シャローム!
昔のテレビ番組で「よい子、悪い子、普通の子」というコーナーがありました。これからイスラエルが北イスラエルと南ユダに別れ、それぞれの王が出てきます。その王はよい王でしょうか?悪い王でしょうか?普通の王でしょうか?
基準はダビデの歩みになっています。また、悪い基準はヤロブアムとされるときもあります。
私たちは王である祭司として、みことばの基準に沿っているでしょうか。私たちは自分の力ではみことばを行うことはできませんが、イエス様の十字架のゆえに、また聖霊様の助けによってみことばを行うことができます。
その時、私たちは神様の目には「非常によい」と映ることを感謝します。
今日もみことばに教えられていきましょう。
今日の通読箇所:列王記 第一 13章~15章
■アウトライン
神の人、入れ替わる王
●神の人:13章
・祭壇に向かって叫ぶ:1-10節
・ベテルに住む年寄りの預言者:11-19節
・死体のそばに立つ獅子:20-25節
・神の人を葬る:16-32節
・積み重なる罪:33-34節
●レハブアムとヤロブアム:14章
・アヒヤに会うヤロブアムの妻:1-5節
・ヤロブアムの罪のゆえ:6-16節
・成就するアヒヤの預言:17-20節
・レハブアム王:21-24節
・奪われる主の宮の財宝:25-28節
・レハブアムの業績:29-31節
●王たちの記録:15章
・アビヤム王:1-6節
・アビヤムの業績:7-8節
・ユダのアサ王:9-15節
・イスラエルの王バシャ:16-24節
・イスラエルの王ナダブ:25-30節
・ナダブの業績:31-32節
・全イスラエルの王バシャ:33-34節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【13章】神の人
・祭壇に向かって叫ぶ:1-10節
昨日の通読で、北イスラエルと南ユダの土台ができました。北イスラエルの最初の王はヤロブアムですが、その行いの故に悪い者の基準となるほど、主の目の前に悪を行いました。
はじめの人がこのような状態です。最初の人が国の基準を作ります。北イスラエルは大丈夫でしょうか。
ユダからやってきた神の人が登場します。そして、この後300年ほど後に起こるヨシヤ王のことを預言します。(これは後に、その通りに成就します)
では、この時、北イスラエルに預言者はいなかったのでしょうか?おそらく板と思いますが、ヤロブアムが力で押さえ込み、自由に発言できなかったのではないかと予想します。
それで、ユダから神の人が遣わされたのです。そして後の起こることを告げ、しるしとして祭壇が裂けることを預言します。
ここで、ヤロブアムの態度に注目してみましょう。この神の人が預言した内容はヤロブアムにとっては気に入らないものでした。
するとヤロブアムは神の人をどうしろと命令したでしょうか。4節を見てみましょう。
その結果、ヤロブアムの手はどうなりましたか?そのあと、何を求めましたか?実に自分勝手です。自己中心です。神様はこの事を嫌われます。
自分の気に入らないことには猛反発し、自分が都合が悪くなると助けを求めています。
神の人は王の手をもとに戻しました。そのことに対して、ヤロブアムは食事に誘いますがそれを断ります。神様からの命令だったからです。
・ベテルに住む年寄りの預言者:11-19節
ここから、非常に不思議な話になります。ベテルに住む年寄りの預言者がいます。本来ならその使命を全うし、王に神のことばを告げなければなりませんが、何も言えずにいました。
そこにユダから神の人が来て、上のようなことをしたことを息子から聞き、忘れていた情熱が湧き上がってきてうれしくなりました。
さて、ここからです。13節からです。これは一体どういうことでしょうか。老人はロバに乗って神の人に会いに行きます。そして食事に誘いますが神の人はヤロブアムに答えた事と同じ事を答えます。
ポイントは18節です。この老人は預言者でありながら嘘をついて神の人だましました。嘘は罪です。
なぜ老人はそのような事をしてしまったのでしょうか。単に神の人に自分の家に来て欲しかったからです。神の目的よりも自分の都合を優先しています。しかも、「御使いが主の命令を受けて」といって、神様を利用しています。
神の人は同業者にそれほど言われたら疑わずに従ってしまいます。しかし、ここにも落とし穴があります。預言者が語ったからと言ってそれを吟味しないで行うときにこのようになってしまいます。
講壇から語られること、個人的に預言されること、メールやSNSで回ってくること、あらゆるものを鵜呑みにせず、みことばを通して吟味しましょう。
