聖書通読クラブ Day 110

聖書通読クラブ Day 110【列王記 第二 19章~21章】

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シャローム!

昔の歌で「三歩進んで二歩下がる」という歌詞がありました。私たちの人生のようです。それでも差し引き一歩は進んでいますが、今日の通読箇所ではユダが三歩進んで三歩下がる、いや、四歩も五歩もさがっているのではないかという状況を見せられます。
このような状況で、神様はどうされるのかというと、ただ忍耐してなすがままにされています。
神様はギリギリのギリギリまで御手を下されません。それまでじっと忍耐しておられます。しかし、父の心は痛んでいるでしょう。
私たちの歩みは神様を悲しませているでしょか。喜ばせているでしょうか。

それでは、今日もみことばに教えられていきましょう。

今日の通読箇所:列王記 第二 19章~21章

■アウトライン

コントラスト

●祈りの応答:19章
  ・生み出す力がない:1-7節
  ・ヒゼキヤへのおどし:8-13節
  ・ヒゼキヤの祈り:14-19節
  ・主からセナケリブへのお告げ:20-37節

●天体のしるし:20章
  ・ヒゼキヤの病気といやし:1-7節
  ・影が十度戻る:8-11節
  ・家の中のすべてを見せる:12-15節
  ・バビロン捕囚への預言:16-21節

●聖さから汚れへの転落:21章
  ・マナセ王の悪行:1-9節
  ・二つの耳が鳴る:10-15節
  ・罪のない者の血を流す:16-18節
  ・主の道にあゆまないアモン王:17-26節

(1)通読のために心を整える

心を静めて、知恵と啓示の御霊をお迎えしましょう。

(2)通読

今日の通読箇所をまず音読しましょう。

(3)自分なりの受け取ったことをノートに書き記す

コラムを読む前に、自分なりに受け取ったことをノートにまとめてみましょう。

(4)コラムを読む

コラムを読み、質問の答えを考えてみましょう。

■コラム

【19章】祈りの応答:19章

・生み出す力がない:1-7節
ヒゼキヤ王はアッシリアのラブ・シャケからの脅しを聞き、主の宮に入り悲しみます。「衣を裂く」、「荒布をまとう」は、悲しみ、憤り、失望などの表現です。
つづいて預言者イザヤに心を分かちあいます。他の王は異国の王に助けを求めたり、人に助けを求めますが、ヒゼキヤは主に助けを求めます。
ヒゼキヤはその苦しみを産婦に例えました。万事を尽くしても何も解決せず、苦しみだけが留まっている状態です。
イザヤは主のことばを告げます。内容を見ると、主がすぐに祈りに応えてくださっています。主はどのように語られているでしょうか。
ひとつはラブ・シャケのことばを恐れるなということです。私たちは人のことばを恐れることがあります。ゴリヤテは神の民を朝晩になじりました。しかしダビデはゴリヤテの声を恐れず、神の声を恐れました。
私たちも様々な人からあらゆる事を言われるでしょう。それらによって改善するべき叱責は真摯に受け取る必要があります。しかし、恐れる必要はありません。万軍の主が共にいてくださいます。

・ヒゼキヤへのおどし:8-13節
アッシリアの王セナケリブは次の拠点に移動します。クシュが責めてきそうだという情報を入手したからです。
そして、再びアッシリアの王は使者をヒゼキヤに遣わします。
ヒゼキヤにとっては、とどめのような追い打ちの脅し文句です。

・ヒゼキヤの祈り:14-19節
ヒゼキヤはもう神様に祈ることしかできませんでした。しかしこれが最も正しい選択です。
この当時にあった他の神ではなく、ヤハウェなる神に祈っています。
例えば手紙を送るときは「○○県○○市○丁目○ー○○ △△△様」などと書くなら、確実にその人に届きます。祈りも同じで、誰に祈るかがとても重要です。それゆえ私たちは「天のお父さん」と祈り始めるのです。
またヒゼキヤは神をほめたたえました。自分の願いよりも神様がどれほど偉大かを宣言しています。そうして、アッシリアからの救いを願い祈っています。この祈りの型から学びましょう。そして、学ぶだけでなく、実際に祈りましょう。祈りの最後には「イエス・キリストのお名前によって」という祈りで終えましょう。

