聖書通読クラブ Day 154

聖書通読クラブ Day 154【ヨブ記 31章~33章】

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シャローム!

みなさんは神様からの語りかけを受け取っているでしょうか?それはどのようなものでしょうか?神様はいつ、どのようなときに何を語ってくださいましたか?その語られたことをみことばから吟味しましたか?
神様は必ずみことばから語れます。そして、多くの場合、シンプルに語られます。
心に響いた声がすべて神様からのものであるとは限りません。必ずみことばの確認が必要です。そのために、私たちは毎日みことばを朗読しています。
今日もみことばから知恵そのものであられる聖霊様に教えていただきましょう。

今日の通読箇所:ヨブ記 31章~33章

■アウトライン

エリフの登場

●ヨブの格言:31章
  ・ただひとりの神:1-15節
  ・上なる神を否まない:16-28節
  ・隣人に施す:20-28節
  ・敵に対する親切:29-40節
●エリフの怒り:32章
  ・年長者が知恵深いわけではない:1-14節
  ・ことばにあふれている:15-22節

●エリフの主張:33章
  ・エリフの言い分:1-11節
  ・たましいを贖う方:12-28節
  ・いのちの光:29-33節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【31章】ヨブの格言

・ただひとりの神:1-15節
ヨブはここから、自分の義について語っていきます。全部で12項目あるのですが、それを見つけることができるでしょうか?この箇所では性的な誘惑に関して、嘘をつくこと、むさぼり、姦淫の罪、しもべやはしための扱いです。
まずはヨブは「自分の目と契約を結んだ」とあります。人は見た目に左右される生き物です。目から入ってくる情報は人の行動に影響を与えます。例えば、断食しているときにラーメンを見ると無性に食べたくなったりします。
イエス様も「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです」(マタイ5:29)と言われています。
何を見るかが大切です。といっても、見ないようにしているものがアクシデントで目に飛び込んでくることもあるでしょう。その時はどうしたら良いのでしょうか。イエス様の血潮を宣言して祈ります。それからその場から速やかに立ち去ります。未練を持ってもう一度それを見るという心が良くない心です。
続いては潔白に関してです。つまり嘘に関してです。以前にも触れましたが、嘘は神様の性質ではありません。嘘は物事を隠す傾向にあります。そして、嘘つきのトップはサタンです。彼は偽りの父です。どんな小さな嘘もそれは嘘に違いありません。たとえ自分が不利になることがあっても、正直さを優先していきましょう。
7節からはむさぼりです。「心が目にしたがって歩む」とあります。ここに自制は働いていません。本能で動く獣のようです。コロサイ3:5には「このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです」とあります。
9節からは姦淫です。「隣の門で待ち伏せする」とは、意図的に他の人と待ち合わせをするということです。その様な事をする人は12節に「滅びの縁まで焼き尽くす火」と書かれています。厳しいことです。
かつて、日本も姦淫に関して厳しい国だったことを読んだことがあります。姦淫を犯した者は額に入れ墨をされ生活しなければなりませんでした。誰が見ても「あの人は姦淫の人だ」とわかり、隠すことができません。
今の私たちにはそのような事は行われませんが、霊の目で見れば同じ事が起こっているかもしれません。みことばで定められていますし、世間一般でもこのような道ならぬ事はしてはいけません。
13節からはしもべ、はしために関してです。彼らは人間ですが、人として扱われないような身分の低い者でした。しかし、ヨブは彼らを尊重し、人格を重んじて話しています。
イエス様も罪の奴隷であった私たちの所にまでへりくだって来てくださり、私たちを贖ってくださいました。

・上なる神を否まない:16-28節
続いては寄るべのない人に対する助けです。もし立場の弱い人を助けなかったら、その場で手と腕が肩から落ちるようにと言っています。
この時代としてはあり得ないことです。今の福祉が充実している現代でも、これほどまでに慈悲の心を持った者がいったいどれ程いるでしょうか。
ヨブは社会の仕組みに対して文句を言うこともせず、政治や王に対して不満を言うこともせず、自分にできる事を淡々と行いました。ローマ12:18には「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」とあります。
社会は変えることができません。しかし、自分は変えることができます。世界の変革は私の内から起こります。

・隣人に施す:20-28節
24節からは富の誘惑についてです。そして26節からは天体を拝むこと、すなわち偶像礼拝が書かれています。富と偶像礼拝は密接に関係しています。
イエス様も神に仕えるか富に仕えるかといわれています。この富は「マモン」と書かれています。マモンとは偶像です。偶像とは心の中にある人々の欲望が形となったものです。お金は正に偶像になり得ます。お金は金属や紙(木が原料)からできています。
世界的な偉大な器が道から外れてしまう二大要素は異性問題とお金の問題でしょう。

