聖書通読クラブ Day 102

聖書通読クラブ Day 102【列王記 第一 16章~18章】

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シャローム!

霊的な堕落、転落の一途をたどるイスラエル。このままどうなってしまうのでしょうか。どこまで行くのでしょうか。
この時、暗闇が最も暗くなったように感じるとき、神の人が登場します。エリヤです。エリヤを通して、神の国はどのように立て直されていくのでしょうか。もし私たちの信仰が落ち込んでしまったなら、エリヤの生き方を通して神様との関係がより強固なものとされていくでしょう。

今日もみことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:列王記 第一 16章~18章

■アウトライン

暗闇に輝くひとつの光

●止められない堕落:16章
  ・エフーに与えられたバシャへの主のことば:1-4節
  ・バシャの功績:5-7節
  ・エラとジムリ:8-14節
  ・ジムリの業績:15-20節
  ・二分するイスラエル:21-28節
  ・オムリの子アハブ:29-34節

●神の人エリヤ:17章
  ・烏に養われるエリヤ:1-7節
  ・小さなパン菓子:8-16節
  ・子どものよみがえり:17-24節

●祈りに答えてくださる主:18章
  ・雨を降らせよう:1-6節
  ・行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え:7-15節
  ・アハブとエリヤの対面:16-19節
  ・バアルの預言者との対決:20-24節
  ・先攻、バアルの預言者:25-29節
  ・後攻エリヤ:30-35節
  ・主の火:36-40節
  ・人の手のひらほどの小さな雲:41-46節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【16章】止められない堕落

・エフーに与えられたバシャへの主のことば:1-4節
預言者という働きは孤独です。神からのことばを預かり、それを王に伝えますが、大抵は反発されます。自分の考えと逆を行くことが多いからです。しかし、ダビデはこのことを重んじました。
イエス様も預言者は自分の郷里では歓迎されないと言われています。
時に預言者はいのちをかけでも王の働きを止めることもします。まるで私たちの内に働く肉と御霊の原理のようです。(ガラテヤ5:17)
4節にはバシャに属する者の行く末が書かれています。

・バシャの功績:5-7節
バシャの家が滅ぼされる原因は何でしょうか。ダビデの道に歩まなかっただけでなく、偶像礼拝をしただけでなく、彼がヤロブアムを殺したからと書かれています。一見理解できないことです。
ヤロブアムを裁くためにバシャを用いますが、それでもそれで義とされる訳ではありません。

・エラとジムリ:8-14節
エラがイスラエルの王となりました。しかし酒を飲んでいたときに家来のジムリが謀反を起こしエラを打ち殺し、自分が王となりました。
この原因は難でしょうか。13節を見てみましょう。

・ジムリの業績:15-20節
クーデターを起こし王となったジムリ。その王であった期間はどれほどでしょうか。15節を見てみましょう。なんと7日間だけの王でした。ジムリが謀反を起こしたことを聞いたイスラエルの民はオムリをリーダーとしてジムリを攻めます。
するとジムリは恐れをなし、自ら王宮に火を放って死にました。単なる自害ではありません。その原因は何であると19節に書かれているでしょうか。

・二分するイスラエル:21-28節
イスラエルの民は二派に分裂しています。ひとつの民族、一つの家族が分裂することは心が痛いです。
オムリが出て来ますが、この時から首都がティルツァからサマリヤに移動します。
オムリはどのような王だったでしょうか。25節には何と書かれていますか。

・オムリの子アハブ:29-34節
ついにこの人物が登場します。アハブ王です。この王はどのような王でしょうか。30節をみてみましょう。続く31節にはどのように書かれていますか?更に32-33節では偶像を造りまくっています。
彼が行ったことはこうです。「これが私たちの神だ」と言って金の子牛を造り、民にそれをおがませたのです。ヤハウェなる神の礼拝に偶像を混ぜ込んだのです。
それ故に、イエス様の時代にサマリヤ人は忌み嫌われる存在となっています。
教会で行われるイベントにも、実は起源が聖書でないものがいくつかあります。長い歴史を通して、うまく私たちの目と信仰をそらしていることがあります。みことばによる吟味が必要です。

