シャローム!
主はユダヤ人をさばかれるお方です。主に従わなかった結果として、バビロン捕囚を実行されました。しかし、驚くことに主は「わたしはあなたがたの罪を赦した」と主ご自身が一方的に宣言され、それから新しいことをされています。バビロンに捕らえられた70年後に誰も考えなかった方法で彼らを帰還させます。主はいつも素晴らしいお方です。
今日の通読箇所:イザヤ書 43章〜45章
■アウトライン
●私たちの本当の価値:43章(ヨハネの福音書)
・高価で尊い:1-7節
・ほんとうだ:8-9節
・わたしの他に救い主はいない:10-13節
・新しいことをする:14-21節
・わたしを煩わせた:22-24節
・あなたの罪を思い出さない:25-28節
●まことの神と偶像:44章(使徒の働き)
・エシュルン:1-5節
・むなしい偶像:6-22節
・主がこれを成し遂げられた:23節
・占い師を狂わせる:24-28節
●永遠のいのち:45章(ローマ書)
・青銅の扉を打ち砕く:1-7節
・主が創造した:8節
・抗議する陶器:9-10節
・捕囚の民を解放する:11-14節
・ご自身を隠す神:15節
・永遠の救い:16-17節
・天と地を創造された方:18-19節
・救えもしない神に祈る者らは何も知らない:20-21節
・主を仰ぎ見て救われよ:22-25節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【43章】私たちの本当の価値(ヨハネの福音書)
・高価で尊い:1-7節
創造主なる主は「恐れるな。わたしがあなたを贖った」と名を呼んで励ましてくださいます。主がこの事を保証してくださっています。たとえ私たちが川を渡るときも、火の中を歩いても主は守ってくださいます。出エジプトさせてくださった主は今も生きておられます。
そして、4節は、おそらくイザヤ書で最も有名なみことばではないでしょうか。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」これが、主が私たちを見てくださっている見方です。私たちはこのみことば通りに自分を見、そして周りの人を見ていけたらと願います。
主はこのように私たちを愛しているから、どうされるのでしょうか。「人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする」と書かれています。私たちを愛するがゆえに、御子キリストをこの地に遣わしてくださり、救いを与えてくださいます。
・ほんとうだ:8-9節
イスラエルの民が目が開かれておらず、耳が閉じられている状態の時、諸国のためにユダヤ人が世界中から帰還することを告げることができたかと言われています。後にそのことを振り返って「本当だ」と言う以外できません。主のみことばはすべて成就します。
・わたしの他に救い主はいない:10-13節
イスラエルの民は主の証人です。主がお選びになった民です。そして、主だけが神であり、このお方以外に救いはありません。私たちは気づかないうちにあらゆるものを偶像化していまい、神を忘れそうになってしまいます。しかし、いつも自分の心に言い聞かせる必要があります。主こそ神であり、イエス・キリスト以外に救いは無いと。
・新しいことをする:14-21節
主はこの後、バビロンを滅ぼされることをご計画されています。捕らわれていた民の解放が起こります。第二の出エジプトです。
強力な支配から脱するためには、更に大きな力が働く必要があります。最も力あるのは私たちの信じる主のみです。
主は出エジプトの結果、民を荒野に導かれましたが、今度は主は荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、民に飲ませてくださると約束されています。
・わたしを煩わせた:22-24節
主がこれほどまでにして下さったのに、なおイスラエルは主に応答しません。主はそのことを嘆いておられます。
しかし、私たちはイスラエルの民をさばくことはできません。私たちもイエス様によって贖われ、救われています。いのちをかけた贖いでした。しかし、私たちはそのことにいつも感謝しているでしょうか。みことばに喜んで従う心があるでしょうか。イスラエルの民の姿は私の姿でもあります。
