聖書通読クラブ Day 144

聖書通読クラブ Day 144【ヨブ記 1章~3章】

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シャローム!

今日からヨブ記を読み進めていきます。42章の長い書物です。創世記に次いで古い書物です。多くの人はヨブ記が聖書通読の山場の一つだと言います。その理由は何だかわかるでしょうか?ヨブは一見信仰深く見えますが、彼の告白の中心は「私」です。神に信頼しているように見えて堅く自分を持っています。そしてなかなか神に降参しようとしません。その葛藤を見るから長く苦しい書簡に見えます。
しかし、それは私の姿です。
三人の友人との会話は哲学的に見え、自分自身も「神様とはどういう御方か」かを深く考えさせられます。自分の身に起こった不幸を背負いつつ、友人からも責められ、窮地に追い込まれる中でヨブはどのように神様に到達していくのでしょうか。

今日もみことばを朗読し、教えられていきましょう。

今日の通読箇所:ヨブ記 1章~3章

■アウトライン

義人

●重すぎる試練:1章
  ・ヨブと家族:1-5節
  ・サタンのパトロール:6-12節
  ・家族を奪われる:13-19節
  ・ヨブの信仰:20-22節

●度重なる試練:2章
  ・神とサタンの会話:1-6節
  ・腫物で打たれるヨブ:7-10節
  ・三人の友人:11-13節

●のろいと苦しみ:3章
  ・自分の生まれた日をのろう:1-10節
  ・死産を願う:11-19節
  ・死を超える苦しみ:20-23節
  ・かき乱される心:24-26節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【1章】重すぎる試練

・ヨブと家族:1-5節
ヨブが紹介されます。ウツの地の正確な場所はわかっていなそうですが、東の方にあったのではないかと言われています。
ヨブはどのような人物だったのでしょうか。1節にはどのように書かれていますか?4つのヨブの特徴をノートに書いてみましょう。
また、7人の息子がいます。彼らは持ち回りで家族の食事会を開いていました。家族の深い絆があるということを見ることができます。
ヨブは素晴らしい人物ですが、少し行き過ぎた事をしています。5節を見ると、ヨブは息子たちの罪のために彼らに変わって全焼のいけにえをささげています。これは少し過保護です。息子たちは自分で祝宴を開く能力があるのですから、彼らにいけにえをささげることを教え、進める方が正しいのではないかと思います。ヨブの「自分は正しいんだぞ」という信仰の一端を見ることができます。

・サタンのパトロール:6-12節
ここからは霊的な領域に話が移ります。人生には三つの坂があると言われています。上り坂、下り坂、そして「まさか」です。私たちの人生にはこの「まさか」がしばしば起こります。ですからもしもに備えて保険業界が栄えたりします。
私たちの考えを超えたような理不尽な出来事が起こったりますが、それは霊的な領域で起こっていることが原因です。神様を知らない人は自分に怒った理解不能なことを人のせいにしたり、先祖のせいにしたり、「たたり」だと言ったりするかもしれません。
しかしこれは実際には天で起こっていることなのです。その原因は様々です。自分の罪のせいかもしれません。もしくは私たちを成長させるための神様の方法かもしれません。
これらのことを、私たちは完全に理解できません。目に見えない霊の世界で起こっていることだからです。だから信仰が必要です。神様がすべてを治めておられ、守ってくださる。どんなことがあっても私を見捨てず見放されないと。
この信仰がなかったら、私たちは目の前に怒った出来事を良いか悪いかで判断してしまいます。それを超えた神様のいのちがあります。このいのちの木の実を選び取ることができますように。
そして、この箇所の興味深いところは、神様とサタンが会話をしていることです。神様とサタンとは交わりがないはずです。(2コリント14-15)しかし、天使たちの中にサタンが混じって来ています。サタンはもともと天使でした。しかし賛美を導く大天使のうちの一人が自分の麗しさに酔ってしまい、高ぶり、自分を神としようとしたために地に落とされました。
それ以降、天使はサタンとなり、天の三分の一の天使を連れて地に落とされました。そして空中、つまりこの地の支配者となりました。
これによって、天は地上の空、サタンが支配する空中、その上の天の御国の天と三種類の天があることがわかります。
そのサタンが神様の御前に来ています。それまで何をしていたかというと「地を行き巡っていた」とあります。リビングバイブルには「地をパトロールしていた」とあります。そうです。サタンは今も忠実に地をパトロールしているのです。何をパトロールしているのでしょうか。それは神の子が隙を見せていないか、神からどのようにして目をそらすことができるかを見回っています。サタンにとって未信者はそれほど脅威ではありません。サタンが目をつけているのは礼拝者です。8節からを見ると、興味深いことが書かれています。なんと主がヨブを名指しで指名し、「潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりもいない」と言われています。神に認められた義人です。神様はこのように、御心にかなった歩みをする者を誇ってくださいます。神に誇っていただく者となりましょう。
そこでサタンは神様に、「その様なヨブでも試練があれば神を呪う」と言っています。サタンは告発者です。
すると、驚くことに神様はサタンに「彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう」と言われます。神様がサタンに許可を与えています。このところから、神様とサタン、どちらが立場が上かわかりますか?すべてを治めておられるのは神様です。そして、神様は「彼の身に手を伸ばしてはならない」とも注意します。サタンであっても、神様の仰せられることに従わなければなりません。私たちの主はこのすべてを治めておられる神様です。