・死体のそばに立つ獅子:20-25節
ここで老人の預言者に主のことばが下ります。21-22節を読んでみましょう。おそらく、全員が突っ込みをするのではないかと思います。「あなたが食べていけと言ったのではないか!」と。
サタンは神の御使いにも変装することができます。占い師バラムはいかにも素晴らしげな預言をしました。神に熱心に仕えているように見える律法学者は神の本質をないがしろにしていました。
いつも立派に振る舞っている、信仰深い人が主のことばを曲げる偽りの教えを語ることもありうるのです。
みことばをと共に歩む者はそれを見分けることができます。「あの牧師の語っていることはあきらかに聖書に書かれていない」「メッセージで一度もみことばを開かない」と言うこともあり得ます。
その時に私たちはどうするべきでしょうか。とりなし祈るのです。そして、そういうときこそへりくだるのです。
今は偽預言が横行する時代です。しっかりとみことばの土台に立ちましょう。
この預言者は、はじめは自分の家に神の人を招きたいあまりに偽りを言いましたが、主のことばが下り、それを語ったらその通りになりました。彼の恐れはどれほどだったでしょうか。
みなさんもこういう経験は無いですか?祈ってくださいと言って軽い気持ちで祈ると、その祈りが本当に聞かれて、祈った自分が一番驚くということです。
この老人はこの出来事故に神を恐れたことでしょう。
・神の人を葬る:26-32節
獅子は神の人を裂き殺してしまいましたが、その後はロバにも手を出さず、神の人をそれ以上痛めつけたりしませんでした。神様の統治があったのでしょう。
老人の預言者は神の人がした預言の尊さを知り、自分もこの預言を信じて死んだのだという証明をするために、神の人と同じ墓に葬る事を息子たちに託します。
老人の預言者は自分の興味と利益のために主の名を使って偽預言をしました。その結果はとても残念なものです。 偽預言に気をつけましょう。
・積み重なる罪:33-34節
ヤロブアムは主によって祝福を約束された者です。しかし神の教えにそむきました。それでも主は神の人を遣わしてヤロブアムに戒めを与えます。それでも従わず腕がなえてしまいましたが癒やされました。それでもなお自分のやり方を変えようとせず、自分が中心でした。
自己中心は恐ろしいです。いつまでも悔い改めない者の家は根絶やしにされています。今日という恵みの時に悔い改めましょう。
【14章】レハブアムとヤロブアム
・アヒヤに会うヤロブアムの妻:1-5節
ヤロブアムの息子は病気を患ってしまいます。そこで、ヤロブアムは妻に変装させ、かつて自分に預言したツロの預言者の所に行くようにさせます。
でも、ここで不思議に思わないでしょうか。ヤロブアムは自分の礼拝している祭壇で主に祈り願えばいいのではないでしょうか。
その事をしないで、自分によいことを語ってくれたアヒヤの所に行きます。アヒヤはかつて「あなたはがダビデのように主の掟に従うなら」と言いました。それを行っていないにもかかわらずアヒヤの所に助けだけを求めに行っています。
神の戒めに従いたくないが助けは得たいという、御利益主義のような信仰が見えます。恵みを放縦に変えています。
私たちは大丈夫でしょうか?礼拝は私たちが何かを主から得るものではありません。私たちが最上のものを主に捧げる事が礼拝です。
・ヤロブアムの罪のゆえ:6-16節
アヒヤはあらかじめヤロブアムの妻が来ることを聞いていました。それなので、6節のように言います。何も知らないヤロブアムの妻がこのことばを聞いたときの心境はどのようなものだったでしょうか。
この箇所で、神様がご覧になるダビデの姿とヤロブアムの姿を書き出してみましょう。
神様はいたずらに災いをもたらされる方ではありません。それまでに何度も何度も警告をしてくださっています。それに従えないものに主は災いをもたらされることがあります。
それはその人を滅ぼすためではなく、そのような手段を使ってでももう一度主に立ち返るチャンスをくださっています。それでもなお、主に従わないのであれば、さばきを主にお湯種するしかありません。
聖霊様によって自分の罪を悟らせていただき、悔い改めましょう。
ヤロブアムには、息子の死をもって彼の家の破壊のしるしとされました。無くなった息子はかわいそうですが、考え方によってはこの次代にあって大きな罪を犯す前に主の御前に行くことができたのかもしれません。