・あなたの罪を思い出さない:25-28節
主は主です。全能の神です。どんな小さな事もすべて覚えておられるおかたです。しかし、この方があえて私たちの罪を思い出さないと行ってくださっています。あえて罪を忘れてくださるのです。
主はわたしに思い出させよと言っています。主はあえて罪を忘れてくださっています。ですから、「しめしめ。このままでいいぞ」と思うのは間違っています。主があえて忘れてくださったからこそ、私たちから自発的に主の御前に生き、さばきをうける必要があります。悔い改めです。「あなたが正しいとされるために、あなたの方から申し立てよ」と言われています。「告白されると叱られる」という思いで主の御前に行くのでは無く「もっと愛されるためにあえて告白する」という方が正しいです。日々、主のさばきをもとめて主の御前に行きましょう。
【44章】まことの神と偶像(使徒の働き)
・エシュルン:1-5節
イスラエルの民は主ご自身が創造されたことが語られています。これは私たちにも向けられたことばです。主は私たちが母の胎にいるときから形作ってくださっています。私たちを助けてくださる主はいつも「恐れるな」と言ってくださいます。
エシュルンとはイスラエルの別の呼び名です。直訳すると「まっすぐな者」と言う意味になります。イスラエルの民の本来の姿です。
主は渇いたところに水を送ってくださり、主の霊を注いでくださるお方です。
・むなしい偶像:6-22節
6節は黙示録でも出てくる言い方です。主は初めであり、終わりであるお方です。初めも今も、終わりも一貫して変わらないお方です。このことから、ヘブライ語のエメットということばができました。ヘブライ語のアルファベットの最初と真ん中と最後の文字からできていることばです。このエメットというのは真理と言う意味です。
主はこの真理を持ってイスラエルをお選びになりました。彼らを永遠の民と呼び、その約束を前もって語ってくださっています。主以外にその様なことを語れる者はありません。ですから、恐れないで自身を持ちなさいと言われています。彼らは主の証人です。同様に、私たちもキリストの証人です。生きた証し人として、キリストの香りを放つ者とされていきましょう。
9節からは、まわりにいる偶像がいかにむなしいかを語られています。偶像はただのマテリアルです。何かの形をしているかもしれませんが、それは単なる木や石や金属です。見ることも聞くこともできません。すなわち、何の役にも立ちません。
12節からは鉄の偶像が書かれていますが、つくる者は疲れ、水を求めます。
木彫で偶像をつくる者も出てきますが、人が薪にするもので神を作ります。木も鉄も、すべてもとは主が造られたものです。
加えて、偶像をつくる者は何も理解していないと書かれています。ここで思い出してください。同じ造形物を作ったベツァルエルは、神の霊を受けていました。そして、人々に教える力を持っていました。偶像を作る者と似て非なる者です。
ですから、主は22節で「わたしに帰れ」と言われます。そむきの罪は雲のように私たちの上にあります。実際に空にある雲には手が届きません。また、罪はかすみのようだと書かれています。いつも見えている景色を見えなくさせてしまいます。主は私たちを尊い血によって贖ってくださり、それらを拭い去ってくださいました。主に立ち返り続けましょう。
・主がこれを成し遂げられた:23節
このすべてを成し遂げてくださったのは、ただ主の恵みです。ですから、この事を喜びましょう。主の贖いは贖われた者だけでなく、すべての被造物が喜びます。
・占い師を狂わせる:24-28節
バビロンには様々な占い師がいました。主のことばはそれらの者を愚かにさせます。占い師を狂わせるとあります。ですから、星占いや人生占いなど、主を信じていながらなお占いに心を向けるなら、その者は狂わせられます。
また、主はエルサレムの町の再建をも宣言されています。それを行うのはイスラエルの民では無く、なんとペルシヤのクロス王です。主は様々なものを用いて救いを送ってくださいます。
【45章】永遠のいのち(ローマ書)
・青銅の扉を打ち砕く:1-7節
