シャローム!
ヨブは今日の箇所で知恵を語ります。詳しくは箴言の箇所で知恵について掘り下げたいと考えていますが、知恵とは何であるか覚えているでしょうか?トランプに例えるなら手持ちの札の多さが知識です。そして、手持ちの札をいつ、何を使うかが知恵です。
そして、知恵は聖霊様であり、イエス様であり、天の父そのものです。このお方の口から出るみことばによって私たちはまことの知恵を得ることができます。これは大いなる特権であります。
今日もみことばから知恵そのものであられる聖霊様に教えていただきましょう。
今日の通読箇所:ヨブ記 28章~30章
■アウトライン
知恵はどこから来るか
●ヨブの格言:28章
・様々なものの根源:1-11節
・知恵を獲得する:12-19節
・知恵はどこから来るのか:20-28節
●ヨブの格言:29章
・義をまとう:1-20節
・かつてのヨブ:21-25節
●ヨブの自分の格言:30章
・しれものの子たち:1-15節
・泥の中に投げ込まれる:16-19節
・死に帰らせる方:20-23節
・善を望んでいたのに悪が来た:24-31節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【28章】ヨブの格言
・様々なものの根源:1-11節
ヨブは友人たちにたとえをもって知恵を説明していきます。ここでのたとえは鉱山です。目的のものを掘り出すのには大変な苦労があります。鉱物を求めて、深く深く掘る姿と知恵を追い求める姿を重ねます。その深さは猛禽もはやぶさも地上の獣も来ることができないほどの深い所まで掘ると言うことを、人間が知恵を追求する情熱と力と重ね合わせています。
ところで、この時代、科学はないに等しい状態でした。しかし、ヨブはこの地球の構造をみごとに描いています。5節に、地の下は火のように沸き返っているとありますが、理科の授業で習ったとおり、地球の地面(地殻)の下にはマントルという高温・高圧の溶けた岩があります。これが地表に吹き出すとマグマとなります。確かに地の下には火があることを科学がこの後何千年も経って証明しています。
9節からも、鉱山の事が書かれています。人は鉱山を掘るために硬い岩をも砕きます。また、川をせき止め、水が流れ込まないようにして更に深く掘っていきます。
・知恵を獲得する:12-19節
ヨブは上のようなたとえを話し、このような努力をしても、知恵は見つからないと言っています。これ以上人の力で掘っていくなら、地の深いところ、聖書で書かれている「よみ」にまで到達してしまいます。深い縁にも海にも知恵はありません。知恵は一体どこで見いだすことができるのでしょうか?
また、知恵は金銀でも手に入れることができません。どのような高価な宝でも手に入れることができません。
・知恵はどこから来るのか:20-28節
ヨブは問います。「では、知恵はどこから来るのか。悟りのある所はどこか。」みなさんは知恵はどこにあるか知っていますか?
23節からに答えがあります。もちろん、知恵は神様から来ます。
エペソ1:17には「知恵と啓示の御霊」ということが書かれています。御父、御子、御霊の三位一体なる主から来る知恵、上からの知恵は第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。(ヤコブ3:17)
聖書は知恵の中の知恵が書かれています。しかし、これを私たちの力だけではひもとくことができません。学校の国語のテストで「著者は何を言おうとしているのか、20文字で文中から書き出しなさい。」などと言う問題があります。しかし、それが本当に著者の言いたいことがどうかは、著者に聞いてみないとわかりません。
私たちは聖書の著者に直接聞くことができます。聖書はすべて神の霊感によって書かれた書物です。ペンテコステの時にあたえられた聖霊様は私たちに聖書を悟らせてくださる知恵と啓示の御霊です。聖書の著者です。私たちはこのような特権にあずかっているのですから、聖書を読んで聖霊様にどんどん質問しましょう。
そして、28節でヨブは結論づけます。「主を恐れる事が知恵だ」と。恐怖から来る恐れではなく、主の偉大さ故にやってくる尊敬というか、そのようなものから来る畏れです。
主を恐れるとは何でしょうか。主の戒めを守ることです。そのためには戒めが何かを知る必要があります。イエス様ご自身をもっと深く知ることです。この「知る」と言うことばは、体験的に知ることです。関係と言った方が良いかもしれません。
そうするなら、イエス様ともっと親しくなります。そして、一緒に時間を過ごせば過ごすほど、このお方をお喜ばせさせたいと言う気持ちになります。それが神を恐れるということです。
人の知恵、この地上の知恵をはるかに超えた天からの知恵を受け取っていきましょう。
【29章】ヨブの格言
・義をまとう:1-20節
ヨブはかつての自分の歩みを思い出します。その時を「神が私を守ってくださった」と表現しています。神様のともしびが頭を照らして、闇の中を歩いたと言っています。これが正に神の知恵によってこの地を歩むことです。
