聖書通読クラブ Day 228

聖書通読クラブ Day 228【エレミヤ書 10章〜12章】

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シャローム!

今日も偶像礼拝に関することが出てきます。これは初めから終わりまで、ずっとつきまとうものです。目に見えるものだけではなく、目に見えないものも偶像礼拝の対象になります。
その基準は、主よりも優先されると定義することができるでしょう。どのようなものでも、主よりも大切にされたり、優先されたらそれは偶像となってしまいます。
私たちの心の欲望が形になった偶像に対して、みことばはどのように説明しているのでしょうか。今日も知恵と啓示の御霊に教えていただきましょう。

今日の通読箇所:エレミヤ書 10章〜12章

■アウトライン

●むなしい偶像:10章
  ・異邦人の道を見習うな:1-5節
  ・あなたを恐れない者はない:6-7節
  ・むなしい神々の戒め:8-10節
  ・神々は滅びる:11節
  ・主は万物を造る方:12-16節
  ・包囲されている女:17-18節
  ・主を求めない愚かな牧者:19-21節
  ・聞け、うわさを:22節
  ・人によるのではない:23-25節

●陰謀と謀反:11章
  ・彼らは聞かない:1-8節
  ・謀反:9-13節
  ・この民のために祈ってはならない:14-23節

●人の心の奥底にあるもの:12章
  ・ひとつの疑問:1-4節
  ・彼らを信じるな:5-6節
  ・全地は荒らされてしまった:7-11節
  ・荒らす者が来た:12-13節
  ・引き抜く:14-17節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【10章】むなしい偶像

・異邦人の道を見習うな:1-5節
エレミヤは「異邦人の道を見習うな」と言います。かつてはモーセも荒野でイスラエルの人々に対して、「約束の地に入った時は彼らのならわしに従ってはならない」と言いました。また、ローマ12:2ではこの世と調子を合わせてはいけないと書かれています。
しかし、なぜか異教の神は、そしてこの世のことは魅力的に見えてしまうことがあります。その様なとき、いつも思い出しましょう。偶像はただの木や石にすぎないと。所詮、主の被造物である人が作り出したものです。であれば、人以下です。必要以上に恐れることはありません。

・あなたを恐れない者はない:6-7節
人は神を礼拝するように創造されました。そこで、人々が神を見いだせなくなったらどうなるでしょうか。神以外のものを礼拝し出します。それが偶像礼拝です。その多くは心の内にある欲望が形になったものです。
本来であれば素晴らしい神をほめたたえるのが人の喜びです。彼らは神を見いだすことができなくなっているので、このように偶像礼拝に走っています。私たちはここに書かれているように、まことの神をほめたたえましょう。その素晴らしさを伝えていきましょう。

・むなしい神々の戒め:8-10節
繰り返して偶像のむなしさが書かれています。冷静に考えてみてください。ヤハウェなる神を知らない人々が拝んでいるのは単なる石や木です。私が小学生の頃、まだ私はイエス様と出会っていませんでした。それで、町の秋祭りに参加し、公民館から神輿を担いで神社に行きました。そこでご神体を神輿に入れるというのです。大人はそれを見てはいけないと言いましたが、私は興味があったのでずっと見ていました。すると、神主が神輿に入れたものは単なる石ころでした。私は幼い心ながら「神はこんなものか」と思ったのを思い出します。
確かに、現存する偶像は美術品としては素晴らしいものでしょう。しかし、礼拝の隊商ではありません。礼拝を受けるにふさわしい方はヤハウェなる主以外ありません。

・神々は滅びる:11節
今日の通読箇所を調べている中で、不思議な事に気づきました。この箇所だけ、なぜかアラム語で書かれています。他はヘブライ語です。
アラム語はこの時、この辺りの共通言語でした。すなわち、この宣言は全世界に向けた宣言であると思われます。

・主は万物を造る方:12-16節
先ほどは全世界に向けてヤハウェなる神以外は滅びると言いましたが、ここではまことの神がどのように天地を、雨を作られたかを語っています。
主は御力、知恵、英知を持って創造されました。それらを御声で作られました。偶像の神々には決してできないことです。

・包囲されている女:17-18節
ユダの民はヤハウェなる主を礼拝する民でしたが、偶像を選んでしまいました。その結果、捕囚の民となります。ここで、エレミヤはそれを自分の事として受け入れていくようになります。

・主を求めない愚かな牧者:19-21節
エレミヤは悲しみをあらわにします。大切な天幕が荒らされているからです。それだけでなく、牧者たちは主を求めません。
昔に聞いた話ですが、アメリカの牧師の中で、毎日聖書を読まないと言う人が相当数いると言うことを聞きました。みなさんは毎日最低でも3章みことばを読んでいます。牧者はそれ以上読む必要があるのではないでしょうか。みことばを知らずして、羊を導くことはできません。

