聖書通読クラブ Day 203

聖書通読クラブ Day 203【イザヤ書 1章〜3章】

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シャローム!

今日からイザヤ書を読み進めます。イザヤ書は新約聖書で最も多くの引用がなされている書簡です。そして、聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻、足して66巻の書物から構成されています。イザヤ書も66章からなっており、小さな聖書とも呼ばれたりします。
この預言の書はイザヤによって書かれてました。イザヤという名前は「救いはヤハウェなる神のもの」という意味です。ですから、イザヤ書全体が救済の計画が書かれている書簡になります。
イザヤは啓示の中でエルサレムがアッシリアから救われるのは主の御手によることだということを悟ります。イザヤはバビロンに捕囚されますが、その時にペルシャのクロス王がバビロンを倒し、イスラエルの民を帰還させるということも体験します。
イザヤはこの預言書のなかで、数多く救い主、つまりイエス・キリストを色濃く啓示している文章を残します。それだけではなく、この救い主が再び来られ、この地を新しくし、新天新地で主と共に永遠い生きることでこの書簡は終わります。ともにイザヤの預言を通して、主の救いのご計画を教えていただきましょう。

今日の通読箇所:イザヤ書 1章〜3章

■アウトライン

●礼拝を嫌われる主:1章
 ・イザヤのまぼろし:1-3節
 ・残されたシオンの娘:4-9節
 ・いけにえにあきる主:10-12節
 ・耐えられない主:13-20節
 ・遊女になった都:21-23節
 ・忠信な都:24-26節
 ・悔い改める者:27節
 ・主を捨てる者:28-31節

●神に立ち返る:2章
 ・エルサレムから主のことばが出る:1-4節
 ・来たれヤコブの家よ:5節
 ・ヤコブの家を捨てられた:6-9節
 ・威光の輝きを避ける:10-11節
 ・万軍の主の日:12-18節
 ・主が立ち上がる:19-22節

●頼りとしていたものが取りのけられる:3章
 ・ささえとたよりを除かれる:1-3節
 ・私たちの首領になってくれ:4-7節
 ・わざわいあれ:8-12節
 ・論争するために立ち上がる主:13-15節
 ・もろもろの飾りを除かれる:16-26節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】礼拝を嫌われる主

・イザヤのまぼろし:1-3節
イザヤがいた時代が書かれています。列王記第二15章~21章、歴代誌第二26章~33章までを読んでみましょう。
2節からをみると、天地を呼び、主の語られた事を告げています。その内容は主が創造され、育ててくださった民が反逆しているということです。家畜も主に従っていました。従わないのは人だけです。罪の性質です。彼らは宗教的な儀式を習慣的に行っていましたが、主との生きた関係はありませんでした。毎週日曜日に教会に来るだけ来て、あとは好き勝手に生きている人のようです。

・残されたシオンの娘:4-9節
この4節は他人事でしょうか?いいえ。私の中にある性質です。誰も自分が主に反逆しているとは考えたくありません。ですから、「〇〇のせい」というふうに、責任転嫁をしたくなります。アダムとエバの性質です。私たちは生まれながらのままであったなら、主に反逆する性質があることを覚えましょう。
この反逆が病につながる事が書かれています。主に従うなら、私たちの心も体も健やかさを得ることができます。主は私たちがそのような状態でいることを願っておられます。問題は私たちにあります。
7節からは、一人の人からイスラエルに主語が変わります。主に従わないから国が荒れ果てているというのです。そのような中で、シオンの娘が残されたと書かれています。これがイザヤ書の特徴の一つです。「残された民(レムナント)」です。主はいつも従わない国や民族を打ちますが、その中で主に従うわずかな者を残されます。ノアと家族、ロト、ギデオンの戦いの時の300人の戦士、他にもたくさんあります。私たちも残された民となることを信じます。なぜそれが大切なのでしょうか。9節を見ましょう。もし、私たちが祈らなかったらこの国はソドムのようになります。不法は働いていますが、それを食い止める者たちもいます。それが私たちであることを信じます。

