聖書通読クラブ Day 266

聖書通読クラブ Day 266【ホセア書 8章-10章】

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シャローム!

ホセアは預言の中で様々な過去の出来事を引用してきます。彼らの先祖が通された苦難の歴史、また、そこから主がどのように救い出して下さって今に至っているかを築いてもらうためです。
しかし、イスラエルの民は今の快楽だけを求めるような生活をしています。感謝することができなくなっています。
考えてみたら、私たちが生かされているのは当たり前ではありません。自分で自分のいのちを伸ばすことすらできません。今生かされていることも主の恵みです。
しかし、私たちは高ぶりと忙しさによって、主への感謝を忘れてしまいます。その時、私たちは主の道からそれた道へと行ってしまい、自分に苦難を招いてしまいます。
主への感謝は私たちを悔い改めへと導き、主の御心に生きるようにさせます。小さな事から主に感謝する生活をはじめてみましょう。今日もみことばから教えられますように。

今日の通読箇所:ホセア書 8章-10章

■アウトライン

●罪の奴隷に戻る:8章
  ・サマリヤの子牛はことごとく砕かれる:1-7節
  ・かえって罪を犯す祭壇となる:8-14節

●主に退けられる民:9章
  ・心底まで堕落した:1-9節
  ・ぶどうといちじく:10-13節
  ・何をお与えになりますか:14節
  ・すべての悪はギルガルにある:15-16節
  ・神は彼らをしりぞける:17節

●種まきと刈り取り:10章
  ・二心:1-8節
  ・耕地を開拓せよ:9-12節
  ・あなたがたの悪があまりにもひどい:13-15節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【8章】罪の奴隷に戻る

・サマリヤの子牛はことごとく砕かれる:1-7節
ここの冒頭では、角笛と鷲が出てきます。共にアッシリヤがイスラエルに対して襲撃する姿があります。イスラエルが主に背き続けた結果です。
ここでの一番の問題は何でしょうか。イスラエルが、自分は神を知っていると思っていたことです。彼らは熱心に祈っていると思っていましたが、その対象が間違っていました。金の子牛を拝んでいました。
イエス様はこのように言われます。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな点の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7:21)彼らは主との関係ではなく、宗教的に主を呼んでいるだけでした。
また、「イスラエルは善を拒んだ」とあります。主はいつも良いお方であり、このお方が下さるものはすべて良い物です。しかし、その善を拒んだと言うことは主を拒んだことになります。
また、北イスラエルの特長として、祭司をアロンの家系ではなく、一般の人から選びました。王も首長も勝手に選びました。そこに神のご介入はなにもありません。律法で定められた祭りも自分たちの都合で勝手に第八の月の十五日に設定しています。彼らの特長を一言でいうなら、人間中心主義でした。
北イスラエルの首都であるサマリヤはアッシリヤによって滅ぼされました。そして、ベテルとダンにあった金の子牛はアッシリヤによって持ち去れてしまいます。イスラエルが偶像を取り除かないので、異教の国がやってきて強制的に偶像を取り去ります。
また、7節には「風を蒔いて、つむじ風を刈り取る」とあります。何も無いものを蒔いて、何も無いものを刈り取るという意味です。

・かえって罪を犯す祭壇となる:8-14節
イスラエルの民は自分たちが神の選びの民であると言うことを知っていました。その上で、自分たちが聖であることを拒みました。
「誰にも喜ばれない器のよう」「ひとりぼっちの野ろば」と言っています。神の民がその選びを捨てるなら、他の民族との違いは何もなくなります。神からもすれられ、輪まりの民からも見捨てられ、孤独になります。
イスラエルは罪が贖われるために祭壇を立てていますが、それがそのまま偶像礼拝の場所になってしまっています。彼らは信仰深く礼拝しているつもりでした。しかし、熱心であれば良いというものではありません。たとえば、いくらマラソンで世界記録を出せるほどの実力があったとしても、コースから外れて走るなら失格となります。みことばには「熱心だけで知識のないのはよくない。」(箴言19:2)とあります。多くの教えを聞いて初めてシュエの祭壇を築くことができます。思い出してください。モーセは勝手にあの幕屋を作ったのではありません。主の御声を聞き、山で主に幻を見せていただき、それをそのまま地上に再現させました。みことばを知らなければ、いくら熱心になっても的外れになってしまいます。
そのことを象徴的に「エジプトに帰る」と言っています。出エジプトの奴隷に逆戻りすると言うことです。神に頼らないならば、私たちもこのようになってしまう可能性があります。

【9章】主に退けられる民

・心底まで堕落した:1-9節
イスラエルの人々は、異教の教えが入ってきていたので、様々な宗教行為を行っていました。特に、収穫を祝う時にはそこで霊的な姦淫と共に、実際的な姦淫も行われていたようです。モーセが約束の地に入る前に散々注意したにも関わらず、彼らはそれを守れませんでした。主の恵みを忘れてしまっています。
そのように、彼らが主を捨てたので、主も彼らを約束の地から引き抜かれます。とらわれの地、アッシリヤで食物規定から外れた汚れた物を食べさせられます。しかし、よく考えてみたら、彼らは偶像礼拝をして、そこで汚れた物を食べ続けていました。その刈り取りをしているに過ぎません。
そのような中で必死に神のことばを叫び続けるホセアに対して、人々は「預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ」と言います。預言者は神のことばを取り次ぐ器ですから、歓迎されなければなりませんが、その真実なことばは人々に喜ばれないことが多いのです。ですから、人々は預言者を嫌います。イエス様も預言者では自分の郷里では歓迎されないと言われています。

