聖書通読クラブ Day 272

聖書通読クラブ Day 272【ヨナ書 1章-4章】

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シャローム!

今日は一日でヨナ書を通読します。ヨナという預言者は非常にユニークです。多くの預言者は神からの召命を受けると、力強いことばや働きをもって神のことばを伝えます。ところが、ヨナは神からの召命を受けた途端に逃げてしまいます。しかし、主はヨナに寄り添ってくださり、様々なことをして下さいます。
このヨナ書を通して、主のどのような部分を知ることができるでしょうか。今日もみことばから教えられていきましょう。

今日の通読箇所:ヨナ書 1章-4章

■アウトライン

●神の召しからの逃亡:1章
  ・主の御顔を避ける:1-3節
  ・難破しそうな船:4-6節
  ・だれのせいか、くじを引く:7-10節
  ・海に投げ込まれるヨナ:11-17節

●魚の腹の中から祈る:2章
  ・ヨナの祈り:1-6a節
  ・ヨナを吐き出す魚:6b-10節

●悔い改めるニネベの人々:3章
  ・ニネベで叫ぶ:1-5節
  ・断食の布告:6-9節
  ・わざわいを思い直す:10節

●神のなぐさめ:4章
  ・不愉快になるヨナ:1-4節
  ・一本のとうごま:5-11節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】神の召しからの逃亡

・主の御顔を避ける:1-3節
ヨナはヤロブアム二世の時代の人物です。出身はガテ・ヘフェルです。この町はゼブルン族の割り当て地でした。また、イエス様が尾だった町、ナザレから数キロしか離れていない町です。ですから、イエス様はご自分の復活の事を話すとき、「しるしはヨナのしるし以外ない」と言われたとき、人々は同郷のヨナのことを容易に思い出せたのでは無いかと思います。
ヨナは神からの召命を受けました。これは非常に喜ばしいことです。しかし、なぜヨナは主の御顔を避けたのでしょうか。
一つ目の理由は、敵に神の恵みが注がれるからです。4:2を見ると、ヨナは主が憐れみ深い方であることを知っていました。ところがその憐れみは自分に注がれるのではなく、これから自分たちを滅ぼそうとしている敵に注がれます。たとえば自分の家族が殺されたとします。しかし、犯人は有罪とされながらも全ての罪が赦され、悠々自適に生きています。その時の自分の状況を考えてみてください。ヨナはそのような気持ちでした。
ヨナが主の御顔を避けた二つ目の理由は、ニネベという国の国民性にあります。当時のニネベはテロリスト国家のような国でした。自分が征服した所の民に対して、残虐な取り扱いをすることで周辺諸国を恐れさせていました。その方法は征服された人たちの手足を切り落とし、目をえぐり出し、捕らえ移すときには口に鉤をつけて引いていき、時には人間を串刺しのようにして並べたり、生きたまま皮をはいだりしていたそうです。ヨナはそのような残虐な民俗が救われてはいけないと考えたのです。
また、地形の面から見てみましょう。まずニネベはイスラエルから見て東方に900kmほどの場所にあります。一方、タルシシュはスペインの町で、イスラエルから見て西方に4000kmほどの所にあります。そこは当時「西の果て」と言われるほど僻地でした。ヨナは地球の反対側にまで行くような覚悟で主から逃げました。
また、ヨナがタルシシュへ行く時の港はヨッパでした。これは新約聖書では異邦人宣教と関わりがあります。ペテロが屋上にいるときに空から敷布が降りてきて、あらゆる汚れた動物が載っていました。それを主は「ほふって食べなさい」と言われますが、三度断ります。そこで主は「神がきよめたものを食べてはならない」と言われます。この後、異邦人がたずねてきます。そのことがきっかけで異邦人への伝道の扉が開かれます。

・難破しそうな船:4-6節
ヨナは神の召しに自分の意思で逆らいます。しかし、主は彼への召しをあきらめません。
ところがこの時の状況は大変なことになっていました。大風が吹き付け船が難破しそうになります。水夫が恐れるほどの大風です。ここでヨナは何をしていたのでしょうか。なんと船底で寝ていました。ヨナはとことん神から逃げています。天から遠い地の深みへと進んでいます。彼が召しを受けたのはイスラエルの山です。そこからヨッパに下り、船底に行き、その後海に投げ込まれ、ついには魚の腹の中にまでいきます。
ヨナはイエス様が嵐の中で眠っておられたのとは別の理由で寝ています。イエス様は平安の中、眠られていましたが、ヨナは現実逃避から眠っていました。

・だれのせいか、くじを引く:7-10節
船の乗客はあまりの嵐に恐れます。これはただ事ではないと悟り、くじを引いて誰のせいでこの嵐が起こるかを見定めようとします。そして、そのくじにも主の御手が働かれ、ヨナにあたります。
人々はヨナを問い詰める中で、彼は「自分はヘブル人だ」と告白します。そのことが益々人々を恐れさせます。当時、周辺諸国はイスラエルの神がいかに偉大なお方かを知っていたからです。

