聖書通読クラブ Day 348

聖書通読クラブ Day 348【ヘブル人への手紙 1章-3章】

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シャローム!

今日からヘブル人への手紙の通読が始まります。著者は不明とされていますが、パウロとルカではないかと言う人もいます。そして、その内容の多くは旧約聖書の引用です。ですから、この手紙を旧約聖書の解説という人もいます。とくにこの手紙を読む中で、十字架を通して完了したもの、続いているもの、変わったものに注目して通度こうするのも興味深いかも知れません。それでは、今日も聖霊様に導かれて通読していきましょう。

今日の通読箇所:ヘブル人への手紙 1章-3章

■アウトライン

●御使いたちよりすぐれた御名:1章
  ・御子について:1-14節

●人としてのイエス:2章
  ・聞いた事を心に留め押し流されないように:1-4節
  ・アブラハムの子孫を助ける:5-18節

●安息に入る:3章
  ・安息に入れなかったのは:1-19節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】御使いたちよりすぐれた御名

・御子について:1-14節
この手紙はユダヤ人に向けて書かれています。福音が最初に伝えられたのはユダヤ人です。エルサレムをはじめ、世界中に散らされているユダヤ人に福音が伝えられていきました。しかし、中には信じることができない人もいて、その中の一部はこの教えに敵対する者となりました。それで、福音は異邦人へと広がっていきました。
しかし、パウロは同朋のためなら自分は呪われてもいいと言うほど、ユダヤ人の救いを願っています。
この手紙を通して、ユダヤ人の人たちの目がイエス様に向くように、御使い、モーセ、大祭司よりもイエス様がすぐれたお方なのだと言うことを宣べています。
この手紙はユダヤ人だけではなく、私たちにとっても非常に重要な手紙となっています。なぜなら、旧約聖書の様々な箇所をイエス様の十字架を通して解説している箇所が多いからです。それでは見ていきましょう。
1節は旧約聖書のことを指しています。旧約聖書は新約聖書の影です。預言者たちを通して多くの部分に分けて、いろいろな方法で書かれたとあります。しかし、2節にあるように、旧約聖書はイエス様によって成就され、再定義されました。現在の携帯電話などの電波は「パケット」と言って、データを細かく分けて一部分だけを送信する手段を用いています。それを受信する携帯電話でつなげて、一つのデータにします。旧約の預言もこれと似ています。イエス様によってみことばがつなげられ、ひもとかれていきます。
神はこの御子を万物の相続者とされました。また、この方によって世界は創造されました。これを聞いたユダヤ人は衝撃を受けるかも知れません。自分たちが十字架にかけろと言ったお方が神だと言うことを知るのです。
3節には、御子はどのようなお方だと書かれていますか?神が人の形を取って来られた御子は神を現しているお方ではありません。神そのものです。神の本質が完全に現れているお方です。そして、御口から出る力あるみことばによって、万物を保っておられます。このお方が罪のきよめを成し遂げられ、すぐれて高い大能者の右の座に着かれたお方なのです。
また、信じる者の中には、御使いと聖霊様、またイエス様の区別がつかない人もいるかもしれませんが、ここで明確になります。
主はイエス様に対して5節に書かれているような事を言われました。さらに、御使いに対して、「彼を拝め」と言われています。
7節は御使いについて言っています。旧約聖書で風と霊はおなじことばです。つまり、御使いは霊であり、神の目的を実行するために仕えるものとされました。
一方、御子については何と言われているでしょうか?8節では、神である主が御子に対して呼び掛けています。御子の御座は永遠に続きます。杖は力と権力を現しますが、イエス様の杖は公正な、まっすぐな杖です。また、9節にあるとおりのお方です。
10節からは、滅びるもの、永遠に残るものが対比として書かれています。何がなくなり、何が残るでしょうか?10-12節を見てみましょう。また、詩篇110編のみことばを引用し、御子に権威を与えられました。14節はまとめです。御使いは何ですか?神だけでなく、誰に仕えますか?すなわち、神、人、御使いという順になります。

【2章】人としてのイエス

・聞いた事を心に留め押し流されないように:1-4節
これらの多くは旧約聖書ですでに語られた事です。彼らはそれを聞いています。この手紙の著者は聞いたことをますますしっかりと心に留め、押し流されないようにと言っています。当時は、グノーシス主義や、ユダヤ主義、また御使い礼拝主義など様々な教えがありましたが、みことばにすべての土台を置く必要があります。
「御使いたちを通して語られたみことば」とは、神の律法です。使徒7:53には、律法は御使いによって定められたとあります。その律法が動くことがなく、違犯や不従順が処罰を受けるなら、御子によって与えられた救いをないがしろにした場合、逃れることができないと言っています。なぜなら、すべてのみことばは、御子を指しているからです。