・家族を奪われる:13-19節
合法的に神様に許可を得たサタンはヨブの家族を打ちます。シェバ人とありますが、ソロモンを表敬訪問したシェバの女王の国です。
さらに、神の火が天から下り、若い者と家畜を焼き尽くしています。雷かなにかの事だと思われます。
続いてはカルデヤ人がらくだを遅い、若者を殺しました。
さらにさらに、子どもたちが家に集まって食事をしているときに大風が吹き、家が倒れてみんな死んでしまいました。
このような不幸が続くいたとき、みなさんならどうしますか?

・ヨブの信仰:20-22節
ヨブはそれらのことを聞いて、上着を引き裂きます。感情の表れです。そして頭をそった後、地にひれ伏して礼拝しています。そして、有名なみことばを残します。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
このような状況になっても、主を礼拝するという決断ができるヨブの信仰は素晴らしいものです。神様が誇ってくださるのも納得できます。しかし一方で、次の試練が起こったときと比較するとき、ヨブの薄情さの一端を見ることができるのではないでしょうか。
これらの試練を通して、多くの物を失いましたが、まだヨブ本人に直接災いがあったわけではありません。本当の意味の苦しみをまだ味わっていないのです。

【2章】度重なる試練

・神とサタンの会話:1-6節
再び、先ほどと同じ事が繰り返されています。今回はそれに加えて、先の試練でも神様を呪わなかったと、主はサタンを責めています。
するとサタンは、今度はいのちは奪うまではないですが、ヨブの肉体を打つことを神様に願います。
みなさんも経験があるでしょうか。体がつらいときには礼拝する事が難しくなります。疲れが礼拝を妨げてしまうことがあります。
ですから3ヨハネ2にあるように、「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」ということが必要になります。
主を礼拝するために自分の肉体の健康管理、快食、快眠、快便など、また睡眠時間の確保などを持って、霊、たましい、肉の健康を求めていきましょう。※行き過ぎた健康志向は神様に対する不信仰につながりますので気をつけましょう。

・腫物で打たれるヨブ:7-10節
サタンの申し出に主は「いのちには触れるな」という条件の下でヨブを打つことを許可されます。
そこでサタンはヨブを悪性の腫物で打ちます。出エジプトの腫物の災いと同じです。この後随所に出てきますが、その苦しみは相当のようです。土器で皮膚をかいたり、うじがわいたり、肉が腐り、骨が見えそうになったりしています。生きているのがつらいほどの肉体のとげです。
そのような姿を見て妻が言います。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」非常に辛辣なことばです。さすが妻です。しかし同時に、ヨブの本質をよくわかっています。この妻のアドバイス通り、ここでヨブが自分の誠実さを捨て、神の誠実さに立つことができたなら、ヨブ記はここで終了です。
創世記を見ると、女は男の助け手として創造されています。どうしようもない男を神様に代わって助けてくれるのが女性の特権です。
ヨブ記はこの妻のことばに至るための長い道のりになります。そしてヨブの葛藤は私たちの葛藤にもなります。ただし、神をのろってはいけません。それは肉体の死を超えた永遠の死に至ってしまうからです。また、もしかしたらこの一言は妻があまりに変わり果てた姿のヨブを見て、これ以上無い心配の心から発せられたことばかもしれません。
一方ヨブの視点から見ると、自分が大変なときに、一番大切な人から「神をのろって死ね」と言われています。傷口に塩を塗り込まれるようなとどめのことばです。
しかし、どのようなことばを妻からかけられたとしてもヨブは罪を犯すようなことを口にしませんでした。
ここに、夫婦げんかを防ぐ秘訣があるかもしれません。「ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」(1テモテ2:8)
男(漢と書いた方が良いかもしれません)は、黙って祈るのです。こういう愛の表現もあると言うことを覚えておきましょう。

