪いとき、私たちがどのような反応をするでしょうか。教会の居心地が悪くなったからと言って、簡単に教会を変えてしまったり、人から気に入らない事を言われたからといって教会に来なくなったりしていないでしょうか。
また、もう一つレベルの高い試しは、私たちが祝福されたときです。あまりのうれしさに舞い上がってしまい、主に一番に感謝することを忘れがちです。
そして、最もレベルが高いのは生ぬるさの中での信仰です。何もない平穏な日常の中で飢え乾き、主を求めることは困難な時があります。それでも、私たちはどこまででも主を求めていきたいと願います。今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:ミカ書 4章-7章

■アウトライン

●その日のシオン:4章
  ・ヤコブの神の家に上ろう:1-5節
  ・エルサレムの娘の王国が帰ってくる:6-8節
  ・立って麦を打て:9-13節

●イエス・キリストの預言:5章
  ・勢揃いせよ:1節
  ・支配者になる者が出る:2-6節
  ・敵はみなたち滅ぼされる:7-9節
  ・聞き従わなかった国に復讐する:10-15節

●主の訴え:6章
  ・主の言われることを聞け:1-2節
  ・思い起こせ:3-5節
  ・主は何をあなたに求めていおられるのか:6-8節
  ・御名を恐れることがすぐれた知性:9-16

●罪の大きさと救い:7章
  ・友を信用するな:1-7節
  ・敵は道のどろのように踏みにじられる:8-10節
  ・石垣を建て直す日:11-13節
  ・羊を飼ってください:14節
  ・異邦の民も主を恐れる:15-17節
  ・あなたのような神が、ほかにあるでしょうか:18-20節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【4章】その日のシオン

・ヤコブの神の家に上ろう:1-5節
聖書で山は特別な意味があります。以前に山は変わらない権力の象徴でもあるとお伝えしたと思います。モーセは山で律法を受け取りました。イエス様も山上の垂訓を語られました。そして、再臨されるときもオリーブ山に立たれます。そのように、終わりの日、主の家の山は、山々の頂に堅く立ちます。そして、多くの国民がそこに上ってきます。主が再臨され、この地を治められるとき、本当の平和が実現します。もう武器は必要ありません。ですから剣を鋤に、槍をかまに打ち直しています。私はよく、平和について考えます。前にもお伝えしたかも知れませんが、「世界に平和を!」といってデモ行進している人通しがデモ中につかみ合いのけんかをしていました。本当の平和はキリストを通してでしか実現されません。
「自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわる」とは、これも平和な姿を現しています。本当の平和、シャロームとは単に争いがないという状態ではありません。そもそも、争いの元は何でしょうか。「自分が、自分が」と主張することが争いの元です。イエス様はそのような自我を砕いて下さり、代わりに主の心を置いて下さいます。そこにいる人全員にキリストの心があるので、ひとつになることができます。なんと素晴らしい世界なのでしょうか。
また、ぶどうやいちじくの木の下にいることは満たされている事も表しています。果実がすぐ手の届く所にあります。そのことを考えるといちじくの木の下にいたナタナエルは、このような満たし、主の平和を求めていた事がわかります。
そこに集う人々はみな、主の御名によって歩んでいます。主の名を呼ぶ者は救われます。

・エルサレムの娘の王国が帰ってくる:6-8節
その日、主は足のなえた者を集めて下さると書かれています。弱い者が強い者に変えられます。イエス様の十字架の後、弟子たちに聖霊様が注がれ、最初に行った奇跡は美しの門で足なえをいやしたことです。神の御国と歩けない者が癒やされるというのは深い関係があるのかも知れません。確かに、神の武具の中では「足には平和の福音の備えをはきなさい」とあります。神の道を歩むことをあきらめてしまった人が、主によってもう一度立ち上がる力が与えられますように。

・立って麦を打て:9-13節
シオンの娘と書かれていますが、これはユダです。子を産むような苦痛、すなわちバビロンに滅ぼされるという苦痛を味わいました。その苦しみを経た後、彼女に救いが訪れます。それはバビロンの捕囚から逃れると言うことではありませんでした。主の命令はバビロンに捕囚されろというものでした。その70年の間、本当に苦しみますがその中で彼らは造りかえられます。そしてクロス王の心を主が動かされ、ユダの人々は解放されます。本当の救いの喜びは、苦しみを通されたものしか味わうことのできないものです。
黙示録では二人の預言者が出てきて、反キリストに殺されます。それを世界中が見るとあります。そのように、シオンが犯されるのを見ようと国々が集まっています。しかし、それは主が彼らを集められたことなのです。イエス様も毒麦のたとえの中で、途中で毒麦を見つけてもそのままにしておきなさいと言われます。収穫の時に毒麦が集められ、火に投げ入れられます。

