シャローム!
聖さは神様のご性質です。神様が聖なるお方ですから、私たちは聖い生活を送る必要があります。ところがこの地上で聖さを保つことは困難を極めます。
聖さを守ることはとても大変ですが、聖さを失ってしまうのは一瞬です。
ですから私たちは目を覚まして、いつも聖霊様に導いて頂く必要があります。
今日もみことばから教えていただきましょう。
今日の通読箇所:レビ記19章~21章
■アウトライン
聖い生活
●行動全般の聖潔:19章
・神への恐れ:1-8節
・隣人への愛:9-18節
・所有物:19-25節
・異教的行為の排除:26-31節
・老人、在留異国人への配慮:32-34節
・正しいはかり:35-37節
●厳しい刑罰:20章
・偶像礼拝に対して:1-9節
・不法な性関係に関して:10-21節
・異教的風習に関して:22-27節
●祭司の聖別:21章
・聖である祭司:1-9節
・大祭司への注意:10-15節
・祭司の肉体的条件:16-24節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【19章】行動全般の聖潔
この章では十戒を生活レベルへ具体的に適応したことが書かれています。繰り返し「わたしは主である」ということばを目にしますが、これは「神様は創造主であられ、私たちは造られた者である」という主従の関係を明確にしていることです。私たちを創造された方の指示に従うことが最も安全です。
神様が聖だから私たちも聖となるひつようがあります。なぜなら、私たちは神様の姿、神様のかたちなのですから。
最初に出てくるのは父母を敬うことです。十戒は前半が神に対して、後半が人に対しての戒めだと言われます。
この父母を敬うことは第5番目の戒めですが、上の分類からいくとこれは神に関することになります。
目に見える一番身近な権威者である父母に従うことができなければ、神様に従うことが難しいからではないかと思われます。
神様の代理者である父母を敬うことが神様の聖さを現す具体的な方法です。エペソ6:2を見てみましょう。
同時に安息日を守ることの大切さが書かれています。
すべての戒めは大切ですが、父母を敬うことと安息日を守ることが、私たちが聖くあるための最大の務めです。
そして、この大切なことを子どもによく教え込まなければなりません。安息日は神様を礼拝する日ですが、同時に子どもに神様と親の大切さを教える教育の日でもあります。
4節では偶像に関してです。この言葉の意味は「無い、むなしい、虚無」と言う意味です。いのちのあふれる神様から何も無い空っぽのものに心を移してはいけません。偶像は人が作り出した虚無のイメージが形となったものです。
5節はただしい方法で和解のいけにえを捧げることが書かれています。すでにその方法は示されました。主に従う忠実さが求められます。
9節からは人への愛と配慮に関して書かれています。みことばは、こんな具体的な事まで書いてくれています。感謝ですね。
まずは収穫に関して、全部を取り尽くさないことが書かれています。このことで助かった人物がルツですね。
私たちは自分の与えられている領域ですべてを取り尽くしていませんか?それをあえて誰かのために残しておくという心の余裕はあるでしょうか?自分中心になっていないでしょうか?
与える心は神様の心です。私もこの箇所でとても考えさせられ、祈りに導かれました。まず私が悔い改め、神様の心を行いたいと思います。
11-12節はうそについてです。偽り、うそをつくのは誰の性質でしょうか?創世記3章に立ち返ってみましょう。
一度うそをついたり、隠し事をしたりすると、うそにうそを重ね、いつも言い訳ばかりし、結局は自分を苦しめることになります。正直さが神の聖さを保つ秘訣です。
13-14節も非常に具体的な事が書かれています。
15節を読んで、ヤコブ2:1-4を読んでみましょう。
16節の中傷という言葉の原語は興味深いものです。ラキールというこの言葉は「商品(レクラー)」と同じ類の言葉です。同時に「足(レゲル)」という意味もあります。
つまり、中傷とは話を商品のようにあちこちに運び歩くことという意味があります。
また、ユダヤ文化の中では中傷、悪口は偶像礼拝や殺人よりも恐ろしいといわれているそうです。なぜなら、「悪口を言う者、言われる者、聞くものの三者を一度に殺すから」と言われているそうです。考えさせられますね。
17節、一国の崩壊も実は兄弟間や親子間の分裂からはじまったりするものです。テモテへの手紙第一5:8を思わされます。
18節後半、これは新約聖書での唯一の戒めです。
前半では復讐と恨みが出てきます。復讐は「あなたがしたように私もする」ということで、恨みは「私はあなたのようにはしませんよ」ということです。
19節からは所有物に関して書かれています。家畜や穀物、糸などを混じり合わせることが禁止されています。神様が造られたものを人が乱してはならないということでしょうか。
23節からは興味深いことが書かれています。新しい地での収穫は3年は割礼のないものとされます。一人前では無いと言うことです。4年目はまず主に捧げられます。主への賛美のささげものです。ヘブル13:15を思い出させます。
26節からは異教行為に関してです。特にまじない、卜占(ぼくせん)について見てみましょう。
まじないとは「吉凶のしるしで何かを判断したり、縁起を担ぐこと、一日のはじめや終わりの出来事を善し悪しを基準とすること」です。
卜占は雲の形やひび割れの形で一日を占ったり、日や季節に吉凶をつけ、旅行や商売に転用することです。
占い大国の日本では気をつけなければいけません。
28節29節、いずれも汚れについてです。入れ墨やタトゥーはかっこいいように見えるかもしれませんが、神様がくださった体を傷つけることにつながります。また、多くの場合、異教の神とつながっていることもあります。
