聖書通読クラブ Day 103

聖書通読クラブ Day 103【王記 第一 19章~22章】

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シャローム!

早いもので今日で列王記第一が終わります。エリヤの登場からアハブの人生の終わりが書かれています。
神様のご計画を知ることができたらどれほど楽かと思いますが、残念ながら私たちは神様のご計画のすべてを知りません。今日の通読箇所でも、私たちの理解を超えることを神様はされます。
いつも覚えておきたいことは、私たちの考えや理解よりも神様のご計画のほうが遥かに高いということです。ですからいつも自分をみことばに合わせていく必要があります。

今日もみことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:列王記 第一 19章~22章

■アウトライン

神様のご計画と慈愛

●かすかな細い声:19章
  ・失望から希望へ:1-14節
  ・バアルにひざをかがめない7千人:15-18節
  ・エリシャ:19-21節

●出陣:20章
  ・ベン・ハダデはこう言われる:1-6節
  ・配置につく:7-12節
  ・アハブに伝える預言者:13-15節
  ・生け捕り:16-18節
  ・アラムの大損害:19-21節
  ・預言者のアドバイス:22節
  ・山の神:23-25節
  ・七日間戦争:26-30節
  ・アハブとベン・ハダデの契約:31-34節
  ・王への直訴:35-43節

●人の目、神の目:21章
  ・不機嫌になるアハブ:1-4節
  ・イゼベルの入れ知恵:5-7節
  ・手紙:8-10節
  ・よこしまな者の証言:11-14節
  ・ぶどう畑を取り上げる:15-16節
  ・エリヤへの主のことば:17-19節
  ・わざわいをもたらす:20-24節
  ・アハブの悪行:25-26節
  ・主の前にへりくだるアハブ:27-29節

●アハズへの預言の成就:22章
  ・ラモテ・ギルアデ:1-4節
  ・ミカヤの召喚:5-12節
  ・偽りを言う霊:13-23節
  ・ミカヤへの迫害:24-28節
  ・何気なく放った弓:29-36節
  ・戦車をサマリヤの池で洗う:37-40節
  ・ヨシャパテ:41-50節
  ・アハズヤの歩み:51-53節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【19章】かすかな細い声

・失望から希望へ:1-14節
エリヤはバアルの預言者たちに対して主の力で打ち勝ちました。それを聞いておもしろくないのはイゼベルです。かつて彼女は預言者を皆殺しにした実績があります。それで、エリヤも同じようにすると使いにメッセージを託します。
あんなに強いことばで神のメッセージを伝えていたエリヤが、このイゼベルの一言で恐れてしまいます。3節には恐れただけでなく、「自分のいのちを救うために立ち去った」とあります。
今までは神様に矢印が向いていましたが、突然自分に矢印が180度回転してしまった瞬間です。
これはペテロが水の上を歩いた奇跡に似ています。はじめは信仰を持ってかみのことばの上を歩いていましたが、周りの波を見て恐れて沈んでしまいました。
エリヤは今の状況を見て現実に戻りました。そして恐れました。なんと「死にたい」と言っているのです。
こうなってしまった原因は何でしょうか。祈って主に聞いてみましょう。
ひとつはエリヤが急成長しすぎたこと、また偉大な主の御業を体験した直後であること、また自分はひとりだと思っていたことが上げられると思います。ここにイゼベルの一言が矢のように突き刺さり、エリヤの中でエスカレートしていきました。エペソ5章にある悪魔の火の矢のようです。突き刺さるだけでなく、それが燃え広がって被害を拡大させます。
そんなエリヤに御使いが使わされます。烏、やもめに養われ、今度は御使いに養われます。しかし、なかなか起き上がれません。このエリヤの気持ち、とてもわかります。私も過去に何度かこのような体験があります。「起き上がりたい、何かしなければならない」と強く思っているのですが体が全く動かないのです。エリヤも相当つらかったと思います。しかし、これはエリヤの訓練期間でもありました。主は試練を通して神の器を練られます。
エリヤはベエル・シェバのえにしだの木の下で休み、再び力を得た後、ホレブの山に移動します。ここに40日40夜が出てきます。試みの数字です。このテストをパスして、神の人として成長していきます。
エリヤはほら穴にはいります。すると突然主のことばがあります。9節を見ると、どのような主のことばだったでしょうか?主の語りかけはこのようにシンプルなことが多いです。
これに対してエリヤはどのように答えていますか?神様の質問とエリヤの答えが全くかみ合っていないことに気づきますか?神様は「あなたは」と言われたのに、エリヤはイスラエルの人々のことを語っています。これは言わば言い訳のようにも聞こえます。自分の心の奥深いところではしなければならないことも、今していることが御心からそれていることも、自分の弱さもわかっていたのでしょう。しかし、それに従えないという弱さから、神に対して言い訳しているように聞こえます。
イエス様も「主よ、主よという者が天の御国に入るわけではない」と言われています。働きや、何を成したかは神様の目にはそれほど重要ではなく、どれだけ神様と共に歩んだかが重要なのです。
とんちんかんな答えをするエリヤに対して、主は怒られたのでしょうか。そんなことはありません。主は優しいお方です。ほら穴の外に出ることを命じられます。
11-12節、神様がどのような事をエリヤに見せられましたか?激しい大風が山々を裂き、岩々を砕きます。風が山を砕くとはどれほどの風なのか。その後に火、そして地震ですただ事ではありません。しかし、そのどの中にも主はおられず、その後にかすかな細い声がありました。この声が非常に重要です。主はこのように語られます。
エリヤはやもめと子どもに尽きない粉と油の奇跡を行いました。また子どもをよみがえらせました。そして、バアルの預言者たちに火を下し勝利しました。それらは主にとってさほど重要な事ではなかったのではないかと思います。そのような派手なことが目の前で起こったとしても、心を落ち着けて主の御声を聞く耳が大切なのです。主はエリヤの燃え尽きと逃避行を通して、さらに高い次元へと彼を引き上げられようとしています。
13節、エリヤは我に返りました。すると、主は先ほどと同じ語りかけをします。すると14節でなんと答えているでしょうか。まったく同じ事を言っています。

