シャローム!
今日でついにエゼキエル書の通読が終わります。長かったですが、今の時代にとても重要な書簡であると感じました。
エゼキエルは預言を通して、行動を通して、主が主であるということを訴えました。しかし、人々は聞かず、その結果エルサレムは崩壊します。しかし、主はそこから回復してくださり、最後は民を礼拝を中心としてひとつにしてくださっています。
これが私たちが目指す姿です。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること。その本質を今日もみことばから教えていただきましょう。
今日の通読箇所:エゼキエル書 46章-48章
■アウトライン
●ささげ物:46章
・東向きの門:1-8節
・例祭の日の一般の人々:9-10節
・祭りと例祭のいけにえ:11-12節
・毎日のささげもの:13-15節
・君主の相続地:16-18節
・西の隅の場所:19-20節
・庭の四隅:21-24節
●神殿から出るいのちの水:47章
・神殿の水:1-2節
・川の水ですべてが生きる:3-12節
・相続地の境界線:13-23節
●ひとつとなる:48章
・奉納地:1-12節
・レビ部族の分:13-14節
・残りの地所:15-20節
・聖なる奉納地:21-22節
・残りの部族:23-29節
・主はここにおられる:30-35節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【46章】ささげ物
・東向きの門:1-8節
前章では過越の祭が書かれていましたが、ここでは安息日、新月の祭に君主と民が共に主に向かって礼拝をささげている姿があります。
正面玄関である東の門は普段は閉じられますが、安息日、新月の祭の時は開かれます。
また、安息日には傷のない小羊と雄羊です。一方、新月の祭は傷のない雄牛と子羊、雄羊になっています。
君主は玄関から入り、玄関から出て行きます。
・例祭の日の一般の人々:9-10節
一般の人々は北の門から入った者は南の門から出、南の門から入った者は北の門から出ます。同じ門から出入りしてはならなくなっています。
君主も民と共に入り、共に出て行きます。
・祭りと例祭のいけにえ:11-12節
ここでは穀物のささげ物がかかれています。君主が進んでささげるささげものをささげる場合は東向きの門が開けられ彼が出て行くと門は閉じられます。
・毎日のささげもの:13-15節
祭司たちが毎日捧げるものです。このようにして、毎朝決められたものが主に献げられます。
・君主の相続地:16-18節
君主の息子たちに相続が与えられています。キリストの子とは誰でしょうか。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
かつて、アブラハムは相続をイサクのみに与え、他の子たちには贈り物をしました。そのように、神の子には特別な相続があります。
・西の隅の場所:19-20節
西の隅の部屋に一つの場所があります。それは祭司たちがいけにえを料理して食べる所です。
・庭の四隅:21-24節
宮で奉仕している人は庭の四隅の仕切られた庭で食事をします。
食事は主との大切な交わりです。過越の祭は食事を囲んで進められる祭りです。主も詩篇23篇で、敵の前で食事を整えて下さるとあります。イエス様も弟子たちと食事をし、復活後も食事をされました。黙示録のラオデキヤの教会には、共に食事をすると言ってくださっています。いつの日か、天で主と共に食事ができることを感謝します。
【47章】神殿から出るいのちの水
・神殿の水:1-2節
この箇所はエゼキエル書のまとめのような、フィナーレのような箇所となります。神殿から水が流れ出ます。
この水はエルサレムの町を通って東西に流れます。西は地中海にまで達します。しかし、ここでは東の流れに注目しています。東とは何を意味しているのでしょうか。
幕屋や神殿は西側に至聖所があります。主はその場所から東側を見ておられます。かつて、アダムとエバはエデンの東から追放されました。カインも東へと追放されました。主は東側を向いて彼らを待っておられるのかも知れません。つまり、悔い改めた者が帰って来るのを待っている放蕩息子の父のようなものでしょうか。
また、再臨されたイエス様も東の門から入ってこられます。そして、エルサレムから見て東の果てには何があるでしょうか。日本の宮崎県です。主はいつも東の果て、日本を見てくださっていることを感謝します。
