聖書通読クラブ Day 151

聖書通読クラブ Day 151【ヨブ記 22章~24章】

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シャローム!

聖書の中の何人もの礼拝者が同じ悩みを持っていることに気づくときがあります。そのうちの一つが、神を信じ、正しく生きている礼拝者は苦しみを受け、神を知らず、自分勝手なことをしている者は幸せそうで、どんどん栄えていくと言うことです。
みなさんもそのような思いになったことはありませんか?これは世の中の価値基準から見た出来事です。
イエス様はどのようにしてくださったでしょうか。ヤコブ2:5にはこのように書かれています。「よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」
また、このようにも書かれています。
2コリント8:9にはこのように書かれています。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
礼拝者が後ろに下げられるように感じるのは、イエス様と同じ道を歩ませてくださっている証拠だと思います。
私たちの周りには納得できない、矛盾に満ちたことが多いでしょう。しかし、それらもすべて主の御手の中にあり、ご計画があります。主は来たる日にさばいてくださいます。それまでは私たちは先走ったさばきをしないように気をつけましょう。

今日もみことばから教えていただきましょう。

今日の通読箇所:ヨブ記 22章~24章

■アウトライン

人生の矛盾

●エリファズの答え:22章
  ・あなたの不義ははてしない:1-20節
  ・神はへりくだる者を救われる:21-30節

●ヨブの答え:23章
  ・御座にまで行きたい:1-7節
  ・神は私を調べられる:8-17節

●ヨブの答え:24章
  ・暗黒の恐怖と親しい:1-17節
  ・よみは罪を犯した者を奪う:18-20節
  ・神が彼に安全をあたえる:21-25節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【22章】エリファズの答え

・あなたの不義ははてしない:1-20節
ここから、友人たちのヨブへのことばが三周目に入ります。まずはいつも通り、エリファズからです。
彼は回数を増すごとに語調が強くなっているように感じます。「あなたの道は潔白でもそれが何の益になるのか」と言っています。
エリファズの言っていることは確かに正しいです。しかし、神様は正しく歩む者に良いものを拒まれないお方です。確かに私たちは神様の役に立つことなんて無いかもしれません。しかし、それであっても主は私たちを愛し、私たちに強い関心を持ってくださっています。
4-5節はヨブの願いでした。さばきの座に入って神様と論じ合いたかったのです。しかしエリファズはそんなことはむだであり、ヨブの罪が大きいから神から苦しめられているという最初からの彼の意見を変えようとはしていません。
6節から、エリファズの様子がおかしくなります。今までは自分の体験や神学から話していましたが、ここでは明らかに事実ではないことを言っています。
私たちもこのようなことを行ってしまうことはないでしょうか。自分の意見を通すために虚無の事実を本当であるかのように言ってしまうことです。それを繰り返すなら、嘘の事実か本当の事かわからなくなってしまうこともあります。
悪意があったしてもなかったとしても、事実でないことを言うことは嘘です。みことばには何と書かれているでしょうか。「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、心理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。」(ヨハネ8:44)
私たちが嘘を言うとき、私たちは悪魔の子になってしまっています。自分の主張、意見を通すために嘘をつくか、恥をかいてでも自分の間違いを認め、真理に立つか、どちらを選び取りたいですか。
続けてエリファズはヨブを悪者と決めつけて話しています。ヨブのことばを取り上げて、それをあざ笑うかのように結局悪者が滅びるのだという結論で終わらせています。

・神はへりくだる者を救われる:21-30節
その上、エリファズはヨブに悔い改めを迫ります。確かに悔い改めは大切ですが「悔いあたらめろ」と言われて悔い改めるのは本当の悔い改めには至らないでしょう。むしろ神様の愛と憐れみを知り、自分は神に赦された者なんだと言うことを本当に知ったとき、真の悔い改めに導かれます。
23節からを見ると、エリファズは悔い改めのしるしとして金を川の小石の間に置けと言います。エリファズの主張はヨブは富によって人々を虐げたから、富で償えと言うようなことです。
もし、そのような事ができたなら26節のような事があると語っています。ここに書かれていることはその通りです。しかし、私たちは知っています。イエス様を信じる者は値無しにこれらのことにあずかることができることを。神様に呼ばれ、私たちが最も大切にしているものを主に献げ、イエス様を自分の救い主として受け入れるとき、この約束は成就していきます。

