聖書通読クラブ Day 111

聖書通読クラブ Day 111【列王記 第二 22章~25章】

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シャローム!

神様は愛と憐れみに溢れ、恵み豊かなお方です。しかし、時には無情にもご自分の選んだ国を粉々に破壊されるように見えるときがあります。
しかし、それは国を滅ぼすために引き抜かれるのではなく、建てるために引き抜かれているのです。
イエス様もぶどうの刈り込みでそのことを教えてくださっています。多くの実を結ぶために刈り込みをなさいます。
もし、私たちが倒されたり、何かを奪われているように感じるなら、それは次の時代に多くの実を結ぶ準備をされているのだと考えましょう。
神様のご計画は私たちの計画よりも遥かに高いものです。

それでは、今日もみことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:列王記 第二 22章~25章

■アウトライン

バビロン捕囚

●みことばの回復:22章
  ・ユダの王ヨシヤ:1-2節
  ・宮の破損を修理する:3-7節
  ・一つの書物:8-13節
  ・悔い改めに応えてくださる神:14-20節

●宗教改革:23章
  ・みことばの読み聞かせ:1-3節
  ・徹底した聖別:4-14節
  ・預言して呼ばわった主のことば通り:15-20節
  ・過越のいけにえ:20-23節
  ・すべてを尽くして律法に従う:24-25節
  ・怒りを静められない主:26-27節
  ・パロ・ネコ:28-30節
  ・ユダの王エホアハズ:31-35節
  ・ユダの王エホヤキム:36-37節

●バビロン捕囚:24章
  ・マナセの罪の刈り取り:1-7節
  ・エホヤキン:8-9節
  ・バビロンへ連れて行かれる:10-17節
  ・彼らを御前から投げ捨てる:18-20節

●残された者:25章
  ・ゼデキヤの虐殺:1-7節
  ・火で焼かれるエルサレム:8-12節
  ・破壊される主の宮:13-17節
  ・残った人の捕囚:18-21節
  ・残りの民のリーダー:22-24節
  ・殺されるゲダルヤ:25-26節
  ・エホヤキンへの好意:27-30節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【22章】みことばの回復

・ユダの王ヨシヤ:1-2節
ユダで最大の宗教改革家、ヨシヤ王が登場します。彼は何歳で王になったでしょうか。
彼はダビデの道に歩みました。それだけでなく右にも左にもそれませんでした。

・宮の破損を修理する:3-7節
神殿が補修されます。ここを読むと「あれ?前にこの箇所読んだ気がする?」と思わないでしょうか。それはイゼベルの娘アタルヤが不法に女王となり、ダビデ王朝の子たちを惨殺しましたがひとりヨシュアが残されていました。彼が7歳で王となり、宮の修繕を命令したときに読んだ箇所だと思います。

・一つの書物:8-13節
ここで、金銀よりも大切な宝物が発見されます。それは律法の書です。発見されたとあるのであれば、今までは失われていました。つまり、律法の基準がない世界でした。彼らは先祖の教えに従っていただけで、実際の本物の律法を読み、それにしたがっていたわけではないのです。これは歴史的、重大な発見です。
ちなみに、ここで発見された書物はなにかと調べた人がいるそうです。それによると申命記ではないかと言われています。なぜなら申命記に書かれていることをヨシヤ王がたくさん行っているからです。
しかし、私は思います。律法の書はひとつの巻物です。ですから、モーセ五書すべてが見つかったのではないかと。
私たちはイスラエルの民はいつも律法を読み、それをいのちをかけて守っていると思っているかもしれませんが、実は長い歴史の中、それほどこれを守っていなかったということを知ることができます。
この箇所を見ると、書記者ファンは大祭司から渡された書物を簡単な気持ちで「書物が見つかりましたよ」といって渡しているように感じます。この書物の重要性を認識していない印象があります。
みなさん、私たちも聖書をこのように扱っていないでしょうか?教会から帰って次の日曜日まで床に置かれたままで、その上に洗濯物が載せられたり、本棚にしまわれたままになっていないでしょうか?
聖書は持っているだけではただの本です。しかし、私たちが主を恐れつつ開き、朗読するならそれはいのちの書、この世の何よりも尊い宝となります。