・主からセナケリブへのお告げ:20-37節
イザヤはヒゼキヤのところに使者を遣わし、アッシリアへのことばを告げます。人の力によって守られるのではなく、主の力によって守られます。預言者イザヤはとてもインテリな環境で育った学問のある預言者ですので、たくさんの詩的で豊かな表現がでてきますので、少しわかりにくいときがあります。
セナケリブはイスラエルの民を罵ったのではなく、その背後におられる神を罵ったと言っています。またアッシリアの勝利さえも主が成してくださった事だと伝えています。
ここから二つの事を学べます。ひとつは、私たちが人に対して言うことはその造り主である主に対して言っていることであると言うことです。
例えば、絵を描いて飾っていたとき、人がその絵をバカにしたのなら、作者は傷つきます。同じ事です。人を見るときはその中にある主のご性質を発見するように見たいものです。
もう一つは、すべては神様のご支配の中にあることを認め、神様を恐れることです。
主はアッシリアに対して、さばきを宣告されます。彼らがした事をそのまま彼らに返し、もと来た道に引き戻すと言われています。

【20章】天体のしるし

・ヒゼキヤの病気といやし:1-7節
突然、ヒゼキヤの死がイザヤによって宣告されます。おそらくこの時、ヒゼキヤは40歳くらいです。子どももいません。国は敵に囲まれています。これからと言うときに死の宣告を受けます。
もしみなさんがヒゼキヤだったらどう感じますか?また、どのようにこの事に応答しますか?
そして「あなたの家を整理せよ」と言っています。
未信者の方ですが、末期のがんの宣告をされた方の記事を読んだことを思い出します。彼は資産家で、何でもできるような経済を持っていました。彼が余命宣告されたとき、何をしたかわかりますか?できるだけ沢山のいままでお世話にった人と会って「ありがとう」と伝えて回ったそうです。
私たちのいのちもいつ取られるかなど、私たちには全くわかりません。何気なく「またね!」と言った人と二度と会えなくなることもあるかもしれないのです。そう思ったら「この人とはこれで最後かもしれない」と考えながらその人と接するなら、ありったけの感謝を伝えたくなるのではないでしょうか。
その様なことをしても誰も損をしませんし、傷ついたりもしません。むしろあたたかい神の愛がその場を覆うでしょう。
人生は自分の終わりを考えながら生きると、毎日がより充実したものとなります。私たちにもいつか終わりが来ます。どこか静かな所で時間を取って、一度自分の終わりを思い描いて、主にある人生設計をしてみましょう。

話を戻します。ヒゼキヤは泣いて祈りますが、その祈りはまたも即座に聞かれます。
主の仰せ通り干しいちじくを持ってきて患部の腫物に当てると、癒やされました。干しいちじくに力があるのではありません。主の仰せに従ったヒゼキヤの信仰が彼をいやしました。

・影が十度戻る:8-11節
癒やされたヒゼキヤは加えてしるしを求めます。それは何でしょうか。日時計を十度戻すことでした。つまり、時が戻る事です。日時計は15度で1時間ですから、約40分ほど時間が戻ったことになります。
ヨシュアが願ったら太陽は丸一日留まりました。今回は時が戻されています。全宇宙の天体が秩序をもって約40分巻き戻りました。このようなことは神様以外にできるものはいません。

・家の中のすべてを見せる:12-15節
詳細は2歴代誌でお伝えしますが、この時、ヒゼキヤはこの事に対して感謝せず、逆に高ぶってしまいました。今までの歩みは良かったにも関わらず、晩年に残念な形になってしまう人物がいます。残念です。みなさんに最後の最後まで主に従う力が与えられますように。

そのようなヒゼキヤにバビロンから使者が来ます。病気のヒゼキヤ王へのお見舞いと手紙です。
その使者に対して、なんとヒゼキヤは心を良くして、すべての宝物倉を見せてしまいます。おそらく、王としては自分のすごさを誇示したかったのでしょうが、バビロンは最先端の金融技術とリテラシーのあった国です。金には糸目をつけません。彼らがそれを「すごいですね」と言うにとどめるはずがありません。ヒゼキヤの大きな失態です。イザヤは御霊に感じてバビロンの使者が何を見たかをヒゼキヤに聞きます。そして、王は事実を伝えます。おそらく、誇らしげに伝えたのでしょう。

