聖書通読クラブ Day 159

聖書通読クラブ Day 159【詩篇6篇〜10篇】

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シャローム!

詩篇に入って二日目です。朗読は続けられているでしょうか。もし時間が許すのであれば、ブロックごとに朗読してひれ伏して祈ってみてください。ダビデに感動を与え詩篇を書かせた同じ聖霊様が臨んでくださり、ダビデの感動を自分も受けることができるよう祈りつつ呼んでみてください。
今日もみことばから語られていきますように。

今日の通読箇所:詩篇6篇〜10篇

■アウトライン

●たましいの助け:6篇
  ・いつまでですか:1-3節
  ・帰ってきてください:4-7節
  ・不法の者は離れよ:8-10節

●我が内にある不正:7篇
  ・私を救い出してください:1-2節
  ・もしこの事をしたのなら:3-5節
  ・弁護してください:6-9節
  ・心の直ぐな人を救われる:10-13節
  ・悔い改めない者への報い:14-16節
  ・その義にふさわしく:17節

●天と人:8篇
  ・力を打ち立てられる:1-2節
  ・人とは何者なのでしょう:3-9節

●主よあわれんでください:9篇
  ・心を尽くした感謝:1-2節
  ・苦しみの時のとりで:3-9節
  ・御名を知るもの:10節
  ・主にほめ歌を歌え:11-12節
  ・私をあわれんでください:13-16節
  ・悪者どもの行く末:17-18節
  ・恐れを起こさせてください:19-20節

●貧しい者を忘れられない:10篇
  ・神はいない:1-11節
  ・立ち上がってください:12-13節
  ・彼らを御手の中に収めるために:14-15節
  ・心を強くしてくださる:16-18節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【6篇】たましいの助け

・いつまでですか:1-3節
ダビデの賛歌です。ダビデは癒やしを祈っています。肉体の癒やしを求めているのか、心の癒やしを求めているのかわかりませんが、いずれにしても苦しんでいます。
ダビデはそれを主の御怒りとしました。ダビデは衰えていることを素直に認めました。そして、医者に、また相談役に頼る以上に主にあわれみを求めています。いつまで続くかわからない苦しみに対してもがいています。ヨブもまたその様な苦しみを持っていました。自分の災いの原因がわからず、いつそれが回復するかもわからない。その様な状態で本当の信仰が試されます。

・帰ってきてください:4-7節
ダビデは死の危機に瀕しているのでしょうか。いのちが無くなってしまっては主をほめたたえることもできません。だから主にたましいの救いを切実に訴えています。ここで重要なのが、ダビデが「主の恵みのゆえに、私をお救いください」と言っていることです。ダビデは主の恵みに拠り頼む信仰を持っていました。
しかし、6節からにあるように、
私たちはどうでしょうか。ここまで切に主を求めたことがあるでしょうか。試練が無くてもこれほどに主を求めたいです。

・不法の者は離れよ:8-10節
この部分では、ダビデは信仰を持って宣言しています。「不法を成す者、離れよ。主は私の祈りを聞かれる」と。
ダビデは神様を信頼していました。ですから、自分の祈った祈りが主に聞かれたと確信を持ってこの宣言をしています。
以前に来られたメッセンジャーから祈りに対しての姿勢を聞いたことがあります。彼は「Act as if」つまり、祈ったことに対して、あたかもそれが成就したかのように行動しなさいという教えでした。それ以来、私も祈ったことが主に聞かれたと確信をもっています。たとえ答えがすぐに来なくても、祈りが聞かれるタイミングを主にお湯種して祈り続けます。
これが預言的な宣言であり、行動です。信仰はことばを前に投げることです。そしてその投げたことばに向かっていきます。私たちも信仰のことばを投げていきましょう。

【7篇】我が内にある不正

・私を救い出してください:1-2節
こちらもダビデの詩篇です。ダビデがサウルから逃げているときに書きました。おそらく第一サムエル22章あたりに書かれたものでしょう。ダビデはいわれのない中傷を受け、苦しむ中でこの詩篇を書きました。ダビデは追われる中で、身を避けました。それは洞窟でも城壁でもなく、主のもとに身を寄せました。この地上で最も安全な場所です。

・もしこの事をしたのなら:3-5節
ダビデはここで主にさばきを求めています。そして、自分の心を点検しています。「親しい友」と書かれていますがこれはサウルです。主が油注がれた器であるサウルに対して、今自分がされているような仕打ち、悪い仕打ちをしているのであれば、敵からの攻撃を甘んじて受けると言っています。