・悔い改めに応えてくださる神:14-20節
そこでヨシヤ王は祭司を女預言者の所に遣わします。
女預言者フルダが語った事は、ヨシヤ王の考えと一致していました。主の怒りは下ります。
ヨシヤ王は神のメッセージを聞き、心から悔い改めました。今までは基準があいまいだったので何が正しく、何が間違っていたかわかりませんでした。
ところが律法の書が発見され、読み上げられることでしっかりとした基準がわかりました。その基準から自分たちがどれだけずれているかをはっきりと知らされ、ヨシヤ王は衣を裂いて泣いて悔い改めました。みことばの基準に戻りたいと切に願ったのです。これが悔い改めです。その結果、どうなったでしょうか。さばきの時が延ばされたのです。確かに主のさばきは下ります。しかし、その時はひとりの悔い改めによって伸ばされることがあると言うことがわかります。
イエス様は再びこの地を裁くために来られます。これは100%確実に言えることです。しかし、いつ来られるかは誰も知りません。
本当なら今すぐ来られても良いはずです。しかし、まだ来られていません。どうしてでしょうか?私は思います。ひとりでも多く永遠のいのちに入って欲しいという主の憐れみの期間ではないかと。
今は不法をとどめるものがあります。「不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き留める者があって、自分が取り除かれる時まで引き留めているのです。」(2テサロニケ2:7)これは教会であり、悔い改める者です。

【23章】宗教改革

・みことばの読み聞かせ:1-3節
ヨシヤは自分が生かされている間にユダがみことばの基準に立ち返ることができるよう尽力しました。
そのために、すべての人にこの基準を知って欲しいという願いで、律法の書を朗読します。
聖書を読み、説明し、理解できるまで助けるのが祭司、教師の役割です。ここが抜けている教会は、せっかく救われ多くの人が集ってもざるのように救われる人がどんどんといなくなってしまいます。教師は教会の後ろの扉であり、しんがりの役割です。
ヨシヤ王はまず自分と主との間に契約を結びました。その後に民が加わります。正に霊的リーダーの姿がここにあります。牧師の聖書朗読の量、祈りの時間以上に教会員は聖書も読めないし、祈れないでしょう。まず、リーダーが背中で、生き方で主との関係を示していく必要があります。すると教会員は自然とついてくるはずです。

・徹底した聖別:4-14節
さあ、ここから本格的な宗教改革が着手されていきます。その内容はどのような物でしょうか。ひとつひとつみことばを読み、確認してみましょう。ものすごい徹底ぶりです。
7節を見ると、神殿男娼とあります。アシェラの礼拝と共に男性同士で忌まわしい行為が行われていました。
ヨシヤ王は祭司を総動員して祭司たちが香をたいているところを汚し、門にあった高きところを壊します。
10節では、マナセが取り入れたあの忌まわしいモアブ崇拝が取り払われます。ヨシヤ王はヒノムの谷を汚しました。これ以降、ヒノムの谷は町から出る汚物、動物の死体などが捨てられる箇所となりました。ちなみに、この谷をギリシャ語で「ゲヘナ」と呼ばれています。
続いてヨシヤ王は自分の身内、ユダの王たちが犯した過ちを正していきます。王家にあるものですから、それはヨシヤ王のものです。しかし、彼は財産や軍事力よりも、神様のみことばを大切にして優先しました。
そして、13節では偶像礼拝がはじまった所を汚します。遡ることソロモンの時代です。彼の妻たちが持ち込んだ神々の宮です。ものすごい徹底ぶりです。

・預言して呼ばわった主のことば通り:15-20節
ヨシヤ王はこのきよめをユダに留まらず、イスラエルにまで入っていきます。
北イスラエルの王の時に出てくる「ヤロブアムの罪」の祭壇、つまり金の子牛を壊し、汚します。
そして、この事を通して預言が成就します。1列王13:2の預言です。以前、この箇所で「後でお伝えします」と書いたと思いますが、正にその箇所がここです。名前まで正確に語られていることに驚きです。じつに、この預言が語られたのはこの時から300年も前です。
この町の人々はこの預言を300年忘れていませんでした。それで、園なの通りの王が来て預言の通り行いました。人々の恐れはどれ程だったでしょうか。それで、預言者の墓はそのままにしたのです。
ヨシヤ王はサマリヤの町々の高きところの宮を取り除き、仕えていた祭司も焼いてしまいました。北イスラエルの中心の宮も取り除かれました。