・三人の友人:11-13節
ヨブ記の大半を占める、ヨブと対話する三人が登場します。テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダテ、ナアマ人ツォファルです。
エリファズは創世記36:4を見ると「アダがエサウにエリファズを産み」とあります。つまりこれはエドム人の名前です。
シュアハ人とは創世記25:2を見るとサラの死後、アブラハムの妻となった者からシュアハ人が生まれています。
この事からも、ヨブ記の舞台が創世記の時代、特に族長時代の頃の話であることがわかります。そして同時に彼らはヤハウェなる神への信仰を持っていた友人たちでした。
彼らはヨブの事を聞き、お見舞いにやってきますが、ヨブの変わり果てた姿を見てことばを失いました。その衝撃は一週間もことばを出せないほどでした。しかし、彼らはヨブと一緒にいたのです。
この事は非常に重要なことを私たちに教えます。私たちはことばだけで神様をつたえようとします。その事は非常に重要であります。しかし、ことばだけでなく、行いに於いても神様をつたえる必要があります。ただ一緒にいるだけですが、それは自分の貴重な時間をあいてのためにささげていることになります。私たちも経験したことはないでしょうか。何も話しかけないで欲しいのですが、同時に寂しさをも覚えることを。
ただいるだけ。それだけでも相手に愛を示すことができると言うことを覚えておきましょう。

【3章】のろいと苦しみ

・自分の生まれた日をのろう:1-10節
友人と共に過ごした長い沈黙を経て、ようやくヨブは口を開きます。それはどのようなことばだったでしょうか。自分の生まれた日をのろっています。ここでヨブの素晴らしいところは神様をのろっていないということです。ということは良く聞くメッセージでしょう。それはその通りです。しかし、ヨブを造った方はどなたでしょうか。神様です。つまり、自分をのろうと言うことはそれを造られた方をのろうことと等しいのです。
私たちも行き過ぎた自己卑下をしていないでしょうか。へりくだることと自分を嫌いになることは全く別物です。私たちはどこまでもみことばの前にへりくだる必要があります。それであれば、みことばは何と言ってるでしょうか。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛するのです。みことばの中に自分を愛すると言うことが含まれています。
ですから、自分をもっと認めてあげても良いのではないでしょうか。高ぶってはいけませんが、自分を慰め褒めてあげることも重要です。そのバランス感覚を主から教えていただきましょう。
2節からを見ると、ヨブがどのように自分の生まれた日をのろったかが書かれています。普通は、誕生日はお祝いされる日ですが、その全く逆のようです。しかし、私もかつてはこのような経験をしたことがあります。自分は生まれてこなかった方が良かったのではないかと悩んだ時期があります。(イエス様に出会う前の話です)しかし、それは嘘です。だまされてはいけません。神様の許可無しにこの地に生まれない者はいません。すべて神様の愛の中、使命を持ってこの地、この時代に生まれています。ですから、自分の出生をのろうことをやめましょう。これを感謝に変えていきましょう。

