聖書通読クラブ Day 195

聖書通読クラブ Day 195【箴言25章〜27章】

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シャローム!

今日からの通読はソロモンの箴言ですが、残されたものが後にヒゼキヤの時代に編集されたものです。その間、約250年です。これほどの時代がたっても、なお箴言が編集されると言うことは、歴史がソロモンの箴言が正しいと言うことを証明しています。
ヒゼキヤたちは主に、王の職務に関して、王として知っておかなければならない事を中心に書き記しています。御国の帝王教育です。私たちも王である祭司として、みことばから学んでいきましょう。

今日の通読箇所:箴言25章〜27章

■アウトライン

●神の誉れ王の誉れ:25章(1-28節)

●愚か者よ:26章(1-28節)

●友の慰め:27章(1-27節)

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【25章】神の誉れ王の誉れ

2節に神の働きと人の働きが区別されています。事を隠すのは神の誉れです。そして事を探るのが王の誉れです。箴言とはたとえ、比喩という意味があります。イエス様はたとえによって神の国を語りました。神様は真理をあえて隠されます。しかし、見つけにくいところではなく、少し探せば見つかるところに真理を隠しておられます。これを日々、聖霊様といっしょに探っていく宝探しが通読です。主と共に手に入れた知恵は金よりも真珠よりも価値があります。時間を使って真理を探るのですから、これは真理を買うことに等しい行為です。みことばの中から真理を求めて、探り続けましょう。
また、事を隠すのは神の誉れです。では、私たちが何かを隠すと言うことは私たち自身が神に成り代わっていると言えないでしょうか?私たちは心の奥にあるものを神の御前に明らかにしていかなければなりません。神のされることを人がしてはいけません。私たちは真理をどこまでも探り続けて行く必要があります。
6-7節、イエス様も同じような事を言われています。「招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。」(ルカ14:10)自分をアピールすることは大切ですが、成すことを成したなら、あとは忍耐をもって待ちましょう。主が必要なときに召し出して下さいます。
9-10節、自分の評判を落とさないようにするにはどうするかが書かれています。それは、隣人と争っても他人の秘密を漏らさないことです。「絶対に内緒だよ」と言って伝えたことは、大抵はだれかに伝わっています。一番は秘密を漏らさないことです。また、アクシデントで誰かの秘密を知ってしまっても、それを広げないことです。また、人から秘密のことを伝え聞くかも知れません。その時には、自分でその秘密をストップさせます。口の堅さと信頼は比例します。
11節、タイミングが大切です。同じことばをかけるのでも、タイミングが違うと火に油を注ぐことにもなりかねません。いつ、そのことばをかけるのかと言うことを決断するのが知恵です。タイミング良く語られることばは金のリンゴのようです。
15節、忍耐強く説得することは大切です。ビジネスにおいてもこの粘り強さが生きてきます。イエス様も、たとえの中でしつこさを語られています。その多くが祈りと関係しています。忍耐強く祈ること、忍耐強く交渉することが大切です。ただし、人に対して交渉するときには優しさが必要です。責め立てるのではなく、柔らかなことばで誠実に伝えるなら、骨を砕くほどの力になります。
17-18節、隣人との関わり方が書かれています。親しすぎず、離れすぎずと言ったところでしょうか。また、偽りを証言してはいけません。すべての人と平和を保つために大切な教えです。
21-22節、自分を憎むものに善を持って報いるなら、それは燃える炭火を積むことだと書かれています。主がそれに報いてくださいます。もし、そのことで自分を憎むものが悔い改めるなら、主は燃える炭火を取り去ってくださるかも知れませんし、悔い改めないなら、その火をその人の上にまき散らされるかも知れません。これは主が判断されることです。私たちは悪に悪で報いることをしてはいけません。
28節、自分の心を制することができない人は城壁のない、打ち壊された町のようだとあります。ゼカリヤ2:5には主が私たちの城壁となってくださると書いています。また、御使いを配備し、私たちの周りに守りを置いてくださっています。そして、ヘブル人への手紙にあるように、多くの信仰の証人が私たちの周りを取り巻いています。それにも関わらず、自分の心を制することをしない人は、その城壁が壊れたようなものです。悔い改めて、城壁を修復していきましょう。