・耐えられない主:13-20節
私たちは賛美や祈りを主にささげます。そのときはもちろん、主が喜んで受け取ってくださると信じてささげています。ところが、主はいけにえやささげものを嫌われ、礼拝を憎まれると言うことがあると書かれています。疲れ果てるとまで言われています。もしも、私たちが形だけの礼拝を主に献げているなら、このような事が起こります。礼拝で大切なのは、物質的なものをささげる以上に心をささげることです。物質の量ではありません。その証拠に、イエス様は献金箱にレプタ銅貨二枚を投げ入れる女性に目を留め、称賛されました。持っているすべて、彼女の心をささげたからです。
続けて主は16節から具体的な指針を告げられます。「洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ」と書かれています。私たちが主に喜ばれる礼拝をささげる重要なステップです。まず自分の中から汚れを取り除くことです。例えば、部屋をきれいにしたいと思ってデコレーションしたくても、まず片付けなければなりません。内なる人の掃除をして、それから善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護する必要があります。
しかし、問題はこれを自分の力ではできないと言うことです。そこで主は18-20節の事を仰せられます。「来たれ、論じ合おう」と。主と語ること、それはみことばと向き合うことです。そのことを通してイエス様を見いだします。このお方を信じるなら、私たちの罪が緋のように赤くとも、雪のように白くされます。喜んで聞くなら良いものを食べ、聞かないなら剣にのまれてしまいます。

・遊女になった都:21-23節
公正な都が遊女となったと書かれています。ダビデの時代は公正な都でしたが、時と共に堕落し、他の神々を求める遊女のような国となってしまいました。
主との関係がなくなってしまったら、今まで価値があったような物が薄められます。ゴミのようになってしまいます。混じり物になってしまいます。そして、不法の者がリーダーとなります。
私たちは霊的な遊女となっていないでしょうか。教会に、信仰生活に人間的な考えを混ぜていないでしょうか?イエス様だけを信頼していきましょう。

・忠信な都:24-26節
主は憐れみ深いお方です。主に敵対する者に復讐してくださるお方です。この当時はお金があれば裁判を有利に運ぶことができました。つまり、お金のないやもめや孤児は不利になり、不当な裁判を受けていました。主はそのような弱い者を助けてくださいます。
主は敵対する者に復讐されますが、滅ぼし尽くされることをされません。再び手を伸ばし、かなかすを灰汁のように溶かし、浮きカスを除いてくださいます。不正な裁判官をこのようにして下さいます。そして、国を正し、正義の町、忠信な都と呼ばれるようにして下さいます。私たちはどのようにすればこの恵みに預かることができるのでしょうか。自分の義に立つのではなく、神の義に立つのです。つまり、みことばを毎日私たちの内にとりいれることです。主こそ正義です。

・悔い改める者:27節
主に耳を傾ける者が悔い改めることができます。主の正義を知らずして、どうして正しい道に戻れるでしょうか。悔い改める者は正義によって贖われます。

・主を捨てる者:28-31節
イスラエルの民は主に愛されています。だからといって自動的に永遠のいのちが与えられるわけではありません。中には神のみことばを聞かず、悔い改めない者もいました。偶像礼拝者です。その結果、滅びがやってきます。29節で樫の木が出てきますが、ここで偶像礼拝が行われていたようです。その儀式の中に不品行が含まれており、そこで予期せず与えられたいのちをほふるというひどいことを行っていました。いくらイスラエルの民であっても、悔い改めずこのような行いをしている者は滅ぼされてしまいます。

【2章】神に立ち返る

・エルサレムから主のことばが出る:1-4節
ここから4章まで、イザヤは終わりの日、終末のまぼろしを見ます。終わりの日にはすべての国々がそこに流れてくるとあります。黙示録の中でも、全世界の民が集められています。何のために集められているのでしょうか。それは主の御声を聞くためです。シオンから御教えが出、エルサレムから主のことばが出ます。そのことばによってさばかれ、その結果平和が訪れます。二度と戦いの事を学ばない時がきます。

・来たれヤコブの家よ:5節
主はヤコブの家を呼び寄せられます。「私たちも主の光に歩もう」と。イエス様を信じる私たちにも同様の呼びかけが成されていると信じます。

・ヤコブの家を捨てられた:6-9節
先ほどの呼びかけとは裏腹に、この時の現状が書かれています。東方からの卜者が満ちています。混血によって外国人の子らが増えています。また、金銀、軍事力で満ちています。つまり、彼らはこの世の物で満ち、神様を必要としていませんでした。これがつまり高ぶりです。神様を必要としない歩みは高ぶる者の歩みです。その結果どうなるでしょうか。9節のように、低いアイデンティティーを持つようになります。神以外のものを求めれば求めるほど、神様から遠く離されてしまいます。