【17章】神の人エリヤ

・烏に養われるエリヤ:1-7節
ついに、ついに現れてくれました。暗闇に輝く一筋の光のような存在です。エリヤです。最悪の王アハブが現れたそのタイミングで、新約聖書の時代にまで出てくる預言者エリヤが登場します。
バプテスマのヨハネのひな形でもあります。
エリヤとは「主こそ神」と言う意味です。覚えていますか?前の章ではイスラエルはこの時、バアルを自分たちの神としていました。その時に現れた預言者が「主こそ神」という名前の人物です。この時代に必要な器でした。
エリヤは強烈に神のことばを告げます。堕落したイスラエルにはこれほど強力な紙の器が必要でした。
エリヤは繰り返し「神のことば」と「主は生きておられる」言います。バアルのことばは一見耳心地が良いかもしれませんが、それに従って行く先は永遠の滅びです。しかし、神のことばは永遠のいのちに導きます。
また、バアルは死んだ神です。しかし、ヤハウェなる主は生きて働かれる神です。このメッセージを強烈に語ります。
そのようなエリヤに神からケリテ川に身を隠せとの仰せがあります。神の人にはいつもこのような語りかけがあります。神様は命じられますが、明確な理由を告げられないことがあります。先が全く見えません。しかし、神の器はそれでも出て行きます。これが信仰です。
主がおられること、そして主が報いてくださることを信じていました。エリヤは主のことばを信じてケリテ川に移動します。すると、主は川の水を飲めと言われます。この時はどうかわかりませんが、私はイスラエルに行ったとき、ヨルダン川で献身のために再洗礼を受けました。ちょうどバプテスマのヨハネがイエス様に洗礼を授けた場所の近くであり、このケリテ川の近くです。
その時のヨルダン川の水は茶色く濁っており、沢山のハエが飛び交っており、再洗礼の際もガイドの方から「絶対に、絶対に水を口の中に入れないでください!」と念を押されました。
その水を飲めと言われ、飲む信仰はすごいなと思います。
更になんと烏が来てエリヤにパンと肉を運んできます。日本での状況を考えると烏が運んできたものを食べるのはちょっと…と思ってしまいますが、これは神様が備えられたことです。
本来烏は律法によれば汚れた動物です。この箇所を見るとき、使徒の働きでペテロが見た天から汚れた動物の入った袋が降りてくる場面を思い出します。その後、異邦人がペテロのもとを訪れ、彼らに福音を伝えます。同じように、この後エリヤはアハブ、イゼベルのところに遣わされます。このように、主はすべての被造物を用いて神の器を助けます。

・小さなパン菓子:8-16節
今度は、エリヤはシドンのツァレファテに行き、そこでやもめに養われると語られます。やもめの方が養われなければならないのに、神様は不思議なことを語られます。しかし、エリヤはこのことばにも従います。
エリヤはツァレファテに来るとすぐにひとりのやもめに出会います。そして水を求めます。イエス様がヨハネの4章でサマリヤの女に話しかけられた事も思い出します。
しかしエリヤは水だけでなくパンも求めます。一見ずうずうしく見えます。すると、やもめの女はどのように答えるでしょうか。12節を呼んでみましょう。
それに対してエリヤは何と答えるでしょうか。普通なら、「ああ、それはかわいそうに。私はいいから、あなたと子どもでお食べなさい」と言いそうです。しかし、もしそうしたらどうなっていたでしょうか。女と子どもは死んでしまっていたでしょう。
エリヤがやもめに言ったことは一見酷なように見えます。しかし、当時、バアルを神としていた時代に於いて、第一のものを第一とする、神を敬う信仰をこの出来事を通して思い起こさせているのでしょう。
最後のなけなしの一握りの粉、最後のわずかな油を神の器エリヤに差し出したら自分たちのものは残りません。
しかし、この女性は信仰を働かせました。もしかしたら、どうせ死のうと思っているのだから、この人の言うとおりにしてみようと思ったのかもしれません。
しかし、実際にはどうなったでしょうか。15-16節を見てみましょう。神の国とその義とを第一に求めるなら、それに加えてそれらすべてのものは与えられます。神のために自分のいのちを捨てるものはいのちを得ます。与える者は与えられます。
このやもめの女の行動を通して、聖書の大切な原則を学ぶことができます。私たちもそうしましょう。

