COVID19

新型コロナウィルスへの聖書的見解

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全世界で猛威を奮っている新型コロナウィルス(COVID19)。日本でも感染を防ぐために各方面のスペシャリストが最前線で戦っています。外出を控える要請が出たり、自粛ムードが漂ったり、私たちが人生で経験したことのないようなことが現実として起こっています。

このことをどのように理解すれば良いのでしょうか。

私の尊敬する聖書教師、ジョン・パイパーがこのことに関して答えてくれていました。妻の翻訳の力を借りて、ご紹介します。皆様の助けになれば幸いです。

Q:コロナウィルスに対しての、教会の見解はさまざまです。ある牧師は「私たちクリスチャンには、絶対にこのウィルスは及ばない」と言い、ある牧師は「この病は、高ぶっており罪深い街に及んでいるのだ」と言っています。

聖書的な見解とはなんでしょうか。

A :「苦しみ」について、聖書的理解を分かち合うことを通して、私たちが「苦しみ」に対して備えるための助けとなることを願います。

現に今、この病で痛み苦しみを覚えている人々のことを考えるなら、今がこの教えを語るのに相応しい時かどうかを考えると、悩ましいけれども、ここで質問されていることに答え、ここでの役目を果たしたいと思います。

まず、実際に、歴史上で起きたことを見てみましょう。
2004年、12月26日の日曜日、20万人以上の人がインド洋の津波で亡くなりました。そこには、主を礼拝するために教会に集まってきていた多くのクリスチャンも含まれていました。
それが歴史の中で、クリスチャンたちにも及んだ出来事の一つです。

次は聖書の中での事実を見ましょう。マルコ4:41。
風や波までがイエス様の言うことに従います。イエス様は昨日も今日もとこしえに変わらない方でありますから、この「すべての被造物はこの方に従う」という真実は今も同じです。

この歴史上の出来事と、聖書の中の出来事を通してわかることは、「神は自然災害を止めることが出来るお方である。けれども、2004年に神はこの災害を止めることをされなかった」という事実です。

神はいつも、知恵と公義と公正、最善をなさるお方です。ですから、この壊滅的な災害の中にも、神の知恵と最善の目的がありました。
同じように、このコロナウィルス流行の中にも、すべての自然、また超自然の威力の中にも、イエス様は権威と知恵をお持ちであると考えます。
主は、このウィルスがどこから始まり、どこへ向かうかを完全にご存知であり、これを制する力、または制さない力をもお持ちであります。それが今、起きていることです。
主は、罪よりもサタンよりも病よりも、またあらゆる腐敗、破壊よりも力のあるお方です。
主は、物事をご計画通りに進めることが出来ずに悩んだり、思い通りに行かなくて窮地に立たされてしまうようなお方ではありません。

「主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。」

詩篇 33篇 11

ヨブも次のように語っています。

あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。

ヨブ記 42章 2節

つまり、私たちの問題、疑問は「イエス様がすべてのことを、治めておられるのかいないのか」ではなく、(もちろん、すべてを治めておられます!)、問題は、私たちがこの地上の出来事を聖書に照らし合わせる時、どのように、このことを理解するのか、ということです。

そのことを理解するために、注目する必要のある聖書的事実が4つあります。
理解を構築するための角材(ブロック)として用いることのできる4つ聖書的事実です。

1.アダムとエバを通して罪が人類に入った時、神の似姿に造られた人間に堕落と腐敗が及び、神はすべての生きるものが、死ぬようにされた。

神の福音を信じたクリスチャンもこの肉体の堕落、腐敗、死を免れることはありません。

被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。

そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

ローマ人への手紙 8章 21節 ~ 24節

すべての被造物が、虚無、災害、病、死の束縛から自由にされて、神の子が受け継ぐべき「栄光の自由」を、共に受け継ぐ日がやがて来ます。
その時まで、その日まで!御霊を受けた私たちクリスチャンも心の中でうめきながら、虚無、災害、病、死の束縛のもとにあるすべての被造物と共に、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいるのです。
そして、それは神の子のあらわれ、復活の時に起こります。

