シャローム!
今日の箇所では、サウル王が油注がれ、公に民の前でも承認されていきます。王はどのようにして誕生していくのでしょうか。イスラエルの初代王の誕生です。そのプロセスを見ていきましょう。
今日もみことばに教えられていきましょう。
今日の通読箇所:サムエル記 第一 10章~12章
■アウトライン
サウル王
●王の油注ぎ:10章
・心を変えられる:1-9節
・サウルもまた、預言者のひとりなのか:10-16節
・王のおひろめ:17-24節
・神に心動かされた者、よこしまな者:25-27節
●サウルの初陣:11章
・ヤベシュに攻め入るナハシュ:1-4節
・神の霊が下る:5-11節
・サウルに反する者へのあわれみ:12-13節
・ギルガルでの王権創設宣言:14-15節
●サムエルの祈り:12章
・サムエルの潔白:1-5節
・主の大きな御業:6-17節
・雷と雨:18-19節
・主の偉大さを見分ける:20-25節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【10章】王の油注ぎ
ここでついにサウルに油が注がれます。油注ぎは任職のしるしです。サウル王の誕生です。
2-7節、サムエルはサウルにこの後起こることを告げます。
8節、前節では「手当たり次第なんでもしなさい」と言われましたが、サウル王はギルガルでサムエルの到着を待たなければなりませんでした。預言者が神からの仰せを聞き、王に伝え、王がそれを実行に移すのが順番です。この時点では、王が預言者の働きをしては生けませんでした。
9-12、主の霊が下るとき、心が変えられます。みなさんも経験ないでしょうか?はじめてイエス様を信じた直後、世の中のすべてが変わったように見えること。花がこれほどきれいだったのかと思ったり、なんでもないようなことが感謝に思えて来たりします。
主は私たちの心を変えてくださるお方です。
そして、サウルは預言者の一団に出会い、そこで預言をし始めます。使徒の働きで弟子たちが聖霊様の注ぎを受け、他国のことばで話し始めたときの様子と似ています。
「サウルもまた、預言者のひとりなのか」ということわざは、「一般の人で、専門的にも学んでいないのに、熟練した預言者のように語っている」というような意味です。
13-15節、サウルはおじに詳細を話しませんでした。なぜ話さなかったのだと思いますか?自分でも把握できていなかったのかもしれません。みなさんも経験ないでしょうか?外で経験したことを親に言えなかったこと。そのような心境だったのかもしれません。
17節から、サムエルはイスラエルをミツパに集めます。目的は王を任命するためです。サムエルは、彼自身が王を求めたのではなく、イスラエルの人々が神様を求めず王を求めたことをとがめます。
その上で、王をくじをひいて決めます。ここで疑問がわいてこないでしょうか。先にサウル王は油注がれ、王とされたのに、ここでもう一度選ばれなければならないのかと。
これはいわば承認式です。主に油注がれ、それから承認されます。みなさんが何かの働きをするときもこの順番が祝福の秘訣です。
20節から、くじでもやはりサウルが選ばれます。主の導きです。しかし、サウルは出てこようとしません。はずかしかったのでしょうか?自信がなかったのでしょうか?この時に垣間見れるサウル王の性格が、後の彼の人生に大きな災いとして出てきます。臆病の霊です。
しかし、サウルは背が硬く、かっこよく見える人物でした。人々はこそ王だと言って喜びます。
26-27節、サウル王に対して、ふたつの反応が見られます。心動かされサウルについていく者と、よこしまな者です。
リーダーが立てられたら、必ずこのような事が起こりますね。皆さんはどちらにつきますか?私はどちらにもなりたくありません。サウルのようでありたいです。黙ること。地味ですがとても大切なことです。
【11章】サウルの初陣
アモン人が攻めてきます。ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷きます。律法の規定でもありますが、ヤベシュ・ギルアデの人はまず交渉します。
しかしアモン人の条件は右目をえぐり出すことでした。無理なことを言ってきています。つまり、契約はできないと言っているのと同じです。そこで、イスラエルの人々は泣き、七日間猶予をもらいます。
アモン人は士師の時代、エフタが戦ってギルアデから追い出しました。また、ヤベシュ・ギルアデは内戦でベニヤミンとイスラエルが戦い、そのとき戦いに出てこなかった者は殺されると誓いを立てていましたが、上ってきていなかったのがこのヤベシュ・ギルアデの人々でした。男を知らない女400人をいかし、ベニヤミンに与えました。
4節、ここでも少し混乱しませんか?王として油注がれ、任命されたサウル王が牛を追っています。農作業をしています。
サウルは一般の人であり、まだ神様も律法もよく知らない人であったことが考えられます。また、幼い頃から帝王教育を受けてきたわけでもありません。ですから、いきなり王になっても、王としての働きは難しいでしょう。しかも、初代の王様です。
サウルは王になるまで自分の働きを続けていました。勤勉さを見ることができます。
6節から、士師記の最後で女性が12に切り分けられたことを思い起こさせる事です。神の霊が激しくサウルに下った後の事なので、神様がこのようにさせたのでしょう。
7節を見ると、民は主を恐れて出てきました。主の戦いです。
また、8節を見ると、イスラエルとユダと書かれています。これはダビデの子、ソロモンが死んだ後、北と南にわかれてしまうのですが、その予兆をここで見ることができます。
そして、みごとにアモン人を打ちました。
12節から、サムエルは戦いの結果を受けて、サウルを好意的に思っていなかった人々に制裁をくだそうとします。
しかし、サウルはあわれみの心を示します。人の心をつかむすべを知っています。
この二人の一見茶番のように見えることでイスラエルの心はひとつになりました。
