聖書通読クラブ Day 163

聖書通読クラブ Day 163【詩篇26篇〜30篇】

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シャローム!

みなさんは今、どこかに住んでいると思います。住所があるでしょう。それはこの地上での住まいです。それは信じる者の本当の住まいではありません。私たちの住まいは主ご自身です。
ダビデは豪華な王宮を持っていました。しかし、それには価値をそれほど見いだしていませんでした。ダビデは主と共に住むことが唯一の願いだったのです。
私たちはどうでしょうか。この世の物に目が奪われすぎていないでしょうか。私たちの願いも主と共に住むことです。このダビデのただ一つの願いが私たちの願いとなりますように。

今日の通読箇所:詩篇26篇〜30篇

■アウトライン

●誠実な歩み:26篇
  ・私を試みてください:1-7節
  ・栄光の住まうところを愛します:8-12節

●ただ一つの願い:27篇
  ・いのちのとりで:1-3節
  ・幕屋のひそかな所:4-6節
  ・主の御顔を慕い求める:7-10節
  ・待ち望め:11-14節

●悪者への報い:28篇
  ・私の岩:1節
  ・主は私の力:2-8節
  ・御民を救ってください:9節

●栄光:29篇
  ・聖なる飾り物:1-9節
  ・御座:10-11節

●悲しみから喜びへ:30篇
  ・私を生かす:1-3節
  ・朝明けの喜び:4-6節
  ・ご恩寵のうちに:7-9節
  ・嘆きを踊りに:10-12節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【26篇】誠実な歩み

・私を試みてください:1-7節
世の中には弁護士という職業があります。法廷でさばかれるとき、被告人に変わって法律に基づいてその人を弁護します。ダビデはその弁護を主に願っています。
主が私の弁護者であるなら、どれ程心強いでしょうか。主より正しい方はおられません。「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。」(1ヨハネ2:1)イエス様が私たちの弁護者であることを感謝します。
また、ダビデは自分を調べてください、試みてくださいと言っています。自分の正しさが神様の正しさをずれていないかを確認しています。学校で行われるテストを好きな人はあまりいないかもしれません。それは点数に目が行っているからです。テストとはなにでしょうか。自分がどこを理解し、どこを理解していないかを確認することです。理解できていないところを洗い出し、そこを重点的に何度も繰り返し問題を解くなら、次のテストは良い点を取れます。シンプルです。
私たちの人生におけるテストも同じです。どこが神様の御心と合致していないかを知ることができるのが試練です。主の恵みの中で試されましょう。試練が主への希望を生み出します。
4節からは、詩篇1篇をみているようです。悪者の集いが出てきます。これに参加しない者が幸いな人でした。そのためには、昼も夜もみことばを喜びとして口ずさむ必要があります。そうするなら私たちの心はいつもみことばによって点検され、何が良くて何が悪いかを判別することができるでしょう。
6節から、ダビデの主を愛するがゆえの聖さが書かれています。手を洗い、祭壇の周りを歩いています。感謝の声を上げています。ダビデはなぜその様なことをするのでしょうか。

・栄光の住まうところを愛します:8-12節
8節が結論です。「主よ。私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まうところをを愛します。」私たちもダビデと同じところを愛しましょう。
そしてダビデは何が正しく何が間違っているかが混沌としている中において、自分がそこに巻き込まれてしまわないように切に祈っています。そこからの分離を求めています。
義人ロトも同じでした。「また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。」(2ペテロ7-8)
私たちも罪に敏感な心を持つことができるように主に祈り願いましょう。そして、そこから離れ、彼らのためにとりなし祈る力が与えられますように。
まず私たちが悪者の集いから出て行く必要があります。そうするなら、12節にあるように平らな所に立つことができます。悪の洪水に飲み込まれることない高台の平らなところです。すなわち、私たちの購い主であるイエス様の中にあるということです。その場所で私たちは主をほめたたえます。

【27篇】ただ一つの願い

・いのちのとりで:1-3節
いつもの通り、ダビデは信仰の宣言をしています。「主は私の光」と宣言されています。どのような強力な暗やみであっても、光があるなら安心して歩むことができます。暗やみに思える人生の光は主だけです。私たちもこの宣言を自分の宣言として宣言してみましょう。