・バビロン捕囚への預言:16-21節
預言者は厳しいことを伝えなければならないことが多いです。今回もヒゼキヤがしたことがきっかけでバビロン捕囚がおきることを告げます。堕落したユダ王国を救ったように見えるヒゼキヤがユダ王国滅亡のトリガーを引いてしまいました。
この箇所で私が感じた最も残念な所は19節です。結局、ヒゼキヤは自分さえ良ければ良いと言う考えでした。次世代の事を考えていませんでした。それはこの直後に現実のものとなってしまいます。

また、ヒゼキヤは実際的な功績も残しました。有名なヒゼキヤトンネルです。水路の工事をし、ギホンの泉を埋め立て、地下に水道を掘り水を城壁の中にまで引き込みました。それはなんと今でも残っています。イスラエルで実際に訪れることも可能です。とても狭く、時によっては膝上まで水につかることもありますが、イスラエルに行くことができたらぜひ行ってみてください。
こうして、ヒゼキヤ王は息を引き取ります。

【21章】聖さから汚れへの転落

・マナセ王の悪行:1-9節
ヒゼキヤ王の息子、マナセが王となります。あの素晴らしい宗教改革を行った父の子です。父から受け継いだスピリットを発揮させ、そのように再建を加速させていくのかと期待したら、その正反対を行ってしまいます。
9節までを読んで見ましょう。読むだけで吐き気がしてきそうになります。今までの王の中で最も悪いことを行っています。父と子であまりにもコントラストがありすぎます。まるで天国から地獄に突き落とされたような振れ幅です。
ユダは落ちるところまで落ちてしまいました。しかし、そうならなければならなかったのです。

・二つの耳が鳴る:10-15節
北イスラエルの滅亡からアッシリア捕囚の流れが南ユダにももたらされます。13節にあるように、サマリヤに使ったはかりなわ、アハブの家に使った重りというさばきをユダにも適用するということです。
せっかく先祖は出エジプトし、ようやく約束の地に住み着いたはずなのにまたふりだしに戻っています。なかなか直らないわたしの内なる人を示しているようです。
「二つの耳が鳴る」とは、災いを聞かされた時の恐怖と悲惨さを示す表現です。

・罪のない者の血を流す:16-18節
このマナセはヒゼキヤのいのちが15年伸ばされた期間に生まれた子どもです。つまり、ヒゼキヤが高ぶってしまった時に与えられた子でした。
今までの神様が喜ばれない事をことごとく改革していった父の姿を知らない子でした。
このマナセの行ったことを主は天からどのような気持ちでご覧になっていたのでしょうか。心が張り裂けそうになっていたのではないかと思います。しかし、主はその事も忍耐されました。
私たちは自分で罪を犯すことがあるかもしれませんが、もっと大きな責任は人に罪を犯させる事です。これはサタンの性質です。
まず私たちが帰られるなら、このような悪い影響は私の代でストップするはずです。そのためにもみことばによって悔いあたらためる生き方をしていきましょう。

・主の道にあゆまないアモン王:17-26節
続いてマナセの子アモンが王となります。父マナセにならい、主を捨てています。そして主の道に歩もうとしなかったと書かれています。
ローマ1:28には「彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らはしてはならないことをするようになりました。」とあり、その後に数々の罪のリストが続きます。
アモンはまさにそのような歩みでした。結局、家来の謀反によってアモンは殺されますが、民衆は王を殺した謀反者たちをも殺します。
いったいこのまま、この国はどうなっていくのでしょうか。

(5)ノートに記す

文中の質問、また以下の質問の回答をノートに記しましょう。
 ・【観察】今日の通読箇所の内容を簡潔にまとめましょう。
 ・【観察】神様はどのようなお方ですか?神様のご性質や神様がどのように働かれるかを書きましょう。
 ・【観察】ここからどんな真理や教訓を学べますか?
 ・【適用】自分の生活にどのようにあてはめることができますか?
 ・【感謝】受けた恵みや感謝はありますか?
 ・【祈り】実行できるように祈りましょう。

(6)祈り

実行できるように、主に切に求めて祈りましょう。

(7)分かち合う

ページの一番下にある「コメントを残す」というところに、受けた恵みを分かち合いましょう。

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