キリストを信じるクリスチャンにとって違うことは、私たちが経験する腐敗、破壊が神の刑罰ではないということです。

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

ローマ人への手紙 8章 1節

私たちに与えられる痛みとは、精錬であって、刑罰ではないのです。神の怒りを受けるようにと定めておられるのではないのです。

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

テサロニケ人への手紙 第一 5章 9節 – 10節

私たちも病気で死ぬ場合もあるでしょう。けれども、それはある特定の罪のゆえとは限らないのです。
罪の堕落のゆえに、私たちも他の人と同じように病気などで死ぬこともあるでしょう。けれども、キリストにある者はすべて、「死のとげ」が取り除けられているのです。

死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。

コリント人への手紙 第一 15章 55節

ここまでが、一段目のブロックです。

2.神は時に、罪のさだめから、きよめ救い出すために、御自分の民に病いをもたらす。これは刑罰ではなく、ご自身のあわれみと恵みによって私たちを救い出すのが目的。

みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。
そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。

コリント人への手紙 第一 11章 29節 ~ 32節

「聖餐式の悪用」という事柄についての箇所ですが、ここにはもっと広い意味、原則があります。

私たちクリスチャンが、みからだをわきまえずに飲み食いするゆえに、クリスチャンの中に弱い者や「病人」が多くなり「死んだ者」が大勢いる、と言っています。
私たちが主に懲らしめられ(弱さ、病や死によって懲らしめられ)、主によって、病、災害を通して神の子としての訓練を受けるなら、「この世とともに罪に定められること」はないのです。

イエス様は、病や弱さによってご自身の愛する者たちの命をとられます。

しかし、興味深いことに、マタイ14:14をみると、今度はイエス様は人々の弱さ、病を癒やすことを通してそれらの人々を天国、救いへと導く場合もある、ということです。ここの場合は、病んでいる者たちを癒やすことを通して彼らを永遠の死、刑罰から救い出すのが目的です。

いずれにせよ、主のなさることは、私たちが「この世とともに罪にさだめられることのないため」であり、「救い」が神の目的なのです。

神はコリントの人々にもたらしたのと同じ様に、現代の人々にもコロナウィルスをもたらすことを通して、同じ目的を果たされることもあります。

「みからだをわきまえない」という罪に限定されるわけではなく、あらゆる「永遠のさばき」へと向かわせる罪から神の民を救うために、病がもたらされる場合がある。
すべての死が、「ある特定の罪のゆえ」というわけではない。これが2つ目のブロックです。

3.神はときに、神を否定して罪にふける者に対して、災いを用いて裁きをもたらすことがある。

2つの例を見ることができます。

使徒の働き 12章 23節:神に栄光を帰さなかったヘロデ。虫にかまれて死んだ。このように、神に栄光を帰さない者を打たれる主であられる。けれども、今日、多くの傲慢な指導者たちが打たれずにいる。これは、驚くべき主のあわれみです。

ローマ人への手紙 1章 27節:男の自然の用を捨てて、男同士で情欲に燃える者に対する「当然の報い」

これがローマ人への手紙 1章 18節に書かれている神の怒りのあらわれです。

というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

ローマ人への手紙 1章18節

4.すべての災い(洪水、飢饉、イナゴ、津波)は、神の憐れみによる雷鳴。それらは、裁きの中にあって、すべての人々を悔い改めに導き、神の恵みの中に回復させるための神からの呼びかけである。

ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。

イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。

そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。

また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。

そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。

ルカの福音書 13章 1節 – 5節

そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます

ルカの福音書 13章 5節

これが、今、イエス様が私たちに語られているメッセージであると信じます。
あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
これが私に、あなたに、そして世界のすべての者に対する主からの雷鳴のようなメッセージ、主からの呼びかけであると信じます。

オリジナルの映像はこちらになります(英語のメッセージです)

一日もはやくこのウイルスが世界からなくなることを祈るばかりです。

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