・過越のいけにえ:20-23節
ヨシヤ王は南ユダ、北イスラエルの霊的なマイナスをゼロに持ってきました。ここからが大切です。
神様の戒めに対する罪は二種類あります。「してはならない」ということをするという罪、もう一つは「しなさい」と言われたことをやらないことです。
彼らは主が「しなさい」と言われていたことを行っていませんでした。そこで、律法の書に書かれていた過越の祭が回復されます。
22節を見ると、「さばきつかさがイスラエルをさばいた時代からこの方…過越のいけにえがささげられたことがなかった」とあります。計算してみると約700年ほどです。そんなに長期間、律法を守っていなかったのです。

・すべてを尽くして律法に従う:24-25節
同時にきよめもさらに進みます。霊的な事に関わる者、ティラフィムや偶像、すべての忌むべき物が除かれました。霊的な潔癖症に思えるほどの徹底ぶりです。
なぜヨシヤ王はこれほどまできよめを行ったのでしょうか。24節の後半を見てみましょう。「律法のことばを実行するため」です。
25節がヨシヤ王の評価です。

・怒りを静められない主:26-27節
これほどの徹底したきよめを行えば、主はこの民の罪を許してくれるのではないでしょうか。しかし、ここにはマナセの罪のゆえに、神様は怒りを静められようとはされません。
自分の世代さえ良ければ良いと思ってはいけません。私たちが悔い改めるべき事を悔い改めないなら、次世代はもっとたくさんの悔い改めが必要です。

・パロ・ネコ:28-30節
この時代には、アッシリアの勢力は減衰していました。代わりに力をつけてきた国はバビロンです。
それを面白く思わないのが南の大国エジプトです。そこで、バビロンがまだ成長しきっていないこのタイミングでバビロンを打とうとパロ・ネコが立ち上がります。
北上するパロ・ネコをヨシヤは迎え撃ちに行きます。しかし、ネコに殺されてしまいます。

・ユダの王エホアハズ:31-35節
ヨシヤ王の次はエホアハズが王となっています。民によって選ばれました。エジプトのパロ・ネコは彼が気に入りませんでした。どうしてでしょうか?
それは、エホアハズは民に選ばれて立った王だからです。民衆と力を合わせ、いつエジプトに反発してくるかわからないので、そのような芽を早い内に摘んでおきたかったのです。それで幽閉します。その上重税を課します。そしてヨシヤの他の子エホヤキムを王に立てています。

・ユダの王エホヤキム:36-37節
エホヤキムはネコに税を送るため、さらに重い税を民に課します。
同じ時代にいた預言者はエレミヤです。彼は自分の預言を書記のバラクに書かせます。このエホヤキムはその預言の書を一枚一枚暖炉に入れて燃やしてしまいました。あのヨシヤの子とは思えません。

【24章】バビロン捕囚

・マナセの罪の刈り取り:1-7節
ついにバビロンが責めてきます。その後も次々に略奪隊がやってきます。これはユダを滅ぼすために主が遣わされた者たちです。
なぜこれほどのことが起こるのでしょうか。主が愛された民が、国が滅びるのでしょうか。マナセの行った事の故です。もっと言えば、罪のない者の血を流させたからです。
7節を見ると、国際的に力の転換がありました。エジプトからバビロンに移っています。

・エホヤキン:8-9節
エホヤキンの王の期間はどれ程でしょうか。わずか3ヶ月です。王として何も結果が残せないほどの期間でしょう。
どうしてこれほど短命だったのでしょうか。エホアハズと同じ理由です。バビロンにとってエホヤキンは都合の悪い王だったのです。