【23章】ヨブの答え

・御座にまで行きたい:1-7節
ヨブは一つ前の答え、ツォファルとの会話の中で苦しみの中で購い主を見ました。そこからヨブの答えが代わっています。攻撃するような口調は見られなくなり、落ち着いたことばで返答しています。
そして、ここでも御座に行き、主と語りたいと言っています。しかし、この時には難しい事でした。ヤコブは夢の中で天に届くはしごを見て、そこをベテルと名付けました。しかし、御座に引き上げられたわけではありません。旧約聖書の中ではエノクとエリヤしか生きたまま天に引き上げられた人はいないのです。
今の恵みの時代にはこのような約束があります。「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かしーーあなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのですーーキリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ2:5-6)
イエス様の十字架の故に、この恵みにあずかることができますが、ヨブはまだ時が満ちていなかったのでこの恵みにあずかることができませんでした。
6節を見ると、ヨブの自己義に対する自身が見えます。神と討論しても自分の正しさを証明できるので、私はさばきを免れると言っています。

・神は私を調べられる:8-17節
ヨブはもがき、自分が前に言っても後ろに行っても、右に行っても左に行っても神様を見いだすことができないと言っています。しかし、神様はすべてをご存じであるとも言っています。この神様に全信頼を置いているのだから、自分はさばかれることはないと結論づけます。
私たちもこのような信仰が必要なときがあります。神様を求めても求めても感じることができない。本当に神様はおられるのかと思ってしまうことがあるなら、次のみことばを宣言しましょう。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、紙が折られることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
私たちの側で神様を感じることができなくても、理解できなくても、知ることができなくても、神様はおられるのだという信仰、また、このお方は報いてくださるのだという信仰を働かせましょう。
13節からを見ると、自分がいくら正しく生きても、神様には神様のご計画があって、その神のご計画の中で自分は苦しみを受けているのだと告白しています。その事を思って神の前でおびえ、死にたいと思っても死が自分から遠のいていくことを告白しています。

【24章】ヨブの答え

・暗黒の恐怖と親しい:1-17節
ヨブはすべての礼拝者が持つ葛藤を持っています。神を知る者たちにとって、神の正義がどうして行われないかということです。
神を知らない者は痛みに耐えることもなく楽しそうに過ごしているのに、今まで神にすべてをささげて生きてきたヨブは耐えがたい苦痛の中にいます。正義を行った者に主が正義で応えてくださらないのはなぜかを訴えます。2-4節はこの時代の悪が書かれています。地境を動かすというのは、決められた境界線を勝手に移動させることです。この時代に地境は石を置いて区切られた簡単なものでしたから、その石を運んで勝手に地境を移したという不正をここでつたえています。
以前聞いた話で、ある人が一日に数センチずつ、バス停を自分の家に近づけて行っていたそうです。しかし、あるときにバスの職員に気づかれ、元の位置に戻されたとのことです。不正はいつか明るみに出ます。
5-8節のような弱い立場の者、貧しい者の叫びに、神様は応えてくださっていないように思えると行っています。一方、そのような者から搾取する者にはおとがめがないことを言っています。
そのような者は暗やみの子であることを13節から語っています。ヨハネの福音書3:19-20にはこのように書かれています。「そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。」

・よみは罪を犯した者を奪う:18-20節
ヨブは義である神様が悪者に対してこのように行うと考えていました。しかし、実際はそのようにはなっていません。私たちもここで大きな悩みを持ちます。しかし、主の考えを完全に知り尽くすことはできません。

・神が彼に安全をあたえる:21-25節
不妊の女性ややもめという弱い立場の人々を食い物にしているような悪者がふつうに幸せそうに生きているということが会って欲しくないのですが、ここに書かれているようなことが現状だと言っています。
ここでヨブが言いたいのは、正しいヨブが苦しみを受け、悪者が幸せそうにしているという現実を見て、それだけでどうしてヨブが嘘を言っていると結論づけることができるのかと言うことです。
私たちの人生を見ても、矛盾することが山のようにあります。理解できないことが沢山あります。なぜすべてをささげて礼拝しているのに入院して苦しまなければならないのでしょうか。息子の指が失われてしまうのでしょうか。様々な困難に入れられるのでしょうか。
この事をいくら考えても答えを見いだせませんが、あるとき考えることをやめました。しかし、この現実から目をそらしたわけではありません。むしろ受け入れました。もしもこれらのことを無かったことのようにしてしまうなら、ヨブの三人の友人のように上っ面のことばだけになり、ついには嘘に嘘を重ねる生き方になるかもしれません。
身の回りに起こる矛盾する出来事に対して、現実から目を背けることをせず、勇気を持って正面からその出来事に向き合ってみましょう。主が共に射手くださいます。そして、その事を通してより深く主を知ることができるようになると信じます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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