ここに驚くべきことばが書かれています。クロス王が油注がれた者と書かれています。この当時、油注がれる職業は王と祭司でした。そして、油注がれた者とはメシヤというヘブライ語です。つまり、クロス王はキリストのひな形の一つとして書かれています。
主はクロス王の前を進み、青銅の扉を打ち砕いてくださいます。そして、ひそかな所の隠されている宝を与えてくださると約束してくださっています。
4節には驚くべき事が書かれています。なんとクロス王は油注がれたと呼ばれているにもかかわらず、主を知らないと書かれています。事実、彼はゾロアスター教でした。多神教の宗教です。しかし、主はこの人物を用いられます。彼がたとえ異教徒であったとしても、すべてにおいて主が主であることをすべての民が知るためです。
ゾロアスター教は二元論が中心です。光と闇、善と悪などがあり、その対立の中、世界が造られたと信じられていました。しかし、主はただひとりのお方です。この真理をクロス王を用いてこの事をなすことで、すべての民が主を恐れるようになります。
・主が創造した:8節
雨が降ってくるように、主からの恵みが一方的に与えられます。その恵みを受け、地は救いを実らせます。受けるべきでない者が受ける神からの一方的な好意が恵みです。
・抗議する陶器:9-10節
このような信じられないほどの恵みを受けていながら、人はその恵みを忘れてしまいます。その様子を陶器に例えています。
前にもお伝えしたかもしれませんが、陶器師は土を何度もこねて器を作ります。そして、ろくろで土を形にするとき、ある土は素直に形になってくれますが、ある土は何度やっても反抗し、思った形にならないそうです。そういうときは、「土殺し」と言って、もう一度土をこね直すそうです。その課程を何度も繰り返してもなお、思い通りの形にならない土は捨てられてしまうそうです。
私たちも主の作品です。主の用いられやすい形へと造りかえられていきますように。
・捕囚の民を解放する:11-14節
主がすべてをなされます。それなのに、私たちは主に命じたりします。これは間違っています。主が私たちに命じられるのです。
主は状況、環境によらず、事を行うことのおできになる方です。
・ご自身を隠す神:15節
主はご自分を隠す神だと言われています。これはどういうことでしょうか。主は様々な形で人に介入してくださり、御業を現し、時にはご自身をも現してくださいます。
しかし、それは神のご計画のほんの一部であり、ほとんどの部分は人から隠されています。神の道は人よりはるかに上にあります。そのご計画を人はすべてを知ることはできません。事を隠すのは神の誉れであり、事を探るのが王の誉れです。
・永遠の救い:16-17節
偶像を細工する者は恥を見ます。恥とは失望という意味もあります。偶像は心の中にある欲望が形になったものです。そのようなものを頼りにする者は失望します。
イスラエルは主によって永遠の救いに入れられ、恥を見ることも辱めを受けることもない。
・天と地を創造された方:18-19節
神はご自分が何をされるかを明確にされます。ご自分のしもべを通して語ってくださっています。何が起こるかわからなくとも、主を信じ、このお方の願われることを行っていくなら、主の御約束が実現していきます。
・救えもしない神に祈る者らは何も知らない:20-21節
諸国からの逃亡者とは、ペルシヤによって追い立てられた国民です。イスラエルの民は解放され、自分の国に戻されましたが、その他の国は追い立てられました。ここに違いがあります。それを見るなら、主こそ神であることを知るのです。
・主を仰ぎ見て救われよ:22-25節
主は全世界の民に救いのご計画を持っておられます。「わたしを仰ぎ見て救われよ」と言われています。かつて、荒野でイスラエルの民が不平をつぶやいたとき、燃える火が民に襲いかかりましたが、民が自ら罪を認め、告白し、旗竿にかけられた青銅の蛇を仰ぎ見たとき、救われました。
同じように、イエス様を仰ぎ見る者は救われ、永遠のいのちが与えられます。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
川を渡るときも火の中を歩いても守ってくださる主に感謝します。
主が私を愛してくださるように、周りの人を愛せるように祈ります。