・バビロンへ連れて行かれる:10-17節
ユダは攻められますが、今度は抵抗しません。降伏します。しかし、これが後に彼らの運命を変えることになります。
ヒゼキヤ王が病から癒やされたとき、バビロンからの使者メロダク・バルアダンが来たのを覚えているでしょうか。その時の事がここで悪い方に転んでしまいます。
それで、財宝がことどこく運び出されます。そして人も連れて行かれます。

・彼らを御前から投げ捨てる:18-20節
ゼデキヤはユダの最後の王です。この時代、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられます。こんな悲しいことはありません。

【25章】残された者

・ゼデキヤの虐殺:1-7節
ついにバビロンが本気で攻めてきます。民は食べ物がなくなり苦しみます。この時に書かれたのが哀歌です。
戦士たちは王と共に逃げ出します。しかしエリコで追いつかれてしまいます。そもそも、この約束の地に定住するとき、ヨシュアは最初にエリコに降り立ちます。そしてエリコでユダが終わりを迎えます。
ところがこの後、まことの救い主であるイエス様がエリコの直ぐ近くのヨルダン川でバプテスマのヨハネによって洗礼を授けられ、公の働きが始まり、神の国が訪れます。エリコは霊的に古い物が過ぎ去る場所なのでしょう。

・火で焼かれるエルサレム:8-12節
イスラエルの人々のアイデンティティーでもある神殿が壊されます。今でもイスラエルではこの日を「神殿崩壊日」として嘆きます。そしてなんと、イエス様の後の起源70年に第二神殿がローマ軍によって破壊されますが、その日がこの日と全く同じ日なのです。
バビロンは野蛮に皆殺しをする国ではありませんでした。降伏した者は生かしておきます。
その中でも侍従長は貧民の一部を残し、その地が荒れないように、管理者としてそのまま置いていきました。

・破壊される主の宮:13-17節
ダビデが情熱をもって生涯をかけて用意した神殿の素材、沢山の人の手によって立てられたソロモン神殿が壊されます。見ているだけで悲しくなってしまいます。
ところが神様のされることは本当に不思議です。これらの物はバビロンに保存され、やがてイスラエルの民が戻ってくるときにこれらも返されます。そして神殿が再建されます。

・残った人の捕囚:18-21節
多くの人がバビロンに連れて行かれます。ところがここに書かれている人は殺されています。その違いは何でしょうか。
それは彼らがバビロンに反抗するために民をそそのかしたり、圧力をかけたりした人たちだからです。このような人がいたら自分の国で捕囚の民の中でまた反抗がおきたら大変なのでころしてしまいました。

・残りの民のリーダー:22-24節
ユダの地には、残されたわずかな民がいます。リーダーとなったゲダルヤはヨシヤ王に律法の書を読んで聞かせたシャファンの孫です。彼が残された者のリーダーとなりました。

・殺されるゲダルヤ:25-26節
この期に及んでもユダではバビロンに対抗しようとしています。イシュマエルはゲダルヤを殺し、自分たちはエジプトに下っていきます。

・エホヤキンへの好意:27-30節
バビロンでエホヤキンへの好意があります。エホヤキンはバビロンがユダに攻めてきたときに降伏した王です。
バビロンの王はエホヤキンを釈放し、優しいことばをかけ、王の前で食事をしました。ダビデがヨナタンの子メフィボシェテにしたのと同じです。
イスラエルが滅亡し、暗い雰囲気の中、一筋の希望と好意で列王記が終わります。明日からは歴代誌です。今まで見てきた内容を時間を巻き戻して、今度は北イスラエル王国を軸足に見ていきます。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

1件のコメント

  1. 列王記の通読を終えられたこと感謝します。神様から教えて頂こうと切望していますが、コラムが無ければさっぱり理解が進みません。本当に有難うございます。
    これも神様からの導きですね。

    出エジプトの解放から始まりバビロン捕囚で終わってしまいました。ダビデの信仰を継承する事がいかに大変な事なのかと考えさせられました。
    小さな妥協が大きく道を外れてしまう事になるのだと教えられます。
    神様は悪しき者を用いてもご自分の計画を成就される方。日々の生活の中で苦難に思える事であっても、主に信頼し、み言葉に従っていけますように祈ります。

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