あらためてギルガルでサウルの王権が宣言されました。主の前に和解のいけにえも献げられました。そして、関わるすべての者が大いに喜びました。名実ともに王の誕生です。
【12章】サムエルの祈り
サムエルは年老いています。後継者を決める必要があります。本当なら息子に後継者となって欲しかったのですが、その行いの悪さと長老の反対から断念しました。
しかし、2節を見て祈る中で、サムエルの功績の偉大さを思います。霊的暗黒期からここまでイスラエルを導きました。大きなマイナスからゼロに持って行きました。どれほどの困難があったでしょうか。
サムエルがエリの所に送られたのはまだ乳離れして間もない頃でした。そこから家族とも離れ、ひたすら主に仕える人生です。困難もあったでしょうが、報いの多い一生ではないでしょうか。
3-5節では、とつぜんサムエルが自分を訴えよと言っています。これは身の潔白を証明したいからでしょうか?そうではなく、自分を罷免してくれと言っています。
自分が退かなければ、次に指導者が立つことができません。罷免の手続きを取り、油注がれた者、つまりサウル王と主が承認として祭司サムエルはその職を退任します。
6-11節まで、今までの歴史を語ります。主が自分たちにどれほど良くしてくださったかを思い起こします。これを次の世代に語ることはとても大切なことです。
12節ではイスラエルの人々がピンチの時に神ではなく王を求めたことをとがめています。
この王が立てられると言うことでどう言ったことが起こるでしょうか。メリットとしては、民にはわかりやすいと言うことです。目に見える王が国を治めるので、非常にわかりやすいです。
デメリットは、今までイスラエルの王は神でした。しかし、人の王が立てられる事で神の領域が人の領域に降りてきます。
神様は完全ですが、人は完全ではありません。不完全な王制のスタートです。
17節では、小麦の刈り入れ時に祈ると雨が降ると書かれています。小麦の刈り入れは初夏です。それからイスラエルは長い乾期に入りますから、その時期に雨が降ると言っています。
イスラエルの人々は霊的な目が閉じていました。ですから、自分が何を求めているかわかっていませんでした。
しかし、17節からの一連の出来事を見て、要約目が覚めたのでしょう。自分たちが士師の時代の偶像礼拝に加え、さらに罪深い王を立てると言うことを願っていたことを。これは神様を退けたと言うことです。
20節からサムエルは励ましを与えます。これはいつも私たちにも語られていることでしょう。どんな失敗をしたとしても、本当に心から悔い改めるなら、主はいつでも立ち返るチャンスを与えてくださいます。だからといって積極的に罪を犯すのは間違っていますが、神様は悔い改める者を赦してくださいます。悔い改めることができない人は本当にかわいそうです。
23節、サムエルの素晴らしいところは、それを民にだけ課していないということです。自分もとりなし祈ると言っています。素晴らしい霊的なリーダーです。リーダーにはこれが必要です。
24,25節、これは昔も今も大切な戒めです。主を恐れることを知れば、一生懸命律法を守ろうと努力しなくても、主を愛する故に守りたくてしかたなくなるはずです。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
>サウル王はギルガルでサムエルの到着を待たなければなりませんでした。預言者が神からの仰せを聞き、王に伝え、王がそれを実行に移すのが順番です。この時点では、王が預言者の働きをしてはいけませんでした。
ここのところがずっとわからずに、厳しいなと思っていました。
今まで学んできたことから分かることは、
①預言者が神からの仰せを聞き、王に伝え、王がそれを実行に移すのが順番
②新しいことを起こす時はまず、主の祭壇を築くことが大切。
③それは、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げることが許されているレビ族の祭司がしなければならない。
まことの大祭司であられる主イエス・キリストの垂れ幕を通して大胆に神に近づくのでしたね。
サムエルは王権をもつ祭司であるキリストの型ですね
民をおさめる王の務めもしていたサムエルはレビ族で、祭司をすることができるので、エリの死後祭司をしていたと思います。
サムエルは、祭司の役目を全うする人物でした。
それは、王を求める罪を犯した民、そして今まで尽くしてきた預言者サムエルすらも捨てた民の為に、退職後も(死ぬまでも)祈ることを止めず民を取りなしたことから分かります。
サムエルは最期まで罪人を取りなすキリストの型ですね。
10:7 これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。
とサウルは言われた後で
まず、サムエルがきて、犠牲を捧げるまで待つようにと、わざわざここに記されているのは・・
御霊を受けたなら、神がともにおられることを信じて、自分の力でできることを全力でしなければならないけれど、
力強く前進できるのは、主イエスの十字架の犠牲の血潮の故だということを忘れてはならないと教えているのですね。
>預言者が神からの仰せを聞き、王に伝え、王がそれを実行に移すのが順番です。
これは奉仕の時も、主イエスの十字の血潮に頼ることを忘れてはならないのだと言うことに導かれると思います。
それで後の、13章で起こることを読むたびにサムエルはサウルに厳しすぎるのでは?と思っていたけれど、そうではないことが分かりました。
主の十字架を抜かして先に進んではならない、これが私たちに大切なことだから、
この順序の教訓は 「十字架を忘れてはならない」
そして信仰をもって待つのだ!と強く私に暗示されてのことなのだなと受け取りました。
それにしても、聖書み言葉は律法の中にも、主の十字架が表されていて、それは私たちを守る為なんだなと分かります。今まで繋がらなかった点と点が少しずつつながっているような思いです。
アウトラインを詳しくとっていただきながら読み進めると、
挫折せずに次のステップに進めるので感謝します。
自分の力ではできないですが、主に従いたいと思いました。