・バアルにひざをかがめない7千人:15-18節
エリヤは過去を見つめています。しかし、主は先のことを告げられます。エリヤの目線を変更させます。再び使命を与えられるのです。ここでエリヤに与えられた使命は難でしょうか。三つあります。
アラムの王になるハザエルに油を注ぐこと
北イスラエルの王エフーに油を注ぐこと
後継者エリシャを育てること
エリヤ自信がこの中で行ったことは最後の事だけでした。あとはエリシャとエリシャのともがらが行います。
エリヤの問題は何だったのでしょうか。すべてを自分ひとりで背負い込むことです。これはよく言えば責任感が強いと言えます。しかし、本当のリーダーの姿ではありません。
エリヤの口癖は「私ひとりだけが」でした。しかし、主は「それは違う」と優しく諭されています。それで、このようにバアルにひざをかがめなかった7000人をここで言われています。
私たちの信仰の戦いはある意味孤独です。しかし、同じ心を持ったものの集まりがあるのでは亡いでしょうか。それがエクレシア、教会です。共に信仰を戦う仲間がいることを覚えましょう。ひとりで問題を抱えこまずに、信仰の友に相談してみましょう。

・エリシャ:19-21節
エリヤは様々なすごいことを成しましたが、私が思う最も偉大な業績はこれではないかと思います。後継者エリシャを育てたことです。エリシャとは「私たちの救いは神」と言う意味です。
エリヤは畑を耕すエリシャを見つけます。12くびきの牛がいたと言うことは相当裕福な家だったのでしょう。そこにいるエリシャに外套をかけます。これは自分の権威を委譲する意味合いがあります。エリシャはそれですべてを悟りました。
すべてを捨ててでもエリヤに従います。イエス様に呼ばれた12弟子の姿のようです。
私たちも本当に主が呼んでくださったのであれば、すべてを捨てでも直ぐに従う事が大切です。犠牲を持って主に仕える、それが礼拝です。

【20章】出陣

・ベン・ハダデはこう言われる:1-6節
今までのエリヤから場面はイスラエルとアラムの戦いに移ります。アラムは今のシリヤです。
1列11:23-25で、レゾンという略奪隊の長がソロモンに反逆したことが書かれています。その次の王がベン・ハダデで、ここで出てくるのはその息子、ベン・ハダデ2世です。ややこしいですね。

・配置につく:7-12節
金銀と妻子の人質の要求は認めましたが、王宮のものすべてを略奪すると言うことは拒みました。
そして、勝手な振る舞いをするベン・ハダデに対して抵抗します。それを見たベン・ハダデはこれは戦いの意思表示だと受け取ります。

・アハブに伝える預言者:13-15節
このところで、突如としてエリヤの姿が消えます。おそらく、エリヤが逃亡している期間なのでしょう。でも、預言者はひとりではないことを知ることができます。この後三人の預言者が王に神のことばを伝えます。オバデヤがかくまっていた100人の預言者、バアルにひざをかがめない7000人です。
神様は預言者を通して王にことばを伝えられます。アハブと預言者のやりとりをみことばから確認してください。
誰が戦いをしかけますか?兵はどれほどいますか?

