聖書通読クラブ Day 118

聖書通読クラブ Day 118【歴代誌 第一 19章~21章】

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シャローム!

ダビデはイスラエルの王となり、戦いを重ね勝利を得ます。しかし、心の内に高ぶりが隠れており、その高ぶりにサタンが付け入り、大きな罪を犯してしまいます。
その事を通して大きな痛みを覚えますが、ダビデは礼拝を選び取ります。
私たちもダビデに倣い、この行動ができるように祈り求めていきましょう。
今日もみことばを朗読し、主を求めていきましょう。

今日の通読箇所:歴代誌 第一 19章~21章

■アウトライン

犠牲を伴う礼拝

●アラムとの戦い:19章
  ・ハヌンの屈辱:1-5節
  ・アモン人とヨアブの戦い:6-15節
  ・アラムの敗北:16-19節

●ダビデの戦歴:20章
  ・労働させられるアモン人:1-3節
  ・強敵との戦い:4-8節

●誘惑の結果:21章
  ・サタンに誘い込まれるダビデ:1-6節
  ・神のみこころをそこなう王:7-13節
  ・疫病のさばき:14-17節
  ・オルナンの打ち場:18-27節
  ・主の使いの剣を恐れるダビデ:28-30節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【19章】アラムとの戦い

・ハヌンの屈辱:1-5節
イスラエルは西側は地中海ですので敵が攻めて来る心配はありませんでしたが、西側以外からは常に敵に攻められる恐れのある地形です。
ここではアモン人との戦いが出てきます。
特にこの箇所はナハシュという人が出てきますが、彼はアモン人の王です。彼はどのような人だったのでしょうか。1サムエル11を見ると、神の霊がサウルに下り、戦った相手でした。
彼はサウルの敵でしたが、ダビデはナハシュの子ハヌンに真実を尽くすと言っています。これはどういうことでしょうか。
おそらく、ダビデがサウルから逃亡しているときに、ダビデたちに対してナハシュは戦いを仕掛けず、手を出さなかったためだと考えられています。しかし、残念ながらナハシュの子ハヌンはダビデが送った使者に対して恥ずかしい思いをさせます。

・アモン人とヨアブの戦い:6-15節
アモン人はダビデが自分たちに対して憎しみを抱いたのを知りました。あれだけの事をしたのであれば当然です。
そこで恐れをなして彼らはお金を出して兵を集めます。
それに対してダビデはヨアブを送ります。しかし、ヨアブを待ち受けていたのは本陣のラバから出てくる兵だと思っていたら、その前にも兵がいました。彼らにとって計算外の出来事でした。
ヨアブは最善を尽くし、兄弟であるアブシャイの手に一部をの兵を託します。そしてヨアブはアラム、アブシャイがアモンに対して陣を敷きます。
さあ、この戦いはどうなるのでしょうか。14節を見るとヨアブの不戦勝です。どうしてそうなったかわかるでしょうか。
13節の最後を見ると、全力を尽くして主に委ねると書かれています。この事が大切です。私たちもこれを行う必要があります。
神様抜きで努力しても最善の結果は出ません。神様を信じていても何もしなければ結果は出ません。自分のできうる万全の準備を全力でして、なお神様により頼む姿勢が大切です。

・アラムの敗北:16-19節
アラムは一度ダビデに敗れています。しかし、今度はアモン人と一緒に戦うことでダビデを打ち破られると考えたのでしょう。結果は敗北、そしてダビデのしもべとされます。

【20章】ダビデの戦歴

・労働させられるアモン人:1-3節
当時のイスラエルの地域では戦の中にもルールがありました。冬は戦わないのです。天候によって足もとが悪くなるので、お互い冬は休戦するというのがルールでした。そしてイスラエルでは新年を迎えます。春です。すると再び開戦します。
ヨアブは昨年の戦いからさらに勢いを増してアモン人の地にとdぽめを指します。
完全制圧のしるしとして、アモン人の王の王冠を奪ってダビデの頭に被せます。
歴代誌だけを見ると、この話はさらっと流れているように思えますが、2サムエル記の同じ箇所には、1節と2節の間には、ダビデのバテシェバとの姦淫の罪があります。ウリヤの罪です。
なぜこの大切な話がここでごっそり抜けているのでしょうか。その真意はわかりませんが、歴代誌の書かれた目的がエルサレムに神殿が建てられる経緯を伝えることにあるので、まわりの敵に対してダビデが制圧したことを強調しているからかもしれません。

・強敵との戦い:4-8節
残された敵との戦いが書かれています。最後の強敵のような者たちです。ダビデが少年の時に倒したゴリヤテの兄弟も出てきますが、ヤイルの子エルハナンがあっさりと倒しています。
また、指が六本ずつある背の高い男たちはイスラエルをそしりますが、ダビデ軍にあっさり倒されます。
これにて、ダビデによってペリシテ人を完全に制圧しました。
私たちも内なる人に住むペリシテ人と戦いを続けています。倒しても倒しても様々な所に隠れているペリシテ人の性質が出てきます。みことばの光によってあぶり出されていきます。
その戦いに終わりが見えず、疲れることもあるかもしれませんが、この戦いは必ず終わりが来ます。主と共に立って、あきらめることなく最後まで戦い抜きましょう。