15節からは、いつまでも罪から離れようとしない北イスラエルの姿があります。それゆえにユーフラテス川の向こう、つまりアッシリアに捕らえ移されると書かれています。
・成就するアヒヤの預言:17-20節
アヒヤの預言が成就します。こうして、ヤロブアムの時代が終わります。子のナダブが代わって王となります。
ここで「イスラエルの年代記」とありますが、これは聖書にはありません。歴代誌がありますが、これはユダの王の年代記です。
歴代誌と列王記は同じ時代ですが、列王記はその中でも北イスラエルの王たちの記録を中心に書かれています。
・レハブアム王:21-24節
この箇所では場面が変わってユダになっています。気をつけましょう。レハブアムの事が書かれています。彼の父はソロモン、母はナアマというアモン人でした。
ユダも堕落していました。しかもひどい堕落です。ソロモンが神殿建築のために連れてきた異邦人の悪い風習が彼らの間に広がって言ったのかもしれません。
・奪われる主の宮の財宝:25-28節
なんと、あの栄華を極めたソロモンの富が一世代ですべて無くなってしまいます。ソロモン宮殿の中にあったレバノンの森には金の盾がありましたが、それも取られてしまいました。
富はやがて無くなります。朽ちていきます。しかし、かみのことばはとこしえに変わることがありません。
地上に宝を蓄えたなら、虫とさびできず物になり、盗人が穴をあけて盗んで行きます。しかし、天に宝をたくわえるなら、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むことはありません。みなさんはどちらに宝をたくわえたいですか?
・レハブアムの業績:29-31節
レハブアムとヤロブアムの対立は南ユダと北イスラエルの対立です。
レハブアムは最初はとても強い印象がありますが、徐々に主に出会ったのでしょうか。謙遜な人生へと変えられているように思えます。
一方ヤロブアムはどうでしょうか。人々の人気取りをし、自分を王とさせるように仕向けます。神様からも認められます。しかし、自分のそむきの罪を認めることもせず、自分のためにだけ生きていました。
どちらの人生がいいでしょうか?へりくだるとはみことばに従うと言うことです。みなさんがよい方を選び取り、そのように生きていくことができますように。
【15章】王たちの記録
・アビヤム王:1-6節
ここから様々な王たちが出てきます。まさに列王記です。良い王様、悪い王様が出てきます。また、政治的、軍事的に優れた王も出てきます。しかし、私たちが忘れてはいけないのはこの地での基準で見るのではなく、神様の目に彼らがどのように映っているかです。
まずは南ユダの王、アビヤムです。レハブアムの息子です。
ソロモンからはじまった偶像礼拝は止められることなく受け継がれます。父レハブアムの行って犯したすべての罪を犯しました。
ここでも基準はダビデです。その中でも主がご覧になっているのは主と心が一つになっているかどうかです。
夫婦に於いても「仮面夫婦」ということばがあるように、法律上は夫婦であっても、その実は家庭では生きた関係がないということもあり得ます。主との関係も同じです。
「イエス様を信じました。はい終わり」ではないのです。むしろそれは主との歩みの始まりです。主と共に十字架の道も歩むとき、それが喜びの道のりとなり、永遠のいのちへとつながっていきます。
南ユダは滅びるのでしょうか。4節を見ると、ダビデに免じて一つのともしびを与えられます。それは小さな炎かもしれません。しかし、たとえマッチ棒ほどの小さな火であっても、それはやがて森全体を燃やし尽くすほどの炎になり得ます。
たとえ今、それぞれの置かれている場所でたったひとりで礼拝を献げているように感じても、その祈りの炎を途絶えさせないでください。やがてその祈りの炎は偉大なリバイバルへとつながると信じます。
話をもどしましょう。5節にはダビデが主の目にかなうことを行ったとあります。しかし、一つだけ主がダビデに対して残念に思ったことがあります。それは何だったでしょうか。それ以外、ダビデは一生の間主が命じられたすべてのことにそむきませんでした。それが主に愛される秘訣です。
・アビヤムの業績:7-8節
レハブアムならびにアビヤムとヤロブアムとの間には一生の間、争いがありました。北と南の国境、つまり領土問題です。
マルコ3:25には「家が内輪もめをしたら家は立ちゆかない」とあります。
やがてアビヤムの子アサが王となります。
・ユダのアサ王:9-15節
ユダの王アサです。この王様は主の目に良いでしょうか?悪いでしょうか?
