聖書通読クラブ Day 54

聖書通読クラブ Day 54【申命記7章~9章】

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シャローム!

私たちは案外人の話を聞いていません。自分でもびっくりするほど人の話を聞いていないときがあります。話を聞くことは受動的なことに思えますが、実は能動的な行為です。意識して話を聞くことは従順な態度に関してとても重要なことになります。

今日もなんとなく「聞く」のではなく、切なる飢え乾きをもってみことばを「聴く」耳が与えられますように。

今日の通読箇所:申命記7章~9章

■アウトライン

私たちは何者であるか

●聖なるイスラエルの民と異邦の民:7章
  ・徹底した聖絶:1-6節
  ・恵みの契約:7-16節
  ・勝利:17-26節

●荒野での訓練と計画:8章
  ・荒野での四十年間の苦しみ:1-10節
  ・心の中心にあるもの:11-20節

●イスラエルのそむきとモーセのとりなし:9章
  ・カナン人の悪:1-6節
  ・ホレブでの根絶やし:7-29節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【7章】聖なるイスラエルの民と異邦の民

私たちは何者なのでしょうか。ギリシャ哲学をはじめ、古くからこの問題について人は考えを重ねてきました。現代でも「自分探しの旅」と称して世界を旅する人がいますが、自分を見つけられたのでしょうか?
例えば、コンピュータの本質を知りたければそのメーカーに聞くのが一番です。それを造ったからです。同じように、私たちも自分について知りたければ私たちを創造された方に聞くのが一番です。
この箇所では、神様が私たちをどのようにご覧になっているかを知ることができると思います。

幕屋の器具に於いても同じ事が言えるのですが、最初にするべき事は聖めです。神様が導き入れられる地で最初にすることは神様を信仰していない民を追い出すことです。
私たちにこの事を適用すると、どういうことになるでしょうか?考えてみましょう。
あわせてコロサイ3:5-6も読んでみましょう。
4節、もしそれをしないならどうなると書かれていますか?私たちだけで無く、その下の世代にまで及んでしまいます。
5節、私たちは自分自身の内なる人にこの事をしなければなりません。ローマ12:2を見てみましょう。
人は目の前にいくつかのものがあると迷います。選択するという行程が増えるからです。しかし、ひとつしか無ければ迷うこと無く、それを当たり前に選ぶでしょう。
私たちには最も良いものを選ぶことができるのです。いのちの木を選び取っていきましょう。
6節、神様はイスラエルの民を憎むからこれらのことをしろと言われているのでしょうか?私たちのアイデンティティーがここに書かれています。
 ・私たちは主の聖なる民です。
 ・主は地の面のすべての国々の民のうちから私を選ばれました。
 ・私は神の宝の民です。
これを自分のたましいに教えてあげましょう。

7節、さらに私たちのアイデンティティーが明らかにされていきます。
 ・主は私たちを恋したっておられます。
 ・主は人数に関係なく私を選ばれました。
主は私たちにした約束を必ず守ってくださいます。そして、私たちを贖ってくださいます。

これほどの神の愛を受けながら、私たちは9節と10節、どちらに属するでしょうか?

12節からは、祝福が書かれていますが、これは無条件の祝福ではありません。12節の最初の部分が条件です。たとえ、完全に守れなくても、守りたいという願いを持ち続けることが大切です。主はその願いを聴いてくださいます。
12-16節にある祝福を書き出したり、聖書に印をつけたりしてみましょう。

17節からは恐れの取り扱い方が書かれています。私たちは恐れてしまうことがありますが、どう対処すればいいのでしょうか?
それが19節以降に書かれています。具体的にはどのようなものでしょうか?
「主はあのときも、このときも私を助けてくださった」という、神様との歩みが私たちから恐れを取り去ってくれます。主の恵みをわすれてはいけません。2コリント1:10を見てみましょう。
この主に信頼するなら、的にくまばちを送られます。これは「疫病、失望、落胆」と言う意味です。そうして隠れている者までも見つけ出し、滅ぼされます。
もしかしたら、今の疫病も私たちの内なる人で隠れていた部分をあらわにして、それをイエス様の血潮によって聖絶するためかもしれません。

【8章】荒野での訓練と計画

私たちは生きています。生かされています。いつしか、私たちはあたりませすぎてその事を忘れてしまいます。そして、主が「もういいよ」と言うまで生き続けなければなりません。
生きていたら大変なことが沢山あります。しかし、報いもあります。1節を見てみましょう。
また、2節では四十年の荒野の目的が書かれています。
 ・神の命令を守るかどうか
 ・私たちの心の内にあるものを知るため
今の地上での生活はこの荒野の生活のようです。神様はこの地上で私たちに上の二点をいつも問われているのかもしれません。
その事を踏まえた上で3節を読むなら、イエス様が荒野で悪魔を退けられた場面の背景もよくわかるのではないでしょうか。
私たちが生きるために必要なものは何でしょうか?これは絶対に忘れてはいけないことです。

訓練はつらいことが多いです。しかし、神様は私たちが嫌いで、意地悪をしようとされているのではありません。4節を見て下さい。今、大変な状況でも神様は必要な供給を与え、生かしてくださっています。その中での訓練です。5節にあるように、親が子を愛するが故に訓練されるように神様は私たちを訓練してくださいます。私たちは神の子です。
この主の目的、ご計画をしるなら、6節にあるように、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れる生き方ができます。これは私たちを苦しめるためでは無く、永遠のいのちに導くためです。