・生け捕り:16-18節
ベン・ハダデは何をしていたでしょうか。昼間から酒を飲んで酔っていました。「レムエルよ、酒を飲むことは王のすることではない。王のすることではない。」と箴言31:4にあります。

・アラムの大損害:19-21節
この酒がベン・ハダデ軍の初動を遅らせます。そして、イスラエルがアラムに大損害を与えました。

・預言者のアドバイス:22節
しかし、すぐに預言者がアラムに忠告します。戦いは終わりではないので油断するなと伝えます。
「来年のいまごろ」とありますが、これは春の季節です。冬は戦いができないので春から戦いがはじまります。

・山の神:23-25節
この時代の戦いは王と王、国と国との戦いでしたが、それ以上にその国の神と神の戦いでもありました。
ここを見るとアラムの王たちはヤハウェなる神を知らなかったようです。ヤハウェなるまことの神は当時は、周りの国からは「山の神」と言われていました。エルサレムが山の上にある町だからです。
ヤハウェなるまことの神はこのような神々の戦いに「私こそが主である」ということを示されます。

・七日間戦争:26-30節
ここで別の預言者があらわれています。28節を見てみましょう。同じ事を言っています。そして、「それによって、あなたがたは、わたししが主であることを知るであろう」と言っています。
ここで圧倒的な勝利がもたらされました。しかしベン・ハダデはなんとか生き延びています。
殺されるかもしれませんが、敵の憐れみの心になんとか付け入ろうとしています。
  
・アハブとベン・ハダデの契約:31-34節
いったいアハブは何と言うことをしたのでしょうか。この戦いの決着はベン・ハダデを殺すことです。そして、主こそがまことの神である事を知らなければなりませんでした。
アハブは逆にベン・ハダデを自分の車に乗せ「兄弟」と言っています。友好のしるしです。そして契約まで結びます。その契約の内容はどのようなものですか?
アハブはベン・ハダデに対して憐れみの心を示しました。これは良いことでしょうか?悪いことでしょうか?見分けるポイントは、主がどのように言われているかです。主はベン・ハダデを殺すことを願われていますので、それへの不従順という観点から見ると悪いことです。
これは本当に難しいです。なかなか判断ができません。ですからそれをその時その時自分勝手に判断するのでなく、日々主のみことばを蓄え、聖霊様に聞いて判断を仰ぐ必要があります。通読を続けましょう。祈りを続けましょう。

・王への直訴:35-43節
不思議な話が出てきます。預言者のともがらの一人が主の命令によって自分の仲間に「私を打て」と言います。そんなことがあるでしょうか。しかし、主の命です。それに従わなかった預言者仲間はどうなったでしょうか?36節を見てみましょう。
もう一人の預言者仲間はそれを実行しました。それで包帯をして王の前に出て行きます。
この打たれた預言者はナタンのような働きをし、王に罪を示します。アハブは自分のことばで自分を罪に定めてしまいました。
これを聞いたイスラエルの王の反応は堂だったでしょうか?不機嫌になったと書かれています。どうしてそうなったのでしょうか。それが図星だったからです。
人は真実を告げられると不機嫌になることが多いものです。

【21章】人の目、神の目

・不機嫌になるアハブ:1-4節
北イスラエルは偶像礼拝からはじまった国です。ヤロブアムが金の子牛をイスラエルに拝ませるようにしました。その後の王は主に立ち返らないゆえに滅ぼされていきます。ついにはアハブがシドンの王の娘であるイゼベルと結婚したことによって、ついにバアル信仰を導入しました。主は神の人エリヤを遣わしますがアハブは悔い改めることもしません。
ここではぶどう畑を巡る一連の事が起こります。アハブの宮殿のそばにあったイズレエル人ナボテの畑です。
アハブはナボテに「ぶどう畑が欲しい」と言いました。しかし、ナボテは「主によってありえない」と答えます。ナボテは主の教えを守って、土地を死守しようとしています。
4節を見てみましょう。出ました。アハブが不機嫌になっています。欲しいものが手に入らないとすねてしまう子どものようです。これが王の人格でしょうか。

・イゼベルの入れ知恵:5-7節
ここで諸悪の根源のようなイゼベルが出てきます。まるでお母さんのようにアハブの機嫌を取り、問題を解決していきます。
良いことのために妻が助けるのであればそれは素晴らし事ですが、イゼベルはその逆を行いました。王の権威を使って思い通りの事をします。