・子どものよみがえり:17-24節
死のうと思っていたやもめの女はエリヤのことば通り行うことで生きただけでなく、さらなる祝福を得ました。イエス様によって贖われた私たちの人生のようです。
この幸せはずっと続くように思われましたが、そうは行きませんでした。息子が病気になってしまいます。そしてついに息を引き取ってしまいます。自分の子が親より先に先立つ事は親にとっては耐えがたい事です。18節のやもめの女が言ったことばも理解できます。
すると、それを聞いたエリヤはどうしたでしょうか。19-21節を読んでみましょう。
すると、なんと驚くことにこどもは生き返りました。復活の信仰を見ることができます。そして、やもめの女にその子を渡します。
このしるしを目の当たりにして、彼を神の人と認めない者はいないでしょう。
烏とやもめに養われたエリヤはやもめの女に尽きない粉と油の奇跡、そして息子をよみがえらせる奇跡を行い、次の霊的な戦いに出て行きます。

【18章】祈りに答えてくださる主

・雨を降らせよう:1-6節
イスラエルでは飢饉が続いています。雨が降らないからです。しかし、主は雨を降らせると仰せられました。それとあわせて、アハブに会いに行くことが命じられています。光と闇の直接対決です。
悪いアハブに仕えるオバデヤという人物が紹介されています。彼のしたことが書かれていますが、それはどういうことでしょうか。
まるで、出エジプト1章のパロを恐れず、イスラエルの出産を助けた助産婦のようです。このように、神の知恵を用いて、自分のいのちをかけて主のために働く器はとても尊い存在です。
5-6節を見ると、相当困っていたのでしょう。王自ら、オバデヤと二手に分かれて家畜のための草を探します。しかし、この事も神様のご計画でした。

・行って、エリヤがここにいると、あなたの主人に言え:7-15節
オバデヤがアハブと別行動をしているちょうどその時エリヤはオバデヤに会いに来ました。オバデヤはエリヤだとわかるとひれ伏します。
オバデヤはエリヤの顔を知っていたのでしょうか。これは私の予想ですが、霊に於いて瞬時に見分けたのではないかと思います。同じ主を恐れる霊性を持ったもの同士は不思議にわかる時があります。
しかしエリヤはそんなことお構いなしにアハブに「自分はここにいる」と言えと言います。挑戦状のようです。
しかし、オバデヤはそれをしたら自分のいのちが狙われるのではないかと思います。
オバデヤはアハブの妻イゼベルが預言者を殺したとき、50人ずつ預言者を二組に分けて洞穴にかくまい、パンと水で彼らをやしなうという尊い働きをしています。あのアハブ、イゼベルのそばにも神を恐れる器がいたことは感謝な事です。それで幾分か不法がとどめられていたのかもしれません。

・アハブとエリヤの対面:16-19節
そうして、ついにエリヤとアハブが対面します。そのときアハブがエリヤに対してびっくりするような事を言います。「イスラエルを煩わす者」と言っています。エリヤは絶妙の突っ込みをします。「あなたこそ煩わせている」と。その通りです。
人はこのようなことを良くします。相手に対して思っていることは、実は自分の問題であることが多いのです。これまでの箇所を読んできたなら、アハブ、そしてイゼベルが行ったことがどれほど悪く、イスラエルを煩わせてきたかがわかるでしょう。
そして、エリヤは言います。450人のバアルの預言者と400人のアシェラの預言者をカルメル山に集めなさいと。
以前イスラエルに訪れたときに、カルメル山にも行きました。決して高い山ではありませんが、それでも周りを見渡せる開けた場所でした。

・バアルの預言者との対決:20-24節
ついにエリヤとバアルの預言者の直接対決がはじまります。21節で、まるでプロレスの試合前のマイクアナウンスのようにエリヤは語ります。エリヤがすでに優勢に立っています。
22節を見てみましょう。これは本当でしょうか。確かにエリヤほどの力を持った預言者はいなかったかもしれません。しかし、オバデヤと100人の預言者もいたことは事実です。
エリヤは孤高の預言者です。他の預言者仲間と相容れようとしませんでした。それだからこの霊的に真っ暗な時代を突破できたのかもしれませんが、この孤独感がこの後エリヤに影響を与えていきます。
しかし、今はバアルの預言者との戦いに注目しましょう。
この戦いのルール説明が23-24節に書かれています。それはどういうものでしょうか。