ソロモンからはじまって、レハブアムによってさらに発展し、すっかり定着してしまった偶像礼拝を、このアサが一掃しました。12,13からアサが行ったことは何かを書き出してみましょう。
なんと、アサは母をも王母の位から退けました。マタイ10:37にはどのように書かれているでしょうか。「わたし(イエス様)よりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません」と書かれています。
もちろん、父母を愛する必要があります。従う必要があります。しかし、聖書の基準からずれてはいけません。本当に難しいです。聖霊様の導きが必要です。
14節で「高き所」とありますが、これは以前もお伝えしたと思いますが、神殿が建てられる前に礼拝が行われていた場所です。ヤハウェなるまことの神の礼拝を献げるところでもありましたが、異教の神への礼拝も献げられていたところです。
しかし主は神殿を住まいとされました。それ以外で勝手にいけにえを献げてはいけないようになりました。
だからといって、アサが異教の神に礼拝をささげていたかどうかはわかりません。神殿とは別の高きところでヤハウェなる神を礼拝していたかもしれません。
ここで注意したいのは、いつのまにかその礼拝が違った方向に進んでいく可能性があると言うことです。主を礼拝している「つもり」でも、いつの間にか知らないうちに他の神々も一緒に礼拝していたと言うことも考えられます。そうならないように聖霊様により頼む必要があります。
・イスラエルの王バシャ:16-24節
ここで如実に境界線の争いが見られます。ここで注目すべき事は何でしょうか。アサの妥協です。18節を見ると、主の宮の宝物倉に収めたものを自分の家来に渡します。神ではなく、自分の力に頼っています。主は怒られそうですが、なんとそれはうまくいったのです。
この事は非常に重要です。私たちは「主抜き」でもなんとかうまいことやっていけるのです。それで、「ああ、祈らなくても、聖書を呼んでいなくてもうまくいくじゃないか」と思うかもしれません。愛する兄弟たち、だまされてはいけません!
ダビデはどのように歩んだでしょうか。主と全く一つ心になっていました。ダビデがうまくいっているときもうまくいっていないときも、変わらずに主をもとめました。これが大切です。
「ちょっとくらい、いいか」という小さな妥協が大きな堕落へとつながっていきます。
・イスラエルの王ナダブ:25-30節
今度は場面が南ユダから北イスラエルに移ります。アサ王が即位した第二年に北イスラエルではヤロブアムこ子ナダブが王となります。彼は良い王様でしょうか?悪い王様でしょうか?
父ヤロブアムが罪を犯し、ナダブも罪を犯しました。父の咎は三代、四代に及びますが、ナダブ自体も罪を犯しています。それゆえにさばかれます。
バシャという人物がクーデターを起こし、アサの第三年に彼を殺します。そして王となります。アヒヤの預言したとおりになります。
・ナダブの業績:31-32節
ここでも書かれています。依然としてアサとイスラエルの王バシャの間には彼らの生きている間、争いがありました。ソロモンの平和の時代が嘘のようです。
・全イスラエルの王バシャ:33-34節
こうして、バシャが王となります。彼は良い王様でしょうか?悪い王様でしょうか?
大抵の場合、父が悪ければ子も悪くなります。しかし、アサのような人物がまれに登場します。
私たちも今までの家系に続く呪いをイエス様の血潮によって裁ち切り、祝福を受け継ぐ神の子として生きていきましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
ヤロブアムのように自分が中心になっている時があると感じました。