シャローム!
今日からはミカ書の通読になります。ミカは公儀と正義と勇気と主の霊に満たされた預言者です。彼はモレシェテという小さな町の出身です。彼の預言の特長は、ユダとイスラエルの上に立つ者に対してはっきりと預言をします。
ミカが最も伝えたかったことは、残された小さき者が神の国を受け継ぐと言うことです。たとえ私たちが及ばないほどの大きな権力に取り囲まれていたとしても、主はへりくだる小さき者を通して御心を成し遂げられていきます。
今日もみことばから教えられていきましょう。
今日の通読箇所:ミカ書 1章-3章
■アウトライン
●ヤコブの背きの罪:1章
・主は降りてこられる:1-7節
・打ち傷はいやしがたい:8-9節
・罪の初めであった:10-16節
●貪欲さに対するさばき:2章
・ゆすり取る者:1-5節
・たわごとを言うな:6-7節
・ここはいこいの場所ではない:8-11節
・ヤコブをことごとく必ず集める:12-13節
●民を食い物にするリーダーたち:3章
・主は彼らから顔を隠される:1-4節
・力と主の霊と公儀と勇気に満ちる:5-8節
・エルサレムは廃墟となる:9-12節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【1章】ヤコブの背きの罪
・主は降りてこられる:1-7節
まず、ミカが活躍した時代を確認しましょう。「ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代」とあります。また、彼の出身はモレシェテという小さな町です。エルサレムから南西に約35kmほどの所にあります。
また、ミカという名前は「だれがヤハウェのようであろうか」と言う意味です。ミカ自身が7章で「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。」と告白していますが、それが彼の名前です。
2節からを見ると、「「すべての国々の民よ。聞け」と語られています。これはユダと北イスラエルに語られていることでありますが、同時に異邦人にも語られていることです。
また「主はその聖なる宮から来て証人となる」と書かれています。これは天から下った神の御子を啓示しています。最初に来られたときはマリヤの胎に置かれましたが、二度目に来られるときには天から雲に乗って降りてこられます。その時、主はオリーブ山に降り立ちます。そして、山は溶け去り、谷が裂けます。終わりの時代にはそのようになりますが、この時も二つの山、すなわちサマリヤとエルサレムを裁かれます。
山は動かないものの象徴です。しかし、主が来られるなら、「山に向かって海に移れ」と信仰を持って宣言すればその通りになります。主は地上のどのような権力をも溶かす力を持っています。
5節からは、ミカはストレートにヤコブのそむきの罪を語ります。サマリヤに対する主のさばきからユダに対するさばきに及んでいます。北イスラエルの首都であるサマリヤが廃墟となり、ぶどう畑となり、石が投げ入れられます。そして、彼らが偶像から得た収益は火で焼かれてしまいます。
・打ち傷はいやしがたい:8-9節
主はこの状況を嘆いておられます。おそらく、ミカ自身も主と同じ心を持ってこの状況を見ていたのではないかと思います。ミカは非常に厳しいことばを語りますが、それは彼の願いではありませんでした。そうなって欲しくないと思っていたでしょう。しかし、神のことばを受けたのなら、それを語る必要があります。預言者の働きはそのような葛藤がいつもあるのです。
ここにジャッカルとだちょうが出てきます。共に廃墟や荒れ地にすみつく動物です。また、だちょうは無慈悲な生き物として聖書にでてきます。このような主の呪いのようなものがサマリヤに及びましたが、それがユダにまで達することをミカは嘆いています。
・罪の初めであった:10-16節
ここに出てくる町々はアッシリヤが踏み荒らした町々です。ここに書かれている町々の名前がそのままこの預言となっています。
「ガテで告げる(ナガド)な。激しく泣きわめくな。ベテ・レアフラ(ちりの家)でちりの中にころび回れ。シャフィル(美)に住む者よ。裸で恥じながら過ぎて行け。ツァアナン(出て行く)に住む者は出て来ない。ベテ・エツェル(嘆きの町)の嘆きは、あなたがたから、立つ所を奪い取る。マロテ(苦み)に住む者が、どうして、しあわせを待ち望めよう。エルサレムの門に、主からわざわいが下ったのに。ラキシュ(早馬)に住む者よ。戦車に早馬をつなげ。それはシオンの娘にとって罪の初めであった。イスラエルの犯したそむきの罪が、あなたのうちに見つけられたからだ。それゆえ、あなたは贈り物をモレシェテ(相続)・ガテに与える。アクジブ(座)の家々は、イスラエルの王たちにとって、欺く者となる。マレシャ(相続)に住む者よ。わたしはまた、侵略者をあなたのところに送る。イスラエルの栄光はアドラム(逃れの町)まで行こう。」
【2章】貪欲さに対するさばき
・ゆすり取る者:1-5節
ここでは人々が相続地をゆすり取っている姿があります。自分たちの私腹を肥やすために土地を奪い取っています。これは主に対する罪です。なぜなら、この土地は主のものだからです。主がアブラハム、イサク、ヤコブとイスラエルの人々に与えた土地です。
北イスラエルの王、アハブはナボテのぶどう畑が欲しいと言うと、妻のイゼベルが働きかけ、ぶどう畑を取り上げました。ユダの人々も同じような事を行っていました。彼らはそれを寝床で考え、朝の光と共に実行していました。悪巧みです。
そのような高ぶり、放漫を主が打ち砕かれます。アッシリヤが来て土地を奪い取られます。そのことをユダの民が嘆きます。彼らは自分の行った報いを受け取りました。
・たわごとを言うな:6-7節
ここは面白い言い回しをしています。何を言っているかと言えば罪に対してのことばをもっていない預言、つまり偽預言です。現代においても繁栄ばかりを強調したり、恵みだけを取り扱う教会があります。それも神様の素晴らしい側面ですが、不完全です。神の憐れみと裁き、両方の側面が必要です。罪に対して語られない福音は不完全な福音です。神が人の罪に対して何も行われない、弱い存在とすることで、神を神で無いものにしています。
最近では、SNSなどでも神様を面白おかしく書いている文章を見かけます。未信者へ届けたいという思いからその様にしているので章は、私は個人的には全く面白くありません。心が引き裂かれそうになります。神の神聖が損なわれるような気持ちになります。主は主権を持って働かれるお方です。もちろん、未信者への愛と配慮は必要ですが、真理は曲げてはいけません。神は神です。私たちは神に造られた者であります。しかし、人は罪を犯しました。これは自分ではどうすることもできません。そこで神がひとり子を遣わしてくださり、私たちの身代わりとして死なれ、葬られましたが、三日目によみがえられました。ですから、私たちはこのお方を信じ、心を改めます。そしてこのお方に信頼して歩みます。これが福音です。
・ここはいこいの場所ではない:8-11節
彼らは、主が自分たちの味方であり、敵を打ち破ってくださると信じていました。しかし、問題は彼ら自身が主に敵対しているということです。人々はつましく生活していましたが、そのささやかな安らぎの場所をも奪い取りました。ここに書かれていることは律法違反です。
ところが、彼らは自分たちが快適な生活をしているので、それを主が下さった安息だと思っています。主は「ここはいこいの場所ではない。ここは汚れているために滅びる。」と言っています。
私たちも気をつけなければなりません。うまくいっていることがすべて主の導きだとは限らないからです。サタンはこの世の君です。イエス様が荒野におられたとき、イエス様に対して、「私にひざまずくなら全てをやる」と言いました。ですから、物質的な祝福をもって私たちを誘惑することもありえるのです。サタンは豊かな祝福と思えることを送り、私たちから神への飢え乾きを奪い、礼拝する心を無くしてしまいます。
みことばを読み、祈る中で罪が示され、惨めな思いにならないなら、私たちは自分をもう一度点検しなければならないでしょう。聖霊様の助けを求めて、みことばから悔い改めに導かれますように。
・ヤコブをことごとく必ず集める:12-13節
このように、主は罪を犯している者を滅ぼされます。しかし、主に立ち返る者をわずかですが残されます。そのことを主は約束してくださっています。
13節には、主の主権によって敵が倒されています。イエス様が先頭に立ってイスラエルのために戦ってくださっています。この戦いに私たちも召されています。主に従い、主と共に勝利を味わいましょう。
【3章】民を食い物にするリーダーたち
・主は彼らから顔を隠される:1-4節
ここからは、イスラエルのリーダーたちに語られる神のことばです。ここでは首領について語られ、次の5-8では預言者たちに語られています。彼らは人に仕えるのではなく、自分たちの立場を利用して悪を行っていました。
2-3節に生々しくその様子が書かれています。そのことに主はどのように対応されるのでしょうか。4節を見ると、彼らが主に助けを求めて叫んでいます。しかし、主は答えられません。主が彼らに権威を与えられましたが、彼らは権威を与えてくださった主を恐れもせず、敬いもせず、へりくだりもしていません。
神を恐れる者にはいつも平安があります。しかし、神を認めようとしない者にはこのような虐げが蔓延します。
・力と主の霊と公儀と勇気に満ちる:5-8節
この箇所は預言者に対してです。金銭の損得でことばを変える預言者の姿があります。自分に何かをくれるものには平和や祝福を祈ります。しかし、何もくれないものには聖戦を宣言します。
その報いとして、彼らが辱めを受けます。彼らが必要としているときに主からの幻が与えられません。人々が預言を必要としているときに全く役に立たなくなります。
人々が神のことばが必要なときに預言者たちは神のことばを語れないので、彼らは汚れたものと見なされます。「口ひげをおおう」とありますが、ツァラアトの人に対して「汚れている」と叫ぶときにする仕草がこれです。聖く無ければならない預言者が汚れたものとなりました。
しかし、それと対照的に神に従う預言者の姿が8節にあります。ミカもその一人です。神を恐れる預言者のことばには力があります。なせなら主の霊、主の御霊がおられるからです。そのことばは公義に満ちています。なぜなら神のことばそのままだからです。預言者は人の耳を楽しませることばは必要ありません。そのために勇気が必要です。人々の反発の声にも迫害にも主と共に乗り越えていく勇気を持っているのが真の預言者です。
・エルサレムは廃墟となる:9-12節
ヤコブの家の頭の者たちは、神の約束を委ねられた者たちです。しかし、恵みを放縦に変え、神殿の丘で悪を行っていました。さばく立場の者は賄賂を受け取って、正しいさばきをしていません。祭司は律法を教えず、代金を取って教えをし、商売の道具としていました。預言者も同様です。
彼らはどうして神の器であるのに、このような事を続けたのでしょうか。それは、「主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかってこない」と思っていたことです。平たく言うなら、怒られないからこのまま続けても大丈夫と思っていました。そうではありません。私たちは聖書を読み、その中から御霊によって教えられる必要があります。それが成熟した信仰者の姿です。いつまでもすべてを牧師に頼る所から成長していきましょう。自分でみことばを読みましょう。そして、必要な時に牧師先生に頼るようにしましょう。私たちは霊的な成熟を目指し、日々いのりのみことばの生活に励んでいきましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。