シャローム!
ソロモンは箴言の中でも三十の句を選びました。それを見ていきます。どれも実際的で、大切な教えです。私たちにこのような知恵の指南が与えられていることを感謝します。私たちはこのソロモンの知恵に耳を傾け、これを実践し、次世代に伝えていきたいと思います。今日もみことばを受け取っていきましょう。
今日の通読箇所:箴言22章〜24章
■アウトライン
●富よりも望ましいもの:22章
・経済の教え:1-16節
・知恵のある者のことばを聞け:17-21節
・かすめ取るな:22-23節
・怒りっぽい者:24-25節
・誓約:26-27節
・地境:28節
・じょうずな仕事:29節
●災いから救われるには:23章
・食事の時の注意:1-3節
・富を得るときの注意:4-8節
・愚か者に話しかける:9節
・地境を移す:10-11節
・子どもを懲らす:12-14節
・知恵があれば喜ぶ:15-16節
・罪人を妬む:17-18節
・誰と交わるか:19-21節
・何を聞き何を見るか:22-28節
・目による誘惑:29-35節
●倒れる者、立つ者:24章
・悪者をねたむな:1-2節
・知恵による家:3-4節
・力:5-6節
・知恵はさんご:7節
・陰謀家:8-9節
・苦難の日に気落ちしたら:10節
・助け出せ:11-12節
・蜜を食べよ:13-14節
・また起き上がる:15-16節
・敵が倒れるとき:17-18節
・悪者に対して:19-20節
・ふたりから来る滅び:21-22節
・知恵ある者:23節
・その後で家を建てる:24-29節
・廃墟からの戒め:30-34節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【22章】富よりも望ましいもの
・経済の教え:1-16節
富と名声、どちらが望ましいかと言えば、聖書は名声だと言っています。富とはふしぎな者で、富を追い求めたら逃げていきます。しかし、知恵を求めるなら、富はあとから付いてきます。ソロモンが神に知恵を求めたときも同様でした。得た富は自分のものだけにするのではなく、分配することが望ましいと書かれています。富む者と貧しい者とは互いに出会うとあります。確かに、私たちが道路を歩けるのも、様々な福祉を受けることができるのも、沢山稼いだ方の納税によって恩恵を受けていることです。このまとめとして、謙遜と主を恐れることの報いが富と誉れといのちです。
7節は悲しいですが真理ですね。昔も今もこのような状態が続いています。地上にいる限りはこの事が続くでしょう。ユダヤの格言で「お金は最悪の上司になりうるし、最高の部下にもなりうる」というものがあります。借金をするなら、貸主のしもべになっている状態です。しかし、お金があればそれを用いて自分でできないことを達成することができます。経済の貯め方と同時に、使い方をもっと学ぶ必要があります。
16節には自分の利益だけを求めようとする人がどうなるかが書かれています。経済は循環します。人をおとしめて自分だけ儲けようという精神は一時的にはその人を富ましますが、持続しません。また、富む者に与えたら乏しくなるとも書かれています。やはり、富の使い方ですね。何のために貯蓄するのか、貯蓄したものをいつ、どのように、誰に対して使うか。これは知識と知恵の関係と似ているかも知れません。
・知恵のある者のことばを聞け:17-21節
知恵者のことばを聞くことができるのはとても価値のあることです。当時は一般市民は自分の読みたいタイミングで聖書が読めませんでした。会堂に行ってラビ(みことばの教師)が読み上げることがみことばに触れる機会でした。この機会を逃すと、恵みを取り逃がしてしまいます。
今はインターネットの普及でいつでもどこででも様々な知恵者のことばを聞くことができます。しかし、自分が何を求め、誰から聞きたいかを明確にしておかなければ、今度は情報の波に飲み込まれてしまいます。「あなたの心を知識に向けよ」とあります。いつも神のことばを求める心のアンテナを張り巡らしておきましょう。18節にはこれは楽しいことと書かれています。本当に楽しいです。
この後、主に拠り頼むことができるようにはどうすれば良いかが語られていきます。
・かすめ取るな:22-23節
弱っているものにとどめを刺すのは無慈悲な者です。聖書は弱き者に味方します。貧しい者という立場を知りながらそこからかすめ取るのではなく、むしろ与えること、そして彼らが貧しさから富める者へ変えられるように助け、訴えを弁護するとき、それは主に対してしたことになります。
・怒りっぽい者:24-25節