・幕屋のひそかな所:4-6節
ダビデは王でした。何でも願うことができます。しかし、主に対してはこの一つを願います。そしてこれを求めています。いのちの日の限り、主の家に住むことです。
私たちは住まいがあるからこそ風雨から守られて安心して暮らすことができます。ダビデは王宮ではなく、主の家に住み、主の麗しさを仰ぎ見、宮で思いにふけりたいと願っています。イエス様が再臨された後の世界を描いています。愛する人とただ一緒にいること。これほどの幸せはありません。
5節を見ると、悩みの時には幕屋のひそかな所にかくまわれると書かれています。私たちが弱っているとき、主が私たちを守ってくださいます。悩んでいるからこそ、主の幕屋に駆け込む必要があります。そこは暗く、外が見えず、理解できなことが起こるかも知れません。だからこそ主にだけ信頼します。
また、イエス様は祈りに関してこのように言われています。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:6)
私たちは幕屋のひそかな所にかくまわれ、父に祈り続けます。そうするなら、主がその者を高い岩の上においてくださいます。そして、うなだれていた頭は敵の上に高く上げられます。主によって幕屋のひそかな場所に導かれることを恐れないようにしましょう。

・主の御顔を慕い求める:7-10節
ここからダビデの祈りは切実な祈りになっています。何を求めているのでしょうか。主の御顔を慕い求めることです。主が語りかけてくださらないように感じるときも、ダビデは主に変わって自分の心に命じています。
私たちもこのダビデに倣う必要があります。自分のたましいに、みことばから命じるのです。それが預言です。「今の現状はとてもじゃないけど、みことばはこう言っている」と信仰の宣言をします。主の御心にかなう祈りは聞かれます。
ダビデは主の御顔を慕い求めました。御顔は光とも関わり、主の臨在を象徴します。たとえばよく企業などを紹介するときに「我が社の顔」などと言ったりすると思います。顔はその人を表します。主の御顔は主ご自身の事をあらわします。私たちも主の御顔を慕い求め、祈りましょう。
このお方は私たちを見捨てることはなさいません。たとえ父母に捨てられる事があったとしても、主は決して見捨てられません。

・待ち望め:11-14節
ダビデは主の道を求めています。それは自分の道ではありません。自分の行きたい方向ではなく、主が願われる方向を求めています。その道は狭く、険しい小道かも知れませんが、祝福の道です。
13節でダビデの心は失望しかけていますが、そこを経て最後の宣言が成されています。「待ち望め、主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」
私は以前、入院し、非常に苦しいところを通されました。夜も眠れず、苦しい毎日でした。その中で痛みが来る度にこの宣言をしていました。そして、自分のたましいに言い聞かせました。「もうすぐこの苦しみは終わる。主が共におられるから。もう少し耐え忍べ。」と。結果、その通りになりました。
この27篇を見ても、ダビデの心、信仰の揺れを見ることができます。私たちも生きていると調子の良いときと、そうでないときがあります。どのような状態であっても主は良いお方です。ですから、私たちは状況や環境によらず、自分のたましいにみことばから声をかけてあげましょう。

【28篇】悪者への報い

・私の岩:1節
ダビデはここで、先ほどと同じように悪者と一緒に滅びないようにと祈っています。この祈りを見ても、ダビデが穴に下る者、すなわち主に不従順な者となることがないようにと切に祈っています。

・主は私の力:2-8節
ダビデは聖所の奥に向けて手を上げています。人々は助けを求めるときに助けてくれる人に対して手を上げます。その手をつかんでその場から引き上げて欲しいからです。
私たちが主に向かって「助けてください」という願いを持って手を上げるなら、主はその手をつかみ助けてくださると信じます。
3節では再び、ダビデは世の中の者と調子を合わせることがないようにと願っています。その者は隣人と平和を語りながら、心には悪があるとあります。
以前、大きなデモをしている所に出くわしたことがあります。大きな音で何かを言ってますが、良く聞いてみると戦争反対のデモでした。世界に平和を!というプラカードも見えました。非常に多くの人がデモ行進をしていましたが、その中のあるグループとあるグループがデモの途中に言い争いをして、殴り合いのけんかの直前まで行き、ヒヤヒヤさせられました。彼らは「平和」と口で言いながら、実際は隣の人との平和を保つこともできていない人たちでした。
ローマ12:18には「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」とあります。大きな世界平和を願うことも大切ですが、まずはこのみことばを行いましょう。小さな事に忠実な者は大きな事にも忠実です。

・御民を救ってください:9節
ダビデは最後に個人的な救いから国家の救いに導かれています。イスラエルの民は苦難の歴史を歩んでいますが、それを自分の人生と重ねて、イスラエルの平和のために祈っています。
主は彼らの羊飼いとなって、イスラエルをとこしえの祝福へと導いてくださると信じます。