・敵に対する親切:29-40節
続いては敵に対する憎しみに関してです。自分に対して悪を行った者がひどい目に遭ったのを見ても、それを喜んではならないということです。箴言24:17-18も見てみましょう。
31節からは訪ねてきた人のお世話に関して書かれています。イスラエルでは旅人をもてなす文化があります。その起源はアブラハムを訪ねてきた御使いの箇所によります。もしかしたら、自分の家を訪ねてきた人が救い主かもしれないという信仰が未だに残っています。(彼らはまだ救い主が来ていないと思っています)
33節からは罪を隠すことが書かれています。アダムは罪を犯し、最初にしたことが茂みに隠れることでした。罪の性質は隠すことです。
異端などのグループは「ここだけの話、これが社会の闇の力です」とか「国家は一部の人によって支配されています。絶対に人には言わないでくださいね」などと、情報を限定したがる傾向があります。
事を隠すのは神の誉れです。人が事を隠すのであれば、それは人が神に成り代わっていることにならないでしょうか。
いつでも誰にでも弁明できるよう、また、明るみに出せるよう、私たちは昼間の子として歩んでいきたいものです。
35節からは、この事がヨブにとって決定的な事となります。ヨブはここで神様よりも自分が正しいとしてしまいました。この一点で今までの良い行いがすべてむだになってしまいます。暴走するヨブを友人たちはもう止めることができません。
そして最後は38節から、土地の搾取です。ヨブは大地主だったので、土地を自由にする権利がありましたが、それを行使しなかったのです。土地が産出したものも手を着けませんでした。そうして、ヨブのことばは終わります。

【32章】エリフの怒り

・年長者が知恵深いわけではない:1-14節
今まで話していた三人の友人は、ヨブに完全に論破されました。ヨブに対して何も言えなくなりました。
そこで、一体今までどこにいたのかと思うほど、突然エリフという人物が登場します。今まで黙っていたエリフが一気にヨブに対して語ります。彼は年が若いと書かれています。エリフはヨブと三人の友人に怒りを燃やしています。何に対して怒りを燃やしているのでしょうか。6節から見てみましょう。
まずは、彼らが知恵ある回答ができなかったことに対してです。通常、年と共に知識や経験は増えていくと考えられますが、必ずしもそうでもないようです。前にもお伝えしましたが、若くてもわきまえのある人もいますし、年を経ていてもちょっと考えさせられるような人もいます。最近では「老害」とも言われています。
エリフは年配の友人たちに向かって「主がなんとかしてくださると言ってごまかさないでください!」と言うようなことを言っています。確かに、私たちの生活でも「主がなんとかしてくださいます」で事を片付けられることがあります。確かにその通りなのですが、私たちも成すべき事があります。全部を全部主にお任せし、自分は何もしないというのは考え物です。

・ことばにあふれている:15-22節
エリフは自制の実を働かせて、じっと忍耐していましたが、ついに耐えられなくなりました。今まで聞いていたやりとりを自分なりに精励していました。そのうち、神様からの思いで心がいっぱいになります。21節からは、エリフはへつらわないと言っています。これは大切なことです。へりくだりとへつらいは似て非なるものです。へつらう人は人の顔色を見て、自分の態度をコロコロ変えます。その目的は人に気に入られ、自分が得をしたいという心です。
しかし、へりくだることは自分が損をするように思えることが多い者です。へりくだりはみことばに従うことです。神の前にへりくだりましょう。

【33章】エリフの主張

・エリフの言い分:1-11節
今度はエリフはヨブに語りかけます。これから語ることばは神から者であることを強調しています。
エリフは散々自分を高めておきながら、5節ではヨブと同じ、粘土から造られた同じ人であることを語ります。ヨブを安心させようとしているのでしょうか。言い訳をする道を備えてあげてるのでしょうか。ヨブは正論を突きつけ、友人たちに逃げ道を与えていませんでしたが、エリフはヨブに対してこのように逃げ道を用意しています。
今まで友人たちがヨブを責めてきた中心はヨブ自身にありました。しかし、エリフは10節にあるように、神様に焦点を当てています。
ヨブに起こっている出来事、今までの行いではなく、ヨブが神を正しくないと考えていることが問題だと感じています。
これは非常に重要な事です。見分けの賜物でしょう。私たちは問題があるとパニックになったり、なんとかしたいと考えます。その時に敷こうがうまく働かないのは、物事を一緒に考えようとしすぎているからです。数学の授業で習った因数分解を思い出してみてください。これ以上わけられないほどに問題を細分化し、その最も根本をひとつひとつ解決していくときに、問題は解決していきます。エリフはヨブの問題の根源をそのように見いだしたのかもしれません。