怒りは伝染します。あるとき、町中の交差点で大声でけんかをしている時がありました。祈りつつ、遠巻きにしばらく様子をうかがっていると警察が来たので、一安心しました。しかし、私の心はドキドキして、イライラし始め、いつしか怒りモードになっていました。人は人から影響を受けます。そのような者とは一緒にいるのではなく、離れ、もっと上級者は逆に祝福を流し出します。
・誓約:26-27節
他人と誓約すること、また保証人となることに対する警告です。安易な契約は自分を滅ぼします。直訳では誓約は「手をたたく」と書かれています。契約が成立し、同意したと言う意味です。
負債の保証人になることは相手を助けることかも知れませんが、それは竜巻に向かって突っ込んでいくようなものです。まず自分のいのちを守る事が大切です。
・地境:28節
ここでは地境について書かれています。今では測量技術が発達しているのでわからないかも知れませんが、当時の地境は石を並べただけのものでした。ですから、誰も見ていない時にこっそり地境を動かすこともできたのです。主が決めた地境を自分の利益のために広げるのは良くありません。これは人をだまします。誰かが悲しい思いをします。もし、土地が欲しいのであればしっかりと稼いで、その富で土地を買い取れば良いだけです。
・じょうずな仕事:29節
上手な仕事をする人は王の前に立ち、身分の卑しい人の前には立たないとあります。王は人を見る目があります。ほんとうに仕事に自信があったなら王はそのことを見抜いてその人を抜擢するでしょう。しかし、身分の卑しい人は自分の利益しか考えないので、その人を二束三文で雇い、大変なだけで給料は安く、技術も向上しないと言うことがありえます。
【23章】災いから救われるには
・食事の時の注意:1-3節
食事の時の教えです。この事は私に大きな助けとなっています。例えば今はこういう機会は少なくなったのですが、異業種交流会や結婚式など、人が集まってオードブル形式で会食するときがあります。その時には事前に食事を済ましてそこに出向きます。せっかくおいしい食事があるのにどうしてそうするのでしょうか?
ひとつは食事を人々に譲る為です。もう一つ、これが大切な事ですが、自分が食べることに夢中になり、大切な機会を失わないようにするためです。相手に失礼ないよう、少量の食事を皿に盛り、必要な人と話をすることに時間を多く使います。そこから広がっていくチャンスがあります。食事ができるからとそれに飛びついてはいけません。喉に担当を当ててでも、人との会話を選び取りましょう。
・富を得るときの注意:4-8節
このみことばは心にしみます。これはあらゆるものに当てはまる法則ではないかと思いますが、貯めるのは大変で時間がかかりますがなくなるのは一瞬です。お金も信用もそうです。
栄華を極めたソロモンが言うのですから間違いないでしょう。富は翼をつけて飛んで行きます。ですから富を得ることを第一にしてはいけません。それは何かをした結果、報酬としてついてくるものです。人に役立つこと、社会に役立つこと、主に喜ばれることを勤勉に行う者に与えられる主からのご褒美が富です。
また、7節、「彼は勘定ずくだから」とあります。これは元々の意味では「彼は考えたとおりになる」という意味です。人は考えたとおりになります。「私は不幸になるのではないか」と思い続けたら本当にその通りになります。なぜそう思うのでしょうか。主を信じていないからです。自分を信じているからそのような考えになります。聖書には主のみことばに従うなら私たちは何も不自なく、主が満たしてくださると約束されています。そう思ったらそうなります。これが信仰です。
また、貪欲な人から何かを奪ったら、その恨みは大きなものになります。
・愚か者に話しかける:9節
これはその通りですね。同じ日本語を話しても、言語の通じない人がいます。例えば、「文字のカーニングが甘いから少し詰めて、その上でRGBの値をもう少し調整して目に痛くないようにしてね」と言ってわかるでしょうか?これはデザインの言語です。文字として読むことはできますが、理解することは難しいかも知れません。
立派な事を語っても、それを理解できないなら「何言ってるの?」と言われてしまいます。イエス様も聞く人によって話し方を変えておられました。話す相手に気をつけましょう。
・地境を移す:10-11節
これは先ほども見ましたが、それに加えてみなしごの畑に入るなとあります。主は悩む者、貧しい者の祈りを聞かれます。一時的な富を得ることができるかも知れませんが、その後、主からのおとがめがあるでしょう。それは恐ろしいものです。どちらを選ぶでしょうか。
・子どもを懲らす:12-14節