ヨブの時代も今も、変わらず悪がはびこり、不正が横行しています。その中にあって正しく歩むことができるのは神を恐れ、神の戒めに沿って歩む以外ありません。
その様な歩みは乳、油と例えられています。どちらも豊かさを現すものです。つまり、詩篇1編にあるように、昼も夜も主の教えを口ずさむものは幸いなものであると言うことです。
7節からは、ヨブが神に従って正しく歩んでいた故に、偉い人までも恐れるほどの権威を持っていました。
なぜヨブはそれほどの権威を得ることができたのでしょうか。沢山勉強したからでしょうか。努力したからでしょうか。そのどちらでもありません。それは意外な答えです。貧しい者、弱い者を助けたからだと言っています。
友人たちはヨブが貧しい人たちを虐げていると訴えましたが、それは事実無根のことです。ヨブは実際に貧しい人たちに施しをしていました。
ヨブは裕福でしたが、それを貧しい人、弱い人のために用いました。彼らを嫌がり、虐げるのではなく寄り添いました。ここにイエス様の姿の一部を見ることができます。
イエス様こそ、イザヤ61にも預言されていル通り、貧しい者、弱い者を救うために来てくださいました。
現代の効率化社会からか考えると、そのような事は行わない方が成長できると考えるかもしれません。それはこの世の考えです。神様の考えはこの世の考えとは違います。神の知恵を持って行動する必要があります。神の知恵の中には「あわれみと良い実とに満ち」と言うことが含まれています。
知恵が無いと思えるときには、ヤコブの手紙に書かれているように神に熱心に知恵を求めましょう。そうすれば主は無限に与えてくださいます。
・かつてのヨブ:21-25節
ヨブは偉そうにするのではなく、へりくだっていました。人々に慰めのことばをかけます。ヨブのことばで議論することはせず、素直に受け入れていました。そして、ヨブはまるで王のような権威があったと書かれています。
【30章】ヨブの自分の格言
・しれものの子たち:1-15節
「しかし今は」とあります。その様なヨブがこのような有様です。すべてが一気に変わってしまいました。今では番犬とともにいる者の子である若い者がヨブを嘲るような立場になってしまいました。
この若者は自制がなく、本能に従って生きる獣のような生き方をしていました。7節はおそらく性行為の乱れを意味していると思います。このような者は国から締め出されるべき存在であるのに、今はその様な者にヨブが笑いぐさとなっています。ヨブの顔につばをかけることまでしています。顔につばをかけるというのは大きな侮辱です。
イエス様も罪を一度も犯さなかったのにも関わらず、人から罵られ、ばかにされ、殴られ、つばをかけられました。私たちの罪を贖うためにそれを忍ばれました。
ヨブはそのように自分が受けている仕打ちを包囲された町にたとえました。ヨブは孤独になりました。
信仰の先輩方は多くの場合、孤独を経験します。今、孤独に感じられている方は主に愛されている証拠であり、この先には主が大きく用いてくださる時代が来ることを知りましょう。その時のためみ今、できる備えをしていきましょう。
・泥の中に投げ込まれる:16-19節
ヨブは今回も自分の体の痛みを描写しています。寝ても起きても痛みが逃げ去りません。
・死に帰らせる方:20-23節
詩篇の作者は「主よ、いつまでですか」と祈っています。私たちも試練の中、同じような祈りをするでしょう。しかし、神様はいなくなったわけではありません。意地悪をしているのでもありません。主のご計画があるのです。
叫んでも祈っても神様が応えてくださらない様子は、神様を残酷なお方だと思わせてしまうこともあるでしょう。しかし、ヨブはその中でも主への信仰を持ち続けていました。
聖書の中で主に用いられる器はこのような苦しみと孤独を経験します。祈っても手応えがないように感じます。その様な中で、自我が砕かれ、自分自身の肉の性質の死を経験します。それでもなお、主に信頼し続ける器を主は今も探しておられます。
・善を望んでいたのに悪が来た:24-31節
人であっても助けるのに、神様はなぜ助けてくださらないのかと訴えます。自分は苦しんでいるのに、神様は苦しまないのかと言っています。神よりも自分の義を優先しているヨブの姿が見え隠れしています
ヨブは善を望んだのに悪が来て、光を待ち望んだのに暗やみが来たと言います。今の結果はヨブの期待と大きくかけ離れていました。
依然としてヨブは肉体の苦痛、家族との別れの悲しみ、先の見えない人生に打ちひしがれています。まるでただ、死を待つのみのような状態です。
イエス様も十字架で同じような、いや、それ以上の苦しみを受けられました。死にまでも従った父への従順の姿を見ることができます。私たちも主が備えてくださった十字架の道を、イエス様と共に歩みましょう。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。