【21章】誘惑の結果

・サタンに誘い込まれるダビデ:1-6節
主はダビデに勝利に次ぐ勝利を与えてくださいます。その結果、イスラエルは今までにない平和の時代がやってきます。平和で安全な時代です。しかし、突如としてその時はやってきます。
ダビデは主を恐れる器でした。しかし、人間です。これだけ勝利が続けば、勘違いしてしまいます。ダビデはどこかで高ぶった思いがあったのでしょう。そこをサタンは見逃しません。ダビデに人口調査をさせるという誘惑をもたらします。
では人口調査がなぜ罪なのでしょうか。私はかつてこの事が大きな疑問でした。みなさんはなぜだかわかりますか?
人口調査とは国民の数を把握することです。この事は、王が自分の国の強さを知り、それを自分のものとして所有すると言う意味があります。このことが罪なのです。
しかし、一方で神様が「人口調査をしなさい」と言われている箇所があります。出エジプト30:12には「あなたがイスラエル人のため、人口調査をするとき、その登録にあたり、各人は自分自身の贖い金を主に納めなければならない。これは、彼らの登録によって、彼らにわざわいが起こらないためである。」とあります。
これは主が王の王であり、主の所有とされる民がどれだけいるかを把握するためでした。王が自分の力を知りたいと思うこととは違うことがわかるでしょうか。
私たちも一人ひとり様々な賜物が主から与えられているでしょう。それらを用いて、もっと主のために何かをしたいと願うかもしれません。それは素晴らしいことです。もっと賜物を磨き、祈り、みことばによって世の光として輝く必要があります。
しかし、私たちがあまりにも勝利を重ね、主を忘れてしまったなら、私たちにも同じとが起こるでしょう。
かつて天の御国で最も麗しい賛美を導いていた天使は高ぶり、神様によって地に落とされ、サタンとなりました。私たちにもその性質があることを覚えましょう。そして、それを認めつつ、その上にある神様の恵みにめを止め続けましょう。

・神のみこころをそこなう王:7-13節
この人口調査は、明らかにダビデの失態です。7節にははっきりと「神のみこころをそこなった」と書かれています。それでは、この事でダビデは神様と断絶してしまったのでしょうか。いいえ。神様はウリヤの罪以外は、ダビデを「良い」と見ています。私たちの目には明らかな失敗に見えますが、神様は私たちと違った目線で見ておられます。
本来であれば罰を受けるべき存在が赦される、これが神の恵みです。
8節でダビデは自分の罪を認め、神に立ち返っています。私たちも何かで失敗したときには、もちろんその失敗を繰り返さないように学ぶ必要がありますが、必要以上にクヨクヨすることはありません。誰でも失敗はします。その後、どう考え、どう行動するかが大切です。
ダビデはバテシェバの罪の時は誰の目にも明らかな罪を犯しました。それをナタンに指摘されて悔い改めました。ここでは目に見えない高ぶりの罪を犯しましたが、誰にも告げられる前に自ら神に立ち返っている姿があります。信仰の成熟の姿があります。
そこに先見者ガドがやってきて、三つの災いから一つを選べとの主からのメッセージが告げられます。どの選択をしてもつらい選択です。13節にダビデの正直な心が書かれています。たとえ神の御前に悔い改めたとしても、自分の犯した事に対する刈り取りはする必要があります。
しかし、神様はその中でも民を滅ぼし尽くさず、さばきの中にも憐れみをかけてくださっていることを覚えます。

・疫病のさばき:14-17節
主はダビデの人口調査の罪の刈り取りとして、疫病を送られました。ひとりの王の高ぶりがここまで甚大な影響を及ぼしてしまいます。
今までは疫病がもたらされると言っても私たちはピンとこなかったかもしれませんが、今ではその恐ろしさを身をもって体験しているでしょう。
主は御使いを遣わして滅ぼされようとされましたが、その様子をご覧になって「もう十分だ、あなたの手を引け」と仰せられます。自分の愛する子が苦しんでいる姿をこれ以上見たくないという神の愛です。
そしてダビデも、自分の民が滅びている姿を見て、自分の事以上に心を痛めたでしょう。

・オルナンの打ち場:18-27節
主は先見者ガドを通してエブス人のオルナンの打ち場に行き、そこで祭壇を築くように仰せられます。この場所は後に神殿が建設される場所となります。
オルナンは御使いを見ます。そしてその後にダビデがやってきます。ですから、神様が何をされようとしているか悟ったでしょう。ですからダビデが来たとき礼をして迎えます。
ダビデはオルナンに何を申し出たでしょうか。そして、オルナンは何と答えたでしょうか。
ダビデは心を痛めていました。ですから、犠牲を払ってその畑を買いたいと願い出ました。犠牲のない礼拝は意味がないことをダビデは知っていたのです。

・主の使いの剣を恐れるダビデ:28-30節
モーセの幕屋は荒野から約束の地に入り、しばらくはシロに滞在していました。その後ギブオンに移りました。しかし、そこでペリシテ人によって奪い去られていましたが、それを奪い返したのがダビデです。神の箱はエルサレムに持ってこられましたが、それ以外の幕屋の器具などはギブオンに置かれたままでした。
ダビデは神の使いの剣を恐れて主の前に出て行くことができませんでした。しかし、この後に続いていきます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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