・弁護してください:6-9節
ダビデは先走ったさばきを自分でしませんでした。さばきをすべて主にお委ねしています。ヨブの友人たちは自分の視点だけでヨブを見て良い悪いを判断していました。それらは主がジャッジされることです。9節ではまるで黙示録の最後の方の光景を見ているような宣言が成されています。主は最後に大いなるさばきをなさり、やがて千年王国が到来します。ダビデは信仰によってその領域まで見ていました。
それ故に必要なのが9節の最後です。「正しい神は、心と思いを調べられます。」ここで言う心は私たちの思っている心と少し違い、思考、思いなどというニュアンスが強いです。また、逆に思いは感情というニュアンスに近いことばになります。
主は私たちの目に見えない部分までご存じであり、それらを唯一正しく裁くことができる方です。

・心の直ぐな人を救われる:10-13節
神様はどのような人を救われるでしょうか。心の直ぐな人です。主の呼びかけに素直に応じる人です。そして心の直ぐな者と対照的に書かれているのが「悔い改めない者」です。主のみことばに従おうとしない者です。その様な者への報いは何でしょうか。みことばから確認してみましょう。

・悔い改めない者への報い:14-16節
悔い改めない者の仕組みが書かれています。日本語でも墓穴を掘るという表現がありますが、まさにそれです。人をはかるはかりで、自分がはかりかえされる事と同じです。
その害毒はおのれのかしらに、暴虐は脳天に下るとあります。まさに、いつも怒ったり、イライラしている人は脳にダメージが起きやすいという話を聞いたことがあります。

・その義にふさわしく:17節
ですから、ダビデが選んだこの選択を私たちも選んでいくことができますように。

【8篇】天と人

・力を打ち立てられる:1-2節
続いてもダビデの詩篇です。主は弱い者を用いて強い者を打ち倒されるのが好きなお方です。小さな群れが大群を打ち破ります。
その事をダビデは幼子と乳飲み子に例えました。彼らの口によって力を打ち立てられると宣言しています。
子どもは大人ほど力が無いので戦うことはできません。しかし、彼らが信仰を持って宣言するとき、主が働いてくださいます。そうするなら、人々は完全に人の力ではなく主ご自身が働かれたのだと知るでしょう。
以前、祈り会がもたれたとき、私の娘が代表して祈る機会がありました。当時小学校に上がる前だったのですが、牧師が突然マイクを向け、祈ってと言われたそうです。そこで娘は一言「イエス・キリストのお名前によって、悪しき力よ、出て行け」と祈りました。気がつくと、後ろにいた何人もの人が何もしていないのに倒されていました。主は確かに幼い子たちの信仰の宣言に答えてくださいます。
ですから、ぜひお子さんがおられる方は子どもたちに信仰の宣言をどんどんさせましょう。下心や駆け引きからそれを宣言させるのではなく、正しい心で宣言させる訓練をしましょう。そうするなら、彼らがピンチになったとき、口から意識しなくても信仰の宣言が出てくるはずです。

・人とは何者なのでしょう:3-9節
この所は、とても詩的に対比を表現している箇所です。私たちも圧倒的な自然の光景を目にして、ことばを失った経験は無いでしょうか。
目の前に広がる無限の星を見上げて、自分はなんて小さい存在なのかと感じたことはないでしょうか。世界中の中、もっと広い全宇宙の中から、ちりに過ぎないこの私に主は御目を注いでくださっています。なんという恵みでしょうか。
そして、主は人を神の姿、神のかたち、神に似せて創造してくださいました。それをダビデは「人を、神よりいくらか劣るものとし」と表現しています。このようなちりに過ぎない人に主は栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいます。そして、すべての被造物を治めるように命じられています。
これらをさせて下るのはすべて主です。この事実を知るとき、偉大な主に賛美をささげざるを得なくなります。

【9篇】主よあわれんでください

・心を尽くした感謝:1-2節
ダビデは心を尽くして主に感謝しています。その上で主の奇しいわざを余すことなく語ると言っています。人は良いものに触れたらそれを人に伝えたくなります。ダビデは最も良い主に触れました。ですからこの方のことを余すことなく語ります。

・苦しみの時のとりで:3-9節
先ほども見ましたが、主は唯一の正しい義の審判者です。神と神に従う者に敵対するものはついえさります。
正しい訴えとは何でしょうか。みことばに従っていきている中で生まれる訴えです。
正しい訴えは神に聞かれ、神は敵を滅ぼされます。それも跡形もなく、記憶も残らないほどに滅ぼされます。
絶対的な義によって世界をさばき、誰よりも公正に国民にさばきを行われるのは主のみです。
しかし、主は虐げられている者、苦しみの時の砦となってくださる方です。