【26章】愚か者よ

ここでは、これでもかと言わんばかりに愚か者の事が書かれています。愚か者にとって誉れは、夏の雪のように場違いなものであると書かれています。そして、愚かな者の背にはむちとあります。その前には家畜にもむちと書かれています。愚かな者はこのようような動物と同じだということです。
4-5節、ここを読むといつも混乱します。4節では愚か者には、その愚かしさに従って「答えるな」とあり、5節には「答えよ」とあります。いったいどちらなのでしょうか。
これはそれぞれ、状況が違います。愚かな者の汚いことばをもって話すなら、自分もそのようになります。そのような答え方はしてはいけないというのが4節です。一方、愚かな者には話の内容をかみ砕いて、わかりやすく話しなさいと言うのが5節です。イエス様も聞く者に応じて、ことばを変えられました。聖差を保ち、愛を持って隣人と接することが大切です。
8-9節、愚かな者に誉れを与えたり、彼らが口にする箴言は危険だと書かれています。これはダイナマイトに例えればわかるでしょうか。その扱い方も知らない幼児にダイナマイトを与えたらどうなるでしょうか?おもちゃだと思って爆発させ、いのちを落とすかも知れません。しかし、使い方を習い、何度も練習した人が使うなら岩を砕き、道無きところに道を作るトンネルの掘削に用いたりすることができます。箴言、つまりみことばはダイナマイトよりも力があるものですから、その扱い方に気をつけなければなりません。
そして11節、犬が自分の吐いた物に帰ってくるように、愚かな者は自分の愚かさを繰り返すとあります。例えば、ある人が結婚したら幸せになると思っていても、いざ結婚したら「こんなはずじゃなかった。独り身の方が良かった」と言います。しかし、それからしばらくして結婚生活もうまく行き始めると、「なぜ子どもが与えられないのか」と不満を漏らします。しかし、いざ子どもが与えられると「こんなに大変で疲れるなんて知らなかった。なんで子どもが与えられたんだ」と不平を言います。ここに共通するのは感謝のない生活です。愚かさは、そのままにしておくと自動的に繰り返します。まるで、保険や携帯電話の契約が自動的に更新されるようです。更新を止めるにはどうしたら良いでしょうか。手順に従って手続きしなければなりません。声を発し、行動しなければなりません。愚かさの連鎖を断ち切ることも同様です。みことばを宣言し、呪いを断ち切るのです。私たちが帰る場所は自分の吐いた場所ではなく、主の所です。
13節からは、なまけ者が出てきます。なまけ者は「道に獅子がいる。ちまたに雄獅子がいる」と言うと書かれています。面白い表現です。これはつまり、言い訳ばかりをするということです。「疲れていて勉強できなかった」「運が悪かったから契約が取れなかった」などと、人や環境のせいにばかりします。それを選択したのは自分です。それを受け入れたくないという傾向があるのがなまけ者です。
また、なまけ者は寝てばかりです。その様子を戸がちょうつがいで回転するようだと言っています。ゴロゴロしている様子です。休憩するのは大切ですが、度を過ぎるとなまけ者になってしまいます。また、食事をするときにも、皿にまで手を運びますが、それを食べようとしません。まるで、ゲームをしながら、また、ネットドラマを見ながら食事をしているような光景が思い出されました。
また、なまけ者は自分が賢いと勘違いしています。自分の無知を知る者が知者です。
17節以降、争いについて書かれています。自分に関係のない争いに首を突っ込んではいけません。また、陰口を言ってはいけません。誰かが陰口をはじめたら、その場所から「お手洗いに行ってくる」などと理由をつけて立ち去りましょう。陰口を言うことは良くないことですが、その場に居続けることも同じ事です。それらはおいしい食べ物のように感じますが、それは腹の奥で腐っていきます。たきぎがなくなれば、火は燃えなくなります。同じように、陰口をストップするとそこで陰口は途絶えてしまいます。陰口根絶作戦に一緒に参加しましょう。

【27章】友の慰め:

1節は奥深いことばです。本当に一日のうちに何があるかわかりません。人は1秒先もわかりません。ですから、明日のことを誇ることなどできないのです。
2節、自分で自分をすごいと言うほどみすぼらしいことはないです。(私はこの事を良くしてしまいます)自分で「すごいでしょ」と言うのではなく、人の口からほめられる方が信頼が持てます。
これをビジネスで活用するのは、部下をほめるときです。男性は人前でその功績をほめてあげます。そうするとよりやる気がでます。女性は一対一でほめます。大勢の前で称賛すると妬まれる可能性があるからです。
それはさておき、人を下心からではなく、真心でほめることができるよう、いつもその人の良いところだけを見る目を求めていきたいです。14節にもあるように、朝早くから大声で友人を祝福することは不自然です。
そして17節、有名な一節です。鉄は鉄によってとがれ、人はその友によって研がれるとあります。お米を研ぐときにもお互いがぶつかり合って、それで研がれます。人と人はぶつかるかも知れません。しかし、そのことでお互いの弱さを知ることができます。お互いに赦しあうことができます。人間関係で苦労をします。しかし、そのたびにへりくだる機会が与えられます。飢え乾いて主に祈る機会が与えられます。そのようにして私たちの信仰と人格が引き上げられていきます。隣人を愛することができるようになっていきます。
19節、顔が水に映るように、人の心はその人に映るとあります。たしかに、心は見えません。しかし、その人の表情、しぐさ、言葉尻、発する雰囲気で知ることができます。心をうまく隠せたと思っても、それは自分だけで周りの人はそのことを知っています。心に平安を迎えましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主が報いて下さることを感謝します。
    隣人をゆるし、愛することができるように祈ります。

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