・死産を願う:11-19節
ヨブの思いはエスカレートしていきます。自分は死産になれば良かったのにと言っています。母が腹を痛め、苦しみを持って生み出してくれたことには触れず、自分の事しか考えていません。
もちろん、この時のヨブの状況を考えるとその様なことにまで思いを向けることは難しいかもしれませんが、これがヨブの本心です。結局自分の事しか考えていません。両親がいたからこそ生まれることができました。両親がいたからこそ子どもから大人になることができました。
自分が死産だったら良かったとは、そのような親の子に対する期待を裏切るような考えです。これは神様の願いではありません。両親を礼拝してはいけませんが、感謝の心は忘れないようにしましょう。
ちなみに、12節で「ひざが私を受けた」とありますが、これは当時の族長たちの間で行われていた、相続の子としての儀式です。創世記50:23にそのような表現があります。
16節からは、流産で自分が死んだ方が良かったと言っています。どうしてヨブはこのような思いに至ったかわかるでしょうか。
今まで自他共に、そして神様さえも認める義人でした。しかし、今の状況はそのような義人としての自分の理想からはるかにかけ離れているからです。
ヨブは見せかけの義人を義人と思っていました。しかし、本質は見た目ではなく、このような状況であってもなくても、自分に死んで神様にあって生きることです。

・死を超える苦しみ:20-23節
みなさんもこのヨブのような事を考えたことがないでしょうか。生きているより死んだ方が楽だと。それで自らのいのちを断ってしまう方もいます。悲しいことです。
しかし、ヨブは自死の思いがあったわけではありません。ヨブは「死を待ち望んでも、死は来ない」と言っています。死にたいと思っていますが、自分のいのちは神からのものであるから、自分でどうにかしてはいけないと言うことを知っていました。
みことばではありませんが「生きているだけでまるもうけ」ということばを見て吹き出したと共に考えさせられました。私たちも自分が死んだと思って行動するなら、なんでもできるのではないでしょうか。
入れ墨を入れている方が集まる世界で最も恐いのはドンではなく、下っ端の鉄砲玉だという話を聞いたことがあります。なぜなら、下っ端の人は親分のために自分のいのちを捨てる覚悟があるので、人が創造できないようなことをやらかす可能性があるからです。
もしかしたらこの記事を読まれる方の中に「死にたい」と言う思いがよぎる方がおられるかもしれません。本当に苦しいですね。大変ですね。私も思ったことがあるからわかります。しかし、その時こそ目を上に向けてください。すべてを失ったとしても、いのちがあればなんとかなります。
日本は社会保障が充実しているので、たとえすべてを失っても様々なサポートを受けることができます。人目を気にしていのちを失うくらいなら、古い自分に死んで生きる道を求めてください。生きるのです。生きて、生きて、主がもういいよと言われるまで生きるのです。
主がくださったこのいのちを大切にしましょう。主は今の試練の後に必ず大きな報いを用意してくださっています。

・かき乱される心:24-26節
ヨブは先の試練では耐えることができました。自分に直接関わらなかったからです。しかし、二度目の試練は自分自身が苦痛を味わうので苦しみました。それはヨブが最も恐れていたことであると書かれています。主はあえてその様な事をされるときがあります。それは、私たちが試練を通して練られ、キリストの身丈に達するためなのです。
ヨブのことばは強烈で読んでいても苦しいものです。しかし、同時になぜかほっとする部分もあります。どうしてかわかりますか?ヨブが偽ることなく、自分の本心を明かしているからです。
つらいときに「つらい」と言っているからです。私たちのまわりでも、明らかに助けが必要なのに、ひきつった笑顔で「大丈夫」と言っている人がいたら、私は心が張り裂けそうになってしまいます。「いやいや、大丈夫じゃないでしょう」と思ってしまいます。しかし、その様に言う人に何の助けもできず、手を伸ばすことができません。その人が本心を偽り、助けを必要としていないというメッセージを送っているからです。そういう人にはただ、祈ることしかできません。
だからといって、誰にでも本心を明らかにして良いわけではありません。主に対して本心を明らかにするのです。神様の前では何も隠すことができないからです。
主は私たちの不平、不満を黙って受け取ってくださいます。何も言わず、ずっと聞いてくださいます。そして、私たちが散々告白した後、主は「わたしはそのために十字架にかかったんだよ」と行ってくださるでしょう。
死の霊が私たちから離れ去れ去りますように。そして、永遠のいのちが日本中に満ちあふれていきますように。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. ヨブ記を読むことがいつも辛かったです。
    ヨブの姿が自分の姿だと分かりました。感謝します。

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