【29篇】栄光

・聖なる飾り物:1-9節
私たちは時に、主の栄光を盗んでしまいます。栄光泥棒です。私たちの受けた栄光は私のものではなく、主のものです。
前にもお伝えしたかも知れませんが、栄光を持ち続けることは子どものサッカーの試合を見たらわかります。子どものサッカーでは、一人の子がボールを持ち続け、それを大勢が追いかけていきます。
もし私たちが栄光を持ち続けているなら、自分は注目されて気持ちが良いかもしれません。しかし、サタンも同時にその栄光を奪おうとその人に集まってきます。これを回避するにはどうすれば良いのでしょうか。簡単です。ボールをパスすれば良いのです。
私たちは最も信用できる主に栄光をパスすることができます。栄光を持ちづけることがないよう、気をつけましょう。
私たちは栄光を身にまとうのではなく、聖なる飾り物を着けて主の御前でひれ伏すことが大切です。へりくだる者を主は愛してくださいます。
3節からは主の御声に関して書かれています。主の声はどのようなものでしょうか。3-8節を見て確認してみましょう。
主の声が響き渡るとき、すべてのものはただ主に「栄光」と言うことしかできません。

・御座:10-11節
雷鳴に続き、大洪水が出てきています。大洪水と言って真っ先に思い出すのがノアの出来事です。その時、地は悪に満ちていました。それが大洪水によって滅ぼされてしまいました。ただ、ノアとセムハムヤペテ、その妻たちと動物たちが救われました。主の御声に従って、箱舟の中に入った者だけが救われました。
主は今でも叫んでおられます。「私の所に来なさい」と。この御声に従った者は救われます。
主は正しく歩む者に良いものを拒まれないお方です。このような民にご自身の力を与えてくださいます。そして主の平安と祝福をもって民を祝福してくださいます。

【30篇】悲しみから喜びへ

・私を生かす:1-3節
この詩篇は家をささげる歌です。これまでダビデは主の家の詩篇を残してきたのを見てきました。おそらく、この家をささげる歌とは、神の家の事を歌った歌ではないかと思います。
ダビデは主をあがめています。ダビデの祈りが聞かれ、ダビデを引き上げ敵を喜ばせることがなかったからです。
それに加え、ダビデはいやしも受け取っていました。さらに、たましいの救いも受け取っています。主は私たちの霊、たましい、肉をいやし、救うことのできるお方です。

・朝明けの喜び:4-6節
ダビデは自分の身にいやしを体験しています。そしてたましいの救いを受け取っています。その喜びを味わって欲しいと願い、民にも主をほめ歌うことを勧めています。私たちの国のリーダーが「今日からイエス様をほめたたえよう!」と言ったら、どれ程素晴らしいでしょうか。
そしてダビデは有名なことばを残します。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」これは本当の事です。人は疲れると気持ちも沈みます。しかし、よく寝ると体力と共に気分も回復します。神様を知らない人であってもそうなのですから、神を知る私たちはなお、この恵みにあずかることができると信じます。
また、多くの場合、心の病は睡眠と関係しているというのを聞いたことがあります。どのようにしたら快適な睡眠を取ることができるかを工夫しましょう。例えば寝る2時間前からはスマホや画面を見ない。証明を薄暗いものにする。入浴後2時間位してから床につくようにする。夜10時までに寝るようにする。床について眠れないときは3秒で息を吸って5秒止めて7秒で息を吐く呼吸を続けてみるなどです。
やらなければならないこともあるかもしれませんが、思い切って早く寝て、朝にその仕事をしましょう。夜の10倍くらい生産性があがるはずです。
6節を見ると、ダビデは栄えたときに「私はゆるがされない」と言っています。ダビデは小さな高ぶりを持っていました。イエス様のたとえでも、一生分の食料を蓄えた人に、あなたのいのちは今晩取り去られるという事を言われていました。「これで大丈夫」と言うことは、言い換えると「これ以上主を必要としない」ということです。小さな高ぶりであっても主に取り扱っていただく必要があります。

・ご恩寵のうちに:7-9節
主が御顔を隠されたように感じたとき、ダビデはおじ惑いました。ダビデが栄えたとき「私はゆるがされない」と言ったからです。
しかし、主はご恩寵のうちにダビデの山を強く立たせてくださいました。
8節からは主にあわれみを請うています。そして、自分の血に何の益があるかと言っています。血はいのちです。自分のいのちの価値を見失いそうになっています。

・嘆きを踊りに:10-12節
主はほんとうに素晴らしいお方です。嘆きを踊りに、荒布を解いて喜びを着せてくださいます。イエス様はご自身のいのちをもって、私たちを購い、この事を成してくださいました。とこしえの喜びを与えてくださいました。天にも舞い上がりたいほどの喜びです。
だから必要なことは主にとこしえに感謝し続けることです。いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝することが大切です。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 主は私の光です。いつも世の中のことで頭がいっぱいですが、主の御顔を慕い求めます。

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