・アブラハムの子孫を助ける:5-18節
神はこの世を人にお任せになりました。詩篇の8編3-5節のみことばを引用してこの事を説明しています。ちりに過ぎない私たちを、主は見いだしてくださいました。主は救い主であり、神であるイエス様をしばらくの間御使いよりも低い者とされました。イエス様のこのへりくだりによって栄光の冠を与えられ、万物が彼に従うようになりました。8節にあるように、全てのものが神に服従し、そこに例外はありませんでした。そして、エデンの園においては、神はその権限を人に与えてくださいました。すべての者は人に、そして神に従っていました。ところが人の神への不従順によって、罪が入ってしまいました。人は全て失ったように思えたのですが、神から与えられた権威は有効でした。全ての被造物は神に従い、そして人に従っています。被造物の中で神に従っていないのは唯一人だけです。
そこで、神はご自分の御子を御使いよりもしばらくの間低くされ、視の苦しみを味わわせられました。
一見、救い主がどうしてこのような経験をされなければならないのかとも思ってしまいますが、これは万物の存在の目的であり、また原因でもある方としてふさわしいことだと10節に書かれています。
11節には聖とする方と、聖とされる者とありますが、前者はイエス様で後者は私たちです。どうしてこれが元は一つなのでしょうか?それは、イエス様が人の形をとられて、アダムと同じようになられたと言うことです。
それで、イエス様は神であられるお方なのに、弟子たちを「兄弟」と呼ぶことを恥とされませんでした。そして、三つのみことばを引用します。12節は詩篇22編22節、13節前半はイザヤ8章17節、後半はイザヤ8章14節のみことばです。
また、14節はイエス様が受肉されたことがここでも書かれています。悪魔はアダムとエバをだまして、勝利を確信したかも知れませんが、まさか神が人の形をとってこの地に来て、全人類の罪を背負って死なれ、復活するとは考えもしなかったでしょう。イエス様の十字架によって、悪の死の力は滅ぼされました。そのことで、15節のようにして下さいました。罪から来る報酬は死です。この罪が取り除かれなければ、死に打ち勝つことができませんが、イエス様はそれをして下さいました。イエス様を信じる信仰によって罪が取り去れた者は、一生涯死の恐怖につながれてはいないのです。
16節を見ましょう。主は誰を助けて下さいますか?私たち人は神様にこれほど愛されているのです。
17節では、イエス様をどのように表現されていますか?大祭司に関してはこの後見ていきます。イエス様がそのようになって下さったのは何のためでしょうか?17節の最後を見てみましょう。
私はいつも疑問に思っていました。主はすべてご存じなのに、なぜ誘惑にあわれたり、苦しみを受けたりされるのかと。その答えが18節にあります。同じ痛みを持った人からの励ましはことさら心に響くものです。主は私たちとおなじ所に立ち、助けるためにここまでへりくだって下さいました。

【3章】安息に入る

・安息に入れなかったのは:1-19節
イエス様がここまでしてくださいました。この事をもって、みことばはこの手紙の読者を天の召しにあずかっている聖なる兄弟と呼びます。彼らに何を呼び掛けているでしょうか?イエス様のことをどうしなさいと言っていますか?
ここから、家に関して語られていきます。モーセは神の家全体のために忠実でした。イスラエルの人々にとって、律法は非常に重要な者です。覚えているでしょか?初代教会を惑わした間違った福音の教えにグノーシス主義がありましたが、それに加えてユダヤ主義と御使い礼拝主義がありました。ヘブル人への手紙の著者はそれにたいしてみことばを引用して正しい福音へと導いています。
イスラエルの人にとって、モーセは神の代理者のような存在です。モーセに逆らうことはすなわち律法に逆らうことです。イエス様は御使いよりもすぐれ、またモーセよりもすぐれたお方です。
モーセが律法に対して忠実であった以上に、イエス様は父に対して忠実でした。黙示録にあるイエス様のお名前は「忠実、真実」というものです。これは「アーマン」ということばで、アーメンの語源です。イエス様は父の御心に従い通しました。実に、死にまでも従われたのです。このお方以上に忠実な方はおられません。
家と家を建てた者、どちらが偉いでしょうか?言うまでもありません。イエス様はそういう理由で、モーセよりも偉大です。家は誰かが建てますが、すべてのものを造られた方は誰でしょうか?4節を見ましょう。
モーセが神の家全体のために忠実だったのは、後に来られるメシヤ、イエス様を証するためでした。モーセはしもべとして神の家に対して忠実なのに対して、イエス様は御子として神の家を忠実に治められました。もし、私たちが確信と希望による誇りを終わりまで持ち付けるのであれば、私たちが神の家となります。モーセが治める家ではなく、神様ご自身が治めて下さる家となります。
そこで、ヘブル人への手紙の著者は詩篇90編を引用して、信仰から離れることの警告をしています。
「きょう」と言われている間に、私たちはなにをすべきでしょうか?13節を見ましょう。また、最初の確信を最後まで持ち続けるなら、私たちはどうなりますか?
ここからは、15節のみことばが解説されていきます。
聞いていながら、御怒りを引き起こしたのは誰ですか?神は四十年の間、誰を怒っておられましたか?
神が安息に入らせないと誓ったのはどのような人たちですか?これは私たちにとっても非常に重要な教えです。彼らが安息に入れなかったのは何のためでしたか?ここから何がわかるでしょうか?狭い門であり、狭い道で見いだす者はまれな神の国に入るのに必要なのは、神への従順と信仰です。


(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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