子どもをしつけることは難しいです。しかし、聖書は子育てに対して一見厳しいです。子どもを懲らすことを差し控えてはならないと書かれています。むちで打っても死なないとまで書かれています。現代は虐待などの問題があるので難しいことですが、聖書は子どもにむち打ってでも親に従わすことを勧めています。しかし、これには大きな前提があります。子どもを心から愛するがゆえにむちを打ち、みことばに従えるようにするのです。これが聖書が示す教育です。幼い頃から親に、そしてみことばに従うことを教えられた子どもはよみから救われます。
・知恵があれば喜ぶ:15-16節
知恵は心を喜ばせます。子どもが成長し、知恵をつけ、「おっ」と思うような質問をしてくるなら、私はうれしいです。更に、私でもわからないような深いことを話してくるなら、私の心はいよいよ喜びます。子どもの体だけでなく、思考が成長するのを見れるのは親の良っロこびです。
・罪人を妬む:17-18節
神の律法を守っているときに一つの誘惑がやってきます。人を見て裁いてしまうことです。もし、自分が聖書を熱心に読み、祈り、みことばを行っていて、それを全くしてない人を見たときさばきの心が沸き起こってきます。聖書はそうではなく、ただ主だけを恐れなさいと言っています。自分もまた罪人でした。ただ主の一方的な恵みによって救われたものです。今、罪の中にある人をさばいてはいけません。
・誰と交わるか:19-21節
環境は大切です。誰と一緒にいるかで影響を受けます。昔に実際にあった話で、オオカミに育てられた姉妹が発見されました。彼女たちは手を使わないで食事をし、ことばも話さず、オオカミと全く同じように四つん這いで歩いていたそうです。
これは極端な話ですが、周りに大酒飲み、肉をむさぼり食うものがいたら、そこから影響を受けてしまいます。もし、自分が貧しくなってもいいなら付き合っても良いでしょう。
そして、惰眠をむさぼるものはぼろをまとうとあります。眠ることは大切ですが、それが過ぎてはいけません。健康的な睡眠と活動、このバランスが大切です。
・何を聞き何を見るか:22-28節
父や年長者の話を聞き、尊敬することが勧められています。日本では子どもが中心のような文化がありますが、聖書はそうではありません。子どもは親に従わなければなりません。そのように育てられた子どもが大人になったときには、自制を学び、忍耐を学んでいるので、自分の心を制することができる人格を備えた大人になることができます。子どもに「親の言うことを聞きなさい」といって「どうして?」と聞かれてもひるんではいけません。理由がなくても従わせるのです。世の中には理解できなくても事が進んでいくことがあります。子どものうちからそれを理解させておくことは大切です。
そして、私たちが買うものは真理です。また、知恵と訓戒と悟りです。これを売ってはいけません。
そのようにして育てられた子どもは親を喜ばせます。最高の親孝行です。遊女ではなく主の御教えに目を向けなければなりません。
・目による誘惑:29-35節
「酒は飲んでも飲まれるな」ということばがあります。しかし、聖書はそもそも強い酒を勧めていません。もしお酒を酔うほど飲むなら、その時は楽しいかも知れませんが、酔いが覚めるときに苦しむでしょう。それだけではなく、ここに書かれているようなことが起こります。魅力的に見えるお酒は後にヘビのように噛みつき、まむしのように刺します。目は幻覚を見、訳のわからないことを話し出します。そして、強気になり、感覚がなくなり、殴られても痛くなく、たたかれても知らないと言う状態になります。そして、もっと酒を求めるようになります。このようにならないためには、最初にもどって混ぜ合わせたお酒の味見をしに行かないことです。知恵を働かせ、自制を働かせましょう。
【24章】倒れる者、立つ者
・悪者をねたむな:1-2節
悪者を妬んだり、悪者と共にいることを望んではならないとあります。最初はなめらかなことばで近寄ってくるかも知れませんが、彼らの心は暴虐を計っています。そして、あること無いことを言ってきます。一番良いのは、彼らの存在を無き者のようにして生きていくことではないでしょうか。
・知恵による家:3-4節
家は建築家が建てるものですが、聖書では知恵によって建てられるとあります。英知によって堅くされ、部屋は知識によって満たされます。これは私たちの内なる人、霊的な領域の家を指して言っています。新約聖書で出てくる異言の賜物はギリシャ語で「オイコドメオ」と言います。これは建てあげると言う意味です。祈りによって私たちの内なる人が立てあげられていきます。