・先攻、バアルの預言者:25-29節
まずはバアルの預言者の番です。沢山の人がいます。圧倒的に有利に見えます。彼らは必死にバアルの名を呼びました。しかし、全く答えはありませんでした。
27節ではエリヤは痛烈に皮肉を言います。すると彼らはそれに刺激され、益々大きな声で叫びます。
それに加え、剣や槍で血を流すまで自分たちを傷つけたとあります。これがバアルが刺せることです。神の作品である体を傷つけさせます。そのことは何の霊的なメリットもありません。
もし私たちが自分の体を傷つける癖があるなら、バアルの罪を悔い改めて祈ってみましょう。もしかしたら自分だけでなく、父や母、また三代前までの先祖の中にそのような罪を犯した人がいる可能性があります。彼ら自身は愛します。しかし、悔い改めるべき部分は悔い改める必要があります。
結局、バアルからは何の答えもありません。これがまことの神以外の神と言われる者の正体です。結局なにもできないのです。

・後攻エリヤ:30-35節
次はエリヤの番です。エリヤがまずしたことは何でしょうか。まず壊れた祭壇を立て直しました。これが必要です。私たちも祈りの祭壇が壊れてしまっているのであれば、まずそれを立て直しましょう。
続いてエリヤはヤコブの子らの部族の数に従って12の石を取ります。この時はイスラエルは分かれてしまっていましたが、信仰を持って12の石を集めさせます。この石が祭壇となります。
この戦いのルールは何だったでしょうか。いけにえを献げ、神の火がどちらに下るかでした。
エリヤは自らそのハードルを上げます。火がつけられるのに大量の水を注ぎます。そんなことをしたらもっと火は付きづらくなります。しかし、それは人間的な考え方です。神には関係ありません。

・主の火:36-40節
「ささげものをささげるころ」と書かれています。日に何度かいけにえが献げられますが、おそらくバアルの預言者が昼頃まで叫んでいたので、この時間は午後の3時頃ではないかと思います。イエス様が十字架にかけられ、地が暗くなった後、「エリ、エリ、レマ、サバクダニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれた時間です。
エリヤは神に祈ります。するとどうなったでしょうか。38節に書かれているとおりです。なんといけにえだけで無く、たきぎ、ちり、みぞの水だけでなく、なんと石をも焼き尽くしました。ただの火ではありません。天から下された神の火です。
主はいけにえをうけいれられたことのしるしとして天から火を振らせてくださいます。私たちの信じる神は今もなお生きて働かれる神です。そして、祈りごとに天から火を振らせ、私たちのいけにえ、つまり悔い改めた部分を石まで焼き尽くす火で焼き尽くし、私たちをきよめ続けてくださいます。「私たちの神は焼き尽くす火です」(ヘブル11:29)
この事を目の当たりにして、神を恐れない者はないでしょう。

・人の手のひらほどの小さな雲:41-46節
さらにエリヤはアハブにまことの神の力を知らしめさせます。雨が降ることを預言します。そして、エリヤはカルメル山の頂上で祈ります。この祈りの姿勢、ひざの間に顔をうずめる恰好です。まるで苦しみうめくような姿にも見えます。
エリヤは7度も祈りました。そのたびに若者に雲を確認させます。諦めない信仰の姿を見ることができます。
そして、ついに小さな人の手のひらほどの雲を見つけます。
エリヤはこの雲を知り、アハブに雨が降ることを再び告げ、はたしてその通り、大雨が降ります。
そして、さらりと書かれていますが、46節にすごいことが書かれています。なんと、最新鋭の車を持っていた王よりもエリヤが前を走っています。主の手がエリヤに下ったのがその原因です。
まるで、ピリポがエチオピアの宦官に洗礼を授けた後、主がピリポを連れ去られた時のようです。主の御手が下るなら、空間も時間も超えることが可能なのでしょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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