・手紙:8-10節
イゼベルが書いた手紙の内容はどのようなものだったでしょうか。この箇所を読んでみてください。これは本当のことですか?
では、神と王とをのろうことは良いことですか?悪いことですか?
二人の者の証言は聖書的ですか?また、石打は正しい処刑ですか?すべて律法に書かれていることです。
何が言いたいかというと、イゼベルは律法をとてもよく知っていました。その上でそれを悪用しました。表向きは王の妻ですが、心の内ではこのようなことを行っています。非常に恐ろしいことです。見えるところは敬虔でも、その実を否定する者です。(2テモテ3:5)

・よこしまな者の証言:11-14節
長老たちと主立った人たちはアハブの言う通り(その実イゼベルの言うとおり)に行いました。よこしまな者が証言し、ナボテは殺されてしまいました。非常に残念な出来事です。

・ぶどう畑を取り上げる:15-16節
イゼベルは自分の手を汚すことなくナボテを殺しました。そして、アハブにナボテはいないから行ってあの畑を取りなさいと言います。王であるアハブは完全に妻イゼベルにコントロールされています。
黙示録でも「イゼベルをなすがままにさせている」と書かれています。イゼベルの霊性はコントロールスピリットです。教会の中でも牧師の権威を超えてあれこれ支持しているなら気をつけましょう。良きアドバイスとコントロールスピリットは似て非なるものです。

・エリヤへの主のことば:17-19節
ここで突然エリヤが再登場します。神様はイゼベルの働きに「ここまで」とストップをかけられます。主はエリヤにことばを告げられます。それはその通りとなっていきます。

・わざわいをもたらす:20-24節
アハブとエリヤが再び対面します。前回と同じようなやりとりが成されています。エリヤはいつも正論を突きつけます。
ヤロブアム、バシャの家に続き、アハブの家も同じようになると告げられます。
また、ここではイゼベルに対して裁きが告げられています。それほど彼女は悪かったのでしょう。
アハブは犬が血をなめるとありましたが、イゼベルは犬が彼女を食らうと書かれています。
ここで考えてみてください。アハブとイゼベル、どちらが悪いですか?普通に考えたらイゼベルです。しかし、主はあくまでもアハブを裁き、もっと悪いイゼベルを付加的に加えました。
イゼベルをなすがままにしたアハブの罪の方が重かったのかもしれません。また、夫として妻を治めることができなかった事を問われているのかもしれません。

・アハブの悪行:25-26節
ここにはアハブの事が書かれています。自由奔放に生き、裏切り、主の目の前に悪を行い、悔い改めることもしませんでした。その原因は何でしょうか。妻イゼベルの影響です。彼女がそそのかしたからです。男(アダム)をそそのかしたのは誰でしょうか。女(エバ)です。女をそそのかしたのは誰でしょうか。蛇です。
イゼベルになすがままにさせてはいけません。

・主の前にへりくだるアハブ:27-29節
ここで考えられないことが起こります。私の中では全く納得のいかない出来事です。これが神の恵みと憐れみというのではないかと思います。
アハブがどれだけ悪いか今まで見たと思いますが、エリヤのこれらのことばをきいてアハブは外套を裂き、身に荒布をまとって断食し、荒布を着て伏し、またうちしおれて歩みました。
すると主はアハブが生きている間はわざわいを下さないと言われます。何と言うことでしょうか。主は悪い者であっても心から悔い改めるなら赦してくださるお方です。神様は本当に良いお方です。
アハブのしたことに注目してください。もうイゼベルに頼っていません。エリヤの伝えたことを「その通りだ」と言って悔い改め、行動しました。これがへりくだりです。自分の思いよりも神のことばの正しさを認め、それに従うことです。
聖霊様がこれを私たちにさせてくださいます。罪を認める事は自分ではできないのです。神様の目に悪いことを「そうだ、私は神の道からそれていた」と気づくことができるのは考えられないほどの恵みなのです。

【22章】アハズへの預言の成就

・ラモテ・ギルアデ:1-4節
イスラエルは少数でアラム軍を撃退しましたが、アハブはいのちからがら逃げたベン・ハダデを生かしただけでなく、盟約を結びました。その後、戦いのないまま三年が過ぎました。
ラモテ・ギルアデを調べると、これはガド部族のものでした。アハブはそれを取り返そうと言い出します。