・御名を知るもの:10節
そして、主の御名を知る者は主に拠り頼みます。これは大きな事です。主の御名を知っているか知っていないか。私たちは主の御名を知っていることを感謝します。そして、多くの人にこのお方の名前を伝えていきたいです。

・主にほめ歌を歌え:11-12節
主はどこにでもいてくださいます。私たちの認識できる時間、空間を超えて働くことのできるお方です。
しかし、主はあえてシオンを住まいとして選ばれました。かつてはエルサレムのシオンという限定的な場所でしたが、イエス様の十字架を通して、私たちの内なる人にシオンがもうけられました。そこに主は住んでくださいます。
そして、いつも貧しい者の叫びを聞いてくださいます。心の貧しい者は幸いです。

・私をあわれんでください:13-16節
ダビデは自分を殺そうとする者から逃げています。その苦しみと葛藤はダビデを死の門にまで追いやるほどです。しかし、主はその叫びを聞き、死の門からシオンの門に移してくださいます。
再びダビデは国々が墓穴を掘ることを語っています。政治家が相手を痛烈に批判しますが、本人が不祥事を起こしてしまったときにはその何倍ものバッシングを受けることがあります。さばいたとおりにさばかれます。
聖書の人物でこの事をみごとに現しているのがハマンでしょう。モルデカイを木にかけようとしましたが自分がかけられました。

・悪者どもの行く末:17-18節
この二節で対比が書かれています。悪者、神を忘れた国々はよみに下ります。しかし、貧しい者は主に忘れられることはありません。言うまでも無いかも知れませんが、貧しい者というのは主に飢え乾く者です。自分の無力さに打ちひしがれ、主しか頼るものがないという状態の者のことです。

・恐れを起こさせてください:19-20節
古来から、特にルネッサンス以降は神ではなく人間が中心となってきています。神は古くさいイメージを人々に与え、人間の能力がいかにすばらしいかをつたえます。人間賛美です。
ダビデの敵もまた人間主義の人たちでした。つまり、主を知らない者です。そこでダビデは「主よ、立ち上がってください」と願っています。人が神の領域に達しないようにです。人は人であり、神では無いと言うことを知らしめるためです。
世の中の人は人間を高め、名をあげることを願います。しかし、主に従う者は自分に死に、自分が消え去りキリストだけが現されていくことを願います。
私たちもいつもこの事を覚えたいと思います。私たちは被造物であり、主は創造主です。

【10篇】貧しい者を忘れられない

・神はいない:1-11節
この10篇はタイトルがありませんが、9篇の続きと言われています。
人は自分が窮地に追い込まれたとき、このような祈りをします。主に主のご計画があり、必ず私たちを救ってくださっていることを知っていますが、自分が窮地に追い込まれたときにはこのような祈りが出てきてしまいます。
神様は遠くにおられるのでしょうか。いいえ。そんなことはありません。私たちがそう感じるだけです。わかっていても信頼しきれない弱さがあることを覚えます。この事がとても苦しいことです。
3節からは悪者の特徴が書かれていますが、一言で言うなら「神はいない」と言っている者です。私もかつてはそのように思っていました。世界はビッグバンによって誕生し、人は進化して今に至ると信じ切っていました。しかし、イエス様に出会って聖書をよむにつれ、神様がご計画を持って私たちを創造してくださったと言うことを知ります。
これほどシンプルで理にかなったことはありません。はじめに神が天と地を創造された。これに議論の余地はなく、アーメンとしか言えません。
しかし世の中は不思議にできています。そのように神はいないと言っている者が栄えます。彼らは気づいていないのですが、神を忘れて心が高ぶっています。日本の多くの人がこのような状態であることを嘆きを持って取りなす必要があります。経済も政治も教育も日本を救うことができません。ただ主だけが日本を救うことができます。

・立ち上がってください:12-13節
ここでも「主よ立ち上がってください」とあります。主はイスラエルの民がピンチになったとき、その叫びを聞いて立ち上がられました。エジプトで奴隷として苦しんでいる中で叫ぶ祈りは主に届き、主は立ち上がられ彼らをエジプトから連れ出されました。
私たちも主に叫ぶことができます。苦しみの中、「主よ立ち上がってください」と叫んでみましょう。

・彼らを御手の中に収めるために:14-15節
神様は正しく歩む者を見守ってくださいますが、悪者の害毒と苦痛もご覧になっています。徹底的に悪を無くしてくださるのは主です。

・心を強くしてくださる:16-18節
主は代々限りなく王です。国々が消え去っても主の主権は消え去ることがありません。このお方が私たちに働きかけてくださり、助け救ってくださるので、私たちの心は強くされます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 祈りを聞いてくださる主に感謝します。信仰の宣言をしていきたいと思います。

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