・聞け、うわさを:22節
エレミヤはエルサレムのために悲しみを持ってとりなし祈っています。しかし、指導者や民はそれを聞こうとしません。
そこで、「うわさを聞け」と言っています。北から敵が攻めてこようとしているのです。それなのに指導者は「平和だ、大丈夫だよ」と言っています。

・人によるのではない:23-25節
箴言20:24には「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。」と書かれています。懲らしめがなければ無に帰してしまいます。懲らしめと御怒りは別物です。懲らしめは私たちを矯正し、義の道へと導きます。御怒りは永遠の滅びに定められます。
エレミヤはこれらのことを抱いて、自分の事として祈ります。とりなし手の見本です。

【11章】陰謀と謀反

・彼らは聞かない:1-8節
この預言の背景はヨシヤ王の時代です。それまで長い間忘れられていたモーセの律法が神殿の中で発見されました。それを読んだヨシヤ王は衣を裂いて、自分たちが主への不従順な歩みをしていたことを悟り、悔い改めました。列王記第二22章あたりのことです。
この事に対して、エレミヤは「主よ。アーメン」と言っています。
それに対して主は語られます。神が契約を与えてくださいましたが、長い間彼らはそれを破り続け、悔い改めもしませんでした。だからその契約に書かれている呪いを彼らに成就させるというものです。当然です。これはフルダがヨシヤ王に語ったことと同じような内容です。

・謀反:9-13節
謀反が起こります。言語の意味では陰謀という意味もあります。ヨシヤ王は大胆な宗教改革を行いました。しかし、彼らは心の中では偶像礼拝を続けようと考えていました。
彼らは計画的にそのことを実行していきます。エルサレムの通りの数ほどの多くの偶像、祭壇を設けています。実際、考古学者が発掘したエレミヤの時代の遺跡からは、おびただしい偶像が出土しているということです。このような神に祈っても、何も答えられません。

・この民のために祈ってはならない:14-23節
ここに彼らの企みがあらわにされています。神殿で誓願のささげ物、いけにえの肉をささげています。これは良いことのように見えますが、それと同時に偶像礼拝を行っていました。
それに加え、彼らはなんとエレミヤを殺す計画をも企てていました。
アナトテはエレミヤの出身地です。そこで殺される脅迫を受けていました。イエス様もナザレの町で崖から落とされそうになりました。預言者は自分の故郷では歓迎されません。

【12章】人の心の奥底にあるもの

・ひとつの疑問:1-4節
これは信仰者の誰もが思うことでしょう。悪者が栄えていることに疑問を感じています。そのことを植物が育つ様子に例えています。
見た目の繁栄はあるかも知れませんが、それは一時的なものです。主は彼らの口に近いですが、彼らの思いからは遠く離れています。
その様な悪者が栄えることは、エレミヤにとっての試みでした。そこで信仰を働かせる必要がありました。
4節にはユダの地の荒廃の姿があります。それは彼らの罪が招いたことです。

・彼らを信じるな:5-6節
主がエレミヤをねぎらっているようです。無理をしてはいけないと語られています。そして、人々の心の奥底にある暗いものを分かち合います。本気で心を分かち合ってくれるのは家族だけで、それ以外は親切に語りかけてくるように見えますが、悪意を持っているのだと教えています。人の心は陰険で直らないものです。その闇はとても深いものです。

・全地は荒らされてしまった:7-11節
この箇所は「私」と書かれていますが、主が語られているので「わたし」でしょう。主はご自分の民をご自分の地に置かれました。それを追い出さなければならないのは、神にとっても悲しいことです。それは神の願いではなく、彼らが反抗し続けた結果です。私たちの神への反抗が神を悲しませます。
「まだらの猛禽」とは、変わっている姿を現しています。周りからそのように見られていました。そして牧者がぶどう畑を荒らしています。主の働かれる場所で、彼らが好き勝手している様子です。もし、教会を私物化している牧者がいるなら、その先生のために心からとりなして祈りましょう。

・荒らす者が来た:12-13節
「荒らす者」とはバビロンです。主の剣とありますが、主がこのバビロンを送られました。そうして、イスラエル全土が食い尽くされます。彼らが一生懸命育てたものがすべて台無しになります。

・引き抜く:14-17節
約束の地を侵す悪い隣国とは、ユダに様々な攻撃を仕掛けてきた周辺諸国です。つまり、シリヤ、モアブ、アモンなどの国です。しかし、バビロンが来たとき、これらの国も一緒に捕らわれの民となります。それを「引き抜く」と言うことばで表現しています。
しかし、主は彼らを引き抜いて後、彼らをあわれみ、彼らをそれぞれの相続地に帰らせると約束してくださっています。
そして、彼らが苦難を通して何を学んだかを問われます。すなわち、主に従うか、否かです。それによって報いが変わります。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主の御名は力ある大いなるものです。主に従うことができるように祈ります。

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