【5章】イエス・キリストの預言

・勢揃いせよ:1節
軍隊の娘が勢揃いしています。そして、何をするかというとイスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つとあります。正に、イエス様の十字架の時、ユダヤの議会で頬を打たれたイエス様の姿のようです。

・支配者になる者が出る:2-6節
ここは、キリストがベツレヘムのエフラテから出てくる預言です。実はベツレヘムはゼブルンの地にもあるそうです。ですから、こではっきりと「ベツレヘム・エフラテ」と書かれています。創世記35:19には「彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。」とあります。ベツレヘムは「パンの家」と言う意味、エフラテは「実り豊か」という意味です。ここから支配者が出ます。
ここはユダの中で最も小さいものです。あのダビデもベツレヘム出身です。しかも八番目の子どもで、どうやら本家と別の所で暮らしていたようです。そのような小さな者がイスラエルの王となりました。
イエス様もベツレヘムの家畜小屋でお生まれになりました。その時、東方の博士が星の出現から救い主の誕生を突き止めました。ヘロデはその博士を招き、救い主について聞きましたがその時に引用されたのがこの箇所です。「わたしはいのちのパンです」(ヨハネ6:48)と言われたイエス様は「パンの家」という所でお生まれになりました。
3節の「産婦が子を産む」とは苦しみを意味しています。イエス様が来て下さるまでは、イスラエルは平和に見えても苦しんでいました。主はそのままにされていましたが、定めの時、聖霊様が注がれ、その後、救いが異邦人に及びます。「彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる」とあるとおりです。
イエス様が再び戻って来て下さるなら、主はそのご威光で群れを飼い、安らかに住んで下さいます。主の完全な統治です。
5節からはアッシリヤと書かれていますが、終わりの時代にはイスラエルを攻める連合国がそれにあたるでしょう。「七人の牧者と八人の指導者」とは本当にその数かも知れませんが、ヘブル語独特の表現で「完全な、有り余るほどの」と言う意味になります。イスラエルが圧倒的な力をもってアッシリヤ全土を制圧します。

・敵はみなたち滅ぼされる:7-9節
終わりの時、ヤコブの残りの者、患難から救い出された残りの者は人に望みを置きません。私たちは生きていて失望します。それは人に期待しているからでしょう。イエス様についてもこのように書かれています。「しかし、イエスは、ご自分を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」(ヨハネ2:24-25)私たちもキリストにのみ望みを置きましょう。
その様な者は、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のような強さを持っています。主が共にいて下さるからです。

・聞き従わなかった国に復讐する:10-15節
ここでは先ほどと違い、主に従わない者に対する報いがあります。神以外に馬や戦車に頼っています。今まで見てきた中でも、このような事が多くの場所に出てきました。また、霊的な力を持った者も出てきました。そして偶像です。人はこのように神を知らなければ力、精神的なもの、宗教的なものに頼ろうとします。
さらに、アシェラ像が出てきますが、これは性的なシンボルです。これが根こそぎにされます。今で言えばポルノへの依存でしょうか。それらが主によってことごとく取り去られます。

【6章】主の訴え

・主の言われることを聞け:1-2節
ここでは、山々や丘が主の声を聞けと言われています。まるで大自然が裁判の法廷の場になっているようです。天地を証言台に立たせて、主がご自分の民に訴状を突きつけています。すべての被造物は主に従っています。イスラエルの行ったことを隠そうと思っても、主の御前と自然のまでは隠すことはできません。

・思い起こせ:3-5節
主はイスラエルが神から離れてしまったが、神である自分に何か落ち度があっただろうかと問いかけられています。主は良いお方です。このお方から出るものはすべて良いものです。
主はモーセ、アロン、ミリヤムを送り、エジプトから解放されました。バラクはイスラエルを呪わせようとしてバラムを雇いますが、バラムはイスラエルを祝福しました。シティムはイスラエルの民が荒野からヨルダン川を渡る前に宿営した地であり、ギルガルは渡り終えた時に宿営した地です。
今まで主は何度も何度も何度もイスラエルに救いの御手を伸ばして下さいました。人々が一方的に神から離れていったのです。神には何の落ち度もありません。私たちの中の罪の性質が神から私たちを引き離そうとさせます。

・主は何をあなたに求めていおられるのか:6-8節
主は良いお方です。このお方にいけにえをささげる事は喜びでしたが、人々はそのことを、あたかも神が犠牲を要求しているように訴えています。しかし、主はそのような物質的なものを求めておられるのではありません。主が欲しいと願われているのは私たちの心です。
主が求めておられることであり、良いことは公義を行うこと、誠実を愛すること、そしてへりくだって神と共に歩むことです。