・ぶどうといちじく:10-13節
荒野のぶどうもいちじくの木の初なりの実も、とても貴重で好ましい物です。荒野では水分がないですが、それでも実を付けるぶどうは大変喜ばれます。初なりのいちじくはとても甘く、おいしいものです。主はそのようにイスラエルをご覧になっていました。そして、エフライムとは実りが多いという意味です。主が彼らに子孫を与え、増やしてくださいました。
ところが、その恵みをイスラエルが台無しにします。主はここで「バアル・ペオル」の事件を引用されます。モアブの王バラクが預言者バラムを雇ってイスラエルを呪わせようとしました。ところがバラムはイスラエルを祝福する預言をしました。そこでバラムはモアブの娘をイスラエルの宿営に入っていかせ、男たちが彼女たちと寝て、そのことで彼女たちが持ち込んだ偶像を拝むようになりました。そのことがきっかけで主の怒りが下り、二万四千人が死にました。このバアル・ペオルの事件で、彼らは多産の神と言うことで性欲を刺激する神々を拝み、忌まわしいことを行っていました。
そのように、主が多産の祝福を彼らに与えてくださったのに、主に感謝することをせず、かえって偶像を拝みました。主を偶像へと置き換えてしまったのです。それで主はその働きをやめられます。そのようにして、エフライムが子を産めなくなり、人口が減っていきます。

・何をお与えになりますか:14節
主はその様な彼らにはらまない胎と、乳の出ない乳房を与えられます。当時は子どもを産み育てる事が祝福でしたが、それができない状態です。

・すべての悪はギルガルにある:15-16節
ホセアは預言の中で、彼らの先祖の軌跡をたどって説明しています。ここではギルガルが取り上げられています。そのようにして、主が先祖たちに良くしてくださったことを告げています。
ギルガルはヨシュアたちがヨルダン川を渡ってそこで割礼を受け、そしりを取り去られたことを記念したところです。しかし、その後、サウルがイスラエルの王として任命を受けた場所でもありました。神の御心を無視して、人の意思によって王を選んだ場所でもあります。

・神は彼らをしりぞける:17節
主はここで「追い出す」「さすらい人となる」と言われています。エデンの園から追放されたアダムとエバ、そしてその後殺人を犯したカインもそのような者でした。主に聞き従わず、主の恵みに感謝できない者はこのようになります。

【10章】種まきと刈り取り

・二心:1-8節
主はイスラエルが繁栄すればするほど、主をほめたたえなくなると言っています。しかも、主を完全に捨てるのではなく、主を礼拝しながらも偶像に仕えている状態です。それを二心と呼んでいます。主はねたむ神です。私たちがヤハウェなる神以外の神を礼拝するなら、主は私たちに対して妬まれます。片足は天国、片足は地上に置き、都合の良いときに行ったり来たりしているようなものです。主はその様なことを忌み嫌われます。「貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友のなりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。』という聖書のことばが、無意味だと思うのんですか。」(ヤコブ4:4-5)
3節で民の自分勝手な告白が書かれています。神によって立てられた王でないと認めていることばを発しながら、王が自分たちに何をしてくれるのかと言っています。
5節から出てくるベテ・アベンはベテルの事です。金の子牛が持ち去れてしまったことをベテルで嘆いています。彼らの拠り所がとられてしまったからです。そkどえ、山に向かって落ちかかれと叫んでいます。主の怒りに耐えきれない姿があります。神の怒りは恐ろしいものです。

・耕地を開拓せよ:9-12節
主はここで再びギブアのことを取り上げられます。そして、懲らしめを与えられますが、二つの不義と言われています。神に対する不義と人に対する不義です。それに対する報いを主が行われます。
主はエフライムを豊かにして下さいます。「飼い慣らされた雌の子牛であって、麦打ち場で踏むことを好んでいた」と言っています。彼らは自分で苦労しなかった実を楽しんでいました。
そして、主はユダにもエフライムにも軽いくびきを負わせて導き、支配して下さっていました。間違った方向にいかないようにして下さっていました。それゆえに、今、正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよと言われています。そうするなら正義の雨が降ります。主を求めればその様になります。
例えば、リンゴの実がなって欲しいと思ったら何の種を蒔くでしょうか。誰もキュウリの種を蒔く者はいません。当然リンゴの種を蒔きます。しかし、霊的な原則でこれを理解して実践している人は多くありません。私たちは蒔いた種を刈り取ります。それは私たちの口からでることばです。

・あなたがたの悪があまりにもひどい:13-15節
ところが彼らは悪を耕し、不正を刈り取っていました。そして偽りという実を結んでいました。彼らは「自分の行いや、多くの勇士に拠り頼んだ」のです。誰に拠り頼まなければならないのでしょうか?みなさんはもう答えを知っているはずです。
それなので、民の中で騒動が起こり、要害はみな討ち滅ぼされます。イスラエルの悪があまりにもひどいからです。私たちも今は恵みの時代に生かされています。しかし、主は時を設けておられます。恵みを放縦に変えてしまうことがないよう、日々主に感謝し、みことばと祈りの生活を続けていきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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