・たましいを贖う方:12-28節
ここが正にエリフの答えのキモです。神は人よりも偉大です。しかしヨブは神よりも自分の方が正しいと考えていました。
そして、ヨブが神様が応えてくださらないことで神と言い争っていると指摘します。
14節からを見てみましょう。神様からの語りかけとは何でしょうか。みなさんは神様からの語りかけをどのように受け取っていますか?
大前提として、神様はみことばの中からしか語られないということを覚えておきましょう。極端な話、たとえば「神様が語られたので私は銀行強盗をしました。そのお金で貧しい人たちを助けるようにと主が言われるのです。」と言う人がいたら、みなさんはどうしますか?ここに混ざり物があるのがわかりますか?貧しい人たちを助けることは正しいです。しかし、盗みはいけません。神様は罪を犯すことを語られることはありません。
また、「神様に語られました」と言う人がいて「どのように語られたのですか」と聞くと、「夢の中で神様が語ってくださいました。」と言う人がいます。これは正しいかもしれませんが、そうでない場合があります。夢には神様からの良い夢、悪い警告の夢、そしてサタンからの良い夢(誘惑の夢)、悪い夢があります。しかし、私たちは次の夢が最も多いのではないかと思います。それは「くだらない夢」です。確かに主は様々な器に夢の中で語られていますが、だからといって私たちが見る夢が100%神様からの者であるとは限りません。
時にはメッセージ性の強い夢を見ることがあるでしょう。その時には必ず、みことばからの確認を取りましょう。それが私たちの守りとなります。
そのほか、現象や人を通してなど、神様は様々な方法で私たちに語りかけてくださいます。しかし残念なのは私たちがそれに気がつくことができないと言うことです。神様からの声に敏感になることができるように、神様の声を聞く耳を与えていただきましょう。羊は羊飼いの声を聞き分けるのです。
19節からを見ると、痛みさえも神様からの語りかけだとエリフは言っています。確かに、痛みを通して神への悲痛な祈りが湧き上がってきます。
23-24節では、代言者が語れています。全能の主とちりに過ぎない私たちの間の隔たりは埋めることができないほどです。ですから仲介者、代言者が必要です。そのお方はイエス様です。
そしてエリフはヨブに対して預言します。癒やしを宣言します。それはその通りになっていきます。ここで私たちが気づくのは、エリフは「ヨブには義がない」と責めていないことです。

・いのちの光:29-33節
神様は二度も三度も悔い改める機会を与えてくださると言っています。確かに、イエス様に罪の赦しを何度まで可能かと質問したら「七の七十倍」と答えられました。すなわち、何度でもです。私たちは失敗します。そのたびにイエス様のところに行くことができることを感謝します。
このような若いですが知恵と忍耐の賜物を持ったエリフですが、彼も神ではありません。明日以降読み進めていくのですが、エリフはヨブにも友人たちにも語る隙を与えません。
ついには嵐がやってくるのですが、その嵐を用いても話し続けます。しかし、それは主が来られる合図でした。エリフは自分の事を語ることに熱心になりすぎていて、主からのメッセージを逃してしまいました。
私たちは神様に対して、あまりにも「あれしてください」「これしてください」と語り続けているのではないでしょうか。神様は私たちの便利屋ではありません。主は私たちの主です。
このお方が語れる時間を設けましょう。それが沈黙の時です。みことばを朗読し、手を上げ「アーメン。アーメン。」と言ってひれ伏す、その沈黙の中で主は語りかけてくださいます。みことばから語られる主の声を聞いていきましょう。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 聖書通読をしているうちに、ひれ伏して礼拝したくなりました。
    でも膝が悪くて、膝をつけません。

    だから気持ちだけと思っていたのですが、どうしてもひれ伏したくなって、膝を付けたら、膝が曲がらない・・分かってはいたのですが、やはりそうだったのです。傷みがあったので、立ち上がろうとしたのですが、立ち上がれず、やっぱりそうだったと現実を実感しました。

    4年くらい前までは正座できていたのに、いつの間にかできなくなり、ずっと正座をしたことはなかったのですが、調子の良い時はもしかしたら、正座できそうな気がすると思えるのです。しかし、無理でした。

    立ち上がる時に、携挙か、再臨の時には、「私は膝をかがめて礼拝できるようになるかな」と思わず口からこぼれた時、「できるようになるよ」と聞こえました。

    え?誰もいないはずだけと、と思いながらも、主がこんな風に私に復活の体の希望を実感させてくださいました。

    復活の体ってものすごいなと感動しました。
    こんな気持ちは、膝が悪くなったから味わえたのだ思います。

    主は、私の心を壊さないように、優しく語ってくださいます。
    私も主のような心優しい品性に造り替えられていきたいと思った瞬間でした。

    すみません。いつも、なにげに自慢話になっています。
    でも 心から感謝します。

    今腰の痛い人はいますか?
    痛いとこがある方は・・・
    もちろんここを読まれている方はご存じでしょうけれど、

    神様のみ心なら、この地上でも癒されますが・・・

    復活の体をいただいた時には、完全に癒されるのですよね。

    ハレルヤ 希望があります。 感謝します。アーメン。

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