・力:5-6節
本当に力のある人は知恵のある人です。知識のある人です。へりくだって自分の足りないことを聞くことができる人は成長し、さらなる知恵を得ることができます。そのようにへりくだった人は多くの人から助言を得て、戦いに勝利できます。
・知恵はさんご:7節
愚か者は知恵を前にして口を開くことができません。愚か者には知恵はサンゴのように価値のないもののように映ります。
・陰謀家:8-9節
陰謀家は今も昔も存在します。悪事を働くことを企むものです。それは罪であると聖書ははっきりと言っています。陰謀家の目的は何でしょうか。多くの場合お金儲けです。あること、ないこと、もっともらしいことを言って、人々を納得させ、自分のビジネスに誘導します。気をつけましょう。
・苦難の日に気落ちしたら:10節
苦難の日に気落ちしない者はいないでしょう。その者は弱いと書かれています。弱さを知るとき、主の恵みに頼ります。苦難で自分の心が弱ってしまっている人は、そこから主を求めましょう。主の恵みに拠り頼みましょう。
・助け出せ:11-12節
日本ではこのような状況を見ることはないかも知れませんが、精神的な面ではどうでしょうか。平気な顔をして、心はボロボロでこのような状態の人がいるかもしれません。自分の心に余裕があって、神様に導かれたのなら、主の知恵によって彼らを助け出しましょう。
・蜜を食べよ:13-14節
蜜を食べよと勧められています。たしかに蜜は体に良いです。喉にも良いです。この時代では今の健康食品のような扱いだったのかも知れません。そして、それはたましいにとってもよいと書かれています。みことばは蜜のように甘いとあります。みことばをたましいに与えましょう。
・また起き上がる:15-16節
悪者と正しい者の倒れたときの様子が書かれています。悪者はつまづいて倒れます。しかし、正しい者は七たび倒れてもまた起き上がると書かれています。これが私たちの強さです。失敗は失敗でなくなります。なにかで失敗したと思っても、その報いを甘んじて受けるなら、一つの大きな学びになります。主と共に起き上がることをあきらめてしまったときが本当の失敗です。
・敵が倒れるとき:17-18節
ダビデはこの秘訣を知っていました。的が倒れるときに喜びません。スポーツの世界でも、本当は悔しいでしょうが、負けた者は勝者をたたえます。そして、勝者も敗者をねぎらい、たたえます。たとえ戦でも敵が倒れたときには喜んではならないと書かれています。その理由はどうしてでしょうか。主がそれを見て、御心を痛め、彼への怒りをやめると生けないからとあります。
・悪者に対して:19-20節
悪者に対して腹を立ててもいけません。ねたみを起こしてもいけません。なすがままにさせておくのが一番です。そのうち、悪者のともしびは消えます。
・ふたりから来る滅び:21-22節
主と王を恐れることを教えています。一方、そむく者と交わることを禁じています。もし王にそむくなら殺されます。そむく者、すなわちすぐに心変わりする者と交わっても死んでしまいます。
・知恵ある者:23節
以上が、ソロモンが選んだ三十の句ですが、この後も箴言は続きます。
・その後で家を建てる:24-29節
ここでは一つだけ取り上げます。27節です。まず、自分の仕事をしっかりと確かなものとしてから、家を建てよと命じています。勤勉と経済の教えです。今では、お金を前借りして家を建てることができます。多くの人がそのようにしているでしょう。しかし、聖書はまず働いて、それから家を建てなさいとあります。イスラエルの人々は、子どもの頃からこのような経済教育をされています。それで、全世界で大富豪にイスラエルの人々が多いのです。そのことで多くの人から恨まれるほどです。できるなら、欲しいものはまずそれを買えるだけの蓄えをしてから購入しましょう。そうするなら、あらゆる手数料を削減できます。
・廃墟からの戒め:30-34節
ここでは、廃墟から学びを得ています。知恵のある人は何からでも学ぶことができます。何を学んだのでしょうか。それは、面倒だからと言ってメンテナンスをしないことが貧しさにつながると言うことです。家の中が壊れていてもそのままにするなら、やがてそれが気がつかなくなります。そして、あちこちがその様な状態になったまま暮らしてしまいます。
それは心の問題です。結局何かをしようとしても面倒になってすぐ休む人です。あきらめないで、勤勉に続ける者が貧しさから脱することができます。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
主を求め、主の恵みにより頼みます。