11節からは、これから後に起こる祝福が書かれています。人は弱いです。自分を「大丈夫」と思っている人が一番危険です。
私たちは大変なとき、飢え乾いているとき、問題があるときには熱心に主に助けを求めますが、むしろ私たちがうまくいっているとき、普通の時、祝福されているときにこそ意識をして神様に目を向けなければなりません。
私たちはこの後、かならず祝福されます。豊かになります。なぜ断言できるのでしょうか?それは、みことばが約束しているからです。
しかし、18節にある警告を忘れてはいけません。どんなに頑張ったとしても、それは主がアブラハム、イサク、ヤコブたちに与えた契約のゆえです。
もし、この警告を無視したらどうなるのでしょうか?19-20節を読んでみましょう。

【9章】イスラエルのそむきとモーセのとりなし

主はイスラエルの民を愛し、荒野で試みられましたが、それは神様が彼らを、そして私たちを愛するためである事を見てきました。
神様は絶えず私たちを愛し、必要な供給を与えてくださいました。一方民はどうだったでしょうか?不平不満、つぶやき、反逆。まるで反抗期の子どものようです。霊的な大人になりましょう。成長を求めましょう。いつまでもミルクだけ飲む信仰者では無く、堅いものを食べ、周りの者にミルクを与えるものになろうではありませんか。

5節、約束の地には強い先住民がいましたが、主はイスラエルの民にその地を渡されました。それはイスラエルの民が正しいからでは無く、そこにいる者が悪いからだと言われます。
イスラエルの民はうなじのこわい民です。首が硬く、主に対して「はい」と言えない者です。それは私の姿であることを覚えます。

7節からは、イスラエルの民の不従順の歴史が書かれています。
その一つひとつを読み、今まで通読した箇所を思い返してみましょう。そして、それを自分自身にあてはめてみましょう。
何か気づかされることはありますか?私たちの考えを変える必要はありますか?何かやめるべき事はありますか?また、始めるべき事はありますか?それをいつから始めますか?主の御声と導きを求めて祈ってみましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

2件のコメント

  1. >何か気づかされることはありますか?私たちの考えを変える必要はありますか?何かやめるべき事はありますか?また、始めるべき事はありますか?それをいつから始めますか?主の御声と導きを求めて祈ってみましょう。

    契約にあずかれるものではないのに、ただキリストのゆえに、救われたことを忘れないでいられますように。
    エペソ1章7節
    このキリストにあって、私たちはその地による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな哀れみによることです。

    自分が救われるべき価値のある人間であるように思ってしまう、
    主の救いを当然のこととどこかで思ってしまう者です。

    実際私の内は、深刻な罪でいっぱいで、高慢になる要素は、人に誇れる用のものは、もっていないのに、高慢で・・・自尊心は神が備えてくださった本能のようなものだと信じるので、大切にしなければならないとは思います。
    神が愛されている存在だから、自分を大切にする必要があると思います。
    しかし、
    私が救われるのは、ただイエス様の恵みと憐みによるほかありません。

    止めなければならないこと、
    できるだけ、スィーツを摂取しないようにする。
    スィーツ断食がいちばんいいのでしょうけれど
    思い立っては挫折するので、
    神の前にこれを誓願して、
    守れないと咎を負うことになってしまいますから・・・
    言えない・・・
    でも、スィーツを減らす方向に行けますように、
    力をくださいと祈ることはできますね。

    続ける事。
    聖書朗読と聖書研究
    城壁の祈り
    目指したいことの為のスキルを上げる事
    リハビリを続けて頑張ることでしょうか・・・

    これから始めた方がいいことは今のところないですが、

    ああ、ありました、忘れてはならない大切なことでした。
    今までも気を付けるようにしていたのですが・・・
    つぶやかずに感謝するよう、
    主のご計画に信頼するように・・・
    でもこれがなかなか大変なのです。
    出エジプトでイスラエルの民のことをとても裁けません。
    主よ、あなたに信頼し、つぶやかず、
    辛い時でも主に目を向けて
    感謝し賛美をすることができますように。
    その力をくださいと祈り続けようと思います。

    聖書通読ができているように、
    つぶやかない 感謝をする。他者と比較しない
    主イエスだけを目標として見る。
    これも生活のリズムになればきっとできるような気はするのですが、
    不意打ちで・・・愚痴ってつぶやきたくなることがあります。
    どうも自信がありませんが、
    まず一日チャレンジ、二日目・・・と
    私には継続は無理かもと思われていた
    聖書朗読、聖書研究を現在は奇跡的にしているのだから、
    (これが少し自信になってきています。
    感謝します。)
    いつから?今からです。一歩一歩主と共に歩んでいきたいです。

    つぶやかない 感謝をする。
    他者と比較しない
    他者に言われた理不尽な事を回想しては傷つかない。
    神の前に図々しいくらいに
    神に愛されている者だという確固たる確信を失わず
    主イエスだけを目標とする。
    宣言すると、経験上たちまち試みが来るので、
    宣言ではなく、これらを行う力をくださいと祈ります。

    書いているうちに、なんだか・・・項目が増えてきたような気がするので、
    はじめの一歩はこのくらいにしておきたいと思います。

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