・御名を恐れることがすぐれた知性:9-16
世の人々は頭が良くなるために一生懸命努力し、お金や時間を投資します。しかし、主を恐れることこそがすぐれた知性です。私たちが一番最初に知らなければならないことです。箴言にも書かれていますが、主を恐れることは知識のはじめ、知恵のはじめです。
ところが彼らが行っていたことは狡猾さを求めることでした。ばれないようにはかりの目方を変えたり、平気で嘘をいったりして不正に儲けています。
石川啄木は「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」と書きました。そのように、一生懸命働いてもその実を楽しむことができない様子が書かれています。これも主の懲らしめのひとつです。なぜなら、自分のためにだけ行っているからです。外から見ると立派に見えるでしょう。しかし、詩篇1編にあるように、それは実の無いもみがらです。風が吹くと飛んで行ってしまいます。
そのように、何をしても実りがないことは主からのメッセージです。立ち止まってみことばから祈る必要があるかも知れません。

【7章】罪の大きさと救い

・友を信用するな:1-7節
ミカは敬虔な者、神の御前に正しく歩む者がいなくなったことを悲しんでいます。それを「夏のくだものを集める者」と表現しています。なぜなら、夏はすでに収穫が終わった季節なので、集めようとしても何も残っていないからです。
3節からは、本来は神の働きをするはずの人の手が不正に満ちています。また、彼らの善人もいばらのようになっています。そして、親しい者への信頼が薄れていっています。イエス様もマタイ24:12で「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」と言われています。また、5節を読むとマタイ10:21を思い出します。「兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。」
そして、7節からミカの悔い改めがはじまります。そして、真の信仰の姿を見ることができます。このような状況でも、主を仰ぎ見、救いの神を待ち望みます。これが信仰です。

・敵は道のどろのように踏みにじられる:8-10節
あくまは初めからうそつきです。ですから、私たちが失敗したときに「イエス様を信じているのに、そんなことを行ったのか」と攻めてきます。あらゆる手をつくして神から引き離そうとします。
ところが主は、一時的にこのような状況を許されるときがあります。そのことを通して、自分が行ったことがいかに悪いことかを知ります。そして、その罪を認め、主に赦しを求めるなら主は赦してくださいます。悪魔もそれに近づくことはできません。

・石垣を建て直す日:11-13節
イスラエルの石垣が回復するとき、守りが強固になり、国境も広げられます。「アッシリヤからエジプトまで」とありますが、イザヤ19章の預言と同じです。北と南の大国が主にひれ伏すことで、中心のイスラエルも祝福を受けます。

・羊を飼ってください:14節
ミカは主に祈ります。まことの羊飼いであられる主に自分たちを飼って下さいと祈ります。「林の中、果樹園の中に、ひとり離れて住んでいます。」というのは、優しい主が保護し、他国から守ってくださている様子です。バシャンとギルアデは、かつてマナセの半部族、ガドとルベンが「ここは放牧に適しているので、私たちに割り当てとして与えてください」と願った土地です。そのように自分たちも安らかに済ませてくださいという祈りです。

・異邦の民も主を恐れる:15-17節
主はミカの祈りに答えてくださいます。出エジプトの奇跡をもう一度行ってくださるというのです。
それは、主を認めなかった者たちが神を見て、自分の恥を知るということです。その者は地をはうもののようになっています。ちりをなめています。これは何の性質でしょうか。サタンです。終わりの時、彼らは震えながら主の前に出てきて、主を恐れます。主は再び来られるとき、信じる者にだけそっと現れてくださるのではありません。世界中の人がはっきりとわかる形で来られます。
イエス様が十字架にかかられたときも、ローマ兵の一人は「このお方はまことの神であった」と認めています。私たちはその時まで待つのではなく、今日という日に主を恐れることを知りましょう。

・あなたのような神が、ほかにあるでしょうか:18-20節
これは昨日の冒頭でも触れました、ミカの名前の意味です。ミカはなぜこのように驚き、主を誉め称えているのでしょうか。それは神の豊かな赦しのゆえです。残念ながら、武力や経済は世界を救うことはできません。ただ、イエス様の強い愛、赦す愛が世界を救います。
そして、最後には咎を踏みつけ、罪をすべて処理してくださるように求めて祈っています。主は終わりの時代の最後の最後に、悪を完全に滅ぼしてくださいます。そして、アブラハムに与えられた約束、ヤコブに与えられた約束が信じる者にも有効となります。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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