シャローム!
みことばはどこまでも真実です。イザヤ書を読むとき、本当にそのような思いにさせられます。
今日の箇所は、明確なメシヤ預言が語られています。これほどはっきりとイエス様を啓示している箇所があるでしょうか。実は、この後にもいくつか出てくるのですが、イザヤ書は顕著にイエス様をはっきりと示している箇所が多くあります。
すべてのみことばはイエス様を指し示していますが、とくにわかりやすいイザヤ書から、イエス様を見いだしていってみましょう。
今日の通読箇所:イザヤ書 7章〜9章
■アウトライン
●アハズへの預言:7章(1-25節)
●軽んじられる御教え:8章
・マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため:1-8節
・わななけ:9-10節
・さまたげの石とつまづきの岩:11-15節
・あかしをたばねよ:16節
・夜明けがない:17-22節
●暗やみに輝く光:9章
・大きな光:1-5節
・ひとりのみどりご:6-7節
・主がヤコブに送ったひとつのことば:8-12節
・万軍の主を求めなかった:13-17節
・悪は火のように燃えさかる:18-21節
(1)通読のために心を整える
心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。
(2)通読
今日の通読箇所をまず音読しましょう。
(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す
コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。
(4)コラムを読む
コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。
■コラム
【7章】アハズへの預言:7章(1-25節)
ユダの王、アハズの時代の事が書かれています。アハズはどのような王だったでしょうか。歴代誌第二28:1-4に書かれているので開いてみてください。主の御前に出て行くことを拒んだ王でした。
主は預言者としての召命を受けたイザヤに語られます。「出かけて行って、アハズに会いなさい」と。会う場所は上の池の水道の端です。これはエルサレム郊外にあるギホンの泉からエルサレムに流れている水道の事です。この後、ヒゼキヤ王によってここに地下トンネルを掘り、シロアムの池に流れるようにしました。
そこにイザヤひとりではなく、おさない子を連れて行きます。「シェアル・ヤシュブ」という名前です。「残りの者は立ち返る」という名前です。
そこでアハズに言います。「二つの木切れの煙る燃えさし」とは二つの国です。アラムとレマルヤの子が共謀して悪を企てていますが、主は「そのことは起こらないし、ありえない。」と仰せられます。私たちもこの主のことばが必要です。
人は心配する9割は実際に起こらないことだそうです。それでも「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」と思い煩ってしまいます。これは人の防衛本能ですが、それが行き過ぎると心配になります。心配は主を信頼していないと言うことです。
しかも、たちが悪いことに心配はループして増幅していきます。心配が心配を呼びます。そして、何も起こっていないのにすでにそれが起こったかのように錯覚してしまいます。ある意味信仰があります。
ですから、様々な事が頭をループし始めたら、自分に言いましょう。「そのことは起こらないし、ありえない!」と。みことばは力があります。
10節から、主は再びアハズに告げられます。しるしを求めよと言っていますが、アハズは「求めません」と言います。また、「主を試みません」と言っています。主を試みてはならないとありますので、良いことを行っているように思えますが、これは神様と関係を持ちませんと言う意味です。
その様な主に抵抗するアハズに主はあえて「主からしるしを求めよ」と言われます。これは主の憐れみです。今でも、主を知ろうと知らない人にも、主は近づき、御手を伸ばしておられます。
13節からを見ると、今まではアハズに対して言っていたことが、ここからはダビデの家に語られています。王がかたくなになり、主を求めようとしないので、主は半ば強引な手段をとられます。それが14節です。処女が男の子を産み、その名がインマヌエルと名付けられると言うことです。この当時は何を言っているのか、全く理解できなかったでしょう。どのようにして処女がみごもるのでしょうか。これほど明確にイエス様の誕生を預言している箇所はないほど明確なメシヤ預言です。神の御子の名、救い主のお名前は「インマヌエル(主は共におられる)」です。
15節からはインマヌエルなる方の特長が書かれているように思えますが、これはイザヤの子、シェアル・ヤシュブのことです。
18節から、その日、アッシリヤに合図して、ユダの町を隅々まで倒していきます。
土地が荒廃し、作物も育たず、家畜が非常に少なくなります。主に従わないことは恐ろしい結果をもたらします。
【8章】軽んじられる御教え
・マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため:1-8節
主はイザヤに語りかけられます。一つの板を取り、そこに「マヘル・シャラル・ハシュ・バズのため」と書くことを仰せられています。女預言者とはイザヤの妻です。その子の名前がマヘル・シャラル・ハシュ・バズです。
この名前を書き板に書くのは、イエス様の時代、バプテスマのヨハネが誕生するとき、祭司ザカリヤが書き板を持ってこさせ「名はヨハネ」と書いたことを思い起こさせます。
このマヘル・シャラル・ハシュ・バズとはどういう意味でしょうか。直訳では「早い、略奪、急いで、戦利」と言う意味です。アッシリヤがダマスコとサマリヤの分捕り物を素早く持ち去ることを啓示した名前です。
5節からはシロアハの水、つまりギホンのことが書かれています。この水はダビデにとって非常に重要なものでした。それをないがしろにしたと書かれています。
つまり、ダビデの神に拠り頼むことをせず、アッシリヤの王に頼り二つの国が倒れたことを喜んでいるのです。
しかし、その喜びもつかの間、その流れはユダ全体に流れ込んできます。
主の御座から流れる水を大切に尊んでいるでしょうか。それは最初小さな流れかもしれませんが、やがて大河のようになります。主に信頼しましょう。
・わななけ:9-10節
くりかえい「わななけ」と書かれています。10節の最後の「神が、私たちと共におられるからだ」というのはインマヌエルです。
つまり、どんなに力があるものでも、このお方には太刀打ちできないのです。
・さまたげの石とつまづきの岩:11-15節
ここで、主はイザヤを戒められます。イザヤはウジヤ王に頼っていました。くちびるが汚れていました。そのような弱さがあるので、主はみんなが謀反というのに乗せられて謀反と言うなと戒められています。民衆の流れに飲まれないようにと言われています。
私たち日本人は特に「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という文化があります。(赤信号は決して渡ってはいけません)多くの人の意見に合わせておけば、なんとなくその場はしのげます。
しかし、聖書の考えは世の中と真逆のことがあります。民衆の流れに飲まれないようにしなければなりません。だからといって、イエス様を知らない人にみことばをもってさばいたり、何かを強制するのは間違っています。すべては愛が土台です。
14節をみると、そうするなら主が聖所となられると書かれています。しかし、主を恐れない者にとって、主は妨げの石、つまづきの岩となります。それは、未信者に取ってではなく、エルサレムの住民にとってそのようになります。イエス様を信じていながら、この世の考え方を選び取る時、人はつまづいてしまいます。
・あかしをたばねよ:16節
このあかしをたばねよと仰せられています。みことばを心に蓄え、主の良くしてくださったことを何一つ忘れないことが大切です。これはだれに封じられるのでしょうか。弟子たちの心のうちです。主を信じ、主に従い、このお方の仰せを喜んで聞く者に対して語られています。
・夜明けがない:17-22節
イザヤの決意があります。それは主を待つと言うことです。そして、このお方に望みをかけると書かれています。まだ見ない出来事を主のゆえにすでに起こったように受け取って告白しています。確信があります。これが信仰です。
イザヤに与えられた「シェアル・ヤシュブ(残りの者は立ち返る)」と「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(早い、略奪、急いで、戦利)」という二人の子、そして不思議によってまもなく行われることを示されました。
19節からは、人々が霊的なことを尋ねてくるときの注意が書かれています。多くの人は占いや霊媒師に尋ねろと行ってくるかもしれませんが、それらは統計学や心理学からできたものです。私たちが尋ねなければならないのは私たちを創造された主です。
みなさんは霊媒や占いはしないのは当然だと思いますが、それでもみことばからではない「いいことば」などを大切にしていないでしょうか。また、「変わらなくていいんだよ。ありのままでいいんだよ」ということばを受け入れてしまっていないでしょうか。もちろん、救いに預かるときにはこのことばは有効です。しかし、信じた私たちはそうではありません。水の洗い、血の聖め、御霊の更新によって日々新しくされ続ける必要があります。
ときにみことばは私たちの心をえぐり取ります。しかし、みことばは神であります。どんなに受け入れがたいみことばに出会ったとしても、それを信じ、受け入れ、従えるように主に求めていきましょう。
【9章】暗やみに輝く光
・大きな光:1-5節
苦しみの中で私たちは失望しそうになります。すべての頼りにしていたものが取り去られたその時、本当の光が輝くときです。
イエス様は、約300年ほど、預言者もおらず、細々と信仰を種火のように保つ暗黒期を経験しました。すべてが終わり、このまま信仰の火が消えてしまうのではないかと思われたその時、強烈な光がベツレヘムで輝きました。まことの救い主がお生まれになったのです。
ここではそのことが預言されています。ガリラヤはイエス様が育たれた場所です。そして、宣教をされることでイザヤの預言を成就させていきます。
イエス様の宣教によって喜びが町中に広がります。
・ひとりのみどりご:6-7節
この箇所は明確なメシヤ預言です。この部分をイエス様を思いながら何度も朗読してみましょう。この預言は成就しました。
・主がヤコブに送ったひとつのことば:8-12節
北イスラエルに主は語られました。その内容は高ぶっていると言うことです。
レツィンとは、北イスラエルと一緒になってユダを襲おうとしたシリヤの王です。ところが共にアッシリヤに倒されました。
このように、自分たちで何とかしようという計画はうまくいかず、自分を傷つけることになります。自分のいのちを救おうと思うものはそれを失い、主のために自分のいのちを失う者は永遠のいのちを得ます。そのような主に従わない者にも、御怒りは去らず、なおも御手は伸ばされています。
・万軍の主を求めなかった:13-17節
それにも関わらず、民は主に立ち返らず、主を求めません。そこで主は頭、つまり政治的な指導者や尾、つまり預言者もただ一日で切り取られます。指導者は迷わし、民も迷わされています。イエス様が言われた、盲人が盲人の手引きをするようです。
・悪は火のように燃えさかる:18-21節
その様な者に、悪は火のように燃え上がります。イスラエルは外敵によって襲われます。
非常に恐ろしいことですが、20節の事がイスラエルで起こりました。あまりの貧困に人を食べるのです。考えるだけで吐き気がします。
しかし、私たちも霊的にそのことをしていることを知っているでしょうか。ガラテヤ5:15「もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。」律法を全うする「隣人を愛しなさい」を守れない者です。
牧者が、教師が、リーダーがみことばをみことばとして教えないなら、信徒は飢えてしまい、互いに食い合うのです。
御霊に枯渇している人は、満たされている人に向かって噛みついてきます。すべての人がキリストの愛に満たされますように。
(5)ノートに記す
文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
・【祈り】実行できるように祈りましょう。
(6)祈り
実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。
(7)分かち合う
ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。
主は共におられることを感謝します。
みことばを信じ受け入れ従えるように祈ります。