29節は特に今の日本の現実かもしれません。日本を覚え、悔い改めて祈ります。
30節31節、誰を恐れるかが大切です。誰に心を明け渡しているでしょうか。心は主にだけ明け渡す必要があります。
32節、人生の先輩である年配の方を敬う必要があります。大切な人格教育です。
33-34節も非常に公平な立場が書かれています。ひとりの人としてすべての人を尊重することは大切です。
35-36節、公平さが大切です。計る基準がしっかりしていなければなりません。私たちを計るのはみことばだけです。
【20章】厳しい刑罰
子どもでも、何度でも警告して従えなければお叱りを受けることがあります。それは子どもが憎いのでは無く、愛しているからです。
しかし、ここで書かれていることは本当に厳しい処罰になります。神様が神様であることに恐れを覚えます。
1-5節はモレクに子どもを捧げる事に対してです。その者は石で撃ち殺されます。
6節は霊媒や口寄せ、つまり占い師のような者です。「彼らを慕って淫行」と書かれています。霊的な淫行であり、偶像礼拝と性的な乱れが密接な関係にあることを覚えます。
7節には「自分自身を聖別する」とあります。ここに書かれている処罰を受けないためにも、主の御教えを知り、それに従うことが大切です。
9節、恐ろしい事が書かれています。
10節からは性的な乱れに対する刑罰です。自制を働かせず、自分の欲望を優先させる者は獣と同じです。18章の内容と重複するので、見返してみましょう。
22節からは預言的に彼らが導き入れられる土地での事が語られています。彼らの風習をまねてはいけません。
【21章】祭司の聖別
ここからは祭司に関してです。神様と人との間に立つ祭司は特に聖さを守る必要があります。
1節からは死者との接触を避ける事が書かれていますが、例外もあります。2節が例外です。
5節の「頭をそる」とは、悲しみの表現です。
8節からはイスラエルの民に対して語られています。
10節、ここは大切です。大祭司に禁じられていることがありますが、それは何でしょうか?
「大祭司は服を引き裂いたりしてはいけない」と書いていないでしょうか?では、マルコ14:63を見てみてください。大祭司が自分の衣を引き裂いています。これは明らかな律法違反です。しかも、律法を一番守らなければならない大祭司がこのことをしています。
これはどうしてかわかるでしょうか?この時の大祭司は本当の大祭司では無かったからです。政治的に利用された雇われ大祭司です。ですからこのような細かい規定を知らず、律法違反をしてしまったのでしょう。また、彼の動機は自分の保身であり、神の御子を罪に定めるというとんでもないことを行ってしまいました。
しかし、この大祭司は私の姿であるかもしれません。聖霊様の助けが必要です。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
21:21 祭司アロンの子孫のうち、身に欠陥のある者はだれも、【主】への食物のささげ物を献げようと近寄ってはならない。彼の身には欠陥があるから、神のパンを献げるために近寄ってはならない。
21:22 しかし神のパンは、最も聖なるものであっても、聖なるものであっても食べることが許される。
ここを読んですべての奉仕を止めようかと思ったことがありました。
身に欠陥のあるものは近づいてはならない。
近づいてはならない者とは・・・
これは私のことです。
なんと、これを知ることが高慢な私に、
いかに苦しい学科であることか・・
しかし、主の哀れみによって、聖霊様により、
日々教えてくださり、
養ってくださることを感謝いたします。
ヨハ
16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。
16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。
16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
16:11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
この世を支配する者がすでに正しく裁かれたので、惑わされず
恐れることなく真実な主に信頼できることを感謝します。
私は・・足の萎えた者で・・・
耳も聞こえない・・・
頭は悪いし・・・
性格も悪い・・・
冗談じゃなく・・・”(-“”-)”
私は欠陥だらけです。
ただ、キリストだけが身も心にも欠陥のないお方で、
彼のパン(体)がささげられたことで神は満足されたのですね。
欠陥があって、祭司の務めができない私ですが、
神のパンは聖なるものであっても、
この最も聖なるものを食べることができることは、
全くの恵みです。感謝します。
務めができない者であっても、聖なる物を食べることがゆるされ
日々の糧をキリストによって供給され、餓死に至らず
霊的に回復があることを感謝します。
み言葉によって養われることを感謝します。
律法では、欠陥のある不完全なものは祭司の務めを禁じるけれど、
恵は私にも日々の食物を与え、主イエスの血を飲み、パンを食べることを赦され、養ってくださることを感謝いたします。
イエス様なしでは命をつなぐことができない者であることを
日々自覚して、主イエスの血潮によって、
祈りとみ言葉の朗読に親しむことができますように。
どうぞ憐み、主イエスから離れることがないように、
主イエスから目を離すことがありませんように
守り導いてください。
信仰の創始者であり、
完成者であられる主イエスのお名前によってお祈りします
アーメン