・海に投げ込まれるヨナ:11-17節
ヨナは主の御顔を避けていました。それを知った人々はヨナにどうすれば良いかを聞きます。するとヨナは驚くべき答えをします。自分を捕まえて海に投げ入れろと言います。
主の召しにどこまでも抵抗しています。死んでもニネベの人々に神のことばを告げないという決心が見て取れます。
しかし人々は、神の預言者を海に投げ込むと、益々主の怒りが増し加わるのではないかと恐れます。ですから、なんとかして船を陸に戻そうとしますが、益々海は荒れ、結局なすすべがなく人々は主に祈ります。異邦人が「主よ」と祈っています。その上でヨナを海に投げ込みます。すると、本当に嵐がおさまり、凪になります。
それを目の当たりにした船に乗っていた人々の心境はどのようなものだったでしょうか。余りの恐れから、彼らは主にいけにえをささげ、誓願を立てました。こうして、ヨナの不従順を通して船の人々が主に立ち返りました。
イエス様の十字架の後の異邦人伝道も、ユダヤ人がイエス様を拒んだから異邦人への扉が開かれていきました。ユダヤ人の不従順が用いられたのです。
だからといって不従順が良いというわけではありません。たとえ人が不従順であったとしても神のご計画は変わることが無いということです。
海に投げ入れられたヨナはどうなったでしょうか。主はヨナを死なせませんでした。魚を用意して、ヨナを飲み込ませられます。そして、三日三晩を魚の腹の中で過ごします。この次の章でヨナは魚の腹の中から祈ります。おそらく、後にも先にも魚の腹の中から祈った人物はヨナ以外いないのでは無いかと思います。
イエス様も十字架の後、葬られ、よみに下られ、三日目によみがえられました。ヨナのこの出来事はイエス様の葬りを啓示した出来事です。

【2章】魚の腹の中から祈る

・ヨナの祈り:1-6a節
主は御顔を避け続けるヨナに人が考えつかない方法で回心を促されます。どこまでも忍耐のあるお方です。あきらめない情熱を見ることができます。ヨナはここまでになって、初めて祈りに導かれます。
魚の腹の中なので、胃液で皮膚が溶けかかっていたかも知れません。胃の中は小魚や海藻や海水で満ちていました。ヨナはどのようにして息をしていたのでしょうか。主の守りがなければここで三日三晩を過ごすことはできなかったでしょう。
ヨナはこのどん底から祈ります。3節からを見てみましょう。魚の腹の中がどれほど過酷かを知ることができます。彼は地獄を見ました。どん底を経験しました。

・ヨナを吐き出す魚:6b-10節
ヨナが悔い改めています。さすが神の器です。祈りを捧げ、まだその祈りが聞かれていない内から、それがあたかも聞かれたかのような信仰の祈りを捧げています。
ヨナは魚の腹の中の暗やみで主に立ち返る事を思い出しました。そして自分の中にある偶像に気づかされました。それに続いて感謝の声を上げています。私たちも同じような経験をするかもしれません。
その祈りを主が聞かれました。なんと魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させます。これこそ主の働きです。どうして大きな魚が陸にまで近づくでしょうか。まして、自分の腹の中に入っているものを吐き出すでしょうか。こうしてヨナは「はからずも」自分が一番行きたくないと思っていたその場所に、主によって連れてこられます。

【3章】悔い改めるニネベの人々

・ニネベで叫ぶ:1-5節
主は再びヨナに語られます。主は何度もチャンスを下さいます。ですから、私たちもあきらめないようにしましょう。どのようにあがいても、主のご計画はなります。
ヨナは地獄を味わって、はじめて主に従順な者とされます。そして、一番生きたくなかったニネベで神のことばを宣べます。
ところでこのニネベはどのような国でしょうか。貿易で栄えた国です。巨大な町の城壁がありました。息巡るだけで三日かかるほどの大きな町です。
そして、創世記10章を見ると、このニネベはあの主に反抗した権力者であるニムロデが建てた町の一つであることがわかります。そのDNAはこの時まで生きていていました。
ヨナはこの町に入り、何をしたのでしょうか。一日中歩き回り、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言いました。たったこれだけです。すると、なんとニネベの人々は悔い改め始めます。
これが主に従うときの法則です。モーセもそうでした。紅海を目の前にし、後ろからはエジプトの軍勢が追って来ます。民は不平を叫びます。その中で主がモーセに命じられたことは杖を海に向かってあげることです。たったそれだけです。しかし、主に従うときに軌跡が起こります。海が割れました。エジプトの軍勢はすべて海の中に沈みました。ヨナも主に従い、たったひとつのことを叫び続けただけでこの地に大リバイバルが起こりました。
なんと彼ら自ら神を信じ、断食までを呼び掛けます。
実は記録によると、ヨナがニネベに来る前に二度の大きな災いがあったとのことです。また、月食もあったそうです。
加えて、この地域では海と魚が神としてあがめられていました。ヨナは魚の口から吐き出されてこの地に来たので、人々はヨナを神の器と思っていたのでしょう。そして、これは私の予想ですが、魚の胃液でヨナは頭髪も肌も真っ白になっていて、神々しく光って見えたのでは無いかと思います。そういったことがニネベの人々をおびえさせましたが、全てを導かれているのは主です。