・川の水ですべてが生きる:3-12節
この神殿から流れる川を測ると、進むごとに深みを増しています。エルサレムのすぐ東には死海があります。いのちの存在しない死の海です。どうしてその様になるかと言えば、地上で最も海抜が低い場所ですので、水が流れ込む一方で出て行くことがありません。それで長年、水は流れ込んでは蒸発を続けることで、塩分濃度が非常に高くなるので、湖には生命は存在することができなくなっています。
その死海に神殿からの水が注ぐと、なんとすべてが生きるとあります。死海はかつてはソドムとゴモラでした。そこの人たちの不品行と不従順から、主はその地を滅ぼされました。しかし、神殿からのいのちの水、すなわち主の御口から出るみことばです。このいのちのみことばの水が注ぐなら、すべての者が生きるのです。
・相続地の境界線:13-23節
モーセはかつて、イスラエルの民が約束の地に入るときに十二部族に割り当て地を指定しました。それに基づいた物になっていますが、少しの違いがあるようです。
民数記34章の割り当て地では、ガドとルベンとマナセの半部族はヨルダン川の東側にありましたが、ここではすべての部族がヨルダン川を渡った所にいます。彼らはかつて、約束の地に入る前にヨルダン川東部を見てとても牧草に適していると考えました。彼らはヨルダン川を渡らないけれども、イスラエルと一緒に戦うと約束したので、東側に相続地を得ました。
しかし、主は彼らを忘れておられず、最後に同じ場所に相続地を得られるようにして下さいました。
在留異国人もそこにいると言うだけでイスラエルの相続に預かることができています。在留異国人は意思を持って留まっています。つまり、神の約束に留まる異邦人はこの祝福にあずかることができると信じます。
【48章】ひとつとなる
・奉納地:1-12節
北から南に向けて、十二部族の相続地が割り当てられています。その中心はユダ部族になっています。この部族からメシヤが出ると預言されているからです。
また、レビ人の土地もあります。イスラエル人が迷い出た時に一緒に迷い出たレビ人とは、おそらくエリの祭司の息子ではないかと思います。
・レビ部族の分:13-14節
レビ人として自分たちが聖なる者とされているにもかかわらず、与えられている賜物を主のために使わず、自分のために使ってしまうことがあります。それが土地を手放すということです。そのような事はあってはなりません。
・残りの地所:15-20節
聖なる奉納地の南が、民の住む所です。その周囲には放牧地があります。畑もあります。町全体を見ると、正方形になっています。この土地と聖なる方の内、レビ人の土地をあわせても正方形になります。天からおりてくる新しいエルサレムも正方形でできた立方体です。
・聖なる奉納地:21-22節
この正方形の土地の左右は君主の土地です。つまり、人々の生活の場は君主の土地にサンドイッチされたような形になっています。そして、その中心は神殿です。君主の中心はいつも礼拝なのです。
・残りの部族:23-29節
このようにして、かつて北イスラエルの十部族がユダとベニヤミンと共に一つになっている姿があります。主はこのように兄弟たちをひとつにして下さいます。エゼキエル37章には、ふたつの杖が一つにされる幻がありました。全ての分裂は主を礼拝することで一つとされます。
・主はここにおられる:30-35節
東西南北にそれぞれ三部族の名が付けられています。荒野の宿営でもこのような形がとられていました。
また、黙示録に出てくる新しいエルサレムでも都には十二部族の名がつけられています。土台には十二使徒の名がつけられています。イスラエルと教会が新しいひとりの人として描かれています。
そして、主はそのような町の名を「主はここにおられる」と名付けられます。ヤハウェ・シャマという主の御名のひとつです。これがエゼキエル全体のテーマです。かつて主のご臨在があった所、人々の罪のゆえにご臨在が去られましたが、再び戻ってこられました。その実として、兄弟たちが礼拝を中心にひとつとされています。
「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」詩篇133編
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。