・ミカヤの召喚:5-12節
ヨシャパテは素晴らしいことを言います。「まず、主のことばを伺ってみてください」本当に大切です。私たちも何事もこのように死体です。
そこでイスラエルの王は約400人の預言者を集めました。それで戦いに行くか否かを聞いたところ、「行きなさい」と言います。
しかし、ヨシャパテはその声が聞こえなかったかのような振る舞いをしています。ヨシャパテは彼らが偽りの預言をし、王に気に入られることを優先していることを霊的に感じ取っていたのでしょう。すべての預言はみことばによる吟味が必要です。
ヨシャパテは他に預言者はいないかというと、ミカヤがいると言います。しかしアハブはミカヤを嫌っていました。王の気に入らないことを預言するからです。
10-12節を見ると、茶番劇を見ているようです。同時に、2テモテ4:3-4のみことばを思い起こさせます。

・偽りを言う霊:13-23節
ミカヤを呼びに行った使いの者は信じられないことを言います。「他の預言者たちと同じ事を言え」と言います。口裏を合わせろというのです。これは預言屋として正しいことでしょうか。14節が正しい反応です。
もし、今教会でこのような事が起こっているなら、祈りましょう。みんなの意見をまとめて、それが正しいとするというのは同調圧力です。私たちは民主主義的な集まりではありません。神様のみことばを中心とした集まりです。
さらっと読むと15-16節はよくわからなくなるかもしれませんが、要はミカヤが王に皮肉たっぷりに言っているのです。王はその事を悟って、本気で預言してくれと言います。
17節からミカヤが本気で預言し始めます。17-18節を見てみましょう。飼い主とはアハブですね。イスラエルが散り散りになって家に帰ります。
19節からは更に深い領域で預言しています。とても興味深い箇所です。主がアハブを惑わせるために霊を送られるというのです。ヨブ記でも書かれていますが、サタンも主の許しなしには働くことができないことがわかります。

・ミカヤへの迫害:24-28節
この事を語った時、ゼデキヤがミカヤの頬を殴りつけます。自分にいつわりの霊が入っていると認めたくなかったのでしょう。
もし、この事が本当出なかったら、これほど激高しないでしょう。本当だから暴力にまで走ってしまったのだと思います。
そうして本当に神のことばを語ったミカヤは捕らえられ、獄屋に入れられます。預言者は孤独です。
預言は三つありあます。神からのことば、サタンからのことば、そして自分の肉からのことばです。多くの場合はこの三つがまじりあっています。ですからみことばによって見分ける必要があります。
また、預言はあたる、あたらないという占い的な者ではありません。神様からの明確なことばです。預言をないがしろにしないようにしましょう。軽く「預言」といって主の御名をみだりに遣わないようにしましょう。もし間違った預言をしたら、そのさばきは自分に返ってきてしまいます。

・何気なく放った弓:29-36節
ミカヤが預言したにもかかわらず、アハブは無視してヨシャパテも誘って戦いに行きます。しかもアハブは変装をして行きます。預言に対して恐れを持っていたのかもしれません。
アラムの王は戦い方を知っています。強い者を狙います。
早速戦車隊長はヨシャパテを見つけます。しかしアハブで無いことがわかると引き返します。
もしかしたらアラムの王はアハブに裏切られたと思って、アハブを狙い撃ちしていたのかもしれません。
注目すべきは34節です。何気なく放った矢がアハブの胸当てと草摺の間を射貫きました。こんなことがあるでしょうか。神様はこういうことを通してでも御心を行われます。
アラムの軍勢はこの時とばかりに志気を上げ、一気に攻め込みます。しかし、血を流しながらアラムも最後まで立ち続けますが、夕方になって死んでしまいます。

・戦車をサマリヤの池で洗う:37-40節
預言がこういった形で成就されます。「犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがあなた(Uアハブ)の血をなめる」と言われても、どうやってその様なことが起こるのか理解できませんでしたが、それがこういう形で行われました。
さらに本当に遊女がそこで身を洗ったと言うことまで成就しています。アハブは葬られ、その子アハズヤが王となります。

・ヨシャパテ:41-50節
続いてはユダの王ヨシャパテについて書かれています。主の目にかなう事を行っていました。
そして、イスラエルの王と友好関係を保っていました。
加えて、父アサの改革を引き継ぎ、神殿男娼を国から除き去ります。素晴らしい働きをしていたのに、アハブの家との交わりを持つという過ちを犯してしまいます。

・アハズヤの歩み:51-53節
今度はイスラエルの王、アハズヤです。彼は主の目に悪を行いました。バアルに仕え続けています。相変わらず悔い改めていません。いや、もしかしたら悔い改めることができな買ったのではないかと思います。そう考えたら、私たちが悔い改めることができるのは神様の恵みです。神の慈愛が私たちを悔い改めへと導いてくださいます。
そうして、列王記第二に続いていきます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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