・断食の布告:6-9節
ヨナのメッセージは王にまで届きます。王は王の服を脱ぎ、荒布をまとって灰の中に座ります。おそらく、これを語ったヨナが一番驚いていたのでは無いかと思います。
そして、全ての人々だけではなく、なんと家畜に至るまで悔い改めの国家命令が出されます。ただ事ではありません。彼らは滅びの恐ろしさを知っていました。何としても滅びを免れたいという願いから、彼らは必死になって悔い改めます。
神の霊が下ると、このような現象が起こります。人々は自ら悔い改め、自分の罪を認め、告白しはじめます。

・わざわいを思い直す:10節
主の愛と憐れみを見ることができます。主はニネベの人々の国家的悔い改めを見て、わざわいを思い直し、そうされませんでした。主が私たちから欲しいと願っているものはいけにえを焼いた煙ではありません。この心からの悔い改めが欲しいと願っておられます。
悔い改めは自分のしたことの後悔ではありません。後悔も含まれるでしょうが、悔い改めの本質は自分勝手な道から神の道へと方向転換をして歩き始めることです。その悔い改めの実を主は願われています。神の慈愛が彼らを悔い改めへと導きました。
ですから、イエス様は次のように言われます。「ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。」(マタイ12:41)

【4章】神のなぐさめ

・不愉快になるヨナ:1-4節
もし私がヨナのような立場だったら、たった一言で国中が悔い改め神を信じると言うことを目の当たりにしたなら、大喜びすると思います。ところが、ヨナはこの事で不機嫌になってしまいます。そして怒っています。罪を犯し続けた彼らが余りにもあっさりと悔い改め、神を信じたのでヨナは面白くないのです。ヨナはこの期に及んでもまだ自分の中に自分の義をもっていました。今、彼の目の前に起こっている出来事は彼の中の義に反することなので不愉快に思い、怒っているのです。

・一本のとうごま:5-11節
ヨナはすねて町から出て、東の方にすわって仮小屋を造り、彼らがどうなるかを見守ります。ヨナは町の中に留まっていれば良かったのですが、本当に主が四十日後にニネベを滅ぼすのか確かめようと思っていました。主に対して「あなたが滅ぼすと言われたこの人々をどうして滅ぼさないんですか!」という憤りが彼の中にありました。
主は本当に優しいお方です。そのようにへそを曲げたヨナに憐れまれ、一本のとうごまを生えさせます。とうごまは大きな葉の植物です。熱さの中でぐんぐん成長します。とうごまの種は「ひまし油」として知られ、化粧品などにも用いられます。しかし一方、とうごまは傷に弱く、少しでも茎が傷ついてしまうとそこから一気に枯れてしまいます。ヨナがへそを曲げてそれを励まして下さる主の姿は、まるでルカの福音書にある放蕩息子の兄を励ます主のようです。主ご自身が出てこられ、兄をなだめて下さいます。ヨナもそのように慰められました。
このとうごまをとても気に入ったのですが、虫がとうごまをかんだので枯れてしまいました。それで強い太陽がヨナに照りつけます。その時ヨナはまた「死にたい」と言い始めます。
主はへりくだってヨナの所に来て下さり、なおも憐れみをもって励まして下さいます。そして、神の憐れみは何かを教えられます。
とうごまはヨナには関係なく自分で生えて成長します。しかし、ほんのわずかな時間を一緒に過ごしたヨナはとうごまが枯れることを惜しみました。まして、主はご自分が愛をもって創造された人々が滅びようとするとき、このニネベの人々を見てどうして惜しまないでいられようかと言われいます。
ニネベの人は右も左もわかりませんでした。神の律法を知らないからです。イエス様も十字架の上で「彼らは何をしているのか、自分ではわかっていません。彼らをゆるしてください」と祈られています。
私たちは神の務めをするとき、ヨナと同じような葛藤を覚えるときがあるかも知れません。自分の思い通りではない事を神が命じられ、それに従いたくないと思うことがあります。その時、自分の義を通すか、神の義を通すかを選ぶことができます。ヨナ書から、どちらの道が良いかを学び、自分の人生に適応していきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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