・威光の輝きを避ける:10-11節
先ほどまではイザヤが生きていた時の事を語っていましたが、ここで再び終末の事が語られています。
ただ主だけが高められ、威光の輝きをさけるために岩の間に入れと書かれています。私たちの救いの岩はイエス様です。イエス様の贖いの間に入る者は滅びを免れます。しかし、「その日」つまり、主が定めた最終的なさばきの日、高ぶる者は低くされ、高慢な者はかがめられます。
この箇所は黙示録6章12-17節にある、第六の封印が解かれた所で引用されています。

・万軍の主の日:12-18節
ここには、この当時、高められていたものが書かれています。人の手によってつくられたものもありますし、自然もあります。このようなものを、主はことごとくなくされ、これらに頼る者を低くされます。そして、主お一人だけが高められていきます。

・主が立ち上がる:19-22節
主が立ち上がられています。主がその日に行動を起こされるのです。なぜなら、ヘブル書には、主が永遠の大祭司として天の幕屋に入られ、そこの御座に着座されたことが書かれています。その主が立ち上がられました。それを見て、神を恐れない者はおじ惑い、隠れています。
そして、人々はその日、拝むために造った偽りの神々を捨てます。主があまりにも恐ろしいからです。このような方法をとってまでも、主はイスラエルに悔い改めをする機会を与えてくださっています。
そして、22節、イザヤ書に貫かれているテーマです。人をたよりにするのではなく、主を頼りとすることです。

【3章】頼りとしていたものが取りのけられる

・ささえと頼りを除かれる:1-3節
主は2章の最後で「人にたよるな」と仰せられました。そして、実際に彼らが頼っていたいくつもの物が取り除かれていきます。まずは食料と水です。日本は災害大国なので、災害のたびにライフラインが寸断します。そのことで苦労された方もおられるのではないかと思います。
そのほかにも自分を守ってくれると思っていた勇士や戦士、さばきつかさ、預言者、占い師や長老などが取り除かれます。みなさんなら、このようにすべてが取り除かれたときに何に頼りますか?

・私たちの首領になってくれ:4-7節
ここまでしても彼らは神様に頼ろうとせず、人に頼ることを求めます。誰もリーダーになってくれないので、若くきまぐれな者に治めさせます。
はたしてこれがユダの国で起こりました。レハブアムの所に重税を軽くして欲しいとの願う者たちが来ました。長老の意見は「彼らの訴えの通りにしてやりなさい」でしたが、若い助言者は「もっと重税を取るべきだ」と言いました。その結果、分裂が起こってしまったのです。

・わざわいあれ:8-12節
ここにすべての災いの根源が書かれています。舌と行いのそむきです。罪を隠そうともせず、彼らの顔つきもそのことを現しています。
何か物事が起こっても、それを自分の事としてとらえず、人のせいや環境のせいにしてしまう人がいます。また、主に対して非難したり、無視したりする人もいます。
彼らは心の深い部分では自分が悪いと知っているのでしょうが、神様に従うことができません。顔に表れてしまいます。彼らは悔い改めないのではなく、悔い改めることができないのです。
11節には、厳しいことばが書かれています。しかし、これは主の愛でもあります。最後の最後まで、主は悔い改めるチャンスを下さっています。主に悔い改めることができる者が義人です。

・論争するために立ち上がる主:13-15節
主が立ち上がられたのは論争するためであり、民をさばくためでもありました。主ご自身が長老たち、民のつかさたちとさばきの座に入られます。彼らがきちんと自分の仕事を全うしていなかったからです。民を虐げていた彼らに主の叱責が与えられます。指導者やリーダーは民を苦しめるためではなく、彼らに仕え、助けるために存在します。

・もろもろの飾りを除かれる:16-26節
イザヤは彼らの高ぶりをこのように女性にたとえます。高ぶり、色目を使って性的に誘惑します。着飾っている物を見せびらかせます。神から離れ、人や人の作った物に依存しています。そして、やがては誘惑するだけでなく、自分に酔います。しかし、それらはどうなると次に書かれているでしょうか。
18節からはあらゆる飾り物が、また持ち物が取り除かれています。その中にはお守りも入っています。私たちも知らず知らずにこれらの物を身にまとっているかもしれません。
そして、良い香りは腐ったにおいとなります。髪ははげ頭となります。女性にとってはこれ以上ない屈辱です。さらに、焼け傷と書かれていますが、これはどれに押される焼き印です。
25節からをみると、男たちが戦いで倒れています。そして、女性が残されます。つまり、シオンが寂れ、廃れることが表現されています。実際、紀元前586年にこのことが成就しました。人に信頼するなら、このような滅びがやってきます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 私の罪が緋のように赤くても、雪のように白くしてくださるイェス様に感謝します。